恵観塾   京 都 2012年 Ekanjuku 2012 Kyoto - Jyujyushinron            HOME

十住心論

2012/2/22 
 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話
第二講話「十住心論」1回目
お大師さまのこころの進化
自然災害
政変の連鎖
金融危機
飢餓と貧困
政治の閉塞状況
大震災と原発事故
不安なご時勢
核の不安
経済の不安
生活の不安
今の日本の治安は決して良くはない
未来に希望が持てなくなった
明るい社会に戻す
一生懸命お祈りしている
明るい光を取り戻す
闇の中の灯火
こころの磨き方
密教の歴史
   十住心論、お大師さまのこころの進化、それを今年も聞いていただければ、一緒に勉強していただければと思います。
 21世紀もすでにもう四分の一が過ぎるわけでございますけれども、時代が音を立てて動いていっております。自然災害とか、また国際地図を塗り替えるような政変の連鎖、また世界恐慌一歩手前の崖っぷちを行くような金融危機があります。また、アフリカ大陸におきましては内戦再燃の危機をはらんだところの飢餓と貧困、そしてまたヨーロッパでは抜け出せない金融危機、それからイランの核開発と国連の制裁の行方がどうなるだろうかといったことですね。
 それからアメリカとロシアは大統領選挙があります。で、この行方がどうなるんだろうか、そうゆうこと。日本もまた政治のこうした閉塞状況が大震災と原発事故からの復興の足かせになっております。中国とか朝鮮半島、アジアの各地を見てみましても安定して好調であるという国は見当たらないですね。どれをとってみましても未来に暗雲ばかりが見えるような不安なご時勢になっております。
 核の不安、経済の不安、生活の不安、いろいろな不安があります。世界中がバラ色の未来を描くことが出来ないで不安感を抱いてもがいているのであります。日本社会を見渡してみますと東日本の大震災では被災地の人たちの振る舞いが世界各国から賞賛されたのでありましたけれども、母親を捨てた息子ですとか、幼児を虐待している親とか、思いどおりにならないからといって交際しておった女性の家族を惨殺する若者なんかがおったりいたしております。また通り魔とか強盗殺人といったようなことが横行して、今の日本の治安は決して良くはないのであります。
 日本社会は相変わらず無縁の事件が続いております。失業率は高くなってきている。そして生活に困ってきている人が増えてきているんですね。何よりも未来に希望が持てなくなったという人が増えてきてるということが社会に影を落としているのであります。
 そうした世情をなんとか明るい社会に戻すことは出来ないだろうか、なんとか明るい社会に戻ってもらいたい。そういうことを思いながら毎日わたしは一生懸命お祈りしているところであります。そして、どうしたら多くの人たちのこころに明るい光を取り戻すことが出来るだろうか。そういうようなことも考えます。日本だけではなくって世界の人たちのこころがもう元気を無くしているようにも思われます。
 闇の中で迷って、苦しんでいくこころはなかなか無くならない、何度も何度も説いて説いて、私はこのお大師さまが教えられた教えを闇の中の灯火としていきたいというふうに思っております。
 このお大師さまが書かれた十住心論というのは前にも説いたんですけど、またここで説いてみよう。いろいろな角度からこれを一緒に勉強してみよう。そこにはお大師さまが教えの基本とされたところのこころの磨き方があるんだというふうに私は思いついたわけであります。それだけではなくって、このお大師さまが説かれたところの密教の歴史を最初からさかのぼってみてみたい。そういうことも思ったわけであります。
(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)


2012/2/22 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 1回目(68分) mp3/31.2MB
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2012/3/21 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
第二講話「十住心論」2回目
不動明王の目は怒りの象徴
お不動さんは古代インドで征服された先住民
お不動さんはもっとも悲しみをよく知っている
寛容のこころで人々を包み込む
火炎を背負う苦しみ
お不動さんは大日如来の化身
外見で人を判断してはいけない
社会的な地位だけで判断してもいけない
こころの目を磨く
眼施
眼はこころの窓
無限の慈悲
お不動さんの眼から生きる力が与えられる
迷いの世界もまた自分のこころの内にある
   不動明王の目は怒りの象徴をしておりますが、かっと両眼を見開いているのと、左の目を下に閉じて半眼の右目で見ているのがございます。半眼のは口から二つの牙を上下に突き出しています。両眼を開いているものは大日不動といってますが、二つの牙が上に向くか、あるいは下の方に牙をだしているのが特徴です。
 右の目で明らかに見て左の目を閉じている姿は、恐らく左目を潰された奴隷の醜悪な容貌をそのまま写したものであって、この像が不動明王の姿としてはオリジナルなものであろうというふうに推測されているのであります。
 このようにお不動さんは古代インドで征服された先住民であったというふうにされているのであります。戦いに敗れて奴隷の身となったわけでありますけれども、その無念さに負けないで身を捨てて地獄の入り口で人々を救っているというわけであります。
 憎しみや怒りを持っておったんでは闇の苦しみから逃れることはできません。無念の想いをどれだけ清らかな力に変えて、世のため人のために尽すことができるのか、そして私たちは救われて仏さまの安心の世界へと行き着いて行くわけであります。
 お不動さんはもっとも悲しみをよく知っているのであります。またもっとも寛容のこころで人々を包み込んでくれる安心の仏さまがお不動さんであるというわけであります。しかし、人々の安心を守るには火炎を背負う苦しみを伴うことをお不動さまは教えてもいらっしゃるというわけであります。そのお不動さんは、実は大日如来さまの化身であって、もっとも尊い仏さまでもあるという訳であります。
 外見で人を判断してはいけない、社会的な地位だけで判断してもいけない。本当の尊さを知るには、こころの目を磨くことであるというふうに、お大師さまの姿が教えてくれているのであります。
 眼施(がんせ)という教えがございます。私たちは何も無くても人々と喜びを分かち会える布施の教えの一つがこの眼施でございます。苦しんでいらっしゃる人に優しいまなざしを送ってあげましょう。
 安心を与える力が眼にはあるのであります。眼はこころの窓、そういうような事をいいますけれども、そのように私たちのこころが最も素直に現れるところが眼であるわけでございます。
 お大師さまは、「眼(まなこ)明らかなれば、 触れるものことごとく宝なり」、こういうふうなことを言って教えておられますけれども、憤怒の瞳のこの奥には、無限の慈悲が隠されているのであります。
 恐怖に畏怖すくめられた後に無明を払った眼でよくよく仰いで見れば、お不動さんの眼から生きる力が与えられているということに気づかれるんじゃないかなというふうに思います。
 仏さまはどこか遠くにいらっしゃるんじゃないんです、私たち一人一人のこころの中におられるというのであります。迷いの世界もまた自分のこころの内にある。お不動さんは衆生のこころに我が身を律する剣と綱を持って「迷いの世界から抜け出しなさい」、そのように教えていらっしゃるというわけであります。(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)


2012/3/21 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 2回目(61分) mp3/28.2MB
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2012/4/23
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
岡部僧正
第一講話 訪朝報告
日本の政治がかかえる懸案の一つが北朝鮮問題
私にしか出来ない大事な仕事
金正日総書記の指示によりまして正方山成仏寺という寺に安置
金日成主席観世音菩薩像
金正日総書記の千手観音菩薩像
朝鮮仏教徒連盟

   さて、日本の政治がかかえる懸案の一つが北朝鮮問題でございます。私は、この4月の10日から一週間あまりこの北朝鮮を訪問してまいりました。
 初めて私が北朝鮮を訪れましたのは平成21年の秋のことでございましたから、この2年半の間に5回目の訪朝をしたわけでございます。北朝鮮はちょうど金日成主席生誕の100周年慶祝行事と人工衛星のロケット打ち上げなんかで国家的な行事が行われるという週間にあたっておりまして、私もこの慶祝行事に参加したり、参列したり、またロケットの打ち上げの総合指揮所を見学したりもいたしました。
 しかし、私にはもう一つの、私にしか出来ない大事な仕事があったわけでございます。それは、私が1年前に北朝鮮に寄贈して、金正日総書記の指示によりまして正方山成仏寺という寺に安置されました金日成主席観世音菩薩像、これに参拝して、またその前でご供養の祈りを捧げるということと、今回寄贈することになりました金正日総書記の千手観音菩薩像、これを朝鮮仏教徒連盟に引き渡すことであったわけでございます。
 今度持って行きました金正日総書記千手観音は、昨年4月に訪朝いたしまして、金日成主席観世音菩薩像を寄贈いたしました後に、主席の意思を継いで北朝鮮と北朝鮮人民の自立自尊のために全身全霊で国家運営に取り組まれている金正日総書記は、北朝鮮人民にとって千の手で衆生を救おうとされるような、千手観音のような存在じゃないかなと思いまして、取り急ぎ作って拝んだ仏像であったわけでございます。
 この金正日総書記千手観音像は朝鮮仏教徒連盟に寄贈したわけでございます。
 ものすごく大きくて300キロからありましたんで、飛行機代だけでも大変だなあと思ったんですけれども、これを全日空とピョンヤン(高麗)航空が、どちらもタダにしてくれまして、なんとか向こうに持って行けたわけでございますが、その贈呈式で私が読み上げた願文で、私はこの総書記の事績を讃えながら次のように願文で詠んだわけでございます〜「この千手観音菩薩像の腹部で掌(たなごころ)を上に組まれし印が受けている金の器は、総書記の後継者と成りし金正恩氏を象徴せり。北朝鮮の国家繁栄、北朝鮮人民の幸福を願った建国の父、金日成主席観世音菩薩が顕現する大欲は金正日総書記の手を経て金正恩氏に受け継がれんことを念願するものなり」〜こうゆうような願文を作って読んだわけでございますが、北朝鮮の仏教者であるところの仏教徒連盟の人たちは、私がこの金正日総書記千手観音像に込めた願いを理解していただきまして、非常に喜んでいただきました。
 また、正方山成仏寺の金日成主席観世音菩薩の前で執り行ないました供養におきましては、ここでも願文を読んだわけですけれども、この願文でこういうことを言ったんです〜(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2012/4/23 恵観塾(京都) 第一講話 時局及び訪朝報告 (36分) mp3/16.5MB
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2012/5/22
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
伏見工業高校ラグビー部総監督山口良治様
第二講話「十住心論」4回目 
行は非常に激しいもの
行は仏さまが一緒に居てくださる
本人の意思の力
こころはいつも変化
愚童持斎心
御仏のこころ
嬰童無畏住心
同行二人
孤独死
孤食
生きるというのは何か
十住心論は密教の教科書
   末期がんの方が私の寺で行をされることがよくあります。行は非常に激しいものでございますので、とても無理であろうと思われるのに、そういう方は一番苦しい場所に行って、それをやり遂げていかれるんですね。
 行は仏さまが一緒に居てくださるからだというだけではなくって、本人の意思の力が支えているんだろうと思います。こころの持ちようを変えたことによって力が涌いてくるのであります。こころの力は、奇跡を生むのであります。こころはいつも変化をしております。その変化をより良いものにするようにというふうに、お大師さまはこの十住心論を説いて言ってらっしゃるわけであります。
 仏さまが私たちを見守るこころというのは、親が子供に注ぐ愛と同じなんだと、そのようにお大師さまは言っておられます。私は、この十住心論の第二巻から第三巻へ進んで行きます時にいつもこの教えを思いだすんですけれども、第二巻は愚童持斎心(ぐどうじさいしん)、闇に迷っておった者が春雷のような衝撃を受けて、そして見えない、しかし硬い殻を破って中の身に自由が降り注いで行く、それまで見失っておった御仏のこころへの気づきが芽生えてくる。そんなこころのあり様を教えておりました。
 そして、第三巻は嬰童無畏住心の教えでございます。芽だ出て花が開いたこころを次の段階に昇らせたい。思えば闇に迷っているときも、殻の中から芽を出しているときも、仏さまはいつも一緒に居てくださるのであります。苦しめば、仏さまも一緒に苦しんで下さり、慈悲を感じれば慈悲を共に感じていらっしゃるのであります。
 お大師さまの同行二人というのは、仏さまがいつも一緒に居てくださるということであるわけでございます。それなのに本人は気づかないでおる。どうしたら気づくのか、お大師さまは道案内をしてくださるというわけであります。
 現代の言葉で言いますと、ナビゲーターやパートナーじゃないかなと思いますが、現代は「個」の文字が社会の影を大きくしております。「孤独」の言葉に「死」が付くところの悲しい最後がございます。
 この誰にも見取られないような死というのは、そこに至る歳月の寂しさを物語りまして、胸に突き刺さってまいります。孤食というのがございます。一人で豪華な食事をするよりも、粗食でもいいから、和気あいあいと頂くほうが心身の栄養になるのであります。
 まずは初心にかえって、生きるというのは何かということを考えて行こうじゃないかというのが、この第三巻の嬰童無畏住心の教えであるわけでございます。
 このお大師さまが書かれた十住心論は密教の教科書とも言うべきものであるわけでございますけれども、お大師さまが
若い時から学んで来られたところのアジアの哲学が、ここにいっぱい込められているのであります。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2012/5/22 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 4回目(71分) mp3/32.7MB
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2012/6/22
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
第二講話「十住心論」5回目 
ラジオも新聞もネットもみんな受身の情報ばかり
声聞
人の話はよく聞かなければいけません
物事というのは、確かめなければなりません
聞いただけで悟ったつもりになってはいけない
自分で動いてみることをなおざりにしてはならない
自分をしっかり持つ
物事をしっかり見る
体は永遠のものではない
生きとし生ける物はみんな仏性を持っている
   ラジオも新聞もネットも、みんな受身の情報ばかりであります。見たり聞いたりすることから学ぶことも多いんですけれども、これを仏教では声聞(しょうもん)と言っているんですね。教えを聞いて悟ったつもりになる状態が声聞です。人の話はよく聞かなければいけません。しかし、聞いたことだけで分かったつもりになってしまってはいけないよというふうにお大師さまは戒めていらっしゃるのであります。受身ではいけないということですね。声聞というのは、教えを聞く人のことであります。お釈迦さまが悟りを開かれて説法をなさった。そのお話しを聞いて仏さまの道を学ぶ人たちのことを声聞といったのであります。後には、一つの修行の段階に居る人たちのことをいうようになっていきます。
 お経を詠んで仏さまの教えを暮らしの中で体験して、修行していきますとその教えがどのようなものであるのかということを体得できるのであります。その教えを聞いたことによって一つの境地が開かれるのであります。
 耳学問とか、耳年増などという言葉もございますけれども、知っているつもりや、知ったかぶりでは、いつまでたっても本当のことが分からないというふうに、お大師さまはおっしゃって、この段階に留まってはいけないよというふうに教えていらっしゃるのであります。物事というのは、確かめなければなりません。最近のインターネット社会におきましては、誰でも情報を発信することが出来ますけれども、それが正しいかどうか分からないという妙な時代になってしまっておりますね。聞いただけで悟ったつもりになってはいけないというお大師さまの教えが、私の胸で重なってまいります。
 現代はとても便利な社会になっております。携帯電話の普及は私たちの生活を大きく変えてしまったのでありますが、確かに携帯電話を持って便利になっておりますけれども、足を運んだり、目で見て確かめたり、ということをしなくなってきているんですね。振込み詐欺が流行ました。これなんかは、そんな日本社会の一つの象徴でもあるわけですね。
 自分で動いてみることをなおざりにしてはならないということであります。それは自分をしっかり持つことであります。そのためには物事をしっかり見るということであるというふうにお大師さまは教えていらっしゃるのであります。この世の中に生きている私たちは、体を持って行動しているわけであります。生きとし生ける物はみんな同じでございます。しかし、その体は永遠のものではないのであります。いつかは滅びるものであるということを私たちは知っておかなければいけないということを教えておるのが、この第四巻目であります。
 この十住心論は、三巻までは世間の人、いわば普通に暮らしていらっしゃる人のこころのありようを説いているのでありますけれども、これからは仏教の教えに導かれて、悟りへの道を精進していくにはどうしたらいいかというもので、この第四巻は仏弟子入門編ともいえるものであろうと思います。お坊さんになる訳ではないから、そんな話しはいらないというふうに思われる方もおられるかも知れませんけれども、生きとし生ける物はみんな仏性を持っているのであります。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2012/6/22 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 5回目(65分) mp3/30.0MB

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2012/7/20
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話「十住心論」6回目
児玉神社宮司 山本白鳥様
第二講話 時局 
原因があって結果がある
抜業因種心
生命のルール
生命というのは何なのか
仏さまへの道は人生の道
光に満ちた世界
悟りの世界を得る
声聞
縁覚
愛別離苦
煩悩
静かな境地を得る

   原因があって結果がある。十住心論の第五巻は抜業因種心でございますが、これはそのような生命のルールについての話しがここでは書かれております。お大師さまのこの十住心論という本は、密教を教えているものではあるんですけれども、闇の中から光に触れて殻を破って、そして周囲へのこころ配りが芽生えてきて、そして生命というのは何なのかという大人の世界に入っていくわけであります。
 この仏さまへの道は人生の道であります。空っぽだったこころがついには光に満ちた世界へと到達する成長の道であるわけであります。一切の物事は因縁によって現れているということを体得いたしまして、おのれが持っているところの根源的な無知を取り除いて行く、そのようにして迷いの世界を払って、ただ一人で悟りの世界を得るこころの状態のことであります。
 第四巻目と、この第五巻とは小乗の教えであるというふうにお大師さまは言ってらっしゃいますが、小乗というのは小さな乗り物を意味しております。一人乗り、あるいは家族用として少し広げてもいいかと思いますけれども、自分とか自分の身内しか乗れないような小さな乗り物をイメージいたしますと分かりやすいんじゃないかなあと思います。第四巻の声聞は、教えを聞いて悟りの扉を開いた人のことでございました。
 この第五巻では縁覚(えんがく)と呼ばれる人のことであるわけでございますけれども、これはなにかの縁、きっかけによって悟りの扉を開く人のことでございます。いづれも仏さまの道を
歩き初めてある日、「あ〜これが悟りというものか」というふうに一つの境地を体験した人たちでございます。
 縁覚は声聞よりも一段階進んでおるわけでありますが、声聞では行動するようにというふうに教えたんですけれども、縁覚におきましてはただむやみに
動けばいいという訳ではないというふうに教える訳ですね。まずは行動しよう、動きましょう。しかし、がむしゃらに突き進んではいけませんよ、そういう教えであるわけであります。
 縁覚というのは、道理を承知して修行に入る者たちであります。しかし、縁覚が真実の救いとはならないのは何故なのか。縁覚の者は、お釈迦さまが説かれた愛別離苦を解脱するには、煩悩から離れることだというふうに、一人で俗世を離れて行に至って、静かな境地を得る人たちのことであります。お師匠さんを持たないで、一人で行に打ち込んで、苦行もして、やがて神通力を備えるようになります。しかし、それが大きな誤りにつながることがあるんだよということをお大師さまは厳しく戒めていらっしゃるのであります。
 現代社会におきましてもこのような人物は少なくないと思います。神通力ではありませんけれども努力、精進して成果を得て成功いたします。そして、自分は成功したと信じて、その世界に安住してしまう。そして誰にも邪魔をされたくないといって自分で世界を作って、そこで静かに暮らしている。そのまま人生の終焉を迎えることになるかもしれないわけであります
。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2012/7/20 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 6回目(66分) mp3/30.4MB
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2012/8/22
 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
兵庫医大新家理事長
第二講話「十住心論」7回目
大乗仏教の教え
他縁大乗心
他人を数うこころが、仏さまになれるこころ
利己への戒め
利他の教え
苦を苦とせずに生きていく
仏さんの前で煩悩をきれいさっぱり捨てる
仏さんのいろんな声がキャッチできる
   このお大師さまの十住心論第六巻から、いよいよ真言密教もその流れに入っている大乗仏教の教えに入るわけでございますけれども、大乗仏教の入門編であるのですが、お大師さまはここから一切の生命に対して計らいのない、愛のこころをおこす事によって、大いなる慈悲が初めて生じるんだよ、というふうに教えていらっしゃるのであります。大乗仏教の大乗というのは、この気持ちを表している言葉でございます。自分だけのことを考えているよりも、家族や恋人や友達、もっと広げていけば社会がより良くなることを願って毎日、毎日を過ごすほうが力が涌いてくるというわけであります。
 さて、このお大師さまの十住心論ですけれども、第六巻に入ります。他縁大乗心(たえんだいじょうしん)という、こころのありようをここでは説いております。この巻から大乗仏教の教えに入りますよ、というふうにお大師さまは言っておられます。
 闇の中から小さなともし火を見つけて、階段を登り始めた旅人が、いつのまにか半分より上まで来てしまっておる、晴天の日は何を見ても嬉しい気持ちで進めるのでありますけれども、雨の日とか、暑さとか、寒さの厳しい日は、大変でございます。ようやく階段を昇るコツを覚えて、スムーズにとんとんと上を目指せるようになってきた。ちょっと得意な気分になったところでございます。しかし、階段の下には、なかなか上に昇れない人たちも大勢いらっしゃいます。足が弱かったり、病気であったり、気持ちが塞いで力が出ない人たちが沢山いろのであります。
 どうしましょう。これを待ってあ@げますか。一人でさっさと先に進んでしまったらいいでしょうか。それではもっと上には行けないんだよ、というふうにお大師さまは諭していらっしゃいます。
 他人を数うこころが、仏さまになれるこころであります。第六巻の他縁大乗心は、正にこの利己への戒め、利他の教えでございます。苦を苦とせずに生きていく、その生き方を導いて下さったのが、お大師さまでございます。
 苦しんでいらっしゃる人を救うための行は、小事を超えた本当の生命を感じ取るためのものであります。仏さんの前で煩悩をきれいさっぱり捨てて、この上なく素直になっていく。それによって受信機が清らかになって、仏さんのいろんな声がキャッチできるようになる。
 確かに私の亡くなった母を見ておりますと、自分のそうした能力を欲とか虚名のために使ったことは、一度も無かったと思っております。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2012/8/22 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 7回目(58分) mp3/26.8MB
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2012/9/21
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
京都市議会議員 小林正明先生

第二講話「十住心論」8回目
宇宙のエネルギー
人間はエネルギー
煩悩がそのまま菩提
苦しみから逃れたい
安心の境地に至る道
自由になってせいせいする
自分のこころの持ちよう
苦の本当の姿
人間はエネルギー

色即是空
空というのは形の無いもの 
   生命はこの世だけに存在するものではありませんから、この世という宿にあるものは永遠ではないのであります。形あるものは実在するものではないけれども、無ではないんですね。人間の形をさせているもの、言葉であえて言い表しますと宇宙のエネルギーというふうに私は仮に呼んでいるわけですが、より良く生きたいと思いましたときに人間の形にとらわれておってはどうしても壁にぶつかってしまいます。
 人間はエネルギーなんだ、そのように考えてこれをもとに生きていく指針を考えていけば、もっと楽になるんじゃないでしょうか。生死、迷いがそのまま大いなる安らぎである。生死と書いて迷い、そういうふうに読ましていらっしゃるお大師さまの言葉です。
 煩悩がそのまま菩提だなんてとんでもないことであると、苦しみから逃れたいからこうして安心の境地に至る道を聞きたいんじゃないか、そのように言われる方も、もう一度考えてみていただきたいと思いますが、いつもこうだこうだというふうに思ってやっている仕事、あるいは家族、これがなにもかもなくなったとしたらどうでしょうか。それこそ自由になってせいせいするというふうにお考えでしょうか。決してそうではないと思います。
 苦という形になって現れてくる現象は、あくまでも自分のこころの持ちようを自分に教えてくれている仮のものであります。
 苦の本当の姿、真理というものは自分が苦と感じているこころであります。それでは気持ちだけを切り替えれば苦が無くなるのか。そういうふうに言いますと、それだけではないんですね。
 人間はエネルギーでありますから、苦を無くすのは自分のエネルギーのなかで苦を感じさせる波動を楽に換える事が必要であるわけであります。
 この第七巻でお大師さまが説いていらっしゃるのは、空、色即是空という空でございます。これを説いております。色というのは、つまりは有形のもの、形あるものですね。
 空というのは形の無いものですね。実はどちらも同じことである。形を捉えて見れば形は見えますけれども、形にこだわらずに見ていきますと中身がよく分かります。形があっても無くっても生命は同じものであるわけであります。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)             


2012/9/21 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 8回目(58分) mp3/31.2MB

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2012/10/22 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
元毎日新聞記者 村上清司様

第二講話「十住心論」9回目 
迷悟我れに在れば、発心すれば、即ち到る
明暗他にあらざれば信修すればたちまちに証す
般若心経秘鍵
迷いも悟りも我がこころの働き
迷うというのは自分のこころである
執着しないということが三毒の戒め
   「迷悟我れに在れば、発心すれば、即ち到る。明暗他にあらざれば信修すればたちまちに証す」、これは般若心経秘鍵という本の中でお大師さまが説かれた言葉なんです。迷いも悟りも我がこころの働きである。この道理を信じて御仏に帰依するこころを起こせばすみやかに悟りに至ることが出来るんだ。あきらかな知恵も暗い煩悩の迷いも自分のこころを離れて他にあるわけじゃないんだ。だから法を信じて、教えのとおりに修行をしていけば、たちまちに仏の果報を我が物とすることが出来るようになる。そのようにお大師さまは言っていらっしゃる。
 現代は若者ばかりではありません。政治家も経済人も社会そのものが迷っておるというふうに皆さんも思われるんじゃないでしょうか。迷って、迷って、しかし何に迷っているのかさえも分からなくなっておると思います。迷うのは自分が何処にいるか分からなくなるからであります。英語では「道を失った」というふうに表現いたします。インドのヒンズー語は「無くなった」というニュアンスの言葉で迷うことを表現するんだそうでございますけれども、日本語でも「方向を失う」という表現をいたします。
 仏さまは私たちの毎日、毎日の風景にあらゆるメッセージを描いてくださるんですけれども、これを読み違いますと薬になるはずのものが毒になってしまったりします。だから、よくよく迷っていい道を選びなさいよというような教えじゃないかなというふうに思うんですね。
 学校へ行きたくない、しかし学校へ行きたい気持ちもその子にはあるはずです。その片隅に小さくなっている気持ちのことも考えて迷ったらどうですか。お大師さまはそのように教えていらっしゃるんですね。迷うというのは自分のこころであります。菩薩とは、菩薩と書いて悟りと読ましてます、この悟りとは何かといえばありのままに自らのこころを知ることである。これは大日如来の言葉でございますけれども、正しい悟りというのは、誰もこれが悟りだというふうに手にとって見せることも出来なければ、自分の言葉で説明することも出来ない形が無いものであります。    こころというのは体の中にあるものでもないし、体の外にもその中間にもあるものでもない。そのように教えは続けていっておりますが、執着しないということが三毒の戒めであって、それが無畏の十住であるというわけであります(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2012/10/22 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 9回目(68分) mp3/31.1MB

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2012/11/21
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師松本明慶先生

第二講話「十住心論」10回目 
悟りのこころ
因幡の白兎
見えないものには不思議な力がある
生きとし生けるものに生命がある
極無自性住心
永遠の生命である霊が肉体に宿っている
真言の表現は無限
   もともと宗教というのは人間があって成り立つものであります。生きとし生けるものに生命があるということは人間がそう考えるからであるという言い方も出来るわけであります。人間そのものを否定したんでは宗教は成り立たないのであります。
 性というものが人間の根源的なものであるならば、これを否定したんでは教えが成り立たないのであります。男女の性というものは愛憎の元にもなります。苦しみの元にもなる訳でありますけれども、人間賛歌の源でもあるわけであります。男だけ、女だけの世界、あるいは性を否定した観念では人間を理解出来ないのであります。
 対立したり敵対するのはこころが狭いからである訳であります。他の人の考えとか感情を受け止められないから、受け入れられないから対立する訳であります。自分を守ろうとしてこころを閉ざしたり、相手を攻撃したりするという訳であります。本当のこころというのは、異なったものを受け入れる無限の大きさがあるんだというふうにお大師さまは教えていらっしゃるんだというふうに私はこの極無自性住心を見て、そのように捉えておるわけであります。
 お経を詠んだり聞いたりするだけでどうして功徳があるのか。そうゆうふうに不思議に思う方もいらっしゃると思いますが、前にもお話ししたことと思いますけれども、人間が発するところの音そのものが霊力の表れであるわけであります。それが秘密の教えであり、また真言であるわけであります。
 人間というのはただ肉体があるだけの存在ではなくて、永遠の生命である霊が仮にこの肉体に宿っているわけであります。現代医学で体のしくみがミクロで世界まで分かってきますと、それだけではどうしても解けない働きがあることも分かってきたのでございます。この真言が私たちの体にどんな働きをしているのか。これまでのところでは解明されておりませんけれども、脳細胞とか遺伝子のジャンルの研究によって、これもまた科学的に証明される日が来るんじゃないかなというふうに私は思っておるところであります。
 真言の表現というのは無限にあります。そのようにお大師さまは言っておられます。しかし、その根源を辿っていきますと(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)            

2012/11/21 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 10回目(59分) mp3/27.0MB

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2012/12/19 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都 
第一講話 時局
小林正明京都市会議員

第二講話「十住心論」最終回
超能力 加持祈祷
オウム事件
正統密教の教えの真髄
人間には無限の能力が備わっている

生命を磨く
三密修行 身口意

大脳運動野
神経細胞の働きを活発にさせる
脳細胞を活性化 
   行者は行という使命を全力で果たします。それぞれの人が、それぞれの使命に全力で尽していくことこそが祈りの原点であるというわけであります。この超能力とか加持祈祷については何の根拠もないから信じられないことだ、という人もたくさんいらっしゃると思います。あるいはこのような非科学的なことを語っておったんでは、オウム事件のようなことが起きてしまうんだというふうなことを言って危惧される方もいらっしゃるんじゃないかなと思います。
 今、そのような時期であるからこそ、私はお大師さまが伝えられた正統密教の教えの真髄をきちんと伝えておかなければいけないというふうに思っているのであります。超能力と言うからおかしなことになるわけでございますけれども、私たち人間にはもともと無限の能力が備わっているということを良く分かっていただかなくてはいけないと思います。手を当てたら病気が治った、祈り続けたら悩み事が解消した。そういう事実は私たちの能力の中から生まれたものでございまして、不思議な異様なことではないという認識をもっとたくさんの人たちが持って下さったらいいのになというふうに私は思っているのであります。
 誰もが持っているこの能力をどのように開発していくのか。生命を磨くんですから、これを粗末にしていたんではけして能力は高まらないのであります。誰かが自分の能力を高めてくれるんだというに思っている内は、決して本当の生命の手ごたえを知ることは出来ないのであります。体を動かし、考え、こころを動かして初めて生命は輝くのであります。本当の密教の修行というのは三密修行に始まって、これにつきるというわけであります。すべては自らの身口意、体とこころと言葉、三密修行の奥義を極めることが生命を知ることになるというわけであります。身、体力をつける、口、思考を正しくする、意、こころを正しく保つこと。この三つのバランスが取れてこそ生命は全うされるというわけであります。つまりは、肉体を動かしますとインパルス、電流が発生して大脳の運動野に伝わっていってニューロン、神経細胞の働きを活発にさせるという体の仕組みがあるわけでありますけれども、これによって脳に血液が多量に送り込まれて行くというわけであります。行は体を極限まで使うことによって、脳細胞を活性化させるのであります。私たち行者が厳しい行を続けていきますと(ホテルグランヴィア京都 竹取の間)


2012/12/19 恵観塾(京都) 第二講話 十住心論 最終回(65分) mp3/30.1MB

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