池口恵観勉強会   東 京 2005年 Ikeguchi Ekan Benkyokai Tokyo 2005    HOME  
 
霊と真摯に向きあって

 
 
2005/6/21
第68回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
サルキソフ先生
第二講話「霊と真摯に向きあって」国家護持について
国家護持
平和の尊さ
オレオレ詐欺
人はなぜこうして争うのか
幻によって判断を誤るこころ
唐から持ち帰られた密教

国家の安泰を祈る
国家と個人の幸せは切り離すことが出来ない
性霊集
国家のために祈る
   きょうは国家護持について聞いていただきたいと思います。一つの戦争が終わったかと思えば、また世界の何処かで火の手が上がっておる。この戦争の世紀と言われました20世紀が終わりまして、21世紀に入りましてもう5年になるわけでありますけれども、世界各地では、今なおまだ紛争が続いておる状態であります。日本は戦後60年の長きに渡りまして、戦争をしないですんで来たわけでございますけれども、それがどれほど価値のあるものであるか、昨今の国際情勢を思います時に平和の尊さをしみじみと感ずるわけでございます。
 人はなぜこうして争うのかなということですけども、仏さまとしての生命のままであれば、争いは起きないわけであります。争いが起こるというのは、その仏性を覆い隠しておるところの、こころの雲にその歪んだ考えが映し出されて、その幻を信じて盲動するからだろうというふうに思います。
 砂漠を旅してしている人を悩ませたのが、蜃気楼でございました。あるいは海にも、幻の町が見えたりして漁民を惑わすこともございます。古来こうした幻を自ら作り出して、人々を迷わすといったような術を持つ人々がおったわけであります。眼には見えないけれども声で騙されて、そして大金を銀行口座に振り込んでしまうといったようなものもあります。オレオレ詐欺といったような、思い込みを利用した現代の現実があろうかと思います。
 霊というものは、そのような幻のものではないわけですね。眼には見えないけれども、確かに存在するものであります。人の強い思い、念として集まった宇宙のエネルギーを悪用して、そして呪詛をするものがいるということを、私は前の、前の時にお話しいたしました。そして、この呪詛を解くには、その原理を知らないといけないということをお話ししたと思います。
 霊ではない、幻によって判断を誤るようなこころが、実は争いの元になるのであります。戦争というのは、ひとのこころから生ずるのが戦争でございます。国と国との不信とか、不安といったものが大きくなっていって、どうにもならないときに戦いの火蓋が切られる訳であります。
 お大師さまが唐から持ち帰られた密教は国家の安泰を祈るところに、その一つの特徴があるわけでございます。お釈迦さまの頃の仏教は、国家よりも個人のこころの救いを説いたわけでございました。しかし、人間が社会を作って生きている動物である限り、国家と個人の幸せは切り離すことが出来ないわけであります。この国家を守り、悟りの境地を明らかにするようにと、お大師さまは性霊集に書いていらっしゃいます。
 国家のために祈るので、民のこころを後回しにしてしまうんじゃないかという声もあるわけでございますけれども、そうゆうものじゃないんですね。国が安泰であれば、民は幸せに生きられるということをお大師さまは知っておいでであったわけでございます。( ホテルニューオータニ 彩雲の間)

2005/6/21 第68回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 国家護持(62分) mp3/30.7MB
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2005/7/29
第69回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
フルート演奏
第二講話「霊と真摯に向きあって」6回目求聞持法について
最福寺
求聞持法
プリマコフ元首相
護摩行
ソ連邦解体
エリツィン政権
湾岸戦争
愛知万博
小泉総理
護摩木
日ロ友好親善
世界平和
八千枚護摩行
密教の秘法
空海、弘法大師、お大師さま
神秘体験の原点
虚空蔵菩薩求聞持法
真言を百万遍唱える
宇宙に遍満している知恵
 
   霊と真摯に向きあって、霊という話しの6回目でございます。きょうは求聞持法(ぐもんじほう)ということでお話しを聞いて頂きたいと思います。南国の鹿児島の春の一日に、最福寺は嬉しい客人の訪れがございました。先程もちょっと申し上げましたけれども、ロシアのプリマコフ元首相が訪日なさって私の寺、最福寺を訪問して頂いたばかりか、護摩行に参加なさったのであります。平成17年3月30日のことでございました。プリマコフさんと親しく呼ばせて頂いておりますけれども、私がロシアを訪れる度に親交を重ねて来た政治家でございます。
 ロシアは世紀末の冷戦終結以来、変革の嵐が吹き荒れました。ソ連邦が解体いたしまして新生ロシアに生まれ変わったのでございます。このプリマコフさんは、エリツィン政権で、外務大臣から首相を務められました。一歩間違えれば、世界の大国が崩壊しかねないといった危機を乗り切った方でございます。更には、湾岸戦争の時とイラク戦争直前にロシアの特使として当時のフセイン、イラク大統領と会談をされた、世界の実力者でもございます。このプリマコフさんは知日派としても知られておりまして、この程は愛知万博を視察して、また小泉総理とも会談をされました。また、いろいろな立場の要人たちとも対談をされました。恐らくはプーチン大統領の来日などの重要事業の交渉の密使の役割もおありであったんじゃないかなというふうに推測いたしました。しかし、鹿児島にお出でのプリマコフさんはいつもの笑顔でございました。
 実は、訪日の本当の目的というのは、私の行であります護摩行に参加することが一番だったんだというふうにおっしゃっておられました。それまで私は、この行についてプリマコフさんにお話しをするということはあったんですけれども、この護摩行が、どうゆうものであるのかといったことを自分のこの眼で見てみたい、また自分も「恵観さんがやってる行というのを体験してみたい」、というふうにずっと思っていらっしゃたんだそうであります。
 この日、護摩壇の私の横に座って、1時間40分の護摩行をしっかりなさったわけでございます。護摩木を2,500本位炊き上げましたので、その間プリマコフさんは微動だにしなくって、最後に日ロ友好親善とか、世界平和と、ロシア語で書いた2枚の護摩木をご自分で炎の中に投じていらっしゃいました。さぞお疲れになっただろうというふうに思いましたけれども、終わりましたら「打てば響く勢いで大変感動した」、そういうふうにおしゃったのであります。私の方も、さすがに大物政治家だけあって、粘り強い方であるなと改めて感動したことを伝えたようなしだいでございました。社会主義のソ連邦では、宗教は弾圧の対象になったわけでございますけれども、こうして護摩行にロシアの指導者をお迎えできる時代になったんだなあというふうに私は感無量でございました。
 私が請願とする、世界平和への道を開いてくださる仏さまのお計らいであるというふうに感謝しているところでございます。
 さて、今回は私が繰り返し、繰り返し言ってきておりますところの八千枚護摩行と並ぶ密教の秘法であります求聞持法の話しを聞いて頂きたいと思います。この手法については最初にちょっと触れたと思いますけれども、何といっても空海、弘法大師、お大師さまの神秘体験の原点ともいうべきものでございます。
 お大師さまが、大学で学んでいらっしゃるときに「一人の沙門あり」、というふうに後々述べていらっしゃるように、お大師さまは一人の僧侶と出会いになって、虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)というのを教えてもらわれるのであります。虚空蔵菩薩の真言であります「ナウボウ・アキャシャギャラバヤ・ オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」、というこの真言を百万遍唱えれば大変な記憶力と集中力、また宇宙に遍満している知恵を頂けるというふうに伝えられる修行であるわけでございます。お大師さまは大学を辞められて仏教の修行をするために、この求聞持法をもって山野に入って行かれます。(ホテルニューオータニ 彩雲の間))

2005/7/29 第69回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 6回目(62分) mp3/28.7MB

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2005/8/30
第70回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
本日発売「生かされて生きる真理」紹介
清水先生
ファゴット演奏
第二講話「霊と真摯に向きあって」7回目厄払いと星まつり
日本モンゴル国交樹立30周年記念切手
カルムイク共和国
厄除け特別大護摩行
厄除け星まつり札
 宿曜経
北斗七星
二十八宿
十二宮
厄除け祈願
   私がモンゴルを訪れましたのは、平成14年の夏でございました。空港から首都ウランバートルの市街に向かう道の情景が、今も鮮やかに私の脳裏に刻まれております。見渡す限りの平原に真直ぐの道路が続いております。その両側のポールにはためいている顔、大きな顔がございました。どっかで見たような人だと思ったら、なんと自分でございました。あの時ほど驚いたことはございません。日本とモンゴルの国交樹立30周年を記念する切手に私の肖像写真を使うというふうに言われまして、大変名誉なことだと思いましてお受けしたようなわけでございました。訪問はその記念にお招きを受けたものでございました。
 そんな驚きとは別に私の胸を去来いたしましたのは、ユーラシア大陸の奥深く広がる草原への思いでございました。モンゴルへの旅の4ヶ月前に私はもう一つの草原の国を訪れたわけでございます。ロシア連邦のカルムイク共和国でございました。この国は小さいながら仏教国として、ロシア連邦の中では珍しい存在として輝いておる国でございます。
 草原の国で私は夜空を見上げました。黒々とした天空に星たちが降るような輝きを見せております。春の夜空には、北斗七星がひときわ目を引いております。冬に訪れたらもっとはっきりと見えたんじゃないかなというふうに思いました。私は柄杓の形をした北斗七星を見上げながら日本の星祭を思ったわけでございます。
 妙見さまの信仰というのはオオカミ信仰と結びついているというふうに民俗学者の柳田邦男先生が説いていらっしゃることを聞きかじったことがございます。
 いきなり妙見さまと、北斗七星とオオカミのお話しでどんな結びつきがあるんだろうというふうに驚かれたんじゃないかなと思いますけれども、まずは星祭りからお話しをしてみたいと思います。
 「月なきみそらにきらめく光」というふうに歌われるように、凍てついておった冬の夜空はどこまでも澄み渡って、まるで星がダイヤモンドのように輝やいております。
 最福寺では毎年、節分までの三日間、この星まつり、厄払いを行っておるわけでございます。江の島はちょっと前にやりますけれども、鹿児島と江の島と、私が生まれ育った最福寺で少しずつ日程をずらしてこの厄払い星まつりを行っているわけでございます。厄除け特別大護摩行を執り行いまして、祈願者一人、一人の今年一年の厄除けと健康を祈願したしまして、当年星をお祭りする厄除け星まつり札を授与しているわけでございます。
 この星まつりというのは、空海、弘法大師、お大師さまがもたらされたものでございます。それから新年、旧暦になりますけれども、新年を迎えるという節分の夜に除災招福を祈って行われるわけでございます。
 お大師さまが唐から持ち帰られました宿曜経に基づいて、北斗七星とか、二十八宿、十二宮などを供養するわけでございます。厄除け祈願は信者さんたちの必死の祈りにつながってまいります。( ホテルニューオータニ 舞の間)


2005/8/30 第70回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 7回目(55分) mp3/25.4MB
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2005/9/22
第71回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
真舟美保子社長
第二講話「霊と真摯に向きあって」水銀
保岡興治先生
長野祐也先生
ロシアの大使
プリマコフ前総理
ロシア科学アカデミー
真言密教の聖地高野山
神仏混合
代々修験行者の家
明治維新
仏教受難
神道を国家の宗教とする
仏教の寺を廃止
寺と神社とを分ける
南山の犬飼
丹生都比売神社
南山の犬飼
高野明神、伊邪那岐命
丹生都比売命
山上の宗教都市
お大師さまと水銀
水銀は道教では不老長寿のクスリ
丹というのは赤土
辰沙、丹砂
水銀は遠く古代から知られておった金属
   ロシアの大使が来られまして、うちで行を一緒にされたんです、1時間45分位、火の前で。私はずっと後ろに居て見るだけかなと思っておったんですが、大使はもう本当に私たちの場所と同じ位の所まで前に出て、そして印を組んで一生懸命祈っていらっしゃいました。本当に共産圏だったロシアの大使が、密教の行に関心を持たれて一生懸命お祈りをされてる姿を見て、私も本当に感激いたしました。その前には、前の総理でございましたプリマコフ総理が来られて、やっぱり一緒に「行」をされたんです。ロシアには科学アカデミーという知能集団があります。その集団の東洋学研究所というところがございます。ここの所長さん、副所長という人たちが来られまして、この時も感動しておられたんですね。
 真言密教の聖地、空海、弘法大師、お大師さまが開かれた高野山には神社があるわけでございますけれども、なぜああいう高野山に神社があるんですかというふうに聞かれることがよくございます。私は神仏混合のなごりが濃いところの鹿児島の出身でございますし、代々修験行者の家で生まれたわけでございますから、お大師さまが開かれた高野山に神社があるということに違和感を覚えたことは一度も無かったわけでございます。しかし、今から130年あまり前に日本を近代国家へと生まれ変わらせた明治維新は、仏教受難の側面を作り出したのでございます。それまでは、お寺と神社とが一体となってそれぞれの土地を守っておったのが、神道を国家の宗教とするということによって、仏教の寺を廃止していったわけであります。あるいは、寺と神社とを分けるようになりました。そんなわけで、今では神社とお寺はまったく別なものだというふうに考える人が多いわけでございます。ともかく、高野山の神社といいますと地主神を祭る丹生都比売神社(にゅうつひめじんじゃ)でございます。お大師さまがこの深山に修行場を作ろうと決意されて、紀伊の国の海辺から山を目指そうと歩いていらっしゃいました。生まれ故郷である四国を隈なく歩いてはみられたんですけれども、今後の修行道場にするのはここだというように思うような場所にはめぐり会われなかったわけでございます。紀州もまたお大師さまが若いときに修行のために歩かれた山々でございました。
 たしか、あの峰の奥に平らな土地があったなというふうに思われて、もう一度行ってみようかなというふうにお大師さまは思われたんだろうと思います。山に分け入ると、白と黒の二匹の犬を連れた猟師が、お大師さまの後になり先になりしながら歩いておりました。たくましい体格の猟師でございます。だけども、どこか優しさを秘めた品格を備えている猟師でございます。その猟師がお大師さまに声を掛けます。「霊山をさがしていらっしゃるんですか」、「そうなんです」というふうにお大師さまはお答えになります。その猟師は、「私は南山の犬飼」であるというふうに呼ばれておる者であるんだということをお大師さまに名乗られるわけですね。そして、白雲たなびく峰を指差して「あの高野の原が、あなたが探していらっしゃる土地だと思いますよ」というふうに教えまして、連れてらっしゃった二匹の犬を案内役として貸して下さったのでございます。
 峰のふもとへ着いた所で日はたっぷりと暮れて、あばら家に明かりが燈っているのを頼りにして一夜の宿を頼まれます。そこには年老いた男の人が一人で住んでいらっしゃいました。翌朝、山道を案内してくれた老人は、頂に近い平原に出てまいりますと、本名を名乗られます。「我はこの山を預かる高野明神である」というふうにおっしゃるんですね。それは伊邪那岐命(いざなぎのみこと)の子である丹生都比売命(にゅうつひめみこと)の長子でございます。そして自分の土地を、「ここは自分の土地だから、ここを使いなさい」というふうに勧められるわけです。こうゆうような伝承があるんです。この伝承の背景に高野山一帯を支配する丹生(にゅう)一族が、お大師さまが修行場を作られることを支援されまして、土地をお大師さまに寄進されたであろうということが、この話しで読み取れるわけでございます。
 高野山は標高一千メートル前後の山々に囲まれた平坦な土地でありまして、そこに現代ではいくつものお堂が立ち並んで街も出来ておるところでございます。蓮の花が開いた内の八葉、外の八葉。こここそ聖地にふさわしい山上の宗教都市として1300年の時を刻んできたわけでございます。
 丹生(にゅう)というのが水銀と関りの深い名前であるということから高野山、ひいてはお大師さまと水銀との関係を研究する文献がいくつも一般書として世に出回っております。
 水銀は体内から排出されにくくて、中毒症状を起すような毒ですけれども、道教では不老長寿のクスリであるともされているのでございます。丹生(にゅう)、この丹というのは赤土のこと。水銀と硫黄の化合物で、赤土(せきど)とも辰沙(しんしゃ)とも丹砂(たんさ)とも言っております。水銀は遠く古代から知られておった金属でございます。(ホテルニューオータニ EDOルーム)

2005/9/22 第71回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 水銀より(62分) mp3/28.7MB
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2005/10/21
第72回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
朱光出版阿形充規会長
澤和樹教授バイオリン演奏
第二講話「霊と真摯に向きあって」満濃池と弁財天
雨乞い
桓武天皇
平城天皇
神泉苑
嵯峨天皇
お大師さまの時代の帝
雨乞いの祈祷
源氏物語
枕草子
弁財天
   お大師さまがその杖を「とん」と突いたら、そこから水が涌き出て来て村が日照りから救われた、そんなふうに全国にはお大師さまによって見つけられたと伝えられる水脈とか温泉、あるいは筑豊の石炭にいたるまで伝説が数多く残っているのであります。
 水を見つけることも、また雨乞いもみんな自然に響く祈りの結果であるわけでございます。桓武天皇は平城京を作られたときに、神泉苑(しんせんえん)という庭園をお作りになりました。今も、京都の二条城の南に小さくなって史跡として残っておりますけれども、平安京が出来た当時は南北400メートル、東西200メートルという広大な庭園であったようでございます。
 京都を東西に横切っておるお池通りというのは、この庭園に由来するんだそうであります。ここは桓武天皇、平城天皇、そして嵯峨天皇と、お大師さまの時代の帝が、しばしばここに憩いを求めて訪れられた庭園でありました。しかし、ここはお大師さまが干ばつを治める雨乞いの祈祷をされた神聖な地としても扱われておったのでございます。ここに桓武天皇は二十七回、平城天皇は十三回、嵯峨天皇は四十回、淳和天皇は十回もこの庭園を訪れていらっしゃいます。それは、ただ遊びに来られたのではなくて、あるいは霊気を授かって、またここからパワーをつけるためであったんじゃないかなという説もあるわけでございます。この神泉苑での雨乞いが、嵯峨天皇とお大師さまの信頼を一層深めることになったんじゃないかなというふうに思っているところでございます。この嵯峨天皇とお大師さまが、平安朝の文化の土台を築かれたというふうに言えるんじゃないかなというふうに私は思っております。
 後のことですけれども、平安王朝文化の中から紫式部の源氏物語とか清少納言の枕草子が生まれてまいります。世界に例を見ない高いレベルの女流文学は現代になって欧米で再び評価されております。同じ時代のヨーロッパは中世の暗黒時代。女性が感性豊かに恋愛小説を書いたり、あるいは日常に鋭い観察をしてエッセイを書いたりするような社会ではなかったのであります。
 さて、再び川と水に戻ってみたいと思います。古代インドで川の神と言いますと弁財天でございます。その名の通り弁舌と学問を司って、あるいは琵琶を奏でる音楽の神、美声の説法者でもあるわけでございます。古代ギリシャの美の女神でありますビーナスが海から誕生したことを連想いたします。古代人にとって母親とは川であり海であるイメージであったんじゃないかなと思います。古代文明が皆、大河のほとりに生まれたというには、決して偶然ではないはずであります。破壊がもたらす再生の恵みは女性にとって出産という死を賭した神秘な体験を経て得られるものでございます。その偉大な力を男性たちは恐れて、敬って神に奉り上げてきたわけでございます。( ホテルニューオータニ 翔の間)

2005/10/21 第72回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 満濃池と弁財天(65分) mp3/30.1MB

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2005/11/25
第73回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
朱光出版阿形充規会長
第二講話「霊と真摯に向きあって」稲荷神と鉄
嵯峨天皇
東寺
寺宝
弘法大師行状絵詩
稲荷神
五重塔
製鉄職人の集団
稲荷山の神を東寺の鎮守とした
水銀
   時の嵯峨天皇は、聡明で文芸にも造詣の深い方でございました。お大師さまの説かれる密教をことごとく理解されたからこそ、いろいろな支援を影に日向にされたんだろうというふうに思うのでございます。その結果、社会の底流は変わっていったのであります。戦いよりは調和を重んじて、武を誇るよりは文武を尊ぶ平安朝という日本独自の時代が花を開くわけでございます。
 このお稲荷さまとお大師さまのご縁の背景には、実は大きな社会変革の波があったのであります。東寺の寺宝は五万点にも登るいうふうにとされておるのでございますけれども、その中に弘法大師行状絵詩という全十二巻の絵巻がございます。室町時代にお大師さまの生誕六百年を記念して西暦1374年に東寺が総力を挙げて制作を開始したものでございます。全部で六十一の物語がこれの中には描かれておりますけれども、その中にこのお稲荷さまとの出会いがございます。稲荷神とのですね。
 八百十六年、弘仁七年のこと、お大師さまは紀州田辺で一人の老人に会われました。身の丈は二メートル半もある筋骨たくましい老人でございました。その老人がおっしゃるには「そなたには威徳が備わってる、だから私を弟子にしてほしい」、そういう会話を交わされて別れられて七年が経ちました。東寺の創建に着手したばっかりのお大師さまのもとをこの老人が約束通りに訪ねて来られたのであります。その絵巻には老人が二人の女性と二人の子供を連れて稲穂を担ってお大師さまからもてなしを受けていらっしゃる様子がそれには書かれております。この老人は、実は稲荷神であったわけでございます。
 お大師さまが朝廷に申請した材木運びの人夫は延べ三千四百三十人にのぼっております。五重塔を作るだけでもこれほどの人が必要とされたわけですけれども、東寺のいろいろな建物の建設がどれほど大掛かりなものであったかということがこれで分かるわけでございます。
 田辺の老人、つまりは稲荷神が東寺にお大師さまを訪ねてこられたのは、稲荷山の神を東寺の鎮守とした由来になるわけであります。田辺の老人は東寺の建設を手伝うことになるわけでございますけれども、この言い伝えは、建設に必要な製鉄職人の集団が、お大師さまに協力したということを物語っておるという説もあるわけでございます。このお大師さまには鉱山師としての一面があったという説につながるものでございます。
 古来、修験者は鉱物を求めながら深山で修行を重ねたとも言われております。水銀にまつわるお話しをいたしましたけれども、製鉄とお大師さまを結ぶ更なる隠れた側面に光を当てますと、興味が深いダイナミックな歴史が浮かび上がるのであります。(ホテルニューオータニ EDOルーム)
 

2005/11/25 第73回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」稲荷神と鉄(73分) 33.7MB

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2005/12/21
第74回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
第二講話「霊と真摯に向きあって」加持
サルキソフ先生
澤和樹教授親子バイオリン演奏
加持
写経のおかげで腰の痛みが癒える
般若心経は大いなる真言
真言を一生懸命唱える
声が光になって自分たちを取り巻く
血糖値が普通200から250
行で血糖値が落ちる
行は人間の極限に挑戦
嬉しい気持ちは免疫機能が高まる
こころの力を引き出す
三毒
空海が持ってきた密教の教え
   加持ということ、加えるという字に持つと書きます、加持。これは空海、弘法大師がよく使っている言葉でございます。先頃、新聞の投書欄でおやっと思うような記事を私は見つけました。それは福岡県に住んでいらっしゃる67歳のおばあちゃんが投稿されたものでございました。その方は2年前に急に腰痛が出て歩くのが難しくなって整形外科にかかられたんだそうです。コルセットを作って3ヶ月間、電気マッサージとか注射の治療を受けられたけれども思うように歩けなくなって来たそうでございます。外出できない毎日、以前からやってみたいと思ってた写経を始められたんだそうであります。最初は1時間かかったけれども、今では40分で書き上がる。周りを片付けて正座をして、精神統一をして一字、一字唱えながら書いております。こうゆうようなことが、今年の10月の毎日新聞に出ておりました。そして、そのおかげかどうか分かりませんけれども、書き始めて1ヶ月ぐらいで腰の痛みが和らいだ。腰痛体操も毎日しておる。今では通院しなくてもいいようになってきました。辛いことや、悲しいこと嫌なことがあるときでも、この写経をすればこころが落ち着いて癒されますというふうに書いていらっしゃいました。ちょっと前までは写経のおかげで腰の痛みが癒えるなどというような話しを投書欄に出しても新聞社がたぶん採用しなかったと思います。科学的根拠が無い話として、たぶん退けられただろうと思いますけれども、般若心経は大いなる真言であるというふうにお大師さまは教えて下さっております。この般若心経を大きな声で言えば、その声が光になって自分たちを取り巻くようになるんだ、真言を一生懸命唱えれば必ず願いが叶うというふうに説かれるわけでございます。だから、般若心経というのは唱えるもよし、写経してもよいと言われる功徳のある経典であるわけでございます。
 私は血糖値が普通200から250あります。即、入院を命じられるようなとんでもない数値なんですけれども、毎日2時間の行をやっておりますけれども、護摩の火を焚いてやる行です、それをやりますと100ぐらい、90いくつに落ちるんですね。毎日、皆の前で行に入る前と終わったときと調べて公表してるんです。だからお医者さんたちも、大学の教授たちがよく行に来るんですけれども、びっくりしておるんですね。
 行というものは、人間の極限に挑戦していくものでございます。飲まず食わずで炎に向かって行をやり抜くということは、こころの力が無ければ到底不可能なことであるわけでございます。行に限らず日頃から一つの事に打ち込んでおりますと、「もうだめだ」という時に、こころの力を引き出すことが出来るのであります。
 私の所の行は毎日2時間、ものすごい火を焚いて苦しみながら弟子たちもやるんですけれども、この苦しい行をやってれば煩悩がないんですね。もうとにかく素直になって行きます。素直になりますといろんなものが見えてくるんですね。人のこころとか、社会的なこととか、いろんなものが見えてきます。その素直さというものを取り戻すのに非常にいいような気がいたします。現代の医学の言葉で言えば、嬉しい気持ちというのは脳の働きを活発にして、ある種のホルモンが分泌される、免疫機能が高まるわけでございます。この三毒ということ、貪るということ、怒るということ、愚かなこと、この三毒は自分たちの生命にとりましてストレスとなるわけでございますから、これは人体機能のあちこちに停滞やら有毒物質やらを生じさせて健康を傷めるということになるわけでございます。
 空海が持ってきました、この密教の教えというのは、実は現代科学とも矛盾しない、否、それどころかこれを超えて生命の働きを解明しておったとしか考えられないような教えであるわけでございます。(ホテルニューオータニ 悠の間)

2005/12/21 第74回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 加持(69分) mp3/31.6MB
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