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秘蔵宝鑰

 
 
2006/3/22
池  口  会
さざんか亭
秘蔵宝鑰「こころの復興」1回目
歌[誰よりも君を愛す]
歌[君恋し]
歌[柿の木坂の家]
家田荘子先生
日本人の気力
秘められた蔵を開く宝の鍵
秘蔵宝鑰
十住心論
お大師さまが天皇に献上された教え
平成17年を象徴する漢字「愛」
日本経済のバブルが弾けてもう20年近く
知恵と慈悲
生命の泉
西大寺
厳しい護摩行
廃仏毀釈
一般の家を寺にして
高隈山
   今、日本人のこころが非常に荒んで来てますので、お大師さまが説かれたこころの問題で秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)と十住心論(じゅうじゅうしんろん)とういうのがあるんですけども、その秘蔵宝鑰という本の中から、こころの復興ということでお話しを今回から聞いて頂きたいと思います。
 日本人は今、「愛」という漢字に日本の人々がこころを寄せておるようでございます。平成17年を象徴する漢字を公募したところ、一番多かったのがこの「愛」という字であったようでございます。
 日本経済のバブルが弾けてもう20年近くなりました。日本人の気力というのは既に前に向かって進もうという強いものに変化し始めているんだと思います。その表れがこの「愛」という文字に託されておったわけでございます。上に向かって、崖を登って行こう、もう一度元気を取り戻して生きて行こうではないか。そういうことで湧き上がってくるその力の源になるのは何なんだろうか。それは私たちの生きる意志でございます。その意志を突き動かすものは何か。それが「愛」であるんだ。そういうふうに、私は思っているところであります。
 この「愛」の源泉は、前を向いて歩いて行くということ。希望や夢を目標に定めて進んで行くところにあるわけであります。どんな絶望的な状態でありましても生きている限り、明日という日がやって来るわけであります。その明日にはいろいろな可能性が秘められているのであります。可能性が一杯詰った明日という宝の小箱を開く鍵をお大師さまは私たちに教えて下さっているのであります。
 秘蔵宝鑰と言うお大師さまの著作がございます。秘められた蔵を開く宝の鍵、それがお大師さまが書かれた秘蔵宝鑰の意味であるわけでございます。この宇宙には私たちを前へ、前へと歩かしてくれる力の源泉が満ち満ちているのであります。知恵と慈悲とからそれは成る。
 この生命の泉という目には見えないものでありますから、普通はなかなか気づかないものでありますが、しかしこの鍵を手に入れますと、仏さんの蔵を開けて宇宙に満ち満ちているその宝物を手に入れることができるのであります。この秘蔵宝鑰という著作は西暦830年、今からおよそ1200年近く前に十住心論とともに、お大師さまが天皇に献上された教えでございます。
 私の生まれた家は西大寺(さいだいじ)という寺でございまして、両親も行者でございました。私が5年生の頃だったと思いますけれども、春休みだからということで、朝3時から7時までという厳しい護摩行をさせられまして、やっとのことでその行を終えて外に出たときのことでございます。私は3時間も座ってるから足がしびれきてふらついてるわけですね。そのふらついてる足を用心しながら本堂の外へ出て、門から外へ出てみました。
 今でもそうなんですけれども、鹿児島の寺の多くがそうでありますように、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)でほとんどの寺が潰されました。真言宗は特に、その廃仏毀釈の被害に会いましたので、ほとんど大きな寺がないんですね。そこで一般の家を寺にして、仏さんを祀って寺としてやってるのがほとんどの鹿児島の真言宗の寺でございます。うちの寺もそういうようなことであったんです。境内の西の方は、五百町歩からの田んぼが広がっております。よく晴れた日でございました。何気なく空を見上げてみますと高隈山の上の方に微笑みを浮かべた大きな、大きな仏さまの顔が空いっぱいに広がっておりまして私を見ているわけです。私は夢を見ているのかと思いながら頭を振りながら、また目を擦ったりしながらもう一度見上げて見たんですけれども、やっぱり仏さんは金色に輝いていらっしゃるんです。(京都木屋町さざんか亭)


2006/3/22 池口会(京都) 「秘蔵宝鑰」こころの復興 1回目(79分) mp3/36.2MB
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2006/4/22 
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興2回目
輪廻の思想
人間界
餓鬼道
畜生道
苦難の人生
六道輪廻から開放
大日教
十住心論
秘蔵宝鑰
六道輪廻
ライブドア
光クラブの事件
 
   仏教もそうですけれども、遠く遡って古代から続いてきたのが輪廻の思想でございます。生まれ変わり死に変わって私たちは今に至っているわけであります。せっかくこうして人間界に生まれて来たというのに、行いが悪ければ餓鬼道とか、畜生道に落ちて苦難の人生をやり直さなければならないことになる。その繰り返しから開放されるために、仏さまの道を歩くのが教えの基本であるわけであります。
 お大師さまが大日教を始め、いろいろな経典を駆使して完成された十住心論を、またこの秘蔵宝鑰も地獄、畜生、餓鬼、修羅、人間、天上界という六道輪廻から開放されるための段階であるわけであります。だから第一は段階の一番下にあります。この一番下で徘徊している者たちは、自分の状態が分かっていない。階段より下の闇の奥には、よりまだ苦しい道があって、やっとの思いで階段の一番下まで辿り着いて来たわけであります。そうすれば見るもの聞くものが輝いて見えるわけであります。
 新しい道を切り開いて改革を進めて行く人は、新しい事を考えて実行に移して行きます。新しいことはとかく批判の対象になるものであります。しかし、信念を持って進んで行けば必ず道は開けるんです。大切な事はそれからなんです。
 私がこうだと皆さんから聞かれて言います。先生が教えてくれたんだからと信念を持って進んで行かれた人は必ず道が開けております。どうだろうか、ああだろうか、あっちの考え、こっちの考えをしていらっしゃる人は道が開けずに迷って、暗い道を歩いて、また尋ねて来られる事がよくあります。
 必ず道は開けるんです。大切な事はそれからなんですね。ライブドアの堀江社長が見落として来たものがあるはずです。人のこころも金で買える、というふうに言った彼の言葉を聞いて人々は非常に驚きました。そこから戦争直後の社会事件になった、光クラブを思い出す人も少なくなかっただろうと思います。
 かつて、敗戦後の日本では人々のこころが荒廃しておりました。命からがら戦場から戻って来てみれば、家は空襲で焼けて、家族は亡くなってしまっている。そういう人が沢山いらっしゃったのであります。そうでなくても、あれほど悲惨な戦争が終わったばっかりでしたから、亡くなった人とか、苦しんでいる人の霊も鎮められないまま放置されておったのであります。そんな時には傷ついたこころを更に凍らせて自分を守ろうとする人たちが沢山いらっしゃいました。そうなれば金がすべてである。力が、暴力が、力の源である。無法な状態が社会のあちこちにあったのであります。社会が無法であれば一人、一人のこころもまた無法、ルール無視の状態になってしまうのであります。光クラブの事件もそうした世相のもとで起きたのであります。
 物が無ければ無いように、物が溢れておれば溢れたように、人のこころは道しるべを見失ってしまって闇に迷い込んでしまうのであります。(リーガロイヤルホテル京都 ル・シィ-ヌ)


2006/4/22 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 2回目(58分) mp3/26.7MB
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2006/5/28
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
松本道博先生
南出喜久治先生
京都府府会議員菅谷寛志先生
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興3回目
大人になりきれない日本人
責任感のない大人の言動とか事件
人が、人として生きる
秘蔵宝鑰
愚童持斎心
善悪の判断
大きな愛情
徹底的に厳しく教育
   近頃は大人になりきれない、そんな日本人が増えておるというふうに言われております。自分勝手な考え方ばっかりを振舞わして、何か壁にぶつかれば、人やまた社会、またその状況のせいにしてしまうというような、責任感のない大人の言動とか事件が目に余る今日でございます。
 人が、人として生きるということが忘れられようとしている世の中に私は秘蔵宝鑰、お大師さまが書かれた秘蔵宝鑰の二番目、十段階に分けてお大師さまは人間のこころの在り方を説いてらっしゃって、今月は愚童持斎心(ぐどうじさいしん)というような教えを是非皆さんに聞いて頂きたい。愚童というのは、子供は皆愚かという意味ではないんですね。道理が分からないからという意味でこうゆうふうな表現をしているわけです。
 昔から、可愛くば二つ叱って、三つ褒めて、五つ教えて良き人にせよ、というような言葉があります。昔の人は子育ての極意をこんな言葉で伝えておったわけですね。叱ってばっかりおってはいじけてしまう。褒めてばっかり言っては、苦境に対してくじけてしまう人間になる。言葉で言うだけでは、上の空で終わってしまう。善悪の判断というのは小さい時に、脳の回路にしっかりと刻んでおくことが大切だというふうに私は思ってます。だから、子供が何か悪いことをしたら、まだ判断力が無いのに「何とかちゃん、こういうことをしたらいいと思う、悪いと思う」というような教え方がいいんだというふうに評論家の先生たちはおっしゃいますれけども、私はちょっと考え方が違って、あれが出来ないときには子供の頃は体で覚えさせる。パチっとやって「これはだめじゃないか」って「こんなことをしたらだめだ」ということを教えていって、始めてその子は「こういうことをしてはいけないんだ」ということが体の中で覚えていくということを私は思って、そう言ってるわけです。
 この善悪の判断は、今言ったように、小さい時に脳の回路にしっかりと刻んでおかないといけない。それが大切なことである、というふうに私は思ってる。子供を叱ることも、褒めることも実は非常に難しいことなんですね。子供を叱ることが知らず、知らずの内に親の感情のはけ口になったり、または虐待に繋がってしまうというような危険もあります。かといって、ただ優しくしておればいいというものでもないんです。優しく、優しくして、何も怒られないで育った子は社会に出た時に、ちょっとした苦難に会えばくじけてしまって、引きこもりになったり、あるいはそれが出来ないからといって、暴力を振るったり、いろんなことをしでかすんですね。小さい時に悪いのは悪いできちっと教えて、そして優しく包んでやってればいいんじゃないかなと思います。
 基本は唯一つ。大きな愛情を持って子供に接しなくてはいけない。子供は7歳までのどこか一年間、徹底的に厳しく教育をしなくちゃいけないというのが私の信念なんです。(リーガロイヤルホテル京都 紅葉の間)


2006/5/28 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 3回目(73分) mp3/33.5MB
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2006/6/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
仏像美術館紹介
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興4回目
秘蔵宝鑰
こころの時代
物に溢れた現代の日本
海外旅行
ブランド品
一時の安らぎ
親子が殺し合う
毎日、毎日の安楽
嬰童無畏心
   お大師さまの秘蔵宝鑰、これは人間のこころの段階を十段階にお大師さまが分けていらっしゃいまして今日は三段階目を、三番目の階段を登るところです。
 今、私たちのこの日本ではこころの時代、世界でもそういうてますけど、こころの時代だというふうに云います。これは、こころを見直そうとする世の流れなんです。それから考えると、こころがおろそかにされてきている時代だとも言えるんじゃないかなと思います。その背景にあるものは、物に溢れた現代の日本であるわけでございます。生命の設計は、物がないことを想定して成されて来ております。食べたい物は体内に蓄えて置く、飢餓はいつでもすぐそこにありまして、人類は食べ物が無くなる恐怖と戦って来たわけでございます。今なお世界の多くの地域におきましては、沢山の人たちが飢えに苦しんでいる人がおるわけでございます。
 勿論すべての生命が生延びるために摂取する物をどうやったら確保できるかということに、生きている時間のほとんどを費やしているようなわけでございます。それなのに、こうして先進国に暮らしている人たちは食べ物がありすぎて困るようになってきております。太りすぎたり、栄養を摂り過ぎて病気になったりしたりいたしまして、これまでの生命には無い現象が起こってきているのであります。
 雨露に触れない頑丈な家があって、そして衣類に恵まれて、食べ物が溢れて、戦争が無い、古代から人類が憧れてきた暮らしが、私たちがいま送っているわけであります。生活は便利になりました。海外旅行をしたり、ブランド品を身に着けて、貧しい国の人から見たらまるで天国に暮らしてるように想えると思います。それなのに幸せを感じない人がいま非常に多いのです。それはどうしたことで、そういうことになっているんでしょう。
 お大師さまが説かれるところの、こころのありようからそんな現代社会を見直してみますと、現代の日本人が溢れる物に溺れそうになっている姿が浮かんでくるわけであります。なぜ日本社会は病んでしまって来てるんだろう。安穏な日々を送りながら親子が殺し合う、弱い者の生命を間単に奪ってしまうような社会は、健康な社会ではないわけであります。それでも日本人は毎日、毎日の安楽にもだれ切ってしまって、そんな自分の状態に全く気づかずに生きているというわけであります。
 まるで道理の分からない子供が、ただお母さんに従っておるように、何も考えないで一時の安らぎを得ている
嬰童無畏心(ようどうむいしん)という状態そのものではないかと思われます。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2006/6/22 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 4回目(54分) mp3/24.8MB
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2006/7/23
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
南出喜久治先生
大仏師松本明慶先生弁財天制作過程を語る
恵観先生挨拶
弁天さん
大仏師松本明慶
あんな大きなのが出来た
日本の宝
徳田虎雄代議士
徳洲会
一千億くらい借金
不動建設
飛島建設

16億
   最初、高野山からうちの妻が嫁入りして来る時、何も持たず弁天さんだけ持ってきたんです。それをうちの母が、お前たちはこれを拝みつかないから、400年位前の弁天さんでございましたので、ここに置いとけ、私が拝むからということで拝んでいたのです。私は妻が寂しいだろうと思って、鹿児島市で住む様になりましたので、レプリカを作ってもらおうということで松本先生にお願いしたんです。その時に鹿児島だけじゃなくて、江の島も出来ることだから、二つ位作ってもらおうかなということでした。ある時、先生があれ二つを一つにして作ったらどうかと言う事を提案して頂いたんです。何の気なしに「どうぞ、どうぞ」ということでやったんです。そしたらあんな大きなものになったんですね。
 だから、最初からああいう大きなのを作るという気持ちが無かったもんだから、家が無かったんですね、弁天さんの。あんな大きなのが出来たもんですから、それから家をどうして作ったらいいか、お金が無いから、松本先生が鉄パイプで工房を作ってらっしゃたあれを払い下げてもらえないかと言ったら、松本先生は「いいですよ」ということだったんですけど、徳田虎雄という代議士がおりまして、徳洲会をやってる、総代をしております、見に行ったんですね。あれは大変なものだって、あれは先生の物じゃないし、日本の宝になるもんだからパイプでというわけにいかんですよ。きちっと作って納めないと、国宝になる人だからということでね。こっちはお金が無いから先生寄付してくれるって言ったら、うちはお金がないというわけですね。一千億くらい借金してるし、それを返済するのに大変だから、うちは出来ない。だけれど保証はできる、と言ったんです。まず作ってくれるところを探してくると言って、不動建設に一番最初言ってくれたんですね。不動建設は、先生が保証するんだったらお金無くていいからということだったんですが、私が考え事しとったら、なんでこんないい条件が出たのにそんな浮かん顔してるんか、と言うもんですから、私の新年会とか、誕生会とかにいつも飛島建設の鹿児島支店長とか九州の支店長がいつも来てくれてるんだ、その人たちに何て言えばいいかなとしてたら、あっそれは先生だめだ、仏さんのことは、そういうようなちょっとでも、くもりがあればだめだから、これは決めてくれたけども飛島建設に俺が言うてみるからと言って、その場で電話してくれたんですね。そしたら飛島もやるということになったんです。どうするかな、お金が無いのに、16億だったんですね、そのときの経費が、そんなものどうして出来るんかなて言ったら「先生、作ってしまえばいいじゃないか」、こっちが勝つよ、もう払えないよということで持って行ってもらっても、あの仏像は残るよ。先生が作ったと名前が残れば。僕と先生の名前がこれで残るんじゃないか。仏師の名前とそのまま残るよ、と大きなこと言うわけです。「ああ、そやな、それでやって行こう」と言って、それで作ってもらって、一銭もなくお金を入れずに出来上がったお堂なんですね、あれは。(リーガロイヤルホテル京都)


2006/7/23 池口会(京都) 大仏師松本明慶先生 弁財天制作過程を語る(38分) mp3/17.6MB

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2006/9/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
浜田画伯
高野山前教学部長岩坪先生
乾杯の御発声 家田荘子先生
フルート演奏 丸山みどり様
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興6回目
江の島大師
福田赳夫
森前総理大臣
小泉さん、安部さん
江の島大師発起人会
利他心
ボランティア
阪神大震災
弱者が生きにくい世の中
   江の島を作るときに発起人、世話人代表になって頂いた方が福田赳夫先生でした。その中にいろいろな政治家の方や事業家の方、いろんな方々が中心になって発起人会を作って、江の島大師ができたわけです。
 それから小渕さん、また森前総理大臣、小泉さん、安部さんで5人ずっと続いているわけです。皆、お大師さまと非常に縁のある方々でございます。非常に縁というのを感じているわけでございます。お大師さまの秘蔵宝鑰から今日は7回目でございます。
 日本人にはボランティアというのは向かないんじゃないかな、という声がずっとございました。
 昭和元禄に浮かれて、平成バブルに踊る若者たちは自分のことしか考えてないようでございました。そういう中で大きな変化がやって来たのは阪神大震災の時であったと思います。
 思っても見なかった大都会の震災は、一瞬にして尊い命を奪って、また家屋が失われて人々は生活を無くしました。その時どんなに沢山の人たちが自分の持てる力を困っている人に提供しようと思ったでしょうか。
 災いというショックによって、眠っておったこころの覆いが取り掃われたのであります。人のために利を図ることを利他心と云います。
 ボランティアというのが広がることによって、多くの現代日本人が、このこころを取り戻したということであったと思います。しかし、その一方でとてつもないお金儲けに走る人たちも増えてまいりました。
 それはなんといっても株ですね。それも想像を絶する巨額の金が僅かな時間で儲かるそうで、インサイダー取引によって逮捕された村上ファンド代表の言葉が現代を象徴してるように思えます。
 「私が無茶苦茶儲けたから、皆さんは私のこと嫌いなんです」、逮捕前に記者会見で村上さんはそう語っておられました。「儲けて何が悪いのか」、そういうことも開き直って言ってらっしゃった。
 儲けることは悪くはないけれども、その影には損をしてい人たちがいるということをわきまえてビジネスはして欲しいというふうにも思います。
 悪いのは儲けることより儲け方、という川柳が新聞に載っておりました。
 まさにその通りでございまして、勝てば官軍の驕りを持ってしまってはいけないというふうに思います。勝っている時こそが、兜の緒を締めなければならないのであります。
 今、日本社会は格差が広がっていると言われまして、いろいろな問題を引き起こしております。
 弱者が生きにくい世の中になってしまった、というふうに嘆く声がいっぱいございます。私はこの生活の格差もさることながら、こころの格差というのが広がっているんじゃないかなというふうに思えてならないのであります。(リーガロイヤルホテル京都 紅葉の間)

2006/9/22 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 6回目(56分) mp3/25.8MB
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2006/10/20
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局(北朝鮮・中国・最福寺大弁才天制作時の話し)
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興7回目
恵果阿闍梨
不空三蔵
覚心不生心
般若心経
色即是空
森羅万象
仏さまの言葉
曼荼羅
   今年は、お大師さまが唐に留学して帰って来られてちょうど1200年になるわけですね。お大師さまのお師匠さんは恵果阿闍梨という人でございました。その恵果阿闍梨のお師匠さんが不空三蔵という人でございます。この不空という名でございますが、恐らくは生まれ故郷の名から中国風に名乗ったものじゃないかなと思ってるんですけれども、私たちがいつも詠んでおります般若心経にもこの「不」という字は沢山でてきております。
 日本人の感覚ではこの「不」という字は否定の言葉が、どうして尊いお経とか、お名前に使われるのか分からないわけですけれども、今日はこの「不」という字の話しからしてみたいと思います。
 それといいますのも、今やっております、お大師さまの秘蔵宝鑰をやっているわけですけれども、この秘蔵宝鑰の七番目の覚心不生心の話しでございます。不生というのはいったいどんなもんなんか、ということですけど、生じないこころとはどんなもんなんでしょうかね。
 この「不」という文字は、もともとは天を表す横の一文字の下に、鳥を表す文字を組み合わせたのがこの「不」という字なんですね。鳥が天に飛びたてないでおる、そんな様子を書いた文字であるわけでございます。そこから物事を否定する、「非ず」とか、「未だ」という意味がここから生まれて来るわけでございます。
 不空は空ならず、そういうことだろうと思います。般若心経には色即是空というのがありますけれど、この教えに合わせて考えてみますと、空でなければ色なんでしょうか。そう断定もしないのが仏さまの言葉の深いところと言えると思います。この巻の終わりにお大師さまは、こんなことを言ってらっしゃいます。「自然の言も自然なること能わず」。私たちは素晴らしい風景を見たときに、この感動を人に伝えたいと思ったときどうするでしょう。写真に撮ってみる、文字で書いておく、あるいは絵で描いてみる、そして人に見せます。しかし、それは見た物のほんの一部なのですね。
 本当の事は、私たちが使っておる言葉や絵というものでは表し切れないものである。そういうふうにお大師さまは説いていらっしゃいます。これはこの秘蔵宝鑰だけではなくって、お大師さまは事あるごとに言葉だけで教えを伝えることを戒めていらっしゃるのであります。
 この世の中の森羅万象、あらゆることが仏さまの言葉であって文字であるんだ,、というふうにお大師さまは言われまして、この真理をどのように伝えるかを生涯かけて工夫していらっしゃるのであります。その根底にあるのが曼荼羅なんですね。(リーガロイヤルホテル京都)


2006/10/20 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 7回目(70分) mp3/32.2MB
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2006/11/21
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
西田京都府府会議員
南出喜久治先生乾杯の御発声
古希祝い花束贈呈
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興8回目
靖国神社
小泉純一郎首相
故富田宮内庁長官
昭和天皇
脳の働き
一道無為心
如実知自心
空性無境心
一乗の教え
悟り
   今年の夏は靖国神社を巡ってこころという言葉が話題になりました。一つは、小泉純一郎首相がようやく念願の8月15日に靖国神社を参拝するという公約を果たされまして、それはこころの問題であるというふうに言われたことでございます。
 もう一つは、その直前に公開された故富田宮内庁長官のメモによりまして、昭和天皇が何故途中から靖国神社を参拝されなかったのか、その昭和天皇のこころとされるものが明らかにされまして、問題になったということでございます。
 私たちがこうして毎日身近に感じながら、捕らえることが出来ないもの、それがこのこころでございますね。この抽象的なものをお大師さまはずっと説き続けてきてらっしゃいます。
 人間はいつからこころという捉えどころのない、しかしこれほど人間の行動を左右する重要な存在を意識するようになったんでしょうか。
 人類は進化の過程におきまして、こころが発生したと云われておりますけれども、興味深い科学の仮説があるというふうに聞いております。
 自分にこころというものがあれば、相手にもこころがあるというふうに推測できます。人のこころを推測できる能力に長けた者が生存競争に有利だから、こころは発生し発達したんだという仮説でございます。
 こころというのは脳の働きによるというふうにされておりますけれども、しかし本当にそれだけで説明できるもんなんでしょうかね。こころと言うのは目には見えないけれども一人、一人が皆持っているものだと知っておったからこそ、そこに宗教が生まれて、生命の真理に迫る道筋が出来て来たんだ、というふうに私は思っているわけでございます。
 一道無為心(いちどうむいしん)、または如実知自心(にょじつちじしん)というふうに名付け、または空性無境心(くうしょうむきょうしん)と名付くるというふうに書き加えていらっしゃるものでございます。この巻で説いているのは一乗の教えであるとされております。
 これまでお釈迦さまが説いてこられた、入門編の三つ教えを一つにして、さらに奥深いところを教えるもの、それがこの一乗の教えであるわけでございます。
 そこには、このこころというものはどのようなものなのか、というテーマが説かれているのであります。このこころのありようといったものは随分仏さまに近づいて来てはおりますけれども、まだもう少し先のことになります。
 体を動かして、また考えて、感性を総動員して感じ取ったものが悟りでございます。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2006/11/21 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 8回目(67分) mp3/31.0MB
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2006/12/27
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話
石田府会議員乾杯の御発生
第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興まとめ
鹿児島は寺らしい寺は無い
真言密教
伽藍がない
廃仏毀釈
一生懸命行をする
すぐ次の護摩の行の準備
護摩壇
大隅半島
東串良町
護摩木
ノウマクサンマンダ
足がスルメ
   鹿児島は、寺らしい寺というのは無いんですね。真言密教の寺というのはほとんど伽藍がないんです。というのは廃仏毀釈で徹底的にやられて、特に真言宗がやられて寺が無くなったんですね。
 私の寺は、一般の家に仏さんを置いて、その前に護摩壇を置いて、燃えないように護摩壇の上にはトタンで屋根を作って、そこから上に火がいかんようなことで護摩壇があったんです。そこで一生懸命行をしたわけです。そういうような所で両親はとにかく朝から晩に行をしておりました。鹿児島県の大隅半島の中にある東串良町という町で、前は田んぼです。5分くらい、上に上がれば松林があって、松林を通り抜けたら海が見えるというふうに、海の近くでございました。のどかな田舎なんです。
 戦争が終わって間もない頃だったと思うんですけれども、大人たちは多かれ少なかれ戦争が残した傷を胸に抱えて、そして生きておった頃でございます。子供にとって緊張とか不安な空気というものが消えて、ゆったりとした気持ちで暮らせるような、まさに平和な時であったと思います。私は父の護摩行を手伝っておりました。
 父は毎日三回、三座と言いますけれど、護摩を焚いて修行しておりました。もう起きた時には火の前におるし、学校から帰ってきても火の前におるし、寝る前にはまだ火の前におる、後は来てらっしゃる信者さんのお加持をしたり、お尋ねをしたり、そういうことで、もう行ばっかりやってるというような両親であったわけです。だから行が終わったら、すぐ次の護摩の行の準備をしないといけない。護摩壇を拭いたり、またそこに護摩木を積んだり、また護摩にはいろいろなお供えをせんといかん、五穀を入れないといかん、また洗ったお米も入れんといかん、というようなことで、お供えものを整える手伝いとか掃除をするのが日課だったんですね。
 まあ、そういうようなことで、きちんと護摩壇を整えるには一時間はかかりますね。一時間か、一時間半くらい。 始めのうちは、兄たちがこれをやっておったんですけれども、やがて私の役目になってきたというわけでございます。学校が休みになると護摩壇の前に座る時間が長くなります。
 今、私の行を見てもらえば分かりますように、横の方に弟子たちが座ってそして一生懸命ノウマクサンマンダというのをやったり真言を唱えるわけでございます。私も小さいとき、ああいうふうに一生懸命唱えさせられたわけでございます。だから学校に行くときは短い時間で、もう時間が来たからはよ行け、というようなことだったんですけど、学校が休みになると、その時間が長くなるわけです。丸々三時間座らされるとか、二時間やるとか。今から考えると春休みだったと思いますけど、午前三時から七時までの父の行に座らされたわけでございます。ノウマクサンマンダを一生懸命やるわけですね。終わって足がもうせんべいにたいに、スルメみたいになって立てなくなりますけれども、それをゆっくり、ゆっくり立ってそして本堂の外へ息を吸いに出て行きます。(リーガロイヤルホテル京都)

2006/12/27 池口会(京都) 第二講話「秘蔵宝鑰」こころの復興 まとめ(71分) mp3/32.8MB
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