池口恵観勉強会  東 京 2008年 Ikeguchi Ekan Benkyokai Tokyo 2008 Inorinokokoro   HOME

祈りのこころ

2008/2/29
第98回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
自由民主党同志会最高顧問
事務総長福田晃丈先生
衆議院議員西村眞悟先生
東京藝大澤教授バイオリン演奏
第二講話「祈りのこころ」1回目
混迷の時代
地獄のこころに陥る
衆生救済の祈り
一生懸命お祈りをする
全国に高野聖が行脚
托鉢
お大師さまの祈りのこころ
モラルハザードの時代
こころが壊れかけている
形あるものは死んでいく
道徳崩壊
母は瞑想で御仏の世界を歩く
祈れば仏さまも寺も具現する
お尋ね
驚くばかりの法力
三無事件に連座
ゼロからのスタート
手を当てて祈れば不思議と治っていく
びっくりするような病気がどんどん治る
 
   今年は「祈りのこころ」を皆様に伝えてまいりたいというふうに思っております。
 混迷の時代だと言われて久しくなっております。殺伐とした事件が毎日のように報じられております。日本人はいつの頃から、親とかおじいちゃんおばあちゃん、また兄弟をあるいは、夫婦で殺しあったり、子供を殺したりするようになったんでしょうか。そんな地獄のこころにいつ頃から陥ってしまったんだろうか、と思うと私は非常に胸が痛むわけでございます。そして、従来にもまして私は衆生救済の祈りを重ねていかなければいけないとういうふうに思って、毎日、毎日一生懸命お祈りをしているところでございます。
 こころの再生というのが、今もっとも求められていることでありまして、そのためには祈ることでこころの力を取り戻したい。私はそういうように願うようになっているわけでございます。
 私の祈りによりまして、人々の奥底に潜んでいらっしゃる御仏の力を取り戻していきたいというふうに願って祈るわけでございます。
 私だけでなくできるだけ多くの人たちが、毎日、毎日祈って生きていただけるようになったならば、世の中はもっと良くなるんじゃないかなというふうに私は信じているわけでございます。
 かつて空海弘法大師、お大師さまの教えを広めるために、全国に高野聖(こうやひじり)が行脚しておりました。高野山から、ただ教えを胸にし、托鉢して教えを説いて、全国各地を周っておったわけでございます。それによりまして、お大師さまの教えは、日本列島の津々浦々まで広がったわけでございます。各地に残っておりますお大師さまの伝説の多くが、こうした高野聖に拠るものであるともいうふうに言われるほどであるわけでございます。そして、お大師さまの祈りのこころというものは、日本人のこころに深く長く伝わってきたわけでございます。
 現代はモラルハザードの時代であるとも言われます。道徳崩壊と言えばいいんでしょうか、ただ私は道徳よりもっとこころの奥底に大切にしてきた、このこころが壊れかけているんじゃないかなというふうに思って危惧しているわけでございます。もう一度、この高野聖の精神を現代の日本に蘇らせて、お大師さまの祈りのこころを広く伝えていきたい。それが私の今の願いであるわけでございます。
 どんなに沢山の財を成したといたしましても、権力を手に入れたといたしましても、また家族に恵まれたといたしましても、いつかはこれらは変化していくものであるわけでございます。この世のなかの形あるものは死んでいく、ときには何一つ持っていくことはできないのであります。
 亡くなった私の母(智観)は、瞑想によって御仏の世界を歩いておったと思います。祈れば、仏さまも寺も具現するという教えは本当であった。母の晩年の言葉を私は忘れることが出来ないんですけれども、母は中年になって得度して、厳しい行に入った父と共に、行を重ねたのでございます。
 もともと、少女時代から非常に霊感が強い女の子であったようでございますけれども、私のように護摩行はしませんでした。毎日5時に寝て夜12時に起きて、朝までずっと経文を言って、そして瞑想していくという行を生涯続けた人でございます。
 「お尋ね」という寺に来られる人の相談事にのって、本当に驚くばかりの法力を発揮しておりました。
 祈りによって母は、すでにこの世にありながら、あの世と交流できる力を得ておったんだろうというふうに私は考えているのでございます。
 私が高野山大学を卒業して三無事件に連座して、そして逮捕されて釈放されて帰りましたときに、私は三無事件をやる前に母に相談したんです。母はそれは出来ないからやめ、ていうたんですけれども、男が一旦決めたんだからやるんだ、命を賭けてやるんだ、と言ったときに私を勘当したわけでございます。私は釈放されて帰ったけれども、帰る所がなくってゼロからのスタートでございました。6ヶ月半ぐらい乞食をしたんですけれども、祈って祈って一人でも多くの人たちの幸せのためにと思って祈って私は毎日を生きた。最初はそうじゃなかったんです。食べるためにもらって歩くということだけだったんです。これではあがりが少ないということが分かって、それから拝むことを考えたんですね。で、田舎に行きますと、いろんな病気の方がいらっしゃいます。その方に手を当てて祈れば不思議と治っていくんですね。ほんとびっくりするような病気がどんどん治って~(ホテルニューオータニ 麗の間)


2008/2/29 第98回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 1回目(61分) mp3/26.3MB
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2008/3/26
第99回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
清水榮一先生
澤和樹先生バイオリン演奏
第二講話「祈りのこころ」2回目 
生命のリズム
心身そのものが小さな宇宙
究極の教えは即身成仏
この体のままで仏になる
お加持
苦しみを癒す
御仏と一体になる
平等と差別
毎日護摩を焚いて行をする
音楽療法
芸能はこころを耕す
右脳の分野
深層心理が活発になる
   真言密教の祈りというのは、リズムに始まってリズムに終わるというふうに言っていいと思います。生命のリズムを非常に大切にしているのでございます。私達の生命は、大きな、大きなこの宇宙が故郷でございます。そして、私たち一人、一人の中にも小さな宇宙があるわけでございます。私たちの心身そのものが小さな宇宙なんですね。
 この大きな宇宙と、私たちの小さな宇宙とのリズムがずれてしまいますと、これが病気になったり、あるいは災難に見舞われたりすることになるのでございます。私たちはついているとか、ついてないとか、そういう言葉を言いますけれども、運がいいとか、運が悪いとか、これなんかみなこのリズムが合わないときのことなんですね。
 お大師さまの究極の教えというのは即身成仏でございます。この体のままで仏になることができるというのがこの即身成仏でございます。
 私はお加持をしておりますけれども、このお加持をするとき、私は池口恵観という人間ではございますけれども、この大気に遍満しているところの御仏の霊気に満ちて、その力を加持を受けられる人に注いでいくわけでございます。仏さまと一体になって、苦しんでいらっしゃる人の苦しみを癒しているというわけでございます。仏さまの生命力を得て、生命本来のリズムを取り戻していくわけでございます。行者というのは、このように一時ではございますけれども、その時は仏になっているわけでございます。
 御仏と一体になるため、私たち行者は厳しい苦しい行を重ねていくわけでございます。
 お大師さまは人間の体を通して仏になるんだというふうに教えてくださっております。人間でなければならないんですね、仏になるには。生きとし生けるものは皆生命がございます。そして仏性を宿しております。しかしあらゆる生命は個性がございます。それぞれの種によってこれが違うわけでございます。これを仏教では平等と差別(しゃべつ)という言葉で教えております。
 音楽療法というのがございますけれども、この音楽療法は必ずしもゆったりとした音楽を聴いて心身をリラックスさせることだけではないのでございます。
 私の寺では毎日護摩を焚いて行をしておりますけれども、そのときには太鼓を叩いて錫杖(しゃくじょう)を鳴らして、あるときには法螺貝を吹いて、これに負けじとばっかりに大声を張り上げて真言を繰り、教えを唱えているわけでございます。心身のバランスが崩れたときには、その響きが調和を取り戻す働きをしてくれるのでございます。
 お大師さまは芸能というのを非常に大切にされた方でございます。芸能に携わっている人は敬わないといけないというふうに言ってらっしゃいます。なぜなんでしょう。芸能というのはこころを耕すものでございます。右脳の分野なんですね。右脳を発達させてそして深層心理が活発になるんじゃないだろうか~(ホテルニューオータニ シリウスの間)

2008/3/26 第99回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 2回目(68分) mp3/31.4MB

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2008/4/24
第100回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
平原先生御祝辞
花束贈呈
第一講話 時局
第二講話「祈りのこころ」
3回目 合掌
澤和樹先生蓼沼恵美子様
お祝いのデュオ演奏
歌手池口恵観歌唱4曲
清水榮一先生
「誓い」唱和
合掌
最福寺の信者さんはお金持ちばっかり
御仏の大慈悲
国の御恩
親の御恩
人の御恩
神仏の御恩
千手観音さまの手のこころ
   いつも手を合わせて合掌するわけですね。また手紙を書いたり、原稿が終わったときにも私たちは合掌というふうに書いておりますけれども、これはお坊さん達は概ね合掌して挨拶しておりまして、また合掌と手紙の後に書いております。東南アジアで仏教が浸透している国々におきましては、日常の挨拶にこの合掌をしております。
 これは相手に対して敵意がないということを表しているという説もござますけれども、むしろ人はみんな仏さまとして敬うという宗教心の伝統ではないかと思います。
 私たち日本人も仏教国の国民として合掌する習慣を皆持っております。仏壇やお墓参りをするだけじゃなくって、日常の食事のときに合掌をする習慣を持っていらっしゃる人はとても多いわけでございます。これは他の生命をいただく食事に対する感謝でございまして、その生命を粗末にしない、というこころでもあるわけでございます。また、キリスト教におきましても形は少し違うことが多いんですけれども、やはり両手を合わして、そして組んで合掌します。人は祈るときに両手を合わせるんですね。そして、両手を合わせてこころを神仏に伝えようとする。そんな仕草を人間はいつからするようになったんでしょうか。
 私の寺にはいつも沢山の信者さんたちがおいでになって、行に参加していらっしゃいます。私と同じ壇上に上がらなくっても、本堂で一緒にお経を唱えて真言を真剣に唱えるわけでございます。そうしておりますと、顔がいつのまにか輝いて表情が非常に豊かになってこられるのであります。生き生きとした美しさが備わってくるのですね。だから最福寺の信者さんはお金持ちばっかりが行っていると言われたりします。皆同じなんですね。こころが豊かになって、顔が本当に綺麗な顔になる。姿かたちが、立ち振る舞いが、違ってきてらっしゃる。だから、一般の人からみれば、お金持ちばっかりが集まっている寺に見えるみたいなんですね。
 合掌運動では、合掌の誓いを祈りのこころとして唱えます。一つ、私は常に御仏の大慈悲を仰いで、敬虔なる拝みあいの生活をするようにこころがけることを誓います。二つ、私は明日に合掌して、今日一日を御仏とともに働くことを誓います。三つ、私は夕方に合掌をして今日一日の幸せを感謝し、自らを反省して正しき道に進むことを誓います。四つ、私は三度の食事に合掌して天地の恵み、人のおかげを忘れぬことを誓います。五つ、私は合掌ごとに国の御恩、親の御恩、人の御恩、神仏の御恩を忘れず謝恩の働きを成す事を誓います。この拝みあいの運動を皆様方と共に広げていければいいなというふうに私は思っているところでございます。
 どうぞ、是非明日からでも皆さん実践していただければ、きっと日本の社会を明るくできるんじゃないかなと思います。世界のいたるところで手をたずさえて明るいこころの世界に住まって、輝かしい光の道を辿るようになりましたならば、どんなに楽しい平和な世界が実現するか分かりません。合掌するこころで毎日をすごしていただきたいと思います。忙しくて仏壇の前に座っている時間が取れないと言われる方は、毎朝、と食事の前と、寝る前に御仏に手を合わせて「ありがとうございます」、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを表していただければいいかと思います。そして、他の時間を精一杯使って家族のために、また社会のために、自分自身を磨くために尽していただければと思います。それが千手観音さまの手のこころであるわけでございます。(ホテルニューオータニ シリウスの間)

2008/4/24 第100回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 3回目 合掌(66分) mp3/30.6MB
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2008/5/26
第101回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原先生
鳥越孝様
澤和樹教授バイオリン演奏
第二講話「祈りのこころ」4回目響きと祈り
音に響きあり
音は欠かすことができない生命の一部
ことだま
言葉に霊力
草笛
アウシュビッツ
   この前は「合掌」をいたしましたら、どこも非常に反応がよくって、私はこれを本当は「合掌の会」というのを全国に広められたらと思っているわけでございます。
 赤ちゃんがこの世に生まれて、最初に出会うのは光と音なんですね。お母さんのお腹の中で羊水に浮かんでおったときとは全く違う生命の響きが体に伝わってくるわけでございます。音というのは生き物にとって欠かすことができない生命の一部なんじゃないかなと私は思っているわけでございます。障害によって音の届かない人もいらっしゃるわけでございますけれども、その人たちも響きによって、この音を感じられるわけでございます。
 お大師さまは「音に響きあり」、そういうふうに教えて下さっていますけれども、私の小さい頃からこのことが深く脳に刻まれておりました。それといいますのも、私は父や母の真言を繰っております響きのなかで生まれ育ったからでございます。
 私は大隅半島の東串良という小さな町の寺で、毎日、毎日天に届くほどの大きな響きで行をしておった父母、兄弟たちのなかで育ったわけでございます。今にして思いますと、私は仏さまの声を揺り篭として育った幸せ者だったんだなあというふうに思っているわけでございます。
 音感というのは乳幼児のころに育くまれるんじゃないかなというふうに私は思っているわけでございます。だから、いい響きのなかで育った子はいい響きの感性が磨かれ、怒鳴りあったりあるいは意地悪な言葉が飛び交うような家庭とか、騒音にさらされた環境で育った子は、音楽の正しい感性が育まれないだけではなくて、大人の言葉の中からいい響きよりも悪い言葉を拾いがちであると思います。
 昔からことだまといいますけれども、古来人は言葉の響きを大切にしてきたわけでございます。言葉に霊力があるというふうに感じておったというわけでございます。確かにこれはあるというふうに私は信じております。なんと言いましても、それが真言の力を尊ぶお大師さまの教えの基本であるわけでございますから、私は小さい時から非常に音楽が好きでした。音楽を奏でるわけではないんですけれども、父と外出するたびに道すがら教えてもらった草笛は今でも私の得意とするところでございまして、海外に出かける祈りの巡礼におきましても、現地でしばしば披露して親善に役立っているわけでございます。先年、アウシュビッツに行きましたときに、アウシュビッツの入り口で楽団が演奏して中に入ってくる人たちを迎えておったんです。そこで私はそこにあった木から葉っぱを一つ取って「菩提樹」を吹いたんですね。そしたら、そこを通りゆく人たちも立ち止まって聞いてくれるし、またラビも涙しながら聞いてくれておりました。(ホテルニューオータニ EDOルーム)


2008/5/26 第101回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 4回目 響きと祈り(77分) mp3/35.3MB
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2008/6/23
第102回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
鳥越孝様
上城先生
第二講話「祈りのこころ」6回目幸せの祈り
火のリズム
自分のリズム
宇宙のリズム
あなたは幸せですか
大乗仏教
生きるも死すも一緒のご縁
   二日間ほどあんまり寝てないもんですから、リズムがないんですね。お話しにリズムが無いんで非常にやりにくいんですけれども、この世の中は全部リズムが大事なんですね。私たちが行をする、護摩を焚いて火を焚いて行するときも、リズムがきちっと火のリズムと自分のリズムと宇宙のリズムがきちっと合ったときに、非常に気持ちよく、自分もいいし、またそこにいらっしゃる方々も気持ちいい状態で帰っていただけるんです。
 「あなたは幸せですか」というようなテレビ番組が昔しあったと思いますけれども、それは日本人が明日に向かってひた走る高度成長の頃であったと思います。今も私は日本人に再び聞いてみたい気がするのが、この「あなたは幸せですか」ということでございます。
 世界の国民性を語る小話がございます。これを紹介しておきますけれども、それは沈没する船の乗客を救うために海に飛び込むように船員が叫ぶわけです。英国人には「紳士諸君、これは名誉なことです」と言い、ドイツ人には「秩序を守るために早く飛び込みなさい」、イタリア人には「今、美女が飛び込みましたよ」、こう言う。で、フランス人には「決して海に飛び込まないようにしてください」、と言うのです。そして、日本人にはどう言うのでしょうか。「みんな飛び込んでいるよ、急いで」、と言うんだそうです。日本人は右へならへの集団心理が強い国民だというふうに思われておるんだろうと思います。
 日本社会の根底に根づいている大乗仏教というのは、一人で悟りの世界に行くのではなくって、みんなで大きな乗り物に乗って彼岸に渡りましょうという教えであるわけでございますから、日本人の性向が必ずしも間違っているとは言えないんです。しかし、みんなと同じであるということろに安心しているのは、実は大きな間違いだと思います。大きな乗り物に乗って彼岸に至るときに、どのようにして一緒におる人に接しておるのでしょうか。大船に乗った気持ちで、周囲に船酔いをしている人がいるかも知れないということも忘れて騒いでいることはないでしょうか。あるいは、お腹をすかしているかも知れない子供の前で、自分ばかりが飲み食いしているということはないでしょうか。一番楽な席をしっかり確保して、お年寄りが隅のほうで小さくなっていることに知らん顔をしているということはないでしょうか。
 大きな船に乗り合わせるということは、一緒に生きるというご縁に拠るものであります。生きるも死すも一緒のご縁。助け合い、また想い合い、お互いの幸せを祈りあって、彼岸への旅をするのであります。(ホテルニューオータニ 翠鳳の間)

2008/6/23 第102回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 6回目 幸せの祈り(70分) mp3/32.2MB
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2008/7/23
第103回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
九谷吉臣窯代表徳田吉臣先生
第二講話「祈りのこころ」7回目こころの力
サルキソフ先生 
荒廃する現代を救う道
唐沢富太郎先生
荒廃する現代
荒廃を荒廃だと感じていない
物質至上主義の時代
曼荼羅
金剛界の強い意志
胎蔵界の慈悲心
仏は親心を持って人を導く
親心を持ってこころを癒していく
こころの飢餓
苦は仏の世界に導く祈りの種
四苦八苦は御仏の贈り物
   先ごろ書斎を移転するのに本棚を整理しておりましたら、小さな冊子が出てきました。「荒廃する現代を救う道」と題した昭和52年に発行されておりますから、もう31年前の小冊子でございます。表紙はすでに赤茶化でおりますけれども、大事にとって置いたものでございます。これは唐沢富太郎先生、といっても、もう知られない人の方が多いと思いますけれども、東京教育大学の、現在のつくば大学の名誉教授を務められた教育学者で専門は教育史であった方でございます。2004年8月11日に93歳の高齢で亡くなられましたけれども、先生は、実は仏教と教育との関係を研究していらっしゃった方で、この小冊子は真言宗から密教教化賞を授与されたときの記念講演を記録したものでございます。
 この唐沢先生は荒廃する現代、これを荒廃した現代であるとは感じない世代が発生しているという現状、これを訴えて来られたわけでございます。この頃の日本は、戦後生まれの世代が半数を超えるようになってきておりますけれども、その人たちは荒廃を荒廃だと感じていない、というふうに唐沢先生は大いなる危機感を持たれたわけでございます。責任を考えない自由、義務を果たさない権利の主張が横行する世相に唐沢先生は大いなる警告を発せられたというわけでございます。唐沢先生はまた、現代はまったく物質至上主義の時代であって、物質的豊かさがあれば満足であって、精神的豊かさ、こころの豊かさというものの価値を非常に低く評価していると言われて憂いられたわけでございます。
 日本の現状はどうなんでしょうか。当時と変わっていないように思われます。戦後生まれにいたしましても、もはや孫ちゃんが出来ております。戦後の物質主義にどっぷり漬かった親に育てられた子供たちが、物質主義の頂点だったバブル期に成長して、物質主義を背負ったまま子育てをしているというわけであります。唐沢先生は現代の荒廃を直して行くには、お大師さまの教えが重要なんだというふうに説かれたわけでございます。曼荼羅に託しまして、金剛界の強い意志と胎蔵界の慈悲心こそが、物質ばかりに囚われている荒れたこころを癒すものであるというふうに言っておられるわけでございます。
 仏さんは親心を持って人を導かれる。親心といってもお父さんの親心もあれば、お母さんの親心もある。お父さんの親心は厳しく、お母さんは優しくというのが普通でございますが、近頃は反対の場合もあるわけでございますけれども、そのお父さんの強いのを金剛界の智で表し、お母さんの優しい方を慈悲で表している。それを金剛界の強い意志と胎蔵界の慈悲心、お父さんとお母さんのこうした親心を持って、こころを癒していくことが大事だということを私は思っています。
 なぜ日本人のこころが荒れてしまうんでしょうか。一つ物を得ますと、また次の物が欲しくなる。もっと、もっとというふうに欲しくなるものでございます。このもっともっとというのが高じていきますと、こころの飢餓に陥ってしまうのでございます。
 苦しみがあるからこれを取り除きたいと言って、私たちは仏に祈ります。苦しみは、実は仏の世界に導く祈りの種でもあるわけでございます。だからこそ私は四苦八苦は御仏の贈り物であるんだと説いているわけであります。(ホテルニューオータニ 舞の間)

2008/7/23 第103回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 7回目 こころの力(63分) mp3/29.2MB
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 2008/8/25
 第104回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原一雄先生
第二講話「祈りのこころ」8回目供養
大興善寺で八千枚護摩行
1200年ぶりの八千枚護摩行
界明法師
西安の青龍寺
密教正当祖師列伝
秘密曼荼羅教付法伝
お大師さまのお師匠さんが恵果阿闍梨
恵果阿闍梨のお師匠さんが不空三蔵
玄宗皇帝
金剛智三蔵
   お大師さまが日本に密教をお持ち帰りになりまして真言密教、真言宗をお開きになってからまもなく千二百年を迎えようとしております。中国の西安は、かつては長安と呼ばれておりました。ここは、大唐帝国の都といたしまして繁栄を極めた都市であるわけでございますけれども、ここにありますところの大興善寺という寺とご縁が出来まして交流を重ねてきておるわけでございます。この寺には日中友好と、私の平和祈念を刻んだ大きな石碑が建っているわけでございます。平成19年の秋に界明法師が日本に来まして、私の行を見まして、この行を西安の自分の寺でもやってもらいたい。出来ればこの寺の、前に住職だった不空三蔵(ふくうさんぞう)が八千枚護摩行というのを教えたわけだから、その八千枚護摩行というのを千二百年ぶりにやってくれたらいいんだけどということで、去年私はこの八千枚護摩行をやって、今年もやるようにしとったんですけど、私の事情が悪くって3月、4月にこれが出来なかった。残念でありますけれども、こうゆうようなことで去年の秋に、ここで千二百年ぶりに八千枚護摩行をやったわけでございます。
 お大師さまが留学していらっしゃった、同じくこの西安の青龍寺は、非常に日本でも有名になっております。お大師さまの足跡を慕ってお参りに行く観光客が青龍寺に訪れているようですけれども、不空三蔵がおりました大興善寺は、お大師さまの著作で、密教の正当の祖師たちの列伝の「秘密曼荼羅教付法伝」でございます、大興善寺で修行された不空三蔵について詳しく述べていらっしゃいます。お大師さまのお師匠さんが、恵果阿闍梨(けいかあじゃり)でございます。恵果阿闍梨のお師匠さんが、この不空三蔵なんですね。不空三蔵は、お大師さまからいいますと、おじいさんになるわけですね。まずはこの不空三蔵と、大興善寺のお話しを少し聞いて頂いてから、祈りのこころについて考えてみたいというふうに思います。
 この不空三蔵のお師匠さんに金剛智三蔵(こんごうちさんぞう)という祖師がいらっしゃいます。金剛智三蔵と不空三蔵は共に南インドから唐へ密教を伝えるためにやって来られました。玄宗皇帝の信頼が非常に厚くて金剛智三蔵と不空三蔵は洛陽の寺にいらっしゃって、唐帝国と人々のために一生懸命祈っていらっしゃった。不空三蔵の出身地は南インドであるというのと、西域であるとする二説あるわけでございますけれども、確かなことは西暦718年に14歳で金剛智三蔵に出会って弟子になられたということは確かなんですね。以後、不空三蔵はお師匠さんの金剛智三蔵と共に中国に渡って来て、その命が終わるまで、没するまで付き添って生きていかれるわけでございます。
 初めての出会いで金剛智三蔵は、この不空三蔵を弟子にすることを許されるのですが、試しに不空三蔵に梵語の経典を読ませるわけですね。一回読んで聞かせて読まされるわけです。この不空三蔵という人は、一度聞いただけでその音階、音律といったものを間違えることなく唱えることができたというふうに言われています。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2008/8/25 第104回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 8回目 供養(80分) mp3/37.0MB
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2008/9/23
第105回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原一雄先生
参議院議員南野知恵子先生
サルキソフ先生
澤和樹先生バイオリン演奏
第二講話「祈りのこころ」9回目加持 
究極の祈りは加持
加持祈祷
布施は在家の修行
加持は修行を積んだ行者だけができる
不惜身命の精神
人間が陥る三毒
迷いの世界
私の人生は行に始まる
   祈りというのは、本尊さんの前に座って祈るだけじゃないわけですね。生きているあいだじゅう私たちは意識するしないに関わらず、常に祈っていることに気づかされるわけでございます。私たち行者にとりましては、究極の祈りは、やはり加持だというふうに私は改めて思っているところでございます。
 今日はこのお大師さまが教えられた加持、加持祈祷についてお話しを聞いて頂きたいんですけれども、私が自分の生命を、より良く生かしたいと思われる方々のために、私たち行者は祈り続けて、そしてこの世に遍満しておるところの仏さまの力をその人たちに分かつわけでございます。
 生命力が低下しておるから病気になったり、あるいは壁にぶつかったりするわけでございます。だれもが持っておるところの生命の力をもう一度燃え上がらすために、行者は加持をするわけでございます。布施については前にもお話ししましたけれども、布施というのはどなたでもできる在家の修行といえると思います。それに対しまして、加持は修行を積んだ行者だけができるものであります。
 行者は、この行という祈りを積んで、積んでいって、そして苦しむ人たちと仏さまを一つにして癒していくというわけでございます。その使命のために不惜身命(ふしゃくしんみょう)の精神で、日夜厳しい行を重ねていくわけでございます。こういうことは誰でも許される行為ではありませんし、やみくもに誰でも行っていいというものでもないわけでございます。厳しい戒律によって認められた者だけが、加持を行うことができるわけでございます。
 とかく宗教がいかがわしいと受取られておりますのは、加持もどきによって金儲けをしている人たちが後を絶たないからであるわけでございます。人間のこころというのは、それほど信じやすく不安定なものであるわけでございます。
 お大師さまは、人間が陥るところの三毒の中に愚かさというのをあげていらっしゃいます。それは本当のことと、ニセモノとを見分けることが出来なければ、迷いの世界からは抜け出せないというふうに教えておられるわけでございます。
 私の人生は行に始まっております。母のお腹におるときから読教の響きを聞いて、そして大きくなっては世界中で、行によって得たところの仏さんの力を持って、この世の中で生きられて苦しんでいらっしゃる人たち、また亡くなってなお成仏できないで悲しみを抱えていらっしゃる霊、そういったものを癒したいと思って、ずっと祈ってきたわけでございます。
 私の行は皆さん方の祈りを、仏さんに届けるためのものでございます。だから私自身のことはまず祈りません。それが行者になるべくして生まれてきた私の使命であるというふうに、私は信じておるわけでございます。それでも私のために密かに祈ったこともあるわけでございます。それは小さい頃のことでございますが~(ホテルニューオータニ 麗の間)

2008/9/23 第105回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 9回目 加持(74分) mp3/34.1MB
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2008/10/29
第106回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
平原先生挨拶
第一講話 時局
サルキソフ先生
吉原正義様
第二講話「祈りのこころ」10回目仏像に祈る 
仏像に祈る
祈りの対象
物と仏との境目は供養
バーミヤンの巨大な石仏
イスラム原理主義タリバン
イスラム教は偶像を否定
仏像は祈るこころに描くイメージ
祈りはイメージの世界
祈りの連帯
真言は脳細胞を活性化させ真相心理に働きかける作用がある
 
   近年の日本では仏像鑑賞が、非常に流行ってきていると聞いていますが、今日は「祈りのこころ」の10回目でございまして、「仏像に祈る」ということで話しを聞いて頂きたいと思います。仏像を美術品として見ていくということだろうと思いますが、それはそれで文化的な意義がございますから、私たち宗教家にとりまして仏像というのは、仏さまそのものの姿であって、祈りの対象として無くてはならないものが仏像でございます。博物館かなんかに展示してある仏像を拝観するたびに私はいつも思うんですが、せめて一杯の水をここにお供えして下さったらいいのになというようなことを思います。木彫りであれば、一本の木から仏像として完成して、そして仏殿に運び入れて、仏さまとしての魂がお入り頂くという供養をして初めて仏像として皆様の祈りの対象になるわけでございます。物と、この仏との境目はこの供養によって厳然と別れていくわけなんですね。しかし、時を経て美術品として博物館に収められた仏像はどうでしょうか。
 国宝や重要文化財に指定された、優れた物もいっぱいあるわけでございます。それら御仏の像が、本来安置されておった場所から持ち出された背景にはいくつもの緊急を要するような事件があったはずであります。そうでなければ、大事な仏像が運び出されて海を越えて行ったり、また日本まで帰ってくることはありえないわけでございます。戦争にあってらっしゃるかもわかりません。仏教が廃れて、寺が荒れてしまったのかも知れません。いづれにいたしましても御仏に祈り、これを守ろうという人々の気持ちが消えてしまった結果、仏像が運び出されたというわけでございます。甚だしいときは、仏像を壊されてしまうこともございます。先年も長い歴史を刻んできたアフガニスタンのバーミヤンの巨大な石仏が、イスラム原理主義のタリバンによって爆破されるところをテレビで見られた方もいらっしゃると思います。イスラム教は偶像を否定している宗教であるが故に、彼ら原理主義者達は異教徒の物、しかも形ある仏像を忌み嫌って破壊したわけであるわけですね。他の者が大切に守り育ててきたものを破壊するという行動が正しいとは、どうしても思えないわけでございます。
 イスラム教は日に何度もメッカの方向を向いて礼拝するのが決まりでございますから、小さなお祈り用の絨毯を持ち歩いておりまして、世界のどこでも時間が来たら額を地に着けて祈っておりますね。祈りの場がそのまま聖域に早がわりするんだと、私は感心したことがあります。
 私たち仏教徒は仏像の前でお祈りします。旅に出ておれば、ここの中に御本尊を思い浮かべて祈ることもございます。仏像というのは、祈るこころに描くイメージを作るために生まれたものだというふうに私は考えているんですけれども、祈りはイメージの世界でございます。
 私は真言には脳細胞を活性化させて、真相心理に働きかける作用があるんじゃないかなというふうに以前から考えておりまして、そういうことを説いてきたわけでございますけれども、そのイメージも祈る人たちが同じであったほうがより強いメッセージとして御仏のもとに届くと思うわけでございます。同じイメージを持つことで、祈りの連帯が出来るわけでございます。(ホテルニューオータニ 翠鳳の間)


2008/10/29 第106回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 10回目 仏像に祈る(70分) mp3/32.3MB
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2008/11/30
第107回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
平原先生
お祓い
第二講話「祈りのこころ」11回目
上城先生
身・口・意
大宇宙大生命体
宇宙の中からお祈りをする
因果応報
まず実践
御仏の道を歩く
密教の根本経典大日教
21日間祈願
奈良の久米寺
口伝、真言、護摩
中国に渡る決心
 
   密教の祈りというのは身・口・意(しんくい)、体と、こころと、言葉を一つにして、宇宙の大宇宙大生命体の身・口・意の中に自分の小宇宙を合致さして、その身・口・意を一つにして、宇宙の中からお祈りをするというやりかたになってます。
 私たち人と、人とが出会うときに後で思いますと、出会うべくして、出会ったというふうに思うことがしばしばあると思います。私たちの人生は、生命という種がこの世と言う畑に撒かれて、そして芽を出して、それが育って花が咲いて実がなって、やがてそれが涸れて土に還るというサイクルとよく似ていると思います。どのような種であるのか、御仏の教えでは因果応報、前世のおこないによって、種の中身が出来るんだというふうにされております。寒冷地に向いた種が熱帯に撒かれてしまいましたら、その生涯は苦しいものになると思います。しかし生来の性質を克服して生き抜いて行くということもあると思います。
 出会うために私たちは動きます。どれほど安らかな境地におったといたしましても、また安定した暮らしをしておったといたしましても、一人で生活をしている平穏は本当の安らぎではないと思います。人と関わりながらまたぶつかり合いながら、傷つけたり許したりしながら私たちの生命は成長するわけでございます。一人暮らしでありましても、他の人との関わりを持っている人は、家族がいるのと変わらないと思いますね。しかし、家族がおっても、心も行動もばらばらに生きているというのは、出会っているとは言えないのです。
 お大師さまは実践を非常に大事に重視された方でございます。まず実践ということですね。それは生きること御仏の道を歩くことのすべてにわたるものであるわけでございます。お大師さまが現代に生きる私たちに指針を示して下さるところの真言密教の教えというのは、僅か数ヶ月の出会いによってもたらされたのでございます。お大師さまは始めて密教の根本経典でありますところの大日教というのに出会われます。これはお大師さまが「これ以上のものはないという経典を私に示してください」と言って21日間祈願をされるんですね。そして祈願が終わった21日目に仏が出てきて、「あなたが求めてる、これ以上のものはないという経典は、奈良の久米寺の塔の中にあるから行ってみなさい」、というふうにお告げがあった。とるものもとりあえずといいますか、とにかく目が覚めたらすぐ身支度をして奈良の経蔵を訪ねられます。そしたら、その住職に、こういう夢を見たから経蔵の中のお経を、本を見せていただけないですか、蔵を空けて頂けませんかと言った。そしたら、ものすごい膨大な本が積まれているんですね。どれがそれだか分からないので、片っ端から読んでいかれるんですね。そして、最後の方でこの大日教に出会われるんです。で、これを読んでみますけれども、本当のことが分からない。自分たちが今まで学んだこと以外のことが書いてあって。口伝とか、真言とか、護摩とか今までにないような言葉がいっぱい出てくるんですね。それでお大師さまは全国にいらっしゃる学僧たちを頼って聞いて歩かれるんですけれども、それを分かる人が一人もいない。そのころまではですね、こういう密教の話しが入ってない、純粋な仏教しか入ってきてなかったんだと思いますね。それでお大師さまは、これは中国から来たんだから、中国に行けば必ずこれを教えてくれる先生がおるはずだ、という事で中国に渡る決心をされるんです。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2008/11/30 第107回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 11回目(83分) mp3/38.0MB
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2008/12/23
第108回池口恵観勉強会
恵観勉強会10周年記念
祝賀会
ホテルニューオータニ
平原先生挨拶
藍川由美先生和歌「君が代」
般若心経御宝号念誦
恵観先生お祓いと時局及び1年間の総括
歌唱「お前に」「純子」「君恋し」「あざみのうた」「ノラ」~初めての葬式はネコの葬式の話~「みちづれ」「炎の男」
勉強会10年が経ちました
祈りは目的ではなくて生きる力そのもの
行というのは体験
慈悲のこころ
仏教・釈迦さまが開かれた教え
生命の心理
生老病死の苦を背負う

生きることは苦しみに立ち向かって行くこと
護摩を焚く炎が高ければ高いほど祈るこころも大きく大きく開いていく

一番最初の葬式はネコの葬式

三無事件
母から勘当された
お前に葬式を頼む
ネコの子じゃない、今度は人間
   さて、本日は年末の祭日というほんとうにお忙しい中に、こんなにも沢山の皆さんにお集まりいただきまして本当にありがとうございます。このニューオータニでの恵観勉強会も早いもので10年が経ちました。
 その前はあらゆるところを宿無しでぐるぐるまわってやっておりましけれども、この10年間ニューオータニさんのご協力のもとで、ここで勉強会をさして頂いたのが10年経った。
 今日はそのお祝いの会を兼ねた勉強会においで頂いているわけでございまして、本当にこころから御礼を申し上げます。
 祈りは目的ではなくて生きる力そのものでございます。祈るこころの有り様こそ最も大切でございます。仏教はお釈迦さまが開かれた教えでございます。体を極限まで痛みつけることによって、生命が本来持っている力を引き出そうとする苦行。
 この苦行からでは生命の本質は分からないんじゃないかなとお釈迦様は思われて、長年にわたる苦行をお止めになって、そして瞑想をして生きる喜びの中から、生命の真理を掴まれたわけでございます。
 行というのは体験です。ただ、ただ苦しめることを目的にした苦行では、ある種の超能力を得ることは出来ると思います。しかし、その超能力をどのように使っていけばよいかというのは、この苦行からでは答えは出てこないと思います。慈悲のこころが伴っていないからであります。
 苦行から得た超能力だけでは人々の苦しみを救うことができないばかりか、かえって不幸にしてしまうということもあるんじゃないかというふうにお釈迦さまは理解されたんじゃないかと思います。
 その力の源はなんなのか。お釈迦さまはそういうことを思われて、苦行をお止めになって、里に下りてこられた。そして、まずお釈迦さまは川で体を清められます。肉体を痛めつけるだけではなくて、苦行に耐えたご自身の体を癒していくことから次のステップに進もうとされたんだろうと思います。そして、そこの川で体を洗っておりましたら村娘がやってきて乳粥をお釈迦さまに差し出します。そして、それを頂いてお釈迦さまは生きる力を取り戻されました。
 そこには慈悲の力があったわけでございます。癒しこそが新たな生命の力を生み出す基であるということをお釈迦さまは体験して知られたと思います。そして、深い瞑想の末に、生き物がすべて持っておるところの生命のサイクルといったものは、生老病死の苦を背負っていることである。そして、その苦しみをどのように解脱して生きていくのかという悟りを得られたんだと思います。悟りを得られたお釈迦さまは、尊い真理への扉を私たちに開いてくださったのであります。
 生きることは、苦しみに立ち向かって行くことなんです。密教で否定でなく肯定することを教えておりますのは、苦しみさえも受け入れる大きな器になりなさいということであるわけですね。
 護摩を焚く炎が高ければ高いほど祈るこころもまた大きく大きく開いていって、炎を受け入れることができるようになるわけでございます。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2008/12/23 恵観勉強会10周年記念祝賀会「祈りのこころ」 総括(72分) mp3/33.0MB

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 私はですね、一番最初に葬式をしたのがネコの葬式でした。私は行者でございまして、葬式が無いんですねウチは。大学にいってれば、寮に入ってました、最初の頃ね。そしたら、皆友達たちが引導作法はこんなにしてやったらいいって、かっこいいこと言うんですね。で、私もどうしても葬式をしてみたいということになった。で、お祈りをしたんです。「私にどうしても葬式を一回だけさせてください」。そしたら来たんですね。行ってみたらネコの葬式だったんです。これが私の第一回目の葬式でした。
 次に今度は母から三無事件のときに勘当されたんですけれども、勘当が解けて母と交流ができたんです、もう父がおりませんでしたから、で母が「お前に葬式を頼むというひとがおるから帰ってこい」と言うんですね。「いや僕はもう葬式はしない、ネコの子の葬式だったから」とゆうたら、「ネコの子じゃない、今度は人間だから帰って来い」。それで帰っていったんですね、そしたら~(ホテルニューオータニ 麗の間)

2008/12/23 恵観勉強会10周年記念祝賀会「初めての葬式はネコの葬式」 (15分) mp3/7.0MB
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