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祈りのこころ・六大

2007/2/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
「祈りのこころ」六大1回目
京都府府会議員石田宗久先生家田荘子先生
浜田泰介画伯
行者
法力争い
日本一の行者
刀岳の禅
手法
護摩
八千枚護摩行
今年は93回目
西安
百万枚をやってみれ
三つ子の魂百まで 小さいときの教育というのは非常に大事
   行者たちは、昔は法力争いというのをしておりました。私がまだ小さいころも行者さんがやって来て、その法力争いを挑むわけですね。私の小さい頃まではそれがありましたですね。武術で言いますと、これが試合なんですね。古来、武術の修行もまたこうした修験の修行も、あるいは忍術もはっきりとした境界はなかったんじゃないかなというふうに私は考えておるわけでございます。いずれも自分の体を鍛えて、そして精神を鍛えて、それぞれの技を磨き上げるものであるわけですね。
 すべては父からの口伝で行を始めたわけでございます。それは父が、また兄弟、兄たちが一生懸命毎日いつもどこででも誰かが拝んでる環境の中におったから、自分がそうゆう行者になるんだ。またそうゆう古老たちが、お祖父さんはすごい行者さんでこうだったと、しょっちゅう教えてもらっとったから、私は日本一の行者になりたいということを子供心に思って、そういうようなことを祈願しておったんだろうと思います。
 父は常にまず読教しなさい、お経を覚えというわけですね。父が行をして、護摩を焚いてる横で一生懸命経文を言うたり、真言を言うたりして覚えるわけですね。それを父が長いことやりますから、その間ずっと経文を言わなくちゃいけなかった。
 まず読教してお経を覚えなさい。お経を覚えられたら「刀岳の禅」を組なさい、それが出来るようになったら今後は手法しなさい、手法をしたら今度は護摩を焚きなさい。火の中に物を供えて、そして自分の煩悩がいろいろとあるのを知恵の火で焼いて、そしてそれを浄化して仏さんの気持ちを分かるようにして、それが護摩なんですね。そして、天にいらっしゃる仏さんにもおあげするようなことで、護摩で行をするわけです。
 その護摩でをするようになったら大体一時間位なんですね普通の護摩の行は。それを今度は八千枚護摩というのをやれっていうわけですね。八千枚というのは、密教の行者さんたちが一生に一回できたらいいというのを、うちではそれはもう日常茶飯事にやる位の気持ちがないとだめ、ということでしょっちゅうそうゆうような行をする。だから私は今、92回目をやってるわけです。
 今度、今年は93回目。今年は中国の西安でもやります。八千枚が出来たら、十万枚をやれ。十万枚が出来たら、うちの先祖が誰も達成出来なかった百万枚をやってみれ、お前だったら出来るよ。小さいときに言われたら出来そうな気になるんですね。それがずっといけば、もう自分は出来るんだという気になってきます。だから三つ子の魂百までと言います。小さいときの教育というのは非常に大事だと、自分の体験をもって言えるんです。
 だから小さいときにいろいろと教えをするということ、また自分がその姿を見せてあげるいということは、子供にとって非常に大事なことであるというふうに思います。(リーガロイヤルホテル京都)


2007/2/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 1回目(79分) mp3/36.5MB
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2007/3/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
第二講話「祈りのこころ」六大
2回目地大
石田宗久先生
覚悟の問題
八千枚護摩行
阪神タイガース金本選手
全試合フル出場の世界記録
鹿児島で護摩行
火傷
不動の姿勢
恵観流
仏さまとの架け橋
 
   をしているうしろ姿が美しくあるためには、磐石のようにどっしりと構えて、一寸たりといえども背中とか肩を動かしてはいけない。真剣に取り組んでいかないとうしろが綺麗にならない。
 松本先生たちがノミを使って一生懸命彫っていらっしゃる姿。これも私たちが行に真剣勝負で祈りをするときと一緒の光が出ておると思います。私はこれは覚悟の問題だというふうに思っております。まだ数回しか八千枚護摩行をやっていなかった頃の私は、八千枚護摩行をやっている間、早く時間が経たないか、早く終わらないか、まだある、まだある、というふうな心理が働いていきますので、二の腕とか肩が震えたり、疲れたら体がまっすぐしていなかった。それを見て母は「お前の行の姿は汚い」と言うて怒っておりました。逃げるのではなくって、立ち向かうことによって、熱い苦しいといった意識が消えていくんです。
 先日テレビに出ておった阪神タイガースの金本選手が言っておりました。バラエティー番組だったと思いますけれども、アスリート達の根性のエピソードを語るところがございまして、私と一緒に鹿児島で護摩行をしている姿が出ておりました。最初のうちは、うちの行をやりますと大抵の人が火傷します。それほど熱い火の前でございますから、必ず火傷するわけです。金本が言うには「先生から、火を気で押しなさい」、そう言われるんだけれども、今は火傷はしなくなったけれども、なかなか火を気で押すことはできない、というようなことを言っておりました。金本選手はもう8年も続けて行に来ておりまして、行を私とやります。全試合フル出場の世界記録を今も更新しておりますし、皆からアニキと慕われるような人徳はそうした精進のこころに拠るんだと思っております。
 激しい火炎に立ち向かって金本も行をして来たわけでございます。世界記録も作ることが出来ました。これは私と縁を得てからの記録でございます。
 私はそうゆうような厳しい、激しい護摩行をずっと小さい時から続けてきてわけでございます。母の言う通りに不動の姿勢で行をやれるようにと思って励んできたわけでございます。そのおかげで護摩壇に上がったら絶対に動かないという恵観流が少しづつ固まってきたというわけでございます。そして、動かなるに従いまして仏さまへの帰依のこころも深まっていくということを、私はこころの底で感じたのでございます。それこそが堅固ということであろうかと思っております。
 ゆるぎない仏さまへの帰依のこころといったものが、私の行を不動のものとして、そして、その地大への信頼こそが信者さんと仏さまとの架け橋としての使命を果たす力の源であるということを私は知るようになったというわけでございます。(リーガロイヤルホテル京都)


2007/3/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 2回目 地大(70分) mp3/32.0MB
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2007/4/23
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
南出喜久治先生
京都府府会議員菅谷寛志先生
第二講話「祈りのこころ」六大3回目水 
融通無碍
讃岐の満濃池
唐は世界一の都
シルクロード
土木工事
地下水脈
石油
鉱脈
出家沙門
追善供養
お加持
   水には三つの姿があるんです。固体、氷になる、そして液体、水でございます。気体、大気があります。どれもみんな同じ水なんですね。分子が硬く結びついているのが、氷であるわけでございます。この強い力が、弱い力に変化して絆が壊れていくのが、摂氏37度でございます。人間の体温であるわけなんですね。
 水は丸い器に入れれば、丸い形になります。また四角い器に入れれば、四角になります。水の道具が千差万別なのは、水がどのような形にもなり、ほんの少しの隙間があれば道を作って通るものだという融通無碍の性質を持っているからであります。
 お大師さまはかつて唐から土木知識を持ち帰られて、故郷の讃岐の満濃池を修復されたのであります。お大師さまが行かれたときの唐は世界一の都であった。シルクロードを通って、世界の文化が唐に入って来ておった。その文化に出会われたお大師さまは非常にびっくりされて、いろんなものを学んで、これもあれも日本に持ち帰って日本のためになるように生かそうと、いろんなものを学んで持ち帰った、その中に土木工事もあって満濃池の修築をされたというわけでございます。
 土木工事だけじゃなくって、地下水脈を見つけたり、時には燃える水、石油の発掘もしてらっしゃいます。今では伝説として伝わっておりますけれども、水脈とか、石油とか、鉱脈を発見する知識をもお大師さまはこうした世界一の文化都市であった唐で学んでこられたんだろうというふうに私は考えているわけでございます。
 ある晴れた秋の日に、お大師さまは行脚して阿波、日和佐の在所にやってこられました。今の徳島県でございます。あいにくの日照りが続いておって、川にはもうひとすくいの水も残っていなかった。たまたま、みすぼらしい身なりをした一人の村の娘さんが、遠く離れた山の渓谷から、谷川の清水を桶に汲んで自分の家へ帰って行くときでありました。お大師さまはその娘に声をかけられます。「誠に申しかねるんですけれども、そのあなたが汲んで担いでいらっしゃるその真清水を一杯ご馳走してはくださいませんか」というふうにお大師さまはその娘さんにお願いされる。で、娘は答えます。「今日は私の亡くなった母の祥月命日にあたります。幸いにも出家沙門の方にお接待ができてこんなに嬉しいことはありません」と言ってその水を差し出すわけでございます。本当の情が額に表れているのを見て、お大師さまはその純真な追善供養のこころをこころから喜ばれて彼女にお加持をなさいました。するとどうでしょう、涸れておった川原にたちまち清流が躍り出て、こんこんと流れ出て来た。そういうふうに言われております。
 お大師さんによって見つけられたとする水脈、温泉あるいは筑豊の石炭にいたるまで伝説が数多く残っているのであります。(リーガロイヤルホテル京都)


2007/4/23 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 3回目 水(75分) mp3/34.7MB

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2007/5/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
南出喜久治先生
家田荘子先生
第二講話「祈りのこころ」六大
4回目水
密教
大宇宙大生命体
大日如来
色即是空
空即是色
般若心経
弁財天

大きな声で真言を言う
   お大師さまが教えられた密教では、大宇宙大生命体という大日如来さまからすべてのものは生み出されてきてる。私たちも。すべての人は、仏さんから生み出されたんだから、皆仏の子であって、仏であるんだというわけでございます。だから、どの人も皆一緒なんですね。子供も大人も皆、仏さまの子でありますから、お互いに大事にして、差別区別することなく大事にしていけたらいい世の中ができるんじゃないかな思います。
 この世の中で死にますと、体は無くなりますけれども、私たちの体に宿っておった生命は霊となって、宇宙に残るのであります。色即是空、空即是色と般若心経に書いてありますけど、色というのは物ということですね。
 空というのは見えないもの、私たちの体で考えたら、私たちの体は見えます、だけども魂、霊というのは見えない。これが二つが一つになって、人間が生きてる。この魂が抜けておれば、人間の役をしません。霊があって、一人の人間になっているというわけでございます。
 この霊は、体は無くなっても、宿っておった霊はこの世に、宇宙に残っていくのであります。
 私たちの家族の誰かが苦しんでおりますときに、家族は毎日暗い雰囲気におわれてしまいます。
 気持ちというのは見えないものですけれども、それはお互いに伝わっていって、大きな影響を与えるものであります。同様に、亡くなった方々の霊がもし苦しんでおれば、知らず、知らずのうちに生きている私たちに、その悲しみ、怒り、憎しみなんかが伝わってくるのであります。
 言葉というのは愛情の川に浮かぶ船であるわけでございます。手入れの悪い船はちょっとした風にも難破してしまいます。古びておっても持ち主の手入れが良く出来ておれば、少しの嵐でもびくともしない、沈まないのであります。
 言葉という船をもっと注意深く大切に使わなければいけないんじゃないんでしょうか。
 弁財天に私の寺へおいで頂いたのは、きっとこの言葉を見失いそうになっている現代人への救いの場にならなくてはならないという御仏のメッセージじゃないかなとも思うわけであります。
 家では大きな声で真言を言うこともできないだろうし、だからここに来たら太鼓と火と私たちの真言と、それに負けないように大きな声で真言を言うて、腹から声を出してください。そして、その声を持って帰って人と語り合っていただきたい。声を出すようにしましょう。最福寺で本当の自分たちの力を持って帰って頂きたい。(リーガロイヤルホテル京都 ラ・シゴーニュ)

2007/5/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 4回目 水(67分) mp3/31.0MB
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2007/6/21
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
南出喜久治先生
黒田会計事務所黒田康之先生
第二講話「祈りのこころ」六大5回目火
御仏の光
護摩行の火
八千枚護摩行
三毒を焼き尽くす
身を清める
不完全燃焼
こころと言う炉を掃除
内護摩
   を重ねていきますと、内なる御仏の光が護摩行の火と呼応したしまして、その身が光に包まれてくるというわけでございます。護摩行を終えたときの体は非常に熱つうございます。体験していただくと、内なる炎の実感が分かっていただくと思います。今、行をやりたい人は誰でも衣を買っていただければ、上に上がって体験していただくことができるようになっております。
 私の体を光が包んでおるというふうに見知らぬ方々から言われることがございます。若き日に八千枚護摩行を終えて、実家から車で小1時間ほどの宮崎県の都城の本屋さんに行ったときのことでございます。ジャンパーを着て、ハンチング帽を被って、スリッパを履いて、そして普段着でぶらぶら歩いておりましたら、2、3人の男女の方がついて来られます。4、5人だったですかね。不思議に思って「どうしたんですか」って聞きますと、「あなたの体から光が出てるからついて来ました」、というふうに言われたんですね。「そんなバカなことが」と一笑に付したんですけれども、その後も同じような体験をして、行のおかげだというふうに知った訳でございます。
 護摩行というのは、三毒を焼き尽くす、身を清めるというふうに言われます。火を焚く炉はきちんと掃除をしなければ、火は不完全燃焼して黒いすすだけが残ってまいります。私たちがこころに本来持っておる火が燃え盛るために、こころという炉を掃除をしておらなければ、生命の火を燃やすことは出来ないというわけでございます。このこころと言う炉で、炎が完全燃焼して燃え上がって行けば、体は清められて、そしてその炎は外に照り映えるんだと私は感ずるようになったのであります。
 こころの炉で燃やしていく炎を、内護摩というふうに言っております。こころの中で一生懸命燃やしていく火を内護摩というふうに言います。瞑想して、護摩を焚くイメージを描くわけでございます。炎が上がって、脳の働きが活発になって、気持ちが落ち着いて気力を得ることができるわけでございます。
 私は護摩行が終わった後に話をするときにはいつも申します。この今日、2時間一緒に護摩の火を焚きました。この火を自分の周りにいつも焚いていただきたい。そして光の自分を作っていただきたいというふうに話しをします。そうすれば、光のあるところにはいいものが集まってくる。暗いところ、じめじめしたところ、汚いところには下級な霊が集まり、悪いことが集まってくる。だから、この火をただ今日燃やしただけでなくて、護摩の火を見ただけではなく、拝んだだけでなくて、いつも自分の周りには、あの護摩の火燃えているんだ、あの光が自分を取り巻いているんだ、悪いものは自分には来ないんだ。そうゆうような気持ちで生活していただきたいと思っております。(リーガロイヤルホテル京都 ラ・シゴーニュ)


2007/6/21 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 5回目 火(70分) mp3/32.3MB
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2007/7/31
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
石田宗久先生
オフィス・ペン代表白土辰男様
第二講話「蓮の話し」
ご先祖を想う季節
盂蘭盆会
ウランバーナ
刀剣の苦しみ
逆さ吊るしの苦しみ
影法師
見えないものへの敬意
おかげさま 般若心経
色即是空、空即是色
霊の世界 物理学の法則
中外日報
ロケット博士
故糸川英夫博士
   日本の夏は亡くなった方々とか、ご先祖を想う季節でございます。お盆はあの世に行った人たちを供養する儀式にルーツがございます。この盂蘭盆会(うらぼんえ)でございますが、これの語源というのはサンスクリット語のウランバーナに由来しているわけでございます。これは刀剣の苦しみ、逆さ吊るしの苦しみという意味でございます。ここからひどい苦しみ方をしている霊を救うという盂蘭盆会になるわけでございます。
 現代に欠けているのはバランスだろうと思います。規律や対立、つまりは社会とか組織、家族のルールがとてもあいまいになってきているのであります。同時に、いたわりのこころというのも足りなくなってきております。対立ばかり重視しておったんでは息が詰ってしまいます。また、いたわりとか優しさだけでも甘えるばっかりの弱いこころが増殖するのであります。
 生命というのは多面体のものでございます。いろいろな要素を持って生きておるわけでありますけれども、それらの調和を取りながら生きていくことを心掛けなければいけないと思います。
 日本人が今見失しないかけておりますのは、見えないものへの敬意であるんじゃないかなというふうに私は思っております。おかげさまでという言葉にこころの再生の鍵があると思います。
 私たちはいつも影法師といっしょに生きているのであります。忙しくて忘れがちでございますけれども、影の無い人というのはいないのであります。般若心経に色即是空、空即是色というような有名な句がございますけれども、この色即是空の「色」というのは形あるもののことでございます。現実の世界でございます。見えるものです。これに対しまして「空」というのは形の無いもの、こころであって、精神世界であって、私はこれを「霊の世界」であるというふうに説いているんです。「色」と「空」とは同じ一つのものであるというふうにお大師さまは教えてくださっております。それが生命の姿であるんだというふうに教えていらっしゃるわけでございます。
 物理学で真空と言いますと、プラスとマイナスがびっしりと詰った状態が真空なんですね。生命というのはまさにこの真空と同じであるわけでございます。プラスを形ある「色」ということにしますと、形の無い「空」はマイナスということになります。陽子と電子というふうに考えてもいいかと思いますけれども、この真空にポンと何かがあたりますとプラスが飛び出すんです。これをこの世に現れた私たちの姿といたしますと、どこかに必ずマイナスの私たちがいるはずでございます。というのが物理学の法則であるわけでございます。
 このプラスとマイナスとは常に引き合いますから、プラスが再びマイナスと結合することになりますと、生命本来の姿に戻るというわけであります。この発想は私のオリジナルでは無いのであります。これは私が宗教新聞の中外日報という新聞で何年もの間、毎月一人づつ日本の識者たちと対談をして歩いたことがございますけれども、その時の一人にロケット博士である故糸川英夫博士と会ったときに教えてもらったお話しなんです。(リーガロイヤルホテル京都 紅葉の間)

2007/7/31 池口会(京都) 第二講話「蓮の話し」(77分) mp3/35.3MB
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2007/8/23
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
第二講話「祈りのこころ」六大7回目空
知識は人間性を磨く
脳を鍛える
読み書きソロバン
声を出して朗読していく
指先と脳細胞との連携
ソロバンは右脳を刺激する
脳トレ
脳細胞と体の動きを合わせる訓練
全身を使って知性を磨いていく
人への思いやり
学ぶ事は楽しい
インド人が何故この数学に強いか
ゼロの概念
人間と宇宙との関係
   昔は読み、書き、ソロバンというふうに言っておったわけでございます。基礎学力が人間形成の上でどれ程重要なものであるかということをよく知っておった言葉が、これであると思います。読み、書き、ソロバンですね。最近、脳を鍛えるというキャッチフレーズで、いろいろな商品が人気を集めておるようでございますが、いつまでも脳の働きを保っていきたいと思う中高年の人たちが、いわゆる脳トレに励んでおるようであります。これも悪くはないんですけれども、小さい時から脳のトレーニングをしておれば、効果的であるわけでございます。
 暗記とか、詰め込み型の教育が批判されておりますけれども、どちらも大事なことだと思います。問題はそればっかりに偏ってしまうところであるんじゃないかな、というふうに私は常々考えてきたわけでございます。
 読む、ただ目で文章を追っていくのではなくて、声を出して朗読していく。難しい文章であっても、声を出して読めば覚えてまいります。意味を知るのはその後でも大丈夫だと思います。お経を読む、論語の素読をする、英語のリーダーを読んで覚える。これなんかみんな読む教育であるわけですね。
 漢字を読み取ることも忘れてはいけないと思います。近頃、パソコンで文章を作るわけでございますけれども、これも一概に悪いことであるとは思いませんけれども、手を使って文字を書いていくということで、知らず、知らずに脳細胞に刻まれる知識があるわけでございます。読み、書く、ソロバン。ソロバン、これは指先と脳細胞との連携がどれ程緊密に出来るか、そのトレーニングであるわけでございますが、実は数字に対する親しみを体で覚えることじゃないでしょうか。ソロバンというのは右脳を刺激するという研究成果もあるというふうに聞いておりますが、脳細胞と体の動きを合わせる訓練をしていくことこそが、幼い時にやっておきたいことであるな、というふうに私は思っているわけでございます。
 全身を使って知性を磨いていく。磨いた知性が賢さを育て、そこから人への思いやりとか愛情表現を覚えて行くんだろうと思います。知性のある人間が作る社会には、より良い未来がございます。知識は人間性を磨くものである。そこに愛を注ぎ込んでいくというのが教育じゃないでしょうか。
 こころの再生というのは、まず教育の充実から始まらなければいけないと思います。ハードな授業であるけれども学ぶ事は楽しいというふうに子供たちが充実感を得るように出来たらいいな、というふうに私は願っておるわけでございますが、さてインド人が何故この数学に強いかということでございます。
 哲学的な国民性だからである、というふうに言われておりますけれども、どうしてインド人はそれでは哲学的であるのかというとその点はよく分からない。インドは土地も広くて気候も暑い所でございます。あまり働かなくても食べていくことが出来て、そして考える時間が多いから哲学的になったと言う人もおられますけれども、それだけじゃないんじゃないかなと私は思うんです。もしそうであれば、南方の土地に生まれ育った人たちが皆、哲学者になっているはずでありますからね。
 現代の私たちには分からない何かの要因でインド人たちはゼロという概念に想いが至って、また人間と宇宙との関係について何かを見つけたんじゃないかな、というふうに思っているわけでございます。
 さてこのゼロという概念こそが、これからお話しをする「空」と深いつながりがあるのであります。(リーガロイヤルホテル京都 紅葉の間)


2007/8/23 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 7回目 空(67分) mp3/30.9MB
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2007/9/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
浜田画伯
南出喜久治先生
オフィス・ペン代表白土辰男様
第二講話「祈りのこころ」六大9回目空
結婚もまた「空」の世界
プラスとマイナス
陰と陽
当たり前の状態こそが「空」
円満の秘訣
仏教の教え
   結婚もまた「空」の世界ではないかなと私は気づいたわけでございます。一対の夫婦が出来ます。プラスとマイナスと、どちらがよくって、また悪くってという価値ではないのであります。東洋風に言いますと、陰と陽と表現してもいいんじゃないかなと思いますが、親という安定した「空」では、大人になった娘は窮屈だったのかも知れないと思います。自分自身と対になれる相手に出会って、お互いに惹かれあって一組の夫婦が誕生したというわけであります。そして喜怒哀楽を共に体験しながら大きな世界を作っていくのであります。
 この二人の「空」からまた新しい「空」が生まれていくのであります。「当たり前ではないか」そんな声が聞こえてきそうでありますけれども、当たり前の状態こそが、この「空」であるわけでございます。
 そう思いますと、いろいろな「色」が見えて来ます。「空」から始めるのが円満の秘訣であるのかな、物でさえ最初は何も無いわけであります。
 二人で力を合わせて暮らしやすいやり方で生きていくのが一番だろうと思います。呼吸でありましても吐いてまた吸います。まずは空っぽにして始めるわけであります。
 「空」というのは何も無いということでございます。「空」というのはサンスクリット語で「シューニャ」と言います。 元の意味は「中がうつろである」、つまりは中が無いという意味でありますけれども、もう一つは、ずばり言ってゼロということでもあるわけでございます。
 仏教では、この世のありとあらゆる現象というのは、固定的な実態は持たない無自性と呼ばれるもので、本性は「空」なんだというふうに教えているわけであります。「空」であるから、この世の出来事に執着してはいけないんだ。そういうのが仏教の教えであるわけでございます。
 だれも見ていないからと言って悪いことをしても、仏さまはちゃんと見ていらっしゃる。鏡に誰も映っていないからと言って、誰もいないわけではないわけでございます。鏡に映らないところで私たちを見守って下さっているのが仏さまであって、仏さまがいらっしゃるというわけでございます。
 この空っぽであるということは、あの世を知ることでもあるのでございます。
 空想、瞑想みなこの「空」の状態にあるときでございます。(リーガロイヤルホテル京都 比叡の間)


2007/9/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 9回目 空(66分) mp3/30.3MB
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2007/10/23
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
中国の写真を見ながら語り及び第一講話
浜田泰介画伯
第二講話「祈りのこころ」六大10回目識
弁財天にお参り
江の島大師に合掌
21世紀は生命を見つめ直す時代
環境破壊
家庭内殺人
孤独死
社会の有り様
人と人とのこころの有り様
人と人との交流
言葉は響き
言葉を響かせる
人類が得た宝物が「識」
   人は皆、本来仏さまであるわけでございます。その仏性が弁財天にお参りし、江の島大師に合掌したいという気持ちを起すわけでございます。21世紀は生命を見つめ直す時代であるというふうに、私はこの頃痛感しておるわけでございますけれども、科学技術が一層進歩しまして人類は本当に長寿になってきております。女性は出産で死ぬということも少なくなりました。がんはもはや必ずしも不治の病ではない、と言われるようにもなって来ております。いろいろな難病が克服されつつあるわけでございます。しかし、その一方ではエイズのような新しい病気が人類を苦しめておるのでございます。
 その背景には地球全般に渡るところの貧富の差というのが、一層大きくなっているということを、温暖化による環境破壊が、貧しい地域を一層貧しくしていることが指摘されるわけでございます。
 日本は沢山の物に囲まれて便利な生活が出来るようになっているわけでございますけれども、家庭内の殺人とか孤独死が社会問題にもなって来ております。自分の子供を虐待して死なせてしまう親がおったり、また自分のかわいい子供を捨てしまう親もおります。その一方で、子供が欲しくて不妊治療の通ったり里親になったりする人もいらっしゃるわけであります。
 まるで普通に暮らしている人の方が珍しいような最近の日本であるわけでございますけれども、大多数は平穏に暮らしていることも忘れてはならないということではないかなと思います。
 社会に起きております事件と、自分自身の日常とは結びつかないけれど、もしも自分の家庭にこのような事が起こってしまったらどうしよう。そうゆうふうに、こころの何処かに不安を感じてしまう人もいらっしゃると思います。その不安を育ててしまうと、せっかく平穏に生活している日常の歯車を狂わせる落とし穴を作ることになってしまうのであります。社会で起きる出来事からまず学ぶものは、その背景にある人と人とのこころの有り様じゃないかなと思いますね。そして、社会の有り様でございます。昨今の事件で気になりますのは、人と人との交流がスムーズに行ってないということでございます。
 「識」というのは知ることでありますし、認めることであります。また悟ることであるというふうに漢和辞典には書いてございます。識別は知って区別するということでございます。常識というのは常に知っていること。意識というのはこころで知ること。こういうように今言った「識」という文字を私は改めてじっくりと眺めて見たんですけど、この「識」という字は「言葉」と「音」と「ほこ」という三つの文字に分かれていることが見えてまいりました。「言葉」と「音」を武器に、なにかと戦うということが「知ること」であるんだろうかなというふうに思います。
 「言葉は響きであります」というふうにお大師さまの教えがこの一文字にあるわけでございます。
 「ほこ」というのは武器でございます。言葉を響かせて、そして言葉を武器として人類はここまで繁栄するようになってきたわけでございます。その人類が得た宝物が「識」であったというふうに、私は言葉から想像を広げてるというわけでございます。(リーガロイヤルホテル京都 愛宕の間 )

2007/10/23 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 10回目 識(63分) mp3/29.1MB
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2007/11/24
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
三井社長護摩行感想
東社長護摩行感想
黒田社長護摩行感想
第二講話「祈りのこころ」六大
11回目 識
浜田画伯
我、即ち心位に同なり
こころは「識」である
山川草木悉皆仏性
真理へのジャンプ
「識」はこころの力の源泉
大日教
前頭葉
弱肉強食
施無畏
闇に一条の光
   「我、即ち心位に同なり」、大日教というお経に書いてらっしゃいます。こころと言いますと新しい言葉のように聞えますけれども、1200年も前にお大師さまはこのこころについて沢山の教えを説いていらっしゃるのであります。仏教が大切にいたしますところのこころというのは何なのだろうか。お大師さまは、こころは「識」であるというふうに言ってらっしゃいます。
 こころとは、仏さまそのものであって「山川草木悉皆仏性」というように、生命あるものは皆仏さまであるというふうに感じ取れるその感覚が、こころの手ごたえであるわけでございます。
 私たちが目には見えないけど、確かに持っておると感じておりますこころ、それは私たちが毎日、毎日生きておる働きのまとめ役であって、そしてこの「識」こそが仏さまから頂いた生命そのものであるわけでございます。
 では、この「識」というのは何なんでしょうか。「識」というのはこころそのものであるんだとお大師さまは教えていらっしゃいます。
 お大師さまが日本で一つしかなかった大学に入っていらっしゃった。その出世コースに乗っている大学を辞めて出家をされて修行の道に入っていかれたのも真理へのジャンプだったというふうに思います。この壁を飛び越える力になるのが「識」であるわけでございます。イメージを結ぶこころの働きを「識」というんじゃないだろうかというふうに私は考えたりもしますけれども、「識」というのはこころの力の源泉であると思います。
 この「識」を磨いていけば、天才でなくても生命の真実を見つけることが出来ると思います。こころの力を強くして自ら幸せな人生を歩いて行くことが出来るようになるのであります。
 人間を人間たらしめているのが前頭葉であるというふうに言いますけれども、ここでは抑制という機能が働いておるんだそうであります。カッとなる怒りを抑えて、暴力的になる行動を抑える。そんな働きを持つことが出来たから人類はここまで生きて、そして繁栄することが出来てきたんだろうと思います。
 むやみに力を浪費しないで共に生きる道を学んでいけば、社会は落ち着いたものになるのでありますけれども弱肉強食の世の中では、いつも不安を抱えて生きて行かなければなりません。この恐れを鎮めるためにこころの力を浪費してしまうで、この「識」の働きがなかなか出来ないのであります。
 無心になるということは、恐れの無いこころになるということであります。どうしたら恐れの無いこころになれるんでしょうか。仏教の究極の救いというのは何かと言いますと施無畏(せむい)でございます、人々のこころに巣くっている恐怖というのを取り除くことでございます。私たちは一寸先は見えないような闇を歩いているわけであります。ほとんどの人が目の前に迫ってきている危険を察知することは出来ません。あるいは手が届く所にある幸せを掴むことが出来ないで苦しんでおるのが私たちでございます。仏さまはそうした衆生の苦しみに救いの手を差し伸べて下さって、闇に一条の光を燈して頂いて、あるいは幸せの温もりに触れさして力を与えて下さるのであります。(リーガロイヤルホテル京都 ラ・シゴーニュ)


2007/11/24 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 11回目 識(64分)  mp3/29.6MB

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2007/12/28
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
松屋弘龍大僧正
第二講話「祈りのこころ」六大
12回目まとめ
大日如来
密教というのは実践
ロシュコフ大使
プリマコフ前首相
密教を勉強したい
立ち向かって行く姿
地水火風空
自分の御仏と真剣に向き合う
うちの子に限って
密教の五大の教え
「識」によって六大の働きは調和をもたらす
   私たちはいろいろな壁にぶつかって行くことが多いですけど、その時に必ず祈りが必要なんですね。ずっと拝んでおって頂ければ、必ずこれは解決いたします。拝まないでゆうたって、何にも出てこないですね。拝むことによってすべてものが宇宙から、大日如来から生み出されてますから、大日如来に通じていけばね、親に通じていけば、必ずそれは解決するようになってるんですね。だから、しっかり拝み続けるということが大事だと思います。
 密教というのは実践が大切なんですといいますと、実践というのはどうゆうような実践をするか、ということからお祈りの一番の中心を教えましょう、ということで食台を囲んで私の前に大使がおりました、印を結んだんですね。終わった途端に「貴方の弟子になりたい」と言いましたですね、今の六カ国協議のロシアの代表に出ているロシュコフという大使。この人もうちに来てを見て、そしてそういった人ですね。その前にプリマコフという前の首相が、この人も私の行を見てそういうことを言ったんですね。ロシアの要人たちも、昔はロシアは共産圏の人たちですよね、こおいう人たちがこの行を見て、そして印を見て密教を勉強したい、貴方の弟子になって密教を勉強したいと言われたのは、やっぱり立ち向かって行く姿、それに動かされたんだろうと思うんですね。一生懸命、真剣に立ち向かって行けば、その周りの空気というのが変わってしまう、一つになっていくんだろうと思います。
 地水火風空の地大、地大というのは逃げないこころであるわけでございます。逃げるようなこころは地大ではないんですね。だからこころの再生にはまず逃げないで向き合うこころを持たなくてはいけないのであります。
 誰のこころにも仏さんはいらっしゃるんです。そおゆうふうに信じて、自分の中にいらっしゃる仏さんと真剣に向き合ってみますと、相手の御仏が働きを見せてくれるわけでございます。
 自分の御仏と真剣に向き合えば、またそこにいらっしゃる方々の御仏が、働きを見せるというわけでございます。「うちの子に限って」というふうに自分の子供のこころに向き合わないでいる親になっていらっしゃる人が多いんじゃないか。子供のこころに何が起こっているんだろうか。子供の中にいらっしゃる御仏と向き合ってみなければいけないんじゃないかなと思います。きっと子供と本当の信頼を結ぶことが出来るようになられると思います。
 お大師さまは、それまであった密教の五大の教えに「識」というのを加えて、六大とされたわけでございますけれども、大切な事を忘れてはいないか、生命に問いかけて得た教えがこれであったわけでございます。
 「識」によって六大の働きは調和をもたらすわけでございます。地水火風、、そして空、この五大のどれもが生命の基であり、私たちを活かすものであるわけでございますけれども、そのどれもが実は一度暴走すれば大きな災害をもたらすものであるわけでございます。(リーガロイヤルホテル京都 比叡の間)


2007/12/28 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 12回目 まとめ(68分) mp3/31.3MB
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