恵観塾   京 都 2014年 Ekanjuku 2014 Kyoto - Shin Kukaiden           HOME

新・空海伝

2014/2/20 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話
衆議院議員 竹本直一先生
第二講話「新・空海伝」1回目
真言宗の開祖
密号は遍照金剛
醍醐天皇
弘法大師
多度郡屏風ケ浦
善通寺
子供は皆、宇宙の宝
こころの再生
元明天皇
桓武天皇
不空三蔵
中国密教発祥の地、大興善寺

   来年が弘法大師さまが高野山を開かれてから1200年になります。4月の2日から50日間大法要があるわけでございます。お大師さまがどういう気持ちで高野山を開かれたか、また国民に対してどうゆうような気持ちでいらっしゃったか、政治がどうだったか、いろんなことを空海にまつわる話を1年間していきたいと思います。
 お大師さまは日本の巨人でございます。真言宗の開祖というだけではなくて、留学された唐から当時の世界最新の科学文化を持ち帰ってこられまして、これを日本に根付かせられたわけでございます。土木建築とか法学からいろは唄、また五十音、詩歌、書などいろいろ今に至るまで日本文化の土台を成しているものが数多くありまして、お大師さまによって唐から引用されたのがいっぱいあるわけですね。
 日本史上に朝廷から大師号を賜った高僧が24人いらっしゃいます。密号を遍照金剛とする空海は延喜21年(921年)に醍醐天皇から弘法大師という諡号を頂かれたわけでございます。「大師は弘法に取られた」と言われておりますけれとも、今日に至るまで日本中からたくさんの信仰を集めて、また敬慕の念と親しみを込めてお大師さまというふうに言われております。
 お大師さまというのは24人いらっしゃるんです。空海に取られたというくらい、お大師さまといったら弘法大師というぐらいになっております。空海という名前の通り、その道はあまりにも広大で深く、どこまで辿れるだろうかという思いではございますけれども、短きつるべの水を汲んで井戸が枯れたと思ったり、指で塩を測ってこの海の底に届いたと考えたりしてはいけないというお大師さまの教えを戒めとしながら、奥深いご生涯の一端に足を踏み入れて、皆様と共にお大師さまに触れてみたいというふうに願っておるところでございます。
 今は昔、瀬戸内海を望む讃岐の国、多度郡(たどのこおり)屏風ケ浦(びょうぶがうら)という景勝の地に一人の男子が誕生いたしました。讃岐平野の西の端ののどかな田舎地帯にある館にあがった産声の主が後の空海、弘法大師、お大師さまでございますが、西暦774年、今から1232年前の6月15日のことでございます。生誕の地というのは現在の善通寺市にある善通寺の境内と言われております。善通寺というのはお大師さまが建立したと伝えられている寺ですね。この地はお父様の佐伯田公(さえきのたぎみ)から寄進を受けられた。善通という寺の名前はお父様の法名であるわけですね。(ホテルグランヴィア京都 源氏の間)


2014/2/20 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 1回目(57分) mp3/26.3MB
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2014/3/19 
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
小野田順亮先生
第二講話「新・空海伝」2回目
四書五経
三密修行
身・口・意
般若心経
若心経秘鍵
恵果阿闍梨
儒教は考える修行
道教は体を動かす修行
仏教は深層心理を動かす修行
お加持
行をすれば直る

   儒教では人を救うことは出来ない、それが若きお大師さまが儒教を学んで知られたことでもあったんだろうと思います。お大師さまのように若くして四書五経に精通するほど学んでいるかどうか別にして、知識を詰め込むだけの教育ではこころを満たすことは出来ない。ただお大師さまは儒教の教えを否定していらっしゃるわけではないんですね。後にご自身で学校を作ろうとされたときにも総合的な教育を目指しておられますから、知識を広く持つということは人間形成の上で大いに役立つことであるというふうに考えておられたと思います。こうして若いときに学んだことがみな御仏の道に通じているんだということを体験から分かっておられたんだろうと思います。これは今も同じ事でございまして、人間の成長には社会のルールを知る儒教の教えとか、自然と人間の関係を体得する道教の教えというのは皆、栄養となるものばかりであります。
 お大師さまがこうして身に着けていた学問とか語学、文章力といったものは唐へお大師さまが留学されたときにすべてこれらが活きたんですね。与えられた環境の中でそこにあるものを全身全霊で吸収していくということは、すべてを包み込む密教の教えでございますから、お大師さまは学ぶ前からそのことを実践しておられたわけでございます。お大師さまは小さい頃から大変信仰心に厚い、また優しい人柄であったというふうに伝えられます。穏やかで、また産物に恵まれた風土の中でお生まれになって、親の愛情をたっぷり受けて育たれたお大師さまが、いきなり奈良の都で出世や権力闘争が繰り広げられてる世界を見せられたわけでございますから、多感な少年のこころに学問イコール出世と考えられていた都で学んでいく生活を疑問に思ってこられたんだろうというふうに思います。
 現代は格差社会だと言われますけれども、古代の格差はそれどころではなかったと思います。貴族はりっぱな館で暮らしておりますけれども、庶民は掘っ立て小屋のような粗末な家とか、縦穴住居で貧しく暮らしておったのです。都を歩きますとそのような庶民の生活もよく知ることになるわけですが、現代の若者が海外に出かけて、あるいは災害の被災地でボランティア活動をいたしますのも、知識だけの教育では満足しないこころの叫びがあるからなんだというふうに私は考えておるんですが、とにかく世の中には「あの人は専門の学問を学ばなかったから」とか「一流大学で出ていないから知るはずもない」というふうに決め付けてしまう人たちもおられます。そのような決め付けが社会のそこここに壁を作って真理に至る道を塞いでしまうのであります。ところがこの壁を思い切り越えてしまうとそこに真理が見つかることがあるのであります。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2014/3/19 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 2回目(63分) mp3/28.8MB
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2014/4/21
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講 時局
小林正明先生
第二講話「新・空海伝」3回目
雑密
清純密教
大日経
神秘体験
勤操大徳
三論宗
遣唐使
学問僧
留学僧
阿刀大足
天台密教
最澄
伝教大師
   日本に渡って来た仏教は密教以前の教えであったわけです。密教も入ってきておったようですけれども雑密と呼ばれておりまして、後にお大師さまが正統を継がれて、清純密教と言います、それをお大師さまは持って帰られる。最近ではこの雑密も決して断片的に入ってきたんじゃないという説も出てきております。お大師さまは大日経についてもっともっと深く知りたいという願いが、そういう気持ちが強くなっていくのですね。
 山野で修行しているときに神秘体験をいっぱいされました。こういうことはいったいどのようなことから現れるのか。明星が口の中に飛び込んで来たという衝撃は、お大師さまの新たな知性と感性を生み出したんだと思いますが、お大師さまには生まれ変わったというほどの変化が起きたんだろうと私は思っているわけでございます。その衝撃で開かれた道にこの大日経が出てきた。そして大日経が次の扉を開いたというわけであります。
 唐へ行けばこれを教えてくれる先生がいるだろうということでお大師さまは唐へ渡る決心をなさるわけですね。このころのお師匠さんと言いますと恐らく勤操大徳(ごんそうだいとく)だったと思います。このお師匠さんは当時の都にあって三論宗では唯一の知識を持っていらっしゃる大徳であったわけです。
 三論の経典は梵字が多くて難解であったのですが、それを読破していた勤操大徳でさえもこの大日経を読み解くことが出来なかったようであります。この時の中国の唐は世界帝国であったわけであります。
 お大師さまは日本に一部しか伝わっていなかったこの経典に、密教に真実の教えがあるということを確信されまして、留学を決意されるわけでございます。そして遣唐使に随行していく学問僧になれば行けるということで、たくさんの力が動いたんだろうと思います、お大師さまは正式な留学僧として認められて中国に渡られることになりました。恐らくはおじさんの阿刀大足とか勤操大徳なんかが運動なさって行かれるようになったんじゃないかなと思います。生家の佐伯の財力もお大師さまの留学を支えたと思います。留学には莫大な費用がかかったわけでありますから、支援者は他にもおられたんだと思います。30歳になっていらっしゃったお大師さまは留学僧として20年間を唐で学んで帰ってきなさいという許可を受けるわけですね。
 同じ時に唐に天台の密教を学びに行くことになった最澄、伝教大師がおりました。日本での地位も確立しておりましたので、この最澄には通訳も付いて1年の後には遣唐使とともに帰国するということも決まっている請益僧であったのです。この時、最澄38歳。久米寺から唐への旅までの8年間、お大師さまの足跡が消えております。この時期にお大師さまは(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2014/4/21 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 3回目 (64分) mp3/29.6MB
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2014/5/21
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講 時局
小野田順亮先生
第二講話「新・空海伝」4回目 
密教の正統
恵果阿闍梨
空海僧都伝
清浄心院住職
密教の正統
恵果阿闍梨
国家を守るべき秘法が密教
空海僧都伝
観世音寺御斎会
定額僧
後七日御修法
三密加持
三密瑜伽の秘法
   お大師さまは20年という長い年月を予定していかれたんですけれども僅か2年ほどで帰国なさいました。密教の正統、つまりは正しい後継者として秘伝のすべてを恵果阿闍梨から伝授されたお大師さまに教えのすべてを日本に持ち帰って伝えなさい、国家に密教の教えを捧げなさい、天下に広めて民の幸せとなるように活かしなさいというふうにお師匠さんの恵果阿闍梨はお大師さまにおっしゃたんですね。
 国家を守るべき秘法は唐が崩壊するときにはすでに日本に運ばれていたのであります。
私は人と人との出会い、また師と弟子との縁を想いまして、知恵が川のように人から人へと受け継がれていく。その人間が織り成す歴史の組み合わせに感動しております。
 お大師さまが帰国された日本もまた歴史の荒波に国家が大揺れになっていた時でございます。大同二年を以って我上国に帰る。空海僧都伝(くうかいそうずでん)に記してあります。日本へ帰ってきたのは前年の10月でございます。九州の筑紫(つくし)、現在の福岡県に帰ってこられたわけですね。
 お大師さまが同道された遣唐使一行の船は帰るときも嵐に見舞われたわけでございますけれども、お大師さまの一心の祈りで無事に乗り切って帰ってこられたわけでございました。しかし、お大師さまを待ち受けていたのは驚くような政変の知らせであったのであります。
 大同元年、西暦807年3月17日に桓武天皇(かんむてんのう)が崩御なさって平城天皇が即位していらっしゃいました。お大師さまは京の都へは向かわれずに、大宰府の観世音寺に入られます。お大師さまは持ち帰ってこられた仏像とか曼荼羅、経典、法具を整理してまとめていかれるわけですね。一説には留学期間を切り上げて帰ってこられたために、罪に問われて都に帰ることが出来なかったという説もありますけれども、記録はありません。恐らくは新しい天皇に代替わりして朝廷が落ち着いていなかったことが大きな原因だったんじゃないかなというふうに思います。政情が安定していなかったために帰京するようにというご沙汰が下りるまでに時間がかかったというわけであります。
 同じように空海僧都伝には
四朝を経てという言葉が載っております。四代の天皇に仕えたということですね。平安時代の始まりの天皇とともにお大師さまは密教を日本に広められて、仏教の土台を固められ平安という安定した時代のこころを守られたのであります。お大師さまはようやく京に上られます。朝廷に帰朝の報告をされることになられます。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2014/5/21 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 4回目 (51分) mp3/23.5MB
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2014/6/23
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
大仏師松本明慶先生
第二講話「新・空海伝」5回目 
長安の賜物
曼荼羅

恵果阿闍梨
高野雑筆集
足跡が四国遍路の札所

高野聖
即身成仏の教え
密教という新しい教え
王羲之の筆法

百万枚護摩行
   来年が空海、お大師さまが高野山を開かれて1200年になりますので、お大師さまのことを知っていただけたらと思って、この新・空海伝で話さしていただいておりますが、今回で5回目でございます。
 お大師さまが日本に中国から持ち帰られたのは密教だけではなかったんですね。唐帝国に集まっていた世界の文化を吸収されておられたわけでございます。それらを私は「長安の賜物」というふうに呼んでおります。しかし、中心は何と言ってもおびただしい経典とか曼荼羅、仏像、法具などであります。お大師さまは唐に向かわれた時には20年間滞在して勉強してくる予定でたくさんのお金も持っていかれたわけです。曼荼羅とか法具とか作ったり、あるいは経典の書写することにお金を惜しげなく使われたんだろうと思いますね。更にお師匠さんの恵果阿闍梨から頂かれたものもあるわけでございます。
 お大師さまは唐から沢山の経典を持って帰られたわけですね。それらを書き写して広めたいと考えられるのですが、なかなかはかどらなかったようです。地方の寺に写経を依頼する手紙がいくつも残っております。このままでは風前の灯が吹き消されるように、新しく伝えた真言の教えもはかなく消え去ってしまいかねない。こういうふうに高野雑筆集に書いてあります。
 大宰府でのお大師さまの状況は分っていない謎の3年間になります。いろんな推測がなされます。この時期に故郷の讃岐に帰られたんじゃないか、四国の各地を歩かれてその足跡が四国遍路の札所なったんじゃないかなという説もあるわけであります。各地にお大師さまの伝説が残っておりますけれども、この時期のものであったのか、その後のものであるのか、あるいは後世の高野聖の活動が重なっているのかも分らないところであります。ただ、日本列島の津々浦々にお大師さまの伝説があるということ。それによってお大師さまの教えが今も息づいていることは確かなことであるわけでございます。
 お大師さまは密教領布の
勅許を得て大同2年11月8日に真言密教の教えを広める第一声として大和の国の久米寺で大日経の教えを講義されたのであります。お大師さまの即身成仏の教えは旧来の仏教界に非常に衝撃を与えたのであります。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2014/6/23 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 5回目(58分) mp3/26.7MB

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2014/7/22
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
小野田順亮先生
第二講話「新・空海伝」6回 
密教は仏教とは違うのか
大乗仏教と上座仏教
彼岸
護摩法
大日経
金剛乗経
大日如来は生命の根源
不動明王
宇宙物理学
近代哲学
即身成仏
密教はイメージの教え
真言
既成宗教
   密教は仏教とは違うのかという質問を受けることがございます。これは違うのではなくて、密教は仏教の大きな柱の一つであるわけでございます。
 仏教は大きく分けまして大乗仏教と上座仏教とに分かれるわけでございます。上座仏教というのは、かつては小乗仏教というふうに呼ばれていたものでございます。
 大に対して小というのは蔑称になるということで最近では小乗仏教というようなことを使っていないですね。乗というのは乗り物の意味でございまして、自分一人を乗せる小さな乗り物で彼岸に渡るのではなくて、大勢の人を乗せて一緒に彼岸に行き着きましょうというのが大乗の教えでございます。
 密教は2世紀の後半にインドで生まれた教えでございます。お釈迦さまが仏教を開いてから700年ほどが経っていました。密教が興った当時のインドでは自分自身の悟りを開くことを追求していくことよりも、多くの人々を救済していくことに重点を置く大乗仏教が盛んになっておりました。
 3世紀頃には祈りの修法であります護摩法ができました。4世紀には諸仏の供養法ができました。そして、次第にいろんな儀式、作法を説く教典なんかが現れるのでありますが、7世紀から8世紀にかけて大日経と金剛乗経という経典が登場いたしまして、密教は集大成されたというふうにされているのであります。
 以後、密教はほかの大乗仏教とは異なった発展を遂げていくわけでございます。特に大日経は大日如来を生命の根源として説いておりまして、現代に至る密教の基本となっているのでございます。
 密教という言葉の響きに何やら秘密めいたものを感じる人がいらっしゃると思います。あるいは護摩とか加持とかといった修法に古めかしい印象を抱かれる人もおられるんじゃないかなと思います。
 確かに禅宗と比べますときらびやかであったり、不動明王なんかの仏像の怖い形相に恐れをなしたというような感想を語られた方もいらっしゃいます。この密教というのは日本だけではなく、例えばチベットやモンゴルなどでも今も信仰されているのでございますが、そうした国々の色彩鮮やかな仏画なんかが密教のイメージにつながっているのかも知れないというふうに思います。しかし、近年は密教が宇宙と人間の生命について現代に通じる教えを説いていたということが分ってきまして、心理学とか宇宙物理学とか近代哲学の面からもこれが見直されて来ているのでございます。東洋文化の集大成だというふうに言われてもおります。西洋文明はトーナメント、東洋文明はリーグ方式だというふうに表現された方もいらっしゃいます。あるいは方や分類の文化であり、方や混沌の文化であるとも言われております。(ホテルグランヴィア京都 古今の間)

2014/7/22 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 6回目(57分) mp3/26.3MB
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2014/8/21
恵 観 塾
ホテルグランヴィア京都
第一講話 時局
小野田順亮先生
第二講話「新・空海伝」7回目
廿日大師
御遺告
西暦835年お大師さま入定
奥の院
丹生 丹 辰砂 丹砂 朱砂
丹生明神
水銀技術者集団
びわの葉療法
総本山金剛峰寺
高野山開創1200年記念大法要
御影堂 不動堂 三鈷の松
南山の犬飼い
高野明神
丹生一族
   今から1200年前にお大師さまは嵯峨天皇に願い出られまして高野山を頂かれました。そして真言密教の総本山金剛峰寺を開かれたわけでございます。お大師さまは密教は理論を学ぶだけでは理解できないものだし、その功徳を施すこともできないということをよく言ってらっしゃいます。後に続いている私たちが密教の本質を理解するためには、毎日毎日の厳しい行が欠かせないわけでございます。お大師さまはそのようにお考えになって密教の修行の場を作るために広大な深山幽谷の地、高野山を朝廷から譲り受けられたわけでございます。
 平成27年4月2日から5月21日まで、50日間、金剛峰寺において高野山開創1200年記念大法要が執り行われます。全山をあげて今準備をしているところでございます。その基本理念に真言行者としての修行を重視することを、お大師さまの原点に立ち返って、しっかりと心に据えていかなくてはいけないと願っているところでございます。
 金剛峰寺はお大師さまが曼荼羅の思想に基づいて創建された密教伽藍の総称でございまして、奥の院と並んで高野山の二大聖地とされているところでございます。本堂は高野山全体の本堂でございまして、高野山での主な宗教行事が執り行われております。他に大塔とか御影堂また不動堂などが境内に立ち並んでおります。この御影堂ということろで、この26日から私は行をするわけでございます。お大師さまの伝説の一つであります三鈷の松もここにございます。
 お大師さまが深山に修行場を作ろうと決意なさって紀伊の国の海辺から山を目指そうとして歩いていらっしゃいました。生まれ故郷の四国をくまなく歩いてみられたようでございますけれども「ここだ」と思う場所に巡り遇われなかったようでございます。紀州もまた若き日に修行のために歩かれた山々であったわけですね。
 「たしかあの峰の奥に平らな地があったな」というふうに思い出されて、そこへもう一度行ってみたいなとお大師さまは思われたんだろうと思います。そして山に分け入ってみますと白と黒と二匹の犬を連れた猟師がお大師さまの後になり先になりして歩いておられます。たくましい体格をしていらっしゃって、どこか優しさを秘めた品格を備えている猟師と出会ったんです。その猟師がお大師さまに尋ねました。「あなたは霊山を探していらっしゃるんですか」とお大師さまに言われるんですね。「その通りですよ」とお大師さまがお答えになるとその猟師は「南山の犬飼い」と呼ばれている者であると自分のことをおっしゃって白雲たなびく峰を指差して「あの高野の原があなたが探していらっしゃる土地であるんじゃないだろか」というふうにおっしゃるんですね。そのように言われて二匹の犬を案内役として貸して下さったようでございます。峰の麓に着いたところで日はとっぷりと暮れてあばら家に明かりが燈っているのを頼りにして一夜の宿を頼まれました。そこには...(ホテルグランヴィア京都 古今の間)


2014/8/21 恵観塾(京都) 第二講話 「新・空海伝」 7回目(60分) mp3/27.7MB
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