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2006.10.25 講演 「文明間の対話」(フィリピン大学ロス・バニョス校)
2006/10/25 講演「文明間の対話」 SEARCA HALL (フィリピン大学ロス・バニョス校) (49分) mp3/22.5MB
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Bishop/Dr. Ekan Ikeguchi
Spreading Peace Talks Across Different Cultures and Civilizations
25 October 2006, SEARCA Hall,
University of the Philippines, Los Banos, Laguna, Philippines 

 皆さま、こんにちは。ただいまご紹介に預かりました池口惠觀でございます。日本の仏教における代表的な宗派の一つであります真言宗の僧侶で、日々、炎の高さが三メートルに達する火を焚く、二時間前後の護摩行を行ない、世界中の人々の幸せと平和を祈っております。本日は仏教の心をもとに「文明間の対話」ということをお話させていただきたいと思います。
 ハーバード大学のサミュエル・ハンチントン教授が、二十一世紀は「文明の衝突」の時代になると警鐘を鳴らされたのは、もう今から十数年前のことでありますが、最近十年の世界の情勢を見ていますと、ハンチントン教授の危惧が現実化しつつあるような感じを受けざるを得ません。特に二十一世紀の最初の年に、九・一一同時多発テロ事件が起きて以来、その状況が深刻化しています。
 「文明の衝突」の背景には民族、宗教の違いが存在しています。私は仏教者の一人として、現在世界各地で起きている紛争の根底に、宗教問題が横たわっていることに、深い悲しみを抱いています。宗教は本来、人々を苦しみから癒し、救うことを目的としています。その宗教が人々を癒し、救うどころか、人々を不幸にし、平和の妨げになっていることを、世界の宗教家は真剣に考えなければなりません。

 一般的に、キリスト教、イスラム教、仏教が世界の三大宗教と言われています。それは、その三つの宗教がそれぞれの広大な地域において、長年、多くの人々に救いをもたらし、独自の文明を築く礎になってきたからです。三大宗教の教えは微妙に異なりますが、その地域の人々に支持され、その地域社会の歴史と伝統文化を構築してきたことは紛れもない事実であります。
 
 ただ私は、宗教がその地域社会の特殊性、独自性を背景に持っていることを認めるとしても、他の宗教に対する排他性を容認することはできないのであります。信仰する人々の救済を目指すのが宗教である以上、他の宗教で救済を願う人々の存在を否定することは、宗教家としてはできないのであります。
 
宗教は他の宗教を認める寛容の精神を持たなければなりません。自分の宗教で多くの人々が救われることが喜びであるのなら、他の宗教で多くの人々が救われることもまた喜びとすべきです。三大宗教のみならず、世界の宗教がその寛容の精神を持てば、地域紛争も減り、世界平和も一歩前進するはずであります。
 そういう意味で、私は仏教者の一人として、「文明間の対話」の重要性はますます高まっており、宗教家こそ対話をリードしなければならないと考えているのであります。
 そこでまず、私の基本的な考え方をご説明致します。ここに一本の大木があるとしましょう。この大木は太い幹に立派な枝葉を生い茂らせ、春には美しい花を咲かせます。私たちはとかく、その花の美しさ、幹の太さ、枝葉の見事さに目を奪われがちですが、私がもっとも大事だと考えますのは、地面の中に埋もれて見ることができない、その根っこであります。どんな立派な大木でも、その根っこを大切にしなければ、時とともに根が腐り、幹が弱り、枝葉が枯れ、花は咲かなくなって、やがて倒れるのであります。
 私は、国家もこの大木のようなものではないかと考えています。どんなに表面的に繁栄を謳歌している国でも、国民がその国の根っこを大事にしなければ、その国は次第に乱れ、やがて亡国の淵に沈んでいくのであります。(49分)

 
   
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講演 「文明間の対話」

2006.10.25
フィリピン大学ロス・バニョス校 SEARCA Hall

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