池口会  京 都 2009年 Ikeguchi Kai Kyoto 2009 Sokushinjobutsu-gi            HOME 

即身成仏義

2009/2/23
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
丸山みどり様フルート演奏
元チャンピョン徳山昌守様
第二講話「即身成仏義」総論 
この身このまま仏になる
真言密教は究極の教え
三劫成仏
密教には二つの意味がある
宇宙の秘密
生命の本質
師資相承で伝えていく
秘密の教え
背中に光背
頭の上に輪
キリスト教の天使
仏教、キリスト教の文化的交差点
人間にはエネルギーがあります
  
   今年はお大師さまが説かれた即身成仏、この身このまま仏になることができるということを1年間、どうしたらそうなるのか、またこの世からあの世に行くときに一番不安になられると思うんですね、年をとって病気になって、もう命がないということになったときですね、そうゆうのが解消されるんじゃないかなと思うんですね、このお大師さんの即身成仏を聞いていただければ。私なりに時勢と合わせながら、このお大師さんの教えを一緒に勉強してみたいと思います。
 即身成仏という言葉を聞けば、なんか難しそうだなあというふうに思われる方もいらっしゃるかもしれませんけれども、これはお大師さまが書かれた本文の解釈をするんじゃなくって、お大師さまの教えに沿って私が体験したり、また感じてきたことを、皆様方と一緒に考えてみたいと、いうふうに思っていることろでございます。
 この即身成仏義というのは、お大師さまが集大成された真言密教のもっとも基本的な、そしてどのような教えから入門したとしても、結局はここに行き着くんだという、究極の教えであるわけでございます。
 諸々の経典とか解説書というのは、三劫成仏(さんごうじょうぶつ)というのを説いております。だけども、今あなたは即身成仏を説いているけども、それはどんな根拠があってそうゆうことを言うんですか、というふうに昔のお大師さまがこれを言われたころの、お坊さんたちが弘法大師に聞かれるんですね。「問うて曰く、諸経論の中に皆三劫成仏を説く。いま即身成仏の義を建立する。何の憑拠か有るや」。
 即身成仏は言葉だけではとうてい語り尽せない奥深いものでございまして、教えに従って行をするなかで体験できるものであるわけでございます。
 密教という言葉には二つの意味があるんですね。一つは宇宙の秘密。それは生命の本質のことでございますけれども、宇宙の秘密を教えているから、秘密の教えである。もう一つは、この教えの威力は無限ともいえるほど偉大なものであるから、仏さまの教えに従っている人物でなければその偉大な法力を誤って使ってしまって暴走する恐れさえ出てくる。だから秘密にして、信頼できる弟子だけ師資相承(ししそうじょう)で伝えていくようにしなさいという、秘密の教えという意味でもあるわけでございます。
 どの仏像を見ましても背中に光背があったり、頭の上に輪があったりしておりますけれども、これを光背とも後光とも言っているわけでございますが、実はキリスト教の天使にもこの輪がついておりますですね。こちらは頭のすぐ上に水平の輪がついておりますけれども、どうして同じようなものが、仏教の仏さまとキリスト教の天使にもついているんでしょう。仏教もキリスト教も、どこかで文化的な交差点があったんじゃないかと思うんですね。
 人間にはエネルギーがあります。これが強く燃えている人は体から光が陽炎のように立ち上っておって、見える人には見えるんです。私が行をしております時に護摩壇の炎と、体から出てくる光とが重なっていっそう炎が高く見えるという人もいらっしゃる。外国で光が見えるといって後ろかついてこられることもありました。また日本でもそういうことが何回もございますが、人間は誰もが光を出すことができる存在であると私は思っております。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2009/2/23 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 総論(59分) mp3/27.3MB
ダウンロードで購入

2009/3/23
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 ロシア訪問
家田荘子先生
京都府議会議員石田宗久先生
第二講話「即身成仏義」2回目 
山川草木悉皆成仏
生命とは本来は仏さま
私とはいったい誰なのか
どこから来たのか
刀岳の禅
深山幽谷
修験道の行場
断崖絶壁
目の前に刀を立てる
一生懸命真言を繰る
崖っぷちに立つような真剣さ
誰かが誰かの役に立つ
生命の絆
   即身成仏。この身でありながら仏になるというお大師さまが開かれた真言密教の教えでございます。この世にありながら修行をきちんとしさいすれば、誰でも仏になることができるという教えであるわけでございます。山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)と言いますが、私たちの生命とは本来は仏さまそのものでございますから仏さまになるということは本来の姿に帰るということなんですね。
 私とはいったい誰なのか。そしてまたどこから来たのか。誰もがこころの奥底に持っている素朴な疑問だと思います。
 言葉どうりの刀岳の禅(とうがくのぜん)という行が家にはございます。私が始めてこの行をさせられたのは4歳のときでございました。深山幽谷に行って険しい山のなかで修験道の行場に行くわけでございまが、父親に連れられて、険しいところを父親に背おわれて、そして私は崖の山の切り立った岩の上に登りつめました。狭い、狭い岩の崖の上に、狭い岩場で座禅を組むわけでございます。そして背中には切り立った崖がございます。背後も切り立った岩でございます。目の前に刀を立てて真言を唱え続けるという行でございます。ここに断崖絶壁がありますと、ここに座ってこの前に真剣を立てて、自分の方に倒れてくるような立て方してあるんですね。のけぞれば崖から落ちて死んでしまいますし、眠りがきて前にくれば刀で顔を切るというようなことでございますので、真剣に拝まないとこの刀がお前の前に来て、お前の顔は切れるんだぞと言われるんですね。目の前には真剣が立てられる訳です。ちょっとのけ反れば後ろの落ちてしまう。眠りこけて前に行けば真剣で顔を切ってしまう。子供ながら一生懸命真言を繰るわけですね。真剣に祈って、集中力を作る行でございます。そういう行をさせられたんですけれども、不思議に怖いということは思わなかったんですね。ただ、ただ行を全うしたい。そればかりを思って真言を一生懸命唱えた覚えがございます。
 お大師さまは教えられます。御仏の修行をすることによって私たちはこの世で、この体のまま仏さんの世界を知ることがでいるんだよ、というふうにおっしゃいます。この仏に出会うにはまずは崖っぷちに立つような真剣さが必要さが必要なんですね。
 の度に、糸の太さが違ったり強かったり弱かったりしてはいけないんです。人生と言う布を織るためにはいい糸が必要なんです。行によって紡ぐ糸の良し悪しが、布の出来具合を左右するんだというふうに私は近頃気づいてまいりました。
 誰かが誰かの役に立つ。そんなことを少しも考えていない。自分さえ良ければという身勝手な日本人が増えてきているんじゃないかな。そういうことを思って私は非常に危惧しているんですけれども、一人の時間軸が一本の糸で繋がっているのであるならば、社会という空間もまた生命の絆によって結びあっているわけであります。その糸を思い出し大切にしていくことこそが、仏になる第一歩であり、生命を全うする道でもあるわけでございます。
(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2009/3/23 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 2回目(54分) mp3/24.7MB
ダウンロードで購入

2009/4/21
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
第二講話「即身成仏義」3回目 
仏さまに出会ったと思う体験
思わず合掌
お加持
仏さまのこころ
仏さまになった瞬間
仏さまとの一体感
潜在意識
ユング
集合体意識
深層心理

目に見える存在
目に見えない存在
   この即身成仏と言うのは、この世の中にあって、この身のままで仏さまになれる。本当にそのようなすばらしいことが出来るんだろうか。たくさんの人がそのように思いながら、この教えを聞いてこられたと思います。
 私たちは生きてる中で、ほんの一瞬であれば仏さまに出会ったと思う体験を持っていらっしゃる方がおられるんじゃないかなと思います。
 どなたでも一度ぐらいは思わず合掌してしまって、「仏さまありがとうございます。神さまありがとうございます」、と言われたことがあるんじゃないかなと思いますけれども、思いもよらないような嬉しいことがあったときに、あるいは夢が叶ったとき、私たちはもう満たされた思いでいっぱいになります。その瞬間、私たちは仏さまと出会っているんだなというふうに私は思っております。
 私はお加持をしますけれども、そのお加持を受けられた方がその結果について喜びながら報告をしてくださるとき、そんなときに私もこの上ない喜びを感ずるわけでございますけれども、共に悩みながらその悩みや苦しみから抜け出されたという嬉しさ、そういったものを手を携えて分かち合っていくということが、なによりの喜びでございます。共に味わっていく、その満たされた気持ちこそが、仏さまのこころであり、仏さまになった瞬間であるんだというふうに私は受け止めてきているわけでございます。
 しかし、いつでもどこでも仏さまになったままでおるというのは至難の技でございます。行者でありましてもをしているときとか、またお加持を一生懸命さしていただいているときには、仏さまとの一体感を持つのでございますけれども、修行だけに打ち込んで隠とん生活を送っているのでない限り、日常の中ではいろいろな出来事が起こってきて、いつも仏さまに成りきっているわけにはいかないわけであります。
 この世の中の俗事を一つ、また一つというふうに解決していきながら、皆様方とともに時を重ねていくというのが、この世に生きていくことであるというふうに思っているわけであります。
 霊というのは私たちの潜在意識とも言えるものでございますし、直感であり、あるいはユングが説いておりますところの集合体意識のようなものと言ってもいいんじゃないかと思いますけれども、そのような深層心理の働きを霊の存在を示すメッセージであるというふうに捉えていっても間違いではないんじゃないかというふうに私は思っているわけあります。
 お大師さまがあえてこの「識」を、宇宙を構成している元素であるというふうにされましたのは、私たちの生命は目に見える存在だけではないんだ。目に見えない存在があるんだということを教えていらっしゃるのだと思います。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2009/4/21 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 3回目(60分) mp3/27.8MB
ダウンロードで購入

2009/5/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
村上正幸先生(太極拳)
第二講話「即身成仏義」4回目
ご入定
高野山奥の院
自在
五大
地・水・火・風・空
大金剛輪
水輪
火輪
風輪
円壇
真言者とは心大なり
五輪の塔
円壇とは空大
円壇とは宇宙
識大
空の世界

八千枚護摩行
   お大師さまの著作をずっとそのまま読みますと、非常に難しいわけでございます。お大師さまは、この教えを真言密教の究極のものであるとして、ご自身もこれをご入定(にゅうじょう)なさって実践されたわけでございます。
 お大師さまは、高野山の奥の院に今も生きていらっしゃるわけでございます。そして、すべての人が救われるまでは、この世にあって皆さん方を守ってくださっているというわけでございます。そのお大師さまの難しい文章を追って、教えを読んでみますと、難しいんですけれども、そこにはあらゆるものに通じる考えが散りばめられているということが分かるのでございます。
 この教えを探求する密教学徒であれ、また密教を求めてらっしゃる一般の信者さん方であれ、あるいは密教については初心者であられる人たちであっても、これを何度も、何度も読んでいるうちに何か閃いて納得されるものがあるんじゃないかなと、そんな思いに駆られるわけであります。
 マニュアルに縛られない「自在」ということこそが、生命力を引き出す力であるわけでございます。自在というのは、むやみ勝手に好きなようにしていることじゃないんですね。それぞれが、いだくところのこころをしっかりと見据えて、そして世の迷いごとに囚われないようにしなさいという教えであるわけでございます。
 私たちの体には五大(地・水・火・風・空)の定位置がありまして、体が動きますとこれらが動いて、そして交わってこころが動けばまた、これらの輪が溶け合って虹色の輝きを放つというわけでございます。教えに従って行をしていく者すべてにお大師さまは呼びかけられたわけでございます。円壇(えんだん)を自らの体において足からへそまでの位置が、大金剛輪であるというふうに感想しなさい。そこから胸のところが水輪だと思いなさい。その上に火輪があって、さらに風輪があると念じて自分の体を宇宙と一体化させていきなさい。そうゆうふうにお大師さまは言ってらっしゃる。
 円壇というのは宇宙のことなんですね。自らの内に生命のふるさとでありますところの宇宙を再現してみたらいいと思いますが、生命が六大から作られておるのであるならば、この体を一つ、一つにあてはめて、そして仏さまに触れてみたらいいよと、お大師さまは言ってらっしゃるのです。五つの輪というのは、五輪の塔のことでございます。石を積み上げて出来ている塔は、この教えに従って下から地・水・火・風そして空を象徴して作ってあるわけでございます。お大師さまは言ってらっしゃいます、「円壇とは空なり、真言者とは心大なり」。円壇とは空大(くうだい)のことである、真言行者は精神を有する者であるから識大(しきだい)をしめしておるんだ。真言行者は、まず自分の身の六大をしっかりと意識しなくてはいけない、というふうにお大師さまは言ってらっしゃる。その体という塔を置く円壇(えんだん)というのは宇宙でありまして、「空」の世界であるわけでございます。そして、この五大の精神でありますところの「識」が行者なんだ、というふうにお大師さまは教えて下さっている。
 自らの心身を六大の塔として祈っていくわけでありますから、不動の姿勢で祈らなければいけないわけであります。行者というのは、行をしているときは心身ともに磐石のように座って、そして微塵も内心の恐怖とか苦衷を覗かせてはいけない。それが私の母の教えでございました。私が始めて八千枚護摩行をやりましたときに母は「よく最後までやったけれども30点だった」。そのように辛い点を付けたんですけれども、なぜなら~(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2009/5/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 4回目(60分) mp3/27.8MB
ダウンロードで購入

2009/6/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
第二講話「即身成仏義」5回目
曼荼羅
生きることは綺麗ごとではすまされない
真髄を円満
煩悩と精進の繰り返し
サンスクリット語
菩提の道場
最高の飲み物、醍醐
父子相伝
薩摩焼き
朝鮮出兵
文禄慶長の役
やきもの戦争
沈寿官
宗教の違いに名を借りたテロリストたちとの戦い
   曼荼羅は仏さんたちの集まりでございます。人の生き様を曼荼羅ということもあります。生きることは綺麗ごとではすまされない。煩悩と精進の繰り返しでもあります。この曼荼羅という言葉は、ほかの仏教用語と同じように古代インドのサンスクリット語にルーツがあるわけでございます。曼荼(まんだ)というのは、中心とか真髄といったような意味をもっております。さらにはお釈迦さまが悟りを開かれた菩提の道場である、あるいは最高の飲み物である醍醐(だいご)を表すこともあるわけでございます。
 後半の曼荼羅の羅(ら)という意味は、所有を意味する接頭語とされまして、大日教では円満というのを意味しております。したがいまして、この曼荼羅というのは、真髄を円満するものということになるわけであります。
 この曼荼羅の現代の専門家の第一人者と言われる頼富本宏というの種智院大学の学長さんがいらっしゃいますが、この方は曼荼羅というのは悟りを有する場である、そして聖なる場であるというふうに言ってらっしゃいます。なるほど、これがピッタリとくる訳語じゃないかなというふうに思うんですけども、この曼荼羅というのは本来密教の教えを説く立体的な空間でございまして、多くの仏像を配置しまして、その働きや役割を示しているわけであります。一つ、一つの仏さまがそれぞれに関わり合っているということを分かりやすく示しておりまして、その仏さまたちに囲まれたら、どんな感じを受けるのかということを知ってほしいというふうに、願いが込められた世界でもあるわけでございます。
 私の郷土であります鹿児島のお話しを一つしておきたいと思います。薩摩焼きという焼き物を皆さんご存知だとおもいますが、これは400年にわたって父子相伝で伝えられて来た伝統工芸でございます。この薩摩焼きの始まりは16世紀の末に豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに朝鮮半島から連行されてきた陶工たちに遡るわけであります。秀吉は1592年と97年の二度にわたって朝鮮半島へ兵を出しております。日韓の悲しい歴史でございます。この文禄慶長の役は別名「やきもの戦争」と呼ばれておりますが、当時の朝鮮の優れた文化を日本に取り入れたくて武将たちは力をもってこの陶工たちを日本に連れてきたわけであります。
 だから、日本各地には2万とも3万とも言われる陶工たちが散っていったのであります。特に九州各地には佐賀の唐津焼きとか、有田焼きを始めとして鹿児島の薩摩焼きにいたるまで、彼ら陶工たちによって窯が開かれたのであります。
 朝鮮半島から来た陶工たちが、猪苗代川村とそこから分かれた鹿屋に集団生活をおくって、朝鮮独自の文化と風俗を守りながら、薩摩に定着していったのであります。その子孫が薩摩焼きを守ってきた沈(ちん)さんであるわけでございます。沈寿官(ちんじゅかん)という有名な人がいらっしゃいます。この系統ですね。
 西欧をイスラム、さらにアジアという文明の対立が、世界の緊張に繋がっていくだろうということであります。中東から東南アジアにかけての緊張は、ますます激しくなってきているようであります。しかし、私はそうじゃないんだ、文明はむしろ強調の時代に入ろうとしているんじゃないかなと考えているわけであります。現在の対立は宗教の違いに名を借りた、テロリストたちとの戦いであるということを認識しておくべきじゃないかなと思います。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)


2009/6/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 5回目(61分) mp3/27.9MB

ダウンロードで購入

2009/7/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
第二講話「即身成仏義」6回目 
重い白血病が改善
護摩行は免疫力を強くする効果
機械で体を見て手も当てない診療
仏教のこころ
医のこころ
生老病死
病気の癒しは仏さまの教え
医療と仏教は深い関係にある
代替医療
仏さまの世界
加持の効果
真言密教の秘法
加持祈祷
現代の医療では直らない病は霊障によるものが多い
   しばらくしますと、荻野くんは自分の上司の先生でございます芳原達也(ほうばらたつや)という教授を連れて寺にやってきました。この芳原教授も荻野さんの重い白血病が、護摩行に参加したことによって改善されたということを不思議に思われて、護摩行に強い関心を持たれたんだろうと思います。そして二人で寺に来られたというわけでございます。
 私はこの芳原教授と荻野くんに、護摩行は免疫力を強くする効果があるんじゃないかと、今で言いますところの予防医学的な持論をとうとうと1時間半にわたって語ったわけでございます。その中には、医療には倫理が不可欠であるし、仏教のこころが必要なんだと。
 今、機械で体を見て手も当てない診療をしておる。それではこころが通わないから、免疫力も高まらないから、病気がどんどん進んで自然に亡くなっていく。
 それじゃいけないから、やっぱり仏教のこころが必要なんだ。そういうような、私なりの医療に対する意見を1時間半にわたって、医学部の教授とその学生に話したわけでございます。私の話をじっと1時間半にわたって聞いていらっしゃた芳原教授が突然申されました。「今、私たちに話して下さった話しを、うちの医学生達にしてもらえませんか」そうおっしゃたんです。そして、私は医学生たちに医のこころを講義するようになったわけでございます。
 本来仏教は、生老病死(しょうろうびょうし)の苦しみから開放される教えが仏教であるわけでございますが、病気の癒しは仏さまの教えの根幹を成している。つまり、医療と仏教は深い関係にあるというわけであります。
 荻野くんは護摩行で取り戻した体力と気力で治療を続けて、後に山口大学の医学部の助教授から金沢大学の教授になりまして、今では岡山大学の医学部の教授になっているのであります。
 最近になって代替医療の研究が進んでおりますけれども、荻野くんと私の出会いはその端緒の一つになったものであったと思います。
 私の加持だけではなくって、ご自身で護摩行に参加されることによって、仏さまの世界に無意識のうちに触れたということで、加持の効果が一層高まったんだというふうに私は思っているのであります。
 なぜ、現代の医学で直らない病気が、この加持によって直るんでしょうか。
 加持というのは真言密教の秘法の一つでございまして、加持祈祷というふうに言われますように、祈りと一体になっているものでございます。
 私のところにいらっしゃる多くの人たちが現代の医療では直らないというふうに宣告された人が多いんですけれども、ほとんどがその人たちの病は霊障によるものが多ございます。
 厳しいを毎日重ねてきたおかげで、おいでになった人たちの病根が見えて、供養によって、行によって、加持によってこれが改善されるかどうか判断することができるようになってまいりました。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2009/7/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 6回目(71分) mp3/32.5MB
ダウンロードで購入

2009/8/20
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
家田荘子先生
第二講話「即身成仏義」7回目
飽食の時代
もったいない
金融不安の波
三角形の底辺を大事に
本物の光を出す
身口意をフル回転
行をするのが行者の務め
重々帝網
即身
三密加持
即身というのはあるがまま
   飽食の時代と言われて物が溢れておった華やかな時代は、今やおとぎの世界になってしまって、もったいないという言葉が、合言葉になったような気がしてきていますが、出会った人にも物にも丁寧い接して生きることを私たちはもう一度こうして学び始めているのかもしれないと思います。
 しかし、その背景は決して安心できるものではないようでございます。一触即発と言ってもいいほどの緊張がいつも何処かで起こっておるような危うい世界情勢があるわけでございます。
 2008年10月にニューヨークに始まった金融不安の波は、またたくうちに世界に広がってまいりまして、不況が日本にも襲いかかってきております。経済的な打撃だけではなくって、21世紀入ってまもなく世界は食の安全をめぐる問題が、これも瞬時といえるほどの速さで世界を駆け巡るようになりました。殺虫剤の毒が混入している冷凍食品とか、賞味期限を改ざんして売っておった食料品の数々には、本当に皆さんもびっくりなさったと思います。
 世界の紛争もどこかで衝突が起きれば、すぐに世界へ影響します。問題が起きるたびに首脳達が集まって対策を考えております。かつてはこれほど頻繁に集まるということはありませんでした。いろいろな出来事が皆関連し合っているわけです。世界は当然に狭くなっているという感じがしてきております。しかし、もともと世界はばらばらに存在しておったわけではないんです。始めからみんな繋がっているんです。
 私の母はいつも口をすっぱくして私に言っておりましたことは、「行者というのは常に一生懸命励んでおかなければいけないんだ。そうすれば自分自身に自信ができて、自ら仏さまの光が出てきて、光が出てくればいいものが集まってくるようになるんだ。だから三角形の底辺を大事にして本物の光を出す人間にならなければいけない。メッキ人間には絶対なってはいけないんだ。家の行者家系はそうゆうことでずっとやってきたんだから。身口意をフル回転して、常に一生懸命に励むように」ということを口をすっぱくして私に言ってきたわけでございます。世のため人のために行をするのが行者の務めであって行者は常に光っていなくちゃいけないんだ。それが私の母の言葉でございました。
 お大師さまは、重々帝網(じゅうじゅうたいもう)なるを即身と名ずく、こうゆうふうに唱ってらっしゃいますけれども、真剣に行をやって、その三密加持によってあらゆる体が光に満ちてまいります。帝釈天の網の結び目に付けられた真珠のような玉が光って、お互いに照らしあっている。そんな輝きに満ちた世界を即身というんだよというふうに、お大師さまは教えておられます。それはまた、私達がもともと持っている仏の姿であるわけでございますから、即身というのはあるがままだというようなことだと思います。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)


2009/8/20 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 7回目(54分) mp3/25.0MB
ダウンロードで購入


2009/9/23
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 訪朝報告
第二講話「即身成仏義」8回目 
始まりがあれば終わりがある
こころの井戸
仏さまの力を汲み上げる
三毒
怒ること、貪ること、愚かなこと
人間の煩悩は本当に根深い
百万枚護摩行を達成
宇宙は大日如来そのもの
大宇宙大生命体
仏さまは自分自身の中にいらっしゃる
生命は宇宙からやってきた
自分たちも皆仏
本当の安心を得る
確かな未来を描く
一寸先は闇
一生懸命こころを磨く
灯火の光が見える
   始まりがあれば終わりがあります。この世の中はこうした法則で動いているわけでございますが、私たちが生まれてくるときには、おぎゃーと言って生まれる、この生が始まるわけでございます。また、すーと息を引き取って終わりを迎えていくわけですね。私たちはどこから来て、どこへ帰っていくんでしょうか。生命の旅に始めて終わりがあるんでしょうか。難しいことは考えてもしかたがない。そんなふうに思ってこの生命についてなおざりにして走りまわっておりますと、こころに埃がたまってしまうのであります。
 私たちがなぜ行をして、精進をしていくのかといいますと、この埃を溜まることを、その埃を掃除をしてこころの井戸から仏さまの力を汲み上げることができるようにするためでございます。
 仏教では三毒ということを申します。それは怒ることと、貪ることと、愚かなこと。この三つの毒を制していけば、仏さまの力はいつでも、こころの井戸からこんこんと涌いてくるはずでございます。怒らない、これは分かりやすい毒でございます。真剣に行をい重ねておりますと、怒りというのはいつのまにか消えていきます。
 人間の煩悩というのは、本当に根深いものでございます。もう無くなったと思っても、また新たな煩悩が涌いてまいります。私は百万枚護摩行を達成いたしましたときに、本当にこころの底からあらゆる生命を愛おしいというふうに思う気持ちが、ふつふつと涌いてきたのであります。それまで私は気が短かったところもございますけれども、知らず、知らずの内に消えておったのであります。
 お大師さまは、私たちの生命は、唯一つの源から生まれでたものであるんだよ、というふうに教えていらっしゃいますけれども、宇宙は大日如来そのものであって、私たちは皆この大日如来から分けていただいた仏さまであるというわけであります。大宇宙大生命体を自分の体として生きていらっしゃる大日如来からすべてのものは生み出されている。だから、仏から生み出されたから、自分たちも皆仏なんだというわけであります。では仏さまというのはどこにいらっしゃるんでしょうか。それは自分自身の中にいらっしゃるというわけであります。
 生命というのは宇宙からやってきた。それなら宇宙というのはどこから来たんでしょう。お大師さまは、その宇宙というのは元からあったんだ、というふうに説いていらっしゃいます。宇宙というのは大日如来そのものである。そういうふうに教えていますが、この世に生きているということは、いつか終わってしまうという不確かさがございますけれども、どんな幸せであっても、また不幸なことであっても、いつかはこれは終わります。確かな未来を描こうと思っても、私たちは一寸先は闇というこの世界を手探りですすんで行かなければいけないのであります。
 だからこそ、いつかは本当の安心を得て生きる世界に行き着きたいというふうに願って、私たちは前へ、前へと歩いているわけでございます。
 その旅の道を照らすのが、仏さまが掲げてくださる灯火であるわけでございます。灯火が見えるように、ほこりを取り除いたこころになるように、一生懸命こころを磨かなければいけないというわけであります。時に嵐が吹き荒れたり、あるいは重い雲が立ち込めたり、あるいは深い霧が出たり、こころの灯火が見えなくなったりいたします。この灯火が消えてしまったのかというふうに見えなくなったら慌ててはいけないと思います。じっと落ち着いて待っておれば、必ず雲は晴れてその灯火の光が見えてくるわけでございます。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2009/9/23 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 8回目(54分) mp3/25.0MB
ダウンロードで購入

2009/10/22
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
第二講話「即身成仏義」9回目 
混迷の時代
世界同時不況
灰色のカーテンが覆う
生活の不安
異常気象
格差社会
核家族が定着
切れやすい
こころというのは何か
山川草木悉皆成仏
八千枚護摩行
真言密教の最高の荒行
最福寺の護摩
三メートルにも立ち昇る火
行者は行場が死に場所
 
   世界は今、非常に混迷の時代に突入してしまったようであります。世界同時不況の波がまるで津波のように地球を駆け巡って以来、人々のこころには灰色のカーテンが覆うように不安感が膨らんできております。生活の不安はもとよりでございますけれども、異常気象が各地で続いております。ゲリラ的な集中豪雨とか日本列島が亜熱帯になったとか、こうゆうふうに言われるような異変が続くようになっておるわけでございます。
 そんな変化が人間の生活ばかりか、こころにも影響していると私は感じているわけでございます。切れやすいというのは青少年ばっかりじゃないと思います。大人も驚くほど短絡的な事件を起こしております。これなんか格差社会が進んでるからだ、というふうなことを言われたりしますけれども、あるいは核家族が定着して家庭内の絆が薄れてしまったから、こういう事件が後を絶たないんだと言われます。あるいは食べ物のアンバランスが影響しているんじゃないかなと言われております。その根底には、こころというのは何かということを見失ってしまった現代人の悲しさがあるんじゃないかな、というふうに私は見ているわけであります。
 格差というのは何なんでしょう。お大師さまは山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)ということを言ってらっしゃいます。 この世に中に存在するあらゆる生命は、みな仏性を持っておって仏さまになることが出来るんだというふうに、お大師さまは説かれたのであります。
 私は昭和38年4月に、27才で初めて真言密教の大法と言われる、真言行者が一生に一度出来ればいいと言われる八千枚護摩行に挑戦したわけでございました。これは真言密教の最高の荒行でございます。これはお釈迦さまが味あわれた数限りない苦行、八千回やったと言われております、その苦労を一昼夜に短縮して追体験するという凄まじい行が八千枚護摩行なんですね。
 私も父からこの八千枚護摩行の手法伝授を授けてもらったんですけれども、実際に行ってみますと疑問点がいくつも出てきます。行を何回も、何回もやっていくうちに、自分でこれじゃいけない、こんな行じゃ行にならない。苦しい行でないといけない。火をもうちょっと大きくしよう。大きくすればこの護摩壇ではもたないから、こうゆうように護摩壇を作ろう。いろんなことを工夫して自分で大きな護摩壇で、火もたくさん高く上がるような護摩を作りあげたわけです。世界で一、日本で一というのは世界で護摩を焚くところはありませんから、世界一でございますけれど、そういうような護摩が最福寺護摩なんですね。三メートルにも立ち昇る火の前に、すぐそこの前におりまして、そして2時間毎日行をやっていくわけですから、非常に大変な行です。で、この八千枚の時には7時間しっかり、この前で炊き続けなくちゃいけない。それも断食してですね。1週間の断食をしてこれをやっていくわけですから、もう死に物狂い。何回も私は倒れました。最初に倒れたときに、母が後ろにおってみんな弟子達がその護摩壇から降ろそうとしました、もう死んでましたから。そしたら母がやってきて、「行者は行場が死に場所なんだ。ここでしかお前が死ぬ場所はないんだ。ここから降ろす必要はない」、と弟子達を怒ってるんですね、大きな声で~(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)

2009/10/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 9回目(74分) mp3/33.9MB
ダウンロードで購入

2009/11/24
池  口  会
ホテルグランヴィア京都
お誕生日お祝い花束贈呈
お誕生会でのビデオ上映
第一講話 時局
宝積玄承先生
お誕生会ビデオ映像
訪朝ビデオ映像
第二講話「即身成仏義」10回目
こころを映す鏡
護摩の火で息が絶えだえ
一番苦しい人の護摩木
苦しい行をして初めて理解できる
左脳で記憶すると数百倍損をする
右脳は先祖の脳
密教は行をしなければ本当のことは分からない
   ちょっと前になりますけれども、電車の中で化粧をする女性たちが問題になったことがございます。これは品格にかかわる問題だと私は思います。狭い座席で小さな鏡に向かっている女性たちは、そんな自分の姿をどのように見ていらっしゃるんだろうかなと思うんですけども。顔だけを綺麗に化粧して整えても、化粧している全体の姿は決して美しいとは言えないんです。そして全身を美しく磨いても、こころを磨いておらなければ、これもまた本当の美しさが輝いてはこないと思いますね。
 現代の日本社会には、この鏡が非常に溢れておるんですけれど、しかしこころを映す鏡がどれほどあるんだろうかなあ、というふうに私はいつも考えているんです。人は古来いろんな材料を使って鏡を作ってきたんですね。古代人は鏡を神聖なものとして崇めておりまして、しばしば権力の象徴にもしてきたのであります。
 行者が苦しんで、苦しんで苦しみ抜かないで、どうして本当の苦しみを、皆さん方の苦しみを理解できるのか。そう思うから厳しくするわけですね。夏なんかになりますと、本当に護摩の火で息が絶え絶えになって、もう止めようかというふうに思うときがあります。そうしますと毎日、毎日苦しんでいらっしゃる人、がんでもう亡くなるというような人の一番苦しい人の護摩木がぱっと目につくんですね。「この人たちは自分がもう止めようとしているときに、どんなに苦しくても、たった2時間くらいしか苦しいことはないのに、この人たちは毎日ずっと苦しんでいらっしゃるんだ、これぐらいでくじけちゃいけない」と思ってまた行を続けるわけでございます。
 みんなの苦しみを分かるためには、苦しい行をして初めて理解できる、そういうふうに思うから弟子達にも厳しくするわけです。
 行者が厳しい行を続けていきますと、脳は活発に働いてきます。内臓にも大きな刺激を与えて眠くならないで思考が冴えわたってまいります。若い頃に私は自分の頭が狂ったんじゃないかなと思うほど脳がめまぐるしく回転しておりました。日ごろから体力、気力を鍛えておかないと行によって脳と体の働きがアンバランスになってしまって、心身の状態がくずれることがございます。右脳、左脳あらゆる脳の部分を使わなくてはいけないというのが現代語に直した実践の教えであろうと私は受け止めております。
 かつて私は右脳の働きと行について「左脳で記憶すると数百倍損をする」という本を出したことがございます。それは現代人が、あまりに右脳を使っていないために、社会そのものがアンバランスになってしまっていることに、こころを痛めたからでありました。その本にも書きましたけれど、密教の手法とは右脳を活性させるためのものであって、それはDNAを活性化させるのであると書きまして、大きな反響がございました。DNAというのは、私たちが遠い、遠い先祖から受け継いできた生命の情報でございます。その情報には、ほんの近い戦争だけではなくて、人類として進化する以前からの生命の秘密もあるわけであります。だから右脳は先祖の脳というわけであります。密教は行をしなければ本当のことは分からない。そうおっしゃったお大師さまの教えは、まさにDNA情報の蔵を開ける教えであるわけであります。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)

2009/11/24 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 10回目(56分) mp3/25.9MB

ダウンロードで購入

2009/12/22
池  口 会
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師 松本明慶先生
第二講話「即身成仏義」最終回
皆勤御出席者発表
森田喜兵衛様感謝の辞
山川草木悉有仏性
山川草木悉皆成仏
顕教
曹洞宗大本山總持寺貫主
即身成仏というのはなんなのか
仏さまへの道
全身全霊
背暗向明
症老病死
真言行者の務め
死を正面から捕らえる
死がこれほど話題になる世相
   山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)、生きとし、生けるものは皆仏性があるんだ。山川草木悉皆成仏(さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)、生きとし、生けるものは皆仏になれるんだ。
 この仏性があるというふうに説きますのは、主に顕教(けんぎょう)でございまして、仏になれるというふうに説きますのは密教であるわけでございます。
 私はこの矛盾について、随分前になりますけれども曹洞宗大本山總持寺の貫主をなさった板橋興宗(いたばしこうそう)という偉いお坊さんと雑誌で対談したことがございますけれども、そのときに板橋老師に尋ねてみたんです。板橋さんの答えは次のようなものでした。「私の目に花が見えている。私が息をしている。この疑いない事実があって、その事実を生命とも言う。あるのは、その事実だけです。その事実に人の思いをからませるところに問題が出てきます」。どちらも同じことを言っているんだ、というふうに板橋さんは答えてくださったわけでございます。
 この生命があるという事実を、あるがままに見ることこそ大事なんだ。私は改めてお大師さまの教えを胸に刻むことでございました。
 即身成仏というのはなんなのか。言葉でいくら説いてみても、実は教えたことにはならないのであります。しかし、そのことを承知の上で、お大師さまは即身成仏義に書き残されたのであります。あるがままを受け入れるというとこ。それが仏さまへの道の始まりであるわけであります。
 ここに生命がある。生きている自分がおる。生きている人がいらっしゃる。自分の考え方で人を理解しようとするから分からないところがでてきたりするわけであります。
 わからないところがあることをそのまま受け入れて人を全身全霊で理解するということがこの社会に生きていくということ。
 私はそのように考えているわけであります。他の人の苦しみをそのまま受け入れて、これを諭していくということ。それが行者の使命であると思います。
 によって仏になって、衆生を救っていく。そのことを真言行者の務めとして私は生きてきました。これからも生きてまいります。特に私はいままでいろんなことを言葉をもって話してきて、そしてやってきました。でも来年からはこの御修法(みしゅほう)を境として、また原点にかえって、行とお加持に結していこうというふうに思っております。
 暗いことに背をむけて、明るいところを目指すのが、成仏の道でございます。お大師さまは常に背暗向明(はいあんこうみょう)ということを言ってらっしゃいます。暗きに背を向けて、明るさに向かっていくという意味でございます。それにしても、このところ小説といい、流行歌といい、映画といい「お墓」とか「葬儀」といった死を正面から捕らえるテーマが目立ってきております。死がこれほど話題になる世相は一体どうしたことなんでしょうか~(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)

2009/12/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 最終回(60分) mp3/27.7MB
ダウンロードで購入

HOME                                    TOP
Copyright 2011-2014 SIS