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  「仏教における生命倫理」〜ガン告知から臓器移植まで〜
2005.09.28 兵庫医科大学講義 医の倫理

2005/9/28 「仏教における生命倫理」〜ガン告知から臓器移植まで〜 兵庫医科大学講義 医の倫理 (99分) mp3/45.5MB
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   命はいったい誰のものなのか。お医者さんや看護師さんにすべてを委ねておりますけれども、やはり患者さん本人のものであるべきであります。そこにQOL、クオリティ・オブ・ライフの問題もからんでまいります。日本の場合、過剰な医療から初めてこのQOLが問われるようになりましたけれども、がんの患者さんに、例え数ヶ月であっても生きる手ごたえが欲しいものであります。
 数年前のことでございましたけれども私の寺に二十歳過ぎの学生さんがやってまいりました。それは慶応大学の学生さんでございましたけれども、この青年が再々発のがんに侵されておったのであります。本人もご家族も、もう余命は三ヶ月くらいだとお医者さんから告げられておりました。彼はどこかで私の本を読んだんだろうと思いますけれども、私の所へやって来まして「行がしたい」というふうに言うんであります。
 肺から脳にも転移しておりますから行に耐えられるかどうか不安がございます。しかし、親御さんも「この子がそう言うんですから、どうか行をさしてやってください」というふうに頼まれるもんですから、私はその行をすることを許したわけでございます。一旦私の寺に入ったからには、私の他の弟子と同じように扱わなければなりません。
 彼はたまたま来ておりました巨人軍の清原選手とか、今阪神タイガースで四番におります金本知憲選手のこの二人の大男に挟まれて行をしたのでございますけれど、結果的に一年後には亡くなってしまいました。しかし彼は精一杯生きようとしたのであります。言葉は悪いんですけれども、この死にかけた青年でさえこれだけがんばるんだからというふうに二人の野球選手は一生懸命やったわけでございます。これが、この二人の野球選手とか他の弟子たちにも感動を与えまして、大いなる励みになったのであります。その翌年のことでございますけれども、金本選手も、清原選手もりっぱな成績を残したのでございます。その慶応の青年は、彼らが活躍する姿を見て死に赴いたのでございます。
 生きるということは自らの肉体的な生命を長らえるばかりではないのであります。芸術家が作品を残して人々に感動を与えるように、人生そのものにも感動を与える力がございます。これがQOLであります。限られた人生、限られた生命にチャンスを与える。そのために医療が最大限協力をしてあげる。これは医療の怠慢でも、放棄でもありません。りっぱな治療の一環であるわけでございます。
 この慶応の青年が亡くなりました後、お母さんが私の寺にやって来られました。そして彼は普段の生活でも家族を逆にはげましてくれておりましたというふうにおっしゃっておられました。家庭も暗くならないで、いつも積極的に生きようとしている息子にどれだけ救われたことか、そういうふうにお母さんはおっしゃっておったのであります。
 私は行がすべてだと言うのではありませんけれども、たまたま青年は私の寺で行をする生き方を選んだに過ぎないのであります。あるとき私はこの青年に「どうかね」というふうに感想を聞いてみました。すると青年は「新しい世界が開けました」。そういうふうに答えたのであります。本人にもご家族から、またお医者さんから、限りある命であるということを聞かされておりましたから、積極的に自分らしい生き方を考えたに違いないのであります。こうした機会を与えたのが病名の告知であったのであります。
(99分)




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