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祈りのこころ
2008/2/21
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 「毎日の行の心がけ」
関西最福寺総代 梅原功先生
第二講話「祈りのこころ」1回目
行の前に自分を高める
ものすごい大きな火
苦しい行をやる
誓い
最福寺
自分のこころを鍛える
精進
皆仏の子
仏さまの光
こころの有りよう
気持ちの持ちよう
真言を一生懸命唱える
すがしく満たされた気持ち
不思議に力が涌いてくる
こころの再生
御仏の力
高野聖
お大師さまの祈りのこころ
モラルハザード
道徳崩壊
苦しいときの神頼み
自分を超えた存在
   まず私たちは行をする前に自分を高めて、ものすごい大きな火を焚いて、その火に向かって苦しい行をやるわけでございますけれども、こころ引き締めておかないと本当に行が全うできないということが多いもんですから、まず「誓い」というのをやります。これを大きな声でやるんですね。で、声が出ないでこれに集中できてなかった人は、行はさせないということにしているわけでございます。それで行が終わって帰ってきても、この「誓い」を大きな声で言っておるわけでございます。
 最福寺にお参りに来られる方には、お参りすることを楽しみにおいでになる方、あるいはこうして行をして、行に参加して、また行を後ろから参加して自分のこころを鍛えようというふうに、精進においでになる方もいらっしゃるわけでございますけれども、悩みとか苦しみを抱えておいでになる方が沢山いらっしゃいます。
 いろいろなこころを抱えておいでになるわけでございますけれども、こうしてお参りになって御本尊さまを前にいたしますと皆仏の子であるわけでございます。しかし、仏さまの光というのはどれほど受取れるかどうかということは、それぞれの方のこころの有りよう、また気持ちの持ちようであるわけでございます。
 というのは楽なものではございません。燃え盛る炎の前で長い時間、全身全霊で真言を唱え続けておれば一列目の人は非常に大変ですけれども、二列目、三列目も大変であるわけでございます。
 どうしてそんな苦しい思いをしながら行をするんですか、というふうに思われる方もいらっしゃると思いますけれども、こうした厳しい行をした後のすがすがしく満たされた気持ちというのは例えよもないものであるわけでございます。そして不思議に力が涌いてくるものでございます。
 燃え上がっている炎に向かっていく気持ちで真言を一生懸命唱え続けておりますと、こころに漂っておった弱さとか苦しさというのが消えていくのであります。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)

2008/2/21 池口会(京都) 第一講話 「毎日の行の心がけ」(70分) mp3/32.3MB
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 こころの再生というのが、今もっとも求められることでありますし、そのためには祈るこころでこころの力を取り戻していきたい。私の祈りによって、沢山の人々の奥底にいらっしゃる御仏の力を取り戻していきたいというふうに願って、毎日祈ってるわけでございます。
 各地に残っております、お大師さまの伝説の多くが高野聖によるものであるとも言われるほどであるわけでございますが、お大師さまの祈りのこころというのは、日本人のこころに深く長く伝わって来た訳でございます。
 現代はモラルハザードである時代だというふうに言われます。道徳崩壊と言えばいいんでしょうか、ただ私は
道徳よりもっとこころの奥底に大切にしてきた、このこころが壊れかけてきているのではないかなというふうに思って危惧しているところでございます。
 もう一度、高野聖の精神を現代の日本に蘇らせてそしてお大師さまの祈りのこころを広く伝えていきたい、それが私の今の願いであるわけでございます。
 私たちはなぜ祈るのでしょう。苦しいときの神頼み、というような言葉がございますけれども、本当に私たちは苦しいときだけ祈っているんでしょうか。人は自分を超えた存在に、思うことを叶えて欲しいと願って祈るわけでございます。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2008/2/21 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 1回目(43分) mp3/20.1MB
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2008/3/21
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
第二講話「祈りのこころ」2回目 
五行十干十二支
前途多難な年
最大の懸念は経済問題
サブプライムローン
経世済民
真言密教の祈りはリズムに始まってリズムに終わる
生命のリズム
生命は大きな宇宙が故郷
大きな宇宙
小さな宇宙
声高らかに読経
般若心経を一生懸命唱える
自分が光の自分になる
   五行十干十二支で見ていけば、戊(つちのえ)と子(ねずみ)は今、言いましたように相性が悪いということなんですね。だから戊の子の今年は、草木が十分に生い茂げようとする力と、新しい生命が種の中から燃え出そうと、そういう力がお互いにぶつかり合って、その軋みが表面化するときになる可能性があるようだといういことを申し上げました。要するに、今年は相反するエネルギーが衝突をして前途多難な年になるんじゃないかなという感じがしたわけでございます。実際、今になって内外の情勢を見ていきますと非常に厳しいものが出てきているという感じがいたします。
 国際的な視点でこれを見ていきますと、最大の懸念は経済問題だろうというふうに思います。低所得者向けの住宅ローンであったサブプライムローン、この問題に端を発したアメリカ経済の波乱といったもは、世界の金融市場に大きな影響を及ぼしておりますし、世界的な株安を引き起こしているわけでございます。特に株価が大幅に下落しているのが、日本のマーケットであると思います。去年の7月頃にはもう日経平均株価が1万8千円を超えて、そして2万円を伺うんじゃないかというようなレベルまで上昇しておったんですけれども、それが先日は1万2千円をもう割り込んでしまって3年前のレベルまで落ち込んでおるわけでございます。
 現在のような先行き不透明なときには、この経済という言葉が経世済民これに由来しているということを思い出して頂いて、国も企業も世を治め、民を救うんだという点に中心を置いて頂いて、難局を凌いでいただくという事が肝心ではないかなと思います。
 私は常日頃から祈りというのは、リズムを合わせるためのものなんだというふうに言ってるんですけれども、これをあるスポーツの解説者が思い出したといっておりましたけれども、真言密教の祈りというのはこのリズムに始まって、リズムに終わると言っても過言じゃないと思います。だから生命のリズムというのを非常に大切にするのが密教なんですね。生命は大きな宇宙が故郷になっております。そして、私たち一人、一人の中にも小さな宇宙があるわけでございます。私たちの体そのものが小さな宇宙であるわけでございます。この大きな大宇宙と小さな自分たちの宇宙とのリズムがずれてしまいますと、病気になったり、災難に見舞われたりするわけでございます。
 声によってそのメッセージの伝わり方が違ってくるんですね。その声にこころを乗せて人間は、遠い昔から祈ってきたというわけであります。真言密教は、特に般若心経を大いなる真言であるとして、声高らかに読経するように導いてきております。お大師さまは、般若心経を一生懸命唱えれば必ず願いが叶うと言ってらっしゃる。と同時にその声が光になって自分を包むから、自分が光の自分になるということも言ってらっしゃいます。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間) 


2008/3/21 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 2回目(97分) mp3/44.5MB

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2008/4/23
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
第二講話「祈りのこころ」3回目合掌
西島成風画伯
家田荘子先生
合掌
こころが脳に指令を出す
御仏と自分との一体
小便も体内にあれば不浄のものではない
浄穢不二
蓮の花の喩
灼熱の国インド
宗教的なタブー
楽しい平和な世界の実現
感謝の気持ち
自分自身を磨く
感謝の気持ちを表す
千手観音
手のこころ
   いつも手を合わせて合掌するわけですね。手というのはいろいろに使います。よしよしと撫でることもできますし、また悪かったらゲンコツをやることもできる。与えることもできれば、かき寄せることもできるのが手です。
 幼児を抱きかかえる慈愛の手であるとも、また愛人を抱擁する手とも、また老人をいたわり按摩してあげる手にもなる。神仏を拝む手にもなるし、盗みをする手にもなる。人殺しをする手にもなるし、人を生かす手にもなる。火をつける手にもなれば、火を消す手にもなる。美しい楽器を奏でる手にもなれば、悲しい涙を拭う手にもなる。生まれた赤子を取り上げる手にもなるし、電気椅子のボタンを押す手にもなるわけでございます。
 このとき手だけが動いてるわけじゃないんですね。こころが脳に指令を出して、そして手が動いてるわけでございます。手というのはこころによって善悪どちらにも働くものであるというわけですね。
 合掌というのは、御仏と自分との一体を表すものであるということを先ほど言いましたけれども、汚いものと綺麗なものとが合体しておるのが、生命であるという教えも込められているわけであります。
 小便も体内にあれば不浄のものではないわけでございます。ゴミもいよいよ捨てるために分けられるところからゴミになっていきます。しかし、ゴミだからといって汚いままで放置しておりますと、それが腐って臭い匂いが出てきて虫やカラスが寄ってきてなお一層汚くなっていきます。
 捨てるゴミも綺麗に始末することによって、あるいはこれが堆肥になったり、あるいはいろいろなリサイクルが出来るわけでございます。
 汚いものであるからといってそのままにするんではなくって、浄穢不二(じょうえふに)として全体を清めることによって尊い存在になるわけであります。
 蓮の花の喩を思い出していただければいいと思いますけれども、泥の沼から美しい純白の花が咲いていくわけですね蓮というのは。
 灼熱の国インドにおきましては、水も紙もままならない状態。そういうような貧しい人が沢山いるわけですね。トイレの始末をした手を洗わないまま食事をしたら、たちまち伝染病が広がると思います。ただ清潔にしなさいというのでは守らない人もおりますけれども、宗教的なタブーということにしまして厳しくこれが守られてそして衛生が保たれてきたんじゃないかなというふうに私は思っているところでございます。宗教はこのようにしばしば健康を保つために、配慮を戒律に入れてきているのであります。
 世界のいたるところで手をたずさえて明るいこころの世界に住まって、輝かしい光の道を辿るようになりましたならばどんなに楽しい平和な世界が実現することでしょうか。合掌するこころで毎日を過ごしていただきたいと思います。忙しくて仏壇の前に座っている時間が取れないんだというふうにおっしゃる方は、毎朝と食事の前と、寝る前に御仏に手を合わせて、「ありがとうございます」、「ありがとうございました」、と感謝の気持ちを表していただければいいと思います。それは誰でもお出来になると思います。そして、他の時間を精一杯使って家族のために、社会のために、そして自分自身を磨くために尽していただきたいと思います。それが千手観音さまの手のこころであるわけでございます。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2008/4/23 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 3回目 合掌(63分) mp3/29.2MB
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2008/5/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
第二講話「祈りのこころ」4回目響きと祈り
南出喜久治先生
雅楽
太鼓

錫杖
法螺貝
ポセイドンの息子トリトン
トリトン・ホルン
シルクロード
心身のバランスを取り戻す
自閉症が改善
がんが消える
かたまりが無くなった
   日本には昔から雅楽というのがございます。これは朝廷が長く守り伝えてきた音楽でございます。これには、中国の伝統が非常に強いんですけれども、中国を通じて古代世界の楽器の集大成ともいえるいろんなものが雅楽であるわけでございます。世界各地で生まれたいろいろな楽器がありますけれども、それは海と陸のシルクロードを伝わって世界に広まって行くわけでございます。
 私の寺では毎日のに、太鼓とか鐘とか錫杖(しゃくじょう)とかそうゆうのを使っております。また、田舎でやるときには法螺貝を吹いたりもして行をするわけでございます。仏さまとこころを通わせる言葉、真言というのはこのような楽器の演奏でもって、しっかり祈りを届けていくというわけでございます。
 行を始める前に山伏たちは法螺貝を吹きます。真言宗の寺でも吹いたりするところがございます。ブゥ~と地の底から響いてくるような音を出す法螺貝の音が、これから仏さまと対話をする空間にお連れしますよという合図でもあるわけですね。巨大な巻貝で作っておる法螺貝は世界中に楽器として存在しております。
 日本の修験行者だけのものじゃないかなと思ってらっしゃる人も多いんですけれどもそうじゃないんですね。法螺貝というには、古代インドで楽器として使われておったのがルーツであるといわれまして、海のシルクロードとか陸路を伝わって世界に広がっていくわけです。
 ギリシャ神話の神さまが法螺貝を手にしていらしゃる像もあるわけでございます。海の神であるポセイドンの息子トリトンは、半分は人で半分が魚の姿をしておるんですが、ポセイドンの命令によってこのトリトンが法螺貝を吹きますと、海が非常に荒れとっても、荒波がたちまちに静まったんだそうであります。英語で法螺貝のことをトリトン・ホルンといっておりますが、これなんかはこの神話に由来しているんだろうと思います。インドでは今でもヒンズー教の寺院ではあるようでございます、またネパールとかカンボジア、さらにはニュージーランドのマオリ族も、インドとそっくりの法螺貝を使っているんだそうであります。
 楽器として使われておるのになぜか儀式とか宗教に使われるようになったというのは、それだけ強い響きを法螺貝が持っていたからだというふうに私は考えているところでございます。
 私たちの行では太鼓が重要な役割を果たしております。私の寺にはこころのバランスを失いかけた方もいらっしゃいますけれども、その中には行のとき太鼓を叩くことによって心身のバランスを取り戻したという例もございます。自閉症の子供が来て、この太鼓を聞いて、自閉症が改善されたということもあります。あるいはお医者さんの子供さんが胃がんになって来られたんです。大きなかたまりが胃にこうあったんですけども、その太鼓を私が30分くらい叩いて、その横で一緒に聞いてもらった。終わったときにはそのがんが消えとったんですね、そのかたまりが無くなったんですね。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2008/5/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 4回目 響きと祈り(73分) mp3/33.5MB
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2008/6/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
家田荘子先生
第二講話「祈りのこころ」6回目幸せの祈り
本当の幸せ
物があふれる
幸福大国ブータン
国民幸福指数
カルムイク共和国
チベット密教
国民総生産のGNP
国民の総幸福GNH
   本当の幸せとは何なのか。ようやく、こころを見つめる時代がやってきたというわけであります。それでもまだ日本はまだ物があふれておりまして、その延長線上でブランド全盛の時代を迎えているというわけであります。そんな時に私は一冊の本に出会って、響くものを感じたのでありますけれども、それは「幸福大国ブータン」という本でございます。これはなんとブータン王国の王妃が書いた本でございました。
 私は先年、ロシアのカルムイク共和国という仏教国へ行ったことがございます。このブータンと同じようにチベット密教の流れを汲んでおるわけでございます。長らく社会主義ソ連邦の中で時に迫害を受けてシベリヤに強制的に移住させられた時期もあったようでございます。ソ連が崩壊してカルムイクは、ようやく宗教の自由が認められるようになって、仏教を国の再生の鍵としている国であります。これはカスピ海のほとりにある小さな国でございます。この国を訪れたときに大統領に呼ばれて大統領府に行きまして、大統領が私費で寺院を再興しておって、国民のこころの再生に取り組んでいるんだという話を聞いて本当に感動したのであります。
 この21世紀は、こころの世紀とも言われておる世紀でございます。産業革命以来人類は大きく進歩してまいりました。しかし、その発明や新しい技術といったものは、大きな戦争に使われるマイナスの面も非常に多かったのであります。平和と戦争の世紀とされた20世紀を経て人類は今、失いかけた貴重なもの、それはこころでございます、こころを取り戻そうとしているのであります。その推進力として仏教が世界各地で見直されてきているのであります。対立よりも調和を、あるがままを受け入れるということを、教義の基本としているこの仏教がようやく見直されて来たのであります。
 ブータン国王は16歳で即位しますと国民幸福指数という概念を国の基本にすることを声明したのであります。ブータンの発展進歩の指針と尺度というのは世界で言われているところの国民総生産のGNP、これではなくって国民の総幸福GNH、これであるというふうに宣言したんですね。当時多くの専門家が、この言葉に首をかしげたのであります。キャッチフレーズとしては素晴らしいけれども、まずこれを計る尺度はあるのか、そんなところからこの幸福度という概念が歩き出したのであります。人間は物質的な富だけでは幸福にはなれない。充足感も満足感もいだけないのであります。ブータンでは経済的発展とか近代化は、人々の生活とか伝統的な価値を犠牲にするものであってはならない、というふうな信念の基で国の政策が作られるというわけであります。(リーガロイヤルホテル京都 桜の間)


2008/6/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 6回目 幸せの祈り(67分) mp3/30.9MB
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2008/7/22
池  口  会
リーガロイヤルホテル京都
第一講話 時局
石田宗久先生(訪朝報告)
第二講話「祈りのこころ」7回目こころの力
脳の活性化
厳しい行
精進料理
肉食はタブー
無限のパワー
性欲
理趣経
御仏の世界
護摩行
仏さまとの一体感
般若心経
色即是空
空即是色
   私は忙しいのによく体が持ちますね、というようなことを言われるんですけれども、私はそのときにのおかげなんです、というふうに答えております。行には脳の活性化を促して生きるパワーを磨く作用があると私は信じております。厳しい行は体力を非常に消耗させるわけでございますけれども、それに負けない体力作りのために密教では古代から食の知恵が伝えられて来たのであります。
 お坊さんの戒律では、食事は精進料理で肉食はタブーでございます。そのほか刺激の強いものとか、塩分の多いものとか、匂いの強いものは一切口にしないようにというようなことも書いてございます。日常好んで食べるのは、野菜と果物と豆腐、それから大豆加工品、そして海草とか魚介類です。酒とかタバコ、コーヒーも頂かないように努めておりますけれども、飲むのはお茶か天然ジュースが中心でございます。精進料理は、自らの肉体に秘められた無限のパワーを引き出すために、よく考えられた食事であると私は思っております。性欲についても、お大師さまが大変尊ばれた理趣経というお経がございます。これは私たちがいつも詠んでいるお経でございますけれども、この理趣経では、邪心を持たない男女の結びつきといったものは、御仏の世界に通じるというふうに説いているのであります。そうでなければ、子孫を残すことはできないわけでありますから、性欲すべてがいけないというのではないわけでございます。
 護摩行は苦しみの中から仏さまとの一体感を得ていくものでございます。達成したときの喜びまた充足感が更なる精進につながっていくわけでございます。それは人生も同じことでございまして、苦しいことがあったら逃げないで向き合っていくこころを、力を養っていかなくてはいけない。
 現在に迷っているのは若者だけではないと思います。政治家も、経済人も、社会そのものが迷っておるんだと思います。迷って、迷って、しかし何に迷っておるのかさえ分からなくなってしまっておる。迷うのは自分がどこにいるか分からなくなるから迷うわけであります。英語は「道を失った」というふうに詳言しておりますが、インドのヒンズー語では「無くなった」というニュアンスの言葉で迷うことを表現しているんだそうであります。日本語でも方向を失うという表現をしております。
 よく迷ったからこそ、よく悟る道が開けてくるのであります。迷うことを恐れておっては私たちは地図の無い新しい土地を探検することは出来ないのであります。見知らぬ土地の探検には危険も付きまといますけれども、新しい土地を知るという大きな喜びもあるわけでございます。準備して危険を避けるこころのゆとりを持つということも大切でございます。迷うことは出会うことでもあるわけでございます。よく迷うことは、よく出会うことでもあります。その出会いを色というわけであります。般若心経の色即是空、空即是色~(リーガロイヤルホテル京都 紅葉の間)


2008/7/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 7回目 こころの力(62分) mp3/28.6MB

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2008/8/24
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
第二講話「祈りのこころ」8回目供養
お盆
戦没者の慰霊
御先祖供養
不空三蔵は非常に行ができる人
恵果阿闍梨
密教正統の祖師
国家護持の祈り
金剛智三蔵
南インドから唐へ密教を伝える
玄宗皇帝
不思議を表す
匈奴
安禄山の乱
大興善寺
1250年後
調伏の手法
怨敵調伏
薬子の乱
嵯峨天皇
国家護持
国家の安定は国民の幸せ
国運の長久
不空三蔵から恵果阿闍梨
   お盆は、我々御先祖をお招きして祈るという私の供養でございます。それに加えて、戦没者の慰霊というのは、自分がその一員である国家のために、犠牲になられた方々のために祈る、公の供養であるわけでございます。この公私の御先祖供養を、同じ時期に執り行うことができる巡り会わせの不思議さに、私はいつも瞑目しているわけでございます。それは、日本という国が持つ、祈りのこころに御仏が答えてくださったんじゃないかな、これこそ天の配采じゃないか、というふうに私は受け止めているところでございます。さて、その時期に不空三蔵のお話しから入りますのは訳があるのでございます。
 不空三蔵、恵果阿闍梨、そしてお大師さまへと続いてきた密教正統の祖師たちが、いづれも国家護持の祈りをした。国家護持を祈ったということの意味を、現代に問いかけてみたいというふうに私は考えるわけでございます この不空三蔵のお師匠さんに金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)という祖師がいらっしゃいます。金剛智三蔵と不空三蔵は共に南インドから唐へ密教を伝えるためにやって来られました。玄宗皇帝の信頼が非常に厚くて、金剛智三蔵と不空三蔵は洛陽の寺にいらっしゃって、唐帝国と人々のために一生懸命祈っていらっしゃった。
 不空三蔵の出身地は南インドであるというのと、西域であるとする二説あるわけでございますけれども、確かなことは、西暦718年に14歳で金剛智三蔵に出会って弟子になられたということは確かなんですね。以後、不空三蔵はお師匠さんの金剛智三蔵と共に中国に渡って来て、その命が終わるまで、没するまで付き添って生きていかれるわけでございます。
 この不空三蔵は非常に行ができる人でありましたんで、凶事が起こる度にお祈りをされます。その貢献があらたかになって、玄宗皇帝はますます不空三蔵を信頼していかれたわけでございます。昔の偉い祖師たちは皆行ができたんですね。不思議を表すことができた。それで皇帝たちは、そうした力のあるお坊さんたちを常に横に置いていらっしゃった。それから7年経って、不空三蔵は玄宗皇帝の命令で辺境の地に派遣されまして、ここに大道場を建てて布教することになるわけでございます。
 この玄宗皇帝を悩ましておったのが辺境に出没する匈奴などの騎馬民族であったわけでございます。ところが、その留守中に唐に大異変が起こるわけでございます。安禄山の乱という反乱が起こりまして、洛陽は安禄山に支配されることになります。急遽、長安に戻って来た不空三蔵が入ったのが名刹、大興善寺であったわけであります。西暦756年でございます。
 私が始めてこのお寺を訪れたのは、その1250年後ということになるわけでございます。ここで不空三蔵は調伏の手法を行うわけでございますけれども、まもなく長安も安禄山軍に破られまして、玄宗皇帝は脱出して皇帝の座を退位して、後を継いだ粛宗(しゅくそう)が残るわけでございます。不空三蔵も密かに怨敵調伏の秘法をしまして反乱軍が鎮圧されまして、この帝都が回復する日を不空三蔵が予言したのでございます。その通りに唐帝国は復活いたしまして、不空三蔵への信頼がますます増していくことになったのでございます。さらに7年後、今度はチベット軍が長安を占領する事態が起こりまして、不空三蔵はまた大興善寺で手法されます。このときは代宗という次の皇帝になっておったわけでございます。許しが出まして宮廷内に祈りをする道場が作られたのでございます。不空三蔵は国家護持のために道場を開いて、密教を国民に広めて仏道に目覚めさせれば、国運の長久は必ず成就すると皇帝に申し上げられたわけでございます。国家の安定は国民の幸せである、国民が安心できる国家は安泰であるんだ、という考え方がお大師さまの言葉からしっかり伝わってまいります。
 不空三蔵から恵果阿闍梨へと受け継がれた教えを胸にして日本に帰国されたお大師さまを待っておったのは日本の政治の乱れであったのであります。薬子の乱という宮中の勢力争いの真只中にお大師さまは帰ってこられたというわけでございます。お大師さまはやがて嵯峨天皇を始め、帝の信頼の基に国家の護持を一生懸命祈られると同時に庶民の幸せをまた一生懸命祈って精力的に活動されたのであります。(ホテルグランヴィア京都 草子の間)


2008/8/24 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 8回目 供養(72分) mp3/33.1MB

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2008/9/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
澤和樹先生バイオリン演奏
家田荘子先生
第二講話「祈りのこころ」9回目加持 
私の人生は行に始まった
読経の響き
行によって得た仏さんの力
癒しを与えたい
一生懸命祈る
お稲荷さまにお祈り
日本一の行者
父は中年の頃から行を始めた
護摩行
不動真言
護摩木
読経と瞑想
加持
いつ母は寝るんだろうか
   私の人生は行に始まったというふうに言っても過言じゃないと思います。母の胎内に居る時から読経の響きを聞いて、そして大きくなってからは、世界中で行によって得た仏さんの力を持って、この世に生きてらっしゃる方の苦しみ、また亡くなってなお悲しみを抱えていらっしゃるいろいろな霊、癒しを与えたい。そういうふうに思って、一生懸命祈ってきたわけでございます。だから私の行は皆様方の祈りを仏さんに届けるためのものでもあるわけでございます。自分自身のことはまだ一度も祈ったことがない。それが行者になるべくして生まれてきた私の使命であるというふうに信じているわけでございます。それでも私のために祈っておったことがあります。それは小さい頃のことでございます。私は毎朝生家の寺の境内にある沢山の観音さまとか地蔵さんとか弁天さんの仏像、お稲荷さんとかこうゆうのが庭にずっと奉ってありました。それにお茶や水をあげて線香を焚くのが日課であったんです。2、3歳児のころから、それを兄たちがやっているのを見よう見まねで、誰に言われることもなくしてそれを始めたわけでございます。
 そしてお稲荷さまにお祈りをします「どうぞ僕を日本一の行者にしてください」、これを繰り返し、繰り返し毎日、毎日祈っておったのが小さい頃の私でございました。その願いはずっと変わらないで成長したわけでございますけれども、日本一の行者になって両親のように沢山の人の役にたちたいというふうに私はこころの底から願っておったわけでございます。なぜそういうような願いをしたかと言いますと、いろいろな古老たちが私の寺によく遊びに来ていらっしゃる。その人たちお爺ちゃん、お婆ちゃんたちが小さい頃の私に「あなたのおじいちゃん、曾じさんはすごい人だった、こういう事もしてくれた、こんなこともあった」と言って、考えられないようなことを教えてくれるんです。上に鳥が止まっておったら、鳥をそのまま取って来て床の間の花瓶に刺しておったとか、あるいは鍵が開かなかったら、印を結んだら鍵がパチャンと開いたですとか、いろんな話しをしてくれた。そしてその人たちがいつも言うのは「あんたのお爺ちゃんは日本一の行者さんだったんだから、しっかり行をして日本一の行者さんになりなさいよ」、というふうに小さい私の頭を撫ぜながら言うもんですから、自分もそうゆうふうになろうという気になって、「日本一の行者にしてください」、というふうにお祈りをしておったわけです。
 私の父は中年の頃から行を始めておったんです。それまでは学校の先生とか、警察官になったりいろいろやっておったみたいですけれどもその後、中年になってから行者になって行を始めたわけでございます。だから非常に厳しい行をしておりました。その頃、母も父と一緒に行に打ち込んだわけでございます。父は山に行っては修行して、寺では護摩行をしておりました。不動真言を唱えながら千枚、二千枚という護摩木を焚き続けます。この護摩の行一回を一座と言いますけれども、普通は一日に一座、せいぜい二座が普通ですけどもうちの父は三座やっておりました。朝、昼、晩と、今私がやっておる行を3回やっておったんですね。で、母はこの護摩行をすることなくして読経と瞑想でございました。加持をしながら、育児をしながら行をしてなお寺にやって来られる信者さんたちの話しを聞いて、そして相談事をして祈っておりました。いつ母は寝るんだろうか、と思うほど子供こころに不思議に思っておったんですけど、私のそばで一緒に寝るんですけど、寝て目が醒めるともういない。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2008/9/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 9回目 加持(65分) mp3/30.1MB

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2008/10/23
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師松本明慶先生
第二講話「祈りのこころ」10回目仏像に祈る 
不動明王
波切不動
カースト
密教の素晴らしさ
大日如来の化身
最福寺の本尊
波切不動 利剣
倶利伽羅竜王
貪・瞋・癡 身・口・意
大欲という教え
   不動明王は大日如来の化身としてもっとも救い難い人たちを何としても救うために火炎の苦しみを背負うお姿で出来ております。言わばスーパースターが変身した最強の仏さまであるわけでございます。 
 どうのような王侯貴族であっても、密教に帰依した者は不動明王を日夜礼拝して祈っておったのであります。
 インドは今もカーストと呼ばれる身分制度がございまして、最も低い身分に置かれた人々はアンタッチャブル、触れてはいけない存在とタブーになっているようであります。
 その人々の姿をしている最強の仏さんが不動明王であるところに私は密教の素晴らしさを感じているわけでございます。
 生命というのは表す形は皆違うけれども、すべて平等であるんだ。その教えが不動明王に込められているというわけであります。
 私の寺であります最福寺の本尊も不動明王でございます。不動明王も波切不動でございます。
 私が鹿児島に帰りまして寺を開くときに、この波切不動こそ本尊に相応しいというふうに思いました。
 今、現代の荒波を切り開いていただくのは、このお不動さんでなくてはいけない、お大師さまが帰られたときに荒波を切り開かれたように、鎮められたように今、日本のこの世相を鎮めていただくには波切不動しかないということを思って、この波切不動を請来したわけでございます。
 お不動さんの尊像はどの形も右の手に剣を持って左手に羂索(けんじゃく)を持っていらっしゃいます。右の手に持っている利剣(りけん)は、お不動さんの知恵と力のシンボルであるわけでございます。利剣は特に倶利伽羅剣(くりからけん)というふうに言われたりするように、倶利伽羅竜王が巻きついているものも出ております。また、この利剣には三鈷の形をした柄が付けられております。三は密教では大変重要な数字になっているのであります。
修行というのは貪・瞋・癡(とんじんち)という三悪を退治して、そして身・口・意(しんくい)という三つを清めて仏になるための道であるわけでございます。お不動さんの剣というのは、まさにこの三悪を断ち切るための武器であるわけでございます。
 密教では大欲という教えを説いております。欲を捨てるんじゃなくって、大きな欲に変えなさいという教えが密教の大欲でございます。大欲の大は、偉大なという意味もありますが、自分だけの欲ではなくて、世のため人のために成るという意味があるわけでございます。(ホテルグランヴィア京都 源氏「東」の間)


2008/10/23 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 10回目 仏像に祈る(68分) mp3/31.4MB

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2008/11/24
池口恵観法主の講話と
夕食会
ホテルグランヴィア京都
「祈りのこころ」11回目護摩行
大浜様
松本明慶先生乾杯の御発声
恵観法主歌2曲
恵観法主歌~炎の男~
火を焚く護摩行
火を中心とした宗教儀式
ホーマという儀式
行は生命の再生
三毒
貪り・怒り・愚かさ
加持
歓喜の世界
   祈りというのは、行そのものでございます。私の行は大きな火を焚く護摩行が中心でございます。火を中心とした宗教儀式というのはインドの古代からあったわけですね。
 紀元前1500年前頃からインドに侵入して先住民族を征服し同化しながら住み着いたアーリア民族が、ホーマという儀式を行っておったんですね。バラモンはこの儀式を執り行う役目を持った人たちであったわけでございます。
 護摩行というのは、火を焚いて私がやってる護摩行は、三毒、貪り・怒り・愚かさ、この三毒を焼いて身を清めていく行でございます。火を焚きます炉はきちんといつも掃除しておかなければ火は不完全燃焼して黒いススだけが昇ってしまいます。
 私たちが本来こころに持っております火が燃え盛っていくために、こころという炉を掃除しておかなければ生命の火を燃やすことが出来ないのであります。
 護摩の火というのはこころを照らす明かりでもあります。火は明かりでございます。
 そして行は生命の再生なんだというふうに思うわけでございます。
 行によって絞っても絞っても、吹き出てくる汗はこの世に生きる苦しみとか辛さといったものを体から運び出してくれるものでございます。
 その汗は噴出したとたんに、お不動さまの灼熱の炎によって気化してしまうわけでございます。苦しみと汗とが体内の死を昇華してくれるのでございます。
 行者というのは、厳しい行によって、瞬間ごとに繰り返されますところの死と生、この再生を体験していくものでございます。すべての細胞の働きが停止したかと思う死の瞬間、しかし無我の中で仏さまと一体になる歓喜がそこには押し寄せてまいります。
 そしてハッと我に返ります時に、体の隅々まで細胞が蘇って、そして蘇った細胞によって元気な生命力を感ずるのであります。行によって得た仏さんの力を、苦しんでいらっしゃる人たちに分かち、そして救うというのが加持であるわけでございます。
 行というのは苦しみを超えて得ますところの大いなる歓喜の世界でございます。また行によって得ますところの仏性を沢山の人のために分かち合っていって、安心への道を開いていくのが、お大師さまの教えであるわけでございます。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)  


2008/11/24 池口恵観法主の講話と夕食会「祈りのこころ」 11回目 護摩行(70分) mp3/32.2MB

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2008/12/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
家田荘子先生
第二講話「祈りのこころ」まとめ
皆勤参加者発表及び恵観先生手形贈呈
森田様感謝のご挨拶 
真言密教
衆生救済
「理」と「事」
御仏の教え
毎日、毎日の精進
大宇宙大生命体
大日如来
身口意
体とこころと言葉
いろいろな願いは叶う
日常の暮らしの中で祈る
世界平和の巡礼
桜島の噴火を止める行
世界平和を願って
生きることは苦しみに立ち向かって行くこと
自分の行場
   この1年私は皆様と共に、この祈りのこころとは何かということを考えてきたわけでございます。それは私が70年生きて来た、私の人生への問いかけでもありますし、御仏へのお尋ねでもあったわけでございます。私が帰依しております真言密教で出家をして、衆生救済の道を歩くものは、「理」(り)と「事」(じ)の両者を極めなくてはいけないというふうに言われてます。祈りというのは「事」の範疇でございます。御仏の教えのことわりは、どんなに理解したといたしましても、祈りによって仏さまと一体になることができなければ、お大師さまの後を継いでいくものにはなれないわけでございます。祈りというのは行動です。出家した者の祈りは行でございますし、在家の方々の祈りは毎日、毎日の精進であるわけでございます。だから今言いましたように祈りは行動ですから、動く所に祈りがあると意ってもいいと思います。
 私たち行者は行を通じて祈ってまいります。その祈りというのは、自分のための祈りではなくて、祈りを仏さんに届けたい人々のために、苦しんでいらっしゃる人たちのために、あるいは社会のために、また国のために、世界のために、そして地球の、宇宙の、平和のために祈るわけでございます。
 在家の方々は、自分の願いを仏に届けるために祈るわけでありますけれども、それは自分だけではなくて周囲の人たちや、社会のためであるというふうに大きなこころで祈っていくことによって、仏さまに届くわけでございます。在家の方々は、それぞれの職に打ち込んで、あるいは家族のために尽していくということも祈りでございます、また使命であるというふうに知っていただければいいんじゃないかなと思います。
 この世の中に生きるということは、日常の暮らしの中で祈り、また動いて人々のために尽していくことでございます。祈りは目的ではなくて、生きる力そのものでございます。祈るこころのありようこそ最も大切でございます。
 私が世界平和の巡礼でお祈りをいたしますのも、また桜島でお祈りをいたしましたのも、みんな仏さまから頂いた祈ることができるこの器を活かしきる使命の由縁でございます。
 大宇宙の中から生み出されてきた自分たちであって、大宇宙大生命体を自分の体にして、生きとし生きてらっしゃる大日如来、これから私たちは生み出されて来てる。
 仏から生み出されてきてる仏の子であるわけでございます。仏も私たちも身口意(しんくい)を持ってます。体とこころと言葉。この身口意を一つにして、ずっと本当の親であります、大宇宙大生命体の大日如来の身口意と一つにしたときに、いろいろな願いは叶うんだという自信の基に、私は桜島のあの噴火が多い時に、桜島の噴火を止める行をいたしました。それであの噴火が止まりましたですね。
 そうゆうように、私が世界平和を願って世界各地で祈っていきますのも、またいま言いましたこの桜島で祈ったのもみな、この仏さまから頂いた祈ることができる器を活かし切る使命のためであった、というわけでございます。
 生きることは苦しみに立ち向かって行くことなんです。
 密教で否定でなく、肯定することを教えておりますのは、苦しみさえも受け入れる大きな器になりなさいということであるわけですね。護摩を焚く炎が高ければ高いほど、祈るこころもまた大きく大きく開いていって炎を受け入れることができるようになるわけでございます。
 祈りというのはこころを大きく育てるものでございます。毎日しっかりと自分の行場を勤めながら、そして祈って生活して頂きたいと思います。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)

2008/12/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 まとめ(65分) mp3/29.7MB
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