池口会   京 都 2005年 Ikeguchi Kai Kyoto 2005 Reito Shinshi-ni-mukiatte         HOME 

霊と真摯に向きあって

2005/6/28
池  口  会
さざんか亭
霊と真摯に向きあって
雨乞い
家田荘子先生
式年遷宮について
 
密教
顕教
天地の調和が乱れる
一番の安心
国家の厄災
自然災害
恵果阿闍梨
仏さまの計らい
不空三蔵
インド
スリランカ
密教の祈りというのは宇宙への響き
真剣に正しい方法で祈る
玄宗皇帝
雨乞いの呪術
宇宙に大きく響く法力
灌頂
大孔雀明王経
 お大師さまが教えて下さいましたこの密教が、他の顕教と違いますのは、根底に宇宙の仕組みに対する教えがあるということでございます。そのお大師さまのダイナミックな教えには、天地の調和が乱れましたときに、どうしたら人々を救うことが出来るか、という教えがあるわけでございます。災害に遇わないという事が一番の安心であるわけでございます。しかし、災害に遇うのではないか、何時災害があるだろうというようなことで心配しながら生きておったんでは、安心は得られませんし、また個人の災害だけでは無い、国家の厄災とか自然災害をもこれを防ぎ、あるいは災害にあったときには、いち早くこれを除くことが出来るように、早く立ち直れるようにと祈っていくのが密教であるわけであります。
 1200年も前に唐にいらっしゃったお大師さまは、お師匠さまの恵果阿闍梨(けいかあじゃり)が亡くなられたときに、何千人からいらっしゃる弟子を代表して碑文を書いてらっしゃいます。弟子となって、まだ日が浅かったお大師さまが、お師匠さまの恵果阿闍梨の生涯と功績を残す重要な役に選ばれたわけでございます。密教を受け継がれました後継者であるわけでございますから、当然のことであるわけでございますけれども、不思議なことだというふうに、ここにも仏さまの計らいを私たちは感ずるわけでございます。
 お師匠さまの恵果阿闍梨は、三代に渡って皇帝のお師匠さんとなり、そして万民は彼を頼った。雨を降らせ、雨を止めるのは、日を経過せずに即時に貢献があった。恵果阿闍梨は雨乞いも、また長雨を止める手法にも優れていらっしゃって、干ばつとか水害から人々を守る絶大な力を持っていらっしゃったということを、お大師さまは讃えられたわけでございます。
 現代では、人間が宇宙にまで出かけるようになっております。それも選ばれた宇宙飛行士だけではなくて、巨額ではありますけれども、大金を積めば誰もが宇宙滞在の旅に申し込める世の中になってきております。それなのに人類は天候のコントロールはまだ出来ておりません。日照りが続きますと作物は実らないで、また草も生えることが出来ないのでございます。水が涸れればまさに、生けとし生ける物は餓えて乾いて死んでしまうことになるわけでございます。逆に雨が続きますと、草木は腐って、また川は氾濫して生き物を苦しめることにもなるわけであります。こうした天の乱れというのは、地を荒れさせるだけではなくって、人のこころも乱してしまうわけでございます。そのように乱れている宇宙のバランスを取り戻すために、古来から人類は祈って来たわけでございます。
 密教の祈りというのは宇宙への響きでございます。真剣に正しい方法で祈ることによりまして、祈りは宇宙に響いて調和を取り戻すのであります。お大師さまの、お師匠さまである恵果阿闍梨の、またお師匠さんである、不空三蔵(ふくうさんぞう)が、玄宗皇帝に信任されましたのは、正にこの雨乞いなどの呪術の貢献があったからであります。宇宙に大きく響く法力を供えていらっしゃったということであります。
 不空三蔵と言う方は、弟子たちを引き連れてインドとスリランカへ出かけて行かれまして、密教本場の経典とか、手法を唐に持ち帰られた方でございます。その年の夏の終わりに大干ばつが帝国を襲いました。すでに玄宗皇帝は、不空三蔵から灌頂を受けていらっしゃいましたので、この大日照りをなのとかして欲しいというふうに願われまして、不空三蔵に雨を降らせるように祈ってくれと命令を下されるわけでございます。そこで不空三蔵は、大孔雀明王経(だいくじゃくみょうおうきょう)というのによって雨乞いをされまして、効果があったとされております。(京都木屋町さざんか亭)


2005/6/28 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 雨乞い(62分) mp3/28.4MB

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2005/10/23
池  口  会
さざんか亭
第一講話 時局(靖国について)
霊と真摯に向きあって 満濃池と弁財天
真言密教を確立
讃岐の国
築池別当
満濃の池
地鎮祭
護摩焚き岩
仏天の御加護
西域
万里の長城
求聞持法
神秘体験
宇宙の神秘
母が非常に霊力の強い人であった
拝み屋
呪術軍団
呪術合戦
母の法力
母が瞑想
百発百中
 
 この時お大師さまは48歳でございました。お大師さまは真言密教を確立するために心血を注いでいらっしゃるときでございましたが、故郷の人たちが苦しんでいるということで、一時これを離れて讃岐の国に行くことを決められるわけです。そして築池別当という官職を朝廷から頂かれて、大規模な土木工事に取り掛かられるわけでございます。
 お大師さまは地形を隈なく調べられました。満濃の池というのは、周囲が三十六の谷から水を集めているわけです。雨季ともなりますと、水かさが急激に増して、コントロールが難しいところなんです。お大師さまは、この工事を始めるにあたりまして、地鎮祭をしっかりとやってらっしゃるんですね。
 池に突き出した大きな岩の上で、お大師さまは護摩を焚かれた。護摩焚き岩というふうに呼ばれているとろこでございます。ここで1週間、お大師さまは護摩手法を執り行われたのであります。一つには仏天の御加護を頂かなくてはいけない。二つには不幸、災難から逃れられるように。三つには願望が成就するように。
 こうして、お大師さまが築かれた堤防は、当時には見られなかったアーチ型で、池に向かって緩やかな弧を描いて突き出しているのであります。お大師さまが留学をしていらっしゃった唐の時代は、西域から来る奇跡がどんどん入って来ておりましたし、なによりも密教を伝えたのが、この西域のお坊さんたちであったわけでございますから、お大師さまが最先端のこの土木工事を学ばれるということは自然の流れであったんだというふうに思われます。それに中国には万里の長城というのがございます。その万里の長城のルーツは、始皇帝より前の春秋時代の西国にあるとも言われておるのであります。この国は黄河が流れておって、治水に力を入れておったのであります。この堤防が万里の長城の発想に繋がって、この西国から長城の建設が始まったんだそうであります。
 お大師さまは、この堤防の修築の話しが来たとき、どこをどのようにすれば、この工事は成功することができるということが分かっていらっしゃたんじゃないかなと思うわけでございます。お大師さまは行者でもあったわけでございますから、19歳の時に求聞持法(ぐもんじほう)をして神秘体験をしていらっしゃる。そして宇宙の神秘、いろんなことが分かるようになってらっしゃった。だから、それを瞑想されたら一目で分かられたんじゃないかなと思います。
 というのも、私の亡くなった母が非常に霊力の強い人であったから、そういうふうに思うわけでございます。私の母は生まれつき霊感の強い人であったようでございます。中年になってから行を始めた父と夫婦で激しい行を続けておりました。母の出身地である指宿(いぶすき)と言うところがございますけれども、この指宿という所は古来にはヒメ、クメ、ハツと云われた女の呪術者が、拝み屋さんがおりまして、敵が侵入してくればそのヒメ、クメ、ハツと言う彼女たちの呪術軍団を先頭に押し立てて、呪術の掛け合いをしたんだというふうに続日本紀に書かれた土地でもあるわけでございます。時にはこの呪術合戦、それだけで勝敗が決まるほどの成果を表したということでございます。母がそう云った方々の末裔でないとは言い切れないというふうに考えているわけでございます。それほど母の法力は強いものでございました。 
 鹿児島には今、種子島に移っておりますけれども家のすぐ近くの内之浦という所にロケット基地がございます。最初の間はあのロケット実験がよく失敗しておりました。明日はロケットが発射されると言うと、母が瞑想します。今度は何番目のロケットの所でだめになる。そういうことをきっちりと百発百中当てておったんです。(京都木屋町さざんか亭)

2005/10/23 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 満濃池と弁財天(57分) mp3/26.4MB
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2005/11/22
池  口  会
さざんか亭
霊と真摯に向きあって
稲荷神と鉄
肝属郡
柏原高野山西大寺
明治維新
廃仏毀釈
真言宗の寺が焼き討ち
志布志湾
串良川
国見山
観音さん
弁天さん
私は一番末っ子
お稲荷さんとお大師さまの深いご縁
日本一の行者
嵯峨天皇
東寺
教王護国寺
王を教化する
日本を守る寺
国を守る寺
国家鎮護
密教寺院
世界遺産
大弁才天
八メートルの宝剣

、鹿児島に運んだご縁
 皆さん今晩は。きょうはハワイから、東京から、大坂から、あちこちから沢山珍しい人がお見えになっていらっしゃいますけれども、きょうは「稲荷神と鉄」と言うことでお話しを聞いて頂きたいと思います。
 私が生まれました鹿児島県の肝属郡という桜島の向こうの方なんですけれども、そこの田舎の寺なんですけれども、柏原高野山西大寺と言うところです。そこは父が醤油屋をやっておりまして、それから病気になって、直らないで、お医者さんでどうにもならないときに行者さんがやって来て、その行者さんに聞いたら、先祖さんが「跡をやれば、この病気は治るよ」と言われたことを聞いて、父が一般の家を改造して作った寺でございました。だから寺らしい寺じゃなかったんですね。鹿児島県の真言宗の寺といったら、ほとんどがそういう寺でございました。なぜかと言うと、明治維新のとき廃仏毀釈で鹿児島県は、特に真言宗の寺が焼き討ちになって、ほとんどの寺が無くなったという所でございますので、それから始まったもんですから、一般の住居を寺にした作りがほとんどでございました。
 東に5分か、6分ちょっと歩けば志布志湾に行きまして、松林があって綺麗な砂浜があるわけです。西に行けば見渡す限りの田んぼが広がっております。その先に串良川が流れて、国見山というのが南にはそびえるという自然に囲まれた所で私は育ったわけでございます。
 境内には沢山の昔からの観音さんとか、弁天さんとか、いろいろな石仏が置いてありました。私はそこで2、3歳の頃からその一つ、一つの仏さんに毎朝お茶とお水をあげて、お線香をあげるのが私の日課であったわけでございます。まだよちよち歩きの子供であるのに、むしろ喜んでそういうようなことをやっておった私に、両親は跡継ぎは、私は一番末っ子ですから、その末っ子に継がせようというふうに考えたんじゃないかと思いますね。
 小さいときからあっち、こっちの百貨店に家族で子供たちを連れて行くんですけど、跡継ぎということもあったと思いますけど、ほかの兄弟は肉やいろんなものを食べるんですけど、私だけは肉を食べさせられなかったんですね。それでずうと今まで、まだ肉の味を知らないんですけれども、まあ行者にするというのがこころからの親の考えだったんだろうと思います。
 その庭の仏さんたちの中に、お稲荷さんを祀る社(やしろ)がございました。そのお稲荷さんに私はいつも手を合わせて、「どうぞ私を日本一の行者にしてください」、というふうに祈っておったわけでございます。というのは、小さい頃から古老たちが来ては、あなたのお爺さん、曾爺さんは大変な行者であって、こうゆうことをした、こんなこともしたと言って、いろいろ教えてくれて、日本一の行者さんだったんだ、というようなことをいつも云っておった、それが耳に付いてましてね、自分もそういう日本一の行者になるんだ、というように思いまして、お稲荷さんに、「日本一の行者にしてください」、というふうに祈っておったようなわけでございます。
 このお稲荷さんとお大師さまの深いご縁を知るようになるのは、ちょっと後の事になるわけでございますけども、お大師さんを信仰していらっしゃる人たちも、お稲荷さまとのご縁を知られる人が、そう沢山いらっしゃらないのではないかなというような気もいたします。
 弘仁14年(823年)の1月19日に嵯峨天皇は東寺さん、教王護国寺、これをお大師さまに与えられるわけです。 お大師さまが50歳の時に、この寺を密教の根本道場にして日本を守る寺に、ということにされたわけですね。この教王護国寺の教王というのは、王を教化するという意味もございまして、教王護国寺という名前は国家鎮護の密教寺院という意味合いが込められているわけでございます。だから日本を守る、国を守る寺が、教王護国寺、東寺であるわけですね。世界遺産の一つであるわけでございます。
 私の寺には大弁財天さんがいらっしゃいます。その弁天さんは八メートルの宝剣を持ってらっしゃいます。電信柱くらいの長さですね。その宝剣を東寺の本堂で魂を入れて頂いて、鹿児島に運んだご縁がある、縁の深い名刹であるわけですね、この東寺さんは~(京都木屋町さざんか亭 座敷)


2005/11/22 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 稲荷神と鉄(90分) mp3/41.6MB
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2005/12/27
池  口  会
さざんか亭
霊と真摯に向きあって
見えないものの大切さ
学士灌頂
伝燈大阿闍梨に昇補
御影堂の大事
お大師さまの直弟子の一人
焼八千枚護摩
桜島
大柴燈護摩
世界一の護摩壇
五壇の護摩壇
高野山霊宝館長
高野山大学仏教芸術教授
山本智教
上池院
古文書
鎌倉時代の古文書
宇宙には仏さまの大いなる知恵が遍満している
真言、蔵を開く
宇宙というのは秘密の蔵
宇宙の扉
八千枚護摩行者
百万枚護摩行
 私は昭和63年の晩秋に高野山で学士灌頂を受けまして、伝燈大阿闍梨というのに昇補いたしました。この行事というのは御影堂の大事というふうに言われまして、お大師さま自ら開眼されて、入滅されたお大師さま御影がございます。そこで、その御影堂の御影にお会いするということで、お大師さまの直弟子の一人になるということを意味する儀式であるわけでございます。
 この頃の私は、焼八千枚護摩というのをもう60回から70回やっておりました。また、桜島の大柴燈護摩(だいさいとうごま)を厳修いたしました。そのころ桜島が非常に噴火して灰が鹿児島市内にいっぱい来て大変だったころでございます。
 鹿児島市も10億、20億の費用をかけて灰を取ってまわらんといかんという大変な時で、皆が苦しんでいるから、この灰を止める行をしてみようというふうに思ってやったのが、この柴燈護摩行なんですね。 世界一の護摩壇を作ってやろうということで、6メートルからのヒノキと杉の木を三千何百本使って、竹を上に立てますから、竹の上まで24メートルぐらいの高いものを作って、その周りに四つそれよりもちょっと小さいのを作って、五壇の護摩壇を作ってお祈りをしたわけですね。そしたら、なんとその日から灰が止まったんですね。で、今に至ってるわけです。
 そうゆう時に私の知り合いの坊さんが、「私の寺に伝わる一巻の古文書だけども、八千枚のベテランだからこれを見てみらんか」というふうに見せてくれた、鎌倉時代の巻物を見せてくれたんです。鎌倉時代のもので字が読めないのがいっぱいあるんですね。それで高野山大学時代の恩師で、高野山の霊宝館長をしていらっしゃた高野山大学の仏教芸術の教授の山本智教という先生と、うちの妻の寺が上池院という寺でございますが、その寺の住職、父が友達であったということで、ちょうどやって来られたのですね。それで先生に読んでもらったんです。それを読んで行くうちに私は非常に驚いたんです。その古文書は、鎌倉時代の八千枚護摩を行者が書いて記録しているものであるわけございます。やりかたとか、護摩木の種類とか、大きさといったようなものが、なんと私がずっと作り上げてきた、誰にも教えてもらわずに私が作り上げてきた行が、そっくりそのまま鎌倉時代の巻物に書いてあったんですね。
 私はそれで非常にびっくりしましてね、千年近く前に既に私がやっておったことと、同じことをやっておった。私のオリジナルの行だと思っておったのがそこに書いてあった。
 自分の思っておった誇りが萎むような、しかし私の仕法というのは鎌倉時代の伝統のものであったというような、自信といっしょになりまして複雑な気持ちになったわけであります。
 私はきっと鎌倉時代の、この行をされた方の生まれ代わりなんだというふうに思うようになったんです。しかし、それから20年ぐらい経ちますうちに、私は別の考えを持つようになったのであります。それは百万枚を終えてからですね、この宇宙には仏さまの大いなる知恵が遍満しているわけであります。真言、蔵を開くというふうにお大師さまは教えて下さっておりませけれども、正に宇宙というのは秘密の蔵であります。私は拝んで、拝んで、そのことを使命に思いまして、八千枚護摩行とともに前人未到の百万枚護摩行に挑戦したわけでございます。
 その私の祈りが仏さまに通じて、宇宙の扉を開いて頂いて、鎌倉時代の古文書を見せて下さったんじゃないかなというふうに思うようになったわけでございます。そのおかげで、私はこの百万枚護摩行も達成することが出来て、仏さまがいっぱい自信を下さったんだ、というふうに思っているわけでございます。平成元年2月の4日から5月の14日、私はこの百万枚護摩行に挑戦いたしました。(京都木屋町さざんか亭)

2005/12/27 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 見えないものの大切さ(76分) mp3/35.2MB
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