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  講義「釈尊の悟りと弘法大師」

2005.09.27 第38期札幌市民大学講座
第二道通ビル8F 後援:北海道経済同友会

2005/9/27 講義「釈尊の悟りと弘法大師」 第38期札幌市民大学講座 (123分) mp3/56.3MB

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   「阿字の子が、阿字の古里立ちいでて、また立ちかえる阿字の古里」というお大師さまの御詠歌に行き当たるわけでございます。大日如来からこの世に人として生み出されて来ました私たちは、また大日如来のもとへ帰って行かなければいけない。衆生が仏である。私も仏であれば、皆さんも仏であるわけでございます。ただ、そのことに気づいていらっしゃらないだけでございます。だから、気づきなさいというふうにお大師さまはおっしゃっているのであります。このことは宗教の世界だけではなくて、私たちの実生活でもう一度考える必要があろうかと思います。
 六年前、私は山口大学の医学部から医学博士号を頂きました。何も自慢しようというのではありませんけれども、学位論文の私の研究テーマは「臓器移植に関する日本人の意識構造」、平たく言いますと日本人は臓器移植をどのように受け止めているのかということを調査研究したわけでございます。そこに興味深い結果が出ました。
 なぜこの真言行者がこうした臓器移植かというふうに疑問に思われる方もあろうかと思いますけれども、そもそも昭和六十三年に私が山口大学の医学部の非常勤講師に招へいされたところから始まるわけでございます。それまでの十数年の間世の中ではこころの時代と言われながら言葉だけが先行しておりまして、どれも実態が分かっておりませんでした。
 そこへ臓器移植の問題が起きまして、脳死の判定がかまびしく議論を呼んでおったのであります。死の瞬間をどこに求めるかとか、社会性を喪失した時が死であるとか、生活反応を死としようではないかとか、とにかく死という概念につきまして各方面から真剣な意見が出されたのでありますけれども、何れの意見を取っても正論ばかりでございまして、これといった結論めいたものが出ておらなかったのであります。
 折りしも高野山の東京別院におきましては「生かせ命」ということをテーマにしてシンポジウムが開催されておりました。その年は、私自身にとりましてもいろいろなことがございました。先程申しました伝法灌頂を受けて傳燈大阿闍梨を授かった年でもございますし、八百年前の絵巻物を見せてもらいましたのもその年でございました。また、百万枚護摩行の前行に入っておった時期でもあるわけでございます。その年の前半に山口大学からお声がかかりまして、初めてこの臓器移植とそれに伴いますところの脳死の問題を考えるようになったのであります。
 私は、まず自然死の状態を死とする。そういう従来の概念を持って脳死に取り組んでみました。これについて教典がどこかにないだろうかいうふうに探してみたんですけれども、どこにも死の瞬間、また死の判定なんかについて書かれたものは無かったのであります。医学界にもありませんから当然でございます。
 そこで死というのをどのように考えて来たかを地・水・火・風・空の五大に、いわゆる仏教の死生観に答えを求めたのであります。つまりは、肉体も精神も共に大日如来に戻るという密教の死生観でございます。
 このことはお釈迦さんも「この世の中は無常である」というふうに言ってらっしゃる。そのようにあらためて目新しいという程のことはございません。言うなれば仏典の再確認に留まったようなわけでございました。しかしながら、この再確認は私が気づかなかった医療について考え直す機会にもなったのであります。その一つの例をあげてみますと、私たちの社会はいわゆる契約で成り立っている社会でございます。
 ものを買います時に代金を支払います。これは当然の商行為でございます。品物が粗悪品であれば交換してもらえます。また保証期間内であれば無料で修理もしてもらうことが出来るわけでございます。ところが、医療は病気が治らない場合でも料金だけは取られます。取られると申しますと誤解を招きますから、支払わなければならないと言い換えておきたいと思います。さて一般社会では完全に直らなかった場合、どこまでも無料で修理をさせることが出来ます。医療では患者さんが死んでしまっても所定の医療費は請求されます。医療界は一般社会の取引では考えられないことを長らくやってきたわけでございます。そして誰も不平不満を言うどころか、疑問に思う人もおらなかったわけでございますから、どこかに一般的なこの商取引との違いがあらねばならないはずであります。この違いがなければ病気が治るまで何度かかっても治療費はタダとなるわけであります。しかし現実はそうではないわけであります。そうした結果、医療は病気を治すことを前提にしながら、商っているのは治癒、完治ではなくって他のもの、他のなにかであらねばならないわけであります。
(合計123分)




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