池口恵観勉強会  東 京 2009年 Ikeguchi Ekan Benkyokai Tokyo 2009 Sokushinjobuts  HOME

即身成仏義

2009/2/27
 
第109回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
平原先生
月刊日本主幹・南丘喜八郎様
第一講話 時局
サルキソフ先生
川口ユディ様
第二講話「即身成仏義」総論 
宇宙の秘密
生命の本質
師資相承
密教は秘密の教え
現世の充足感
真理というものは一つ
神仏習合
八百万の神
エルサレムの嘆きの壁
ユダヤ教
キリスト教
イスラム教
  
   お大師さまの本文は非常に難しいです。本文の解釈をするんじゃなくて、このお大師さまの教えに沿って私が体験したり、また感じてきたことを、皆様方といっしょに考えてみたい、というふうに思って、今年はお大師さまの一番大事な即身成仏義を一緒に考えてみたいというふうに思います。
 お大師さまは一般仏教を現教として密教と明確に分けていらっしゃいます。この密教とういう言葉には二つの意味がございます。一つは宇宙の秘密。それは生命の本質のことでございます。宇宙の秘密を教えているから秘密の教えであるわけですね。もう一つは、この教えの威力というには無限とも言えるほど偉大なものであるから、仏さまの教えにしたがっている人物でなければ、その偉大な法力を誤って使ってしまって暴走する恐れさえでてくる。だから秘密にして信頼できる弟子にだけ師資相承で伝えるようにという秘密の教えという意味もあるわけでございます。そのとてつもないパワーというのは、仏さまと一体になることによって得られるものでありまして、そこに密教が優れた教えである証があるというふうに、お大師さまは説かれたのであります。
 即身成仏というのは、あの世に行くまで待たなくても、この世にあって仏さまの世界に至ることができるんだという希望の教えでございます。誰もが安易にたどりつけるわけではありませんけれども、この世のなかを苦しみだけではなくて、生命を存分に生かすことができる、楽を知る場所にでもできるんだ、というふうに教えるわけでございます。お大師さまが説かれたのは、現世の充足感でございました。
 仏さまというのは見えないです。見えない仏さまを目指していく祈りには、まずは三つのこころが必要になるわけなんですね。教えというものは入り口が違ったとしても、正しい道を目指していけば、必ずや同じところに行き着くんだよ。また真理というものは一つなんだよ。そうゆうふうに、私は信じているんです。私は世界中を巡礼してまわっております。どの地にも異なった宗教がございます。これまでそうした異教の地で、たくさんの慰霊をやってきましたけれども、ただの一度もトラブルにあったことはございません。私は常々、神仏習合を成し遂げて八百万の神とともに生きている日本人の英知が、長い目で見て世界平和の実現に生かされていくんだというふうに説いているわけであります。
 平成12年の9月に私はイスラエルに行きました。お坊さんたち弟子たちを連れてエルサレムの嘆きの壁に向かったんです。ご存知のように、ここはユダヤ教の聖地でございます。エルサレム自体がユダヤ教とキリスト教とイスラム教の聖地であるわけでございます。ここを訪れる宗教家にとっては、訪れる方もまた迎える方も大変神経を使う土地柄でございます。特に、この地を守っておりますユダヤ教徒たちは厳しい戒律を守っておる人ばかりでございます。私と弟子たちは仏教の服装のままで壁に向かおうとしておりました。いつもそうなんですけれども、異教であっても祈りの聖地そして神仏に祈る人たちのこころに対して最大限の敬意をもって訪れるようにしているわけでございますが、弟子たちにもその姿勢は厳しく申しておりました。隅々の法衣をまとって金色の和袈裟を首にかけて、手に数珠を持った私は壁に向かって進んでおりました。私はこのように体格が大きいございますので、周囲のユダヤ教徒が何事かと思ったようなんですけれども、慌てて私たちを阻止しようといたしました。(ホテルニューオータニ アリエスの間)


2009/2/27 第109回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 総論(60分) mp3/27.6MB
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2009/3/25
第110回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 ロシア訪問
同文館出版中島社長
丸山みどり様フルート演奏
参議院議員山内俊夫先生
澤和樹先生バイオリン演奏
第二講話「即身成仏義」2回目 
崖っぷちの心境は行の基本
刀岳の禅
修験道の行場
金剛頂教
大日教
真言密教の二本の柱
金剛智三蔵
第一祖大日如来
第二祖金剛薩埵
第三祖龍猛菩薩
第四祖龍智菩薩
密教のふるさとインド
   崖っぷちの心境というのは行の基本でございます。そのせっぱつまった心境を、行者は行のなかで経験していくのであります。私の家には刀岳の禅(とうがくのぜん)という行がございます。私が始めてこの行をしましたのは4歳のときでございました。高い、高い行場の山に行きまして、険しい山の上に行きます。修験道の行場でございますけれども、小さいころ父親に背おわれて登っていったわけでございます。狭い崖の、狭い岩場で座禅を組むわけでございます。背後も切り立った岩でございます。目の前に刀を立てて真言を唱え続けるという行でございます。ここに断崖絶壁がありますと、ここに座ってこの前に真剣を立てて、自分の方に倒れてくるような立て方してあるんですね。のけぞれば崖から落ちて死んでしまいますし、眠りがきて前にくれば、刀で顔を切るというようなことでございますので、真剣に拝まないとこの刀がお前の前に来て、お前の顔は切れるんだぞと言われるんですね。
 私たちはこの世に生きて毎日、毎日煩悩を抱えていきます。その煩悩をいかにして知恵の火に変えていくか、また慈悲の灯火にしていくか、そこにの実践があるわけでございます。
 金剛頂教というのは、大日教とならびまして真言密教の二本の柱となっている尊い経典の一つでございますけれども、お大師さまはこの金剛頂教と大日教、この二つの経典によって教えの体系を作りあげられたのでございます。
 金剛頂教を始めて中国に伝えて、サンスクリット語から翻訳したのはインド密教の正当を継いだ金剛智三蔵でございます。金剛智三蔵は真言密教の系譜で言いますと第五番目の祖師にあたる方でございます。第一祖の大日如来と第二祖の金剛薩埵というのは真理を人格化いたしまして、実在の人物とは言えない方々でございます。さらに第三祖の龍猛菩薩(りゅうみょうぼさつ)と第四祖の龍智菩薩(りゅうちぼさつ)、この二人は実在した人物であるわけではございますけれども、どんな人となりであったかということは伝承に包みこまれてはっきりとしていないのでございます。
 密教のふるさとでありますインドにおきましては、昔からダイヤモンドの素晴らしさが知られておったんだろうと思います。変わらない、強くそして美しい輝きを持つところの石である。それがダイヤモンドであって金剛石であるというわけであります。もとはと言いますと、このダイヤモンドは炭素です。燃えて、燃えて、燃え尽きた果てに長い時間を経て、その結晶が透明の輝くダイヤモンドになったというわけでございます。
 燃え上がる自分たちの煩悩の炎は、大きく、大きく、大欲の炎と化して行って、そしてその果てに最高の宝石でありますところのダイヤモンドを生み出したというわけです。
 ダイヤモンドもまた誰かのために輝いているというんじゃないんです。燃えて、燃えて、燃え尽きた時に灰の中からダイヤモンドが光を受けて輝いている。あるがままの姿で輝いているというわけであります。
 私の母はよく言っておったんですけれども、行をして、身とこころを仏さまのいらっしゃる宇宙においていけば、それは美しい、美しいダイヤがいっぱいこの宇宙にあるのが見えるよ。お前は欲が深くて、色気が多くて、行を一筋にやらないから宇宙のことがなにも分からないけれども~(ホテルニューオータニ アザレアの間)


2009/3/25 第110回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 2回目(70分) mp3/32.1MB

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2009/4/28
第111回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
上城先生
澤和樹先生ヴィオラ演奏
第二講話「即身成仏義」3回目 
私は行をしてお加持をします
お尋ね
お加持をして障りを取っていく
現世利益
成仏は聖の世界
同行二人のこころ
仏のこころ
六大は無碍にして、常に瑜伽なり
四種曼荼各離
大曼荼羅
三昧耶曼荼羅
法曼荼羅
羯磨曼荼羅
四方から宇宙の姿を表現
不離
   私はをしてお加持をしますけれども、そのお加持を受けられた方が非常に軽くなったとか、良くなったとかこういうふうに言って喜んで報告をしてくださるときに、私は非常にこの上ない幸せを感じるといいますか、嬉しいんですね。共に悩みながら、その悩みとか苦しみから抜け出されたという嬉しさを、手を携えて分かち合っていくということが、なによりの喜びであるわけでございます。その共に味わっていくという、その満たされた気持ちこそが、仏さまのこころであって、また仏さまになった瞬間であるんだというふうに私は思っているわけでございます。
 寺においでになりますと、「お尋ね」、ということをいたしますけれども、これなんかでは具体的なアドバイスが必要になってくるわけでございます。お加持をして障りを取っていくだけじゃなくって、この世の中で解決すべきことがいっぱいございまして、現実的な支援をすることもあるわけでございます。その現世利益にいたるのが、お大師さまの同行二人のこころでございますし、仏のこころであるんだというふうに私は思っているわけでございます。
 即身というのは、この身のままでという、身に即してという意味でございますから、この世のなかでの生命のありさまを話しているものであると思います。いわば俗の世界のことであると思います。これに対しまして、成仏というのは聖(ひじり)の世界になると思います。それはどんな世界なのか、お大師さまは教えてらっしゃいます。まずはこの即身でございますが、「六大は無碍(むげ)にして、常に瑜伽(ゆが)なり、四種曼荼各離(ししゅまんだおのおのはなれ)れず」、とこういうような言葉を言ってらっしゃるんですけれども、分かり易く言いますと、生命というのは混沌としておって、混じり合っているものであるよ、というふうに理解していただきたいと思います。けれども生命というのは、一つ、一つが独立して存在しているんじゃなくって、みんな繋がっておってそして混じり合っておるものなんですね。
 この世の中は、この混沌の中から生まれた生命が、それぞれ精一杯に生きているわけであります。自分の考えとか、行動だけで生きていくわけにはいかないわけであります。また自分の考えであったといたしましても、矛盾に満ちていることが多いわけです。   
 ビルーテ・ガルディカス、この人が書かれた「オランウータンとともに」という本がございます。非常に興味深いことを語っていらっしゃいます。オランウータンという動物は生まれたときは、人間の赤ちゃんの三分の一の体重しかないわけでありますけれども、生まれたときから物を掴んだりするような能力を持っているわけであります。
 人間の赤ちゃんは9ヶ月もいたしますと、突然と言っていいほど劇的に変化してくるわけでございます。言葉を話すようになるわけでございます。ここで人間の赤ちゃんは、胎児の状態から人間となっていくんだというふうに精神医学者たちが言っているわけでございますけれども、お大師さまの教えでも言葉をたいへん重視しておるわけでございます。この言葉を覚えることによって、人間は複雑なイマジネーションを描いて、そしてほかの人と共有することができるようになるわけでございます。
 曼荼羅というのは、大日如来を中心にして諸仏諸菩薩を配した図でございまして、真言密教には無くてはならない大切な法具の一つでございます。これが宇宙の姿を表現しているわけでございます。この曼荼羅に大曼荼羅、三昧耶(さんまや)曼荼羅、法曼荼羅、羯磨(かつま)曼荼羅という四つの種類があるわけでありますけれども、これは四方から宇宙の姿を表現しているわけでございます。この曼荼羅は、けっして別個のものではなくって、宇宙を違う角度から写し出しているわけでございますから、元は同じでございまして、同じであるから不離と言うわけなんです。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2009/4/28 第111回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 3回目(61分) mp3/28.1MB
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2009/5/23
第112回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
秋田市副市長飯塚明様
サルキソフ先生
第二講話「即身成仏義」4回目
小池一夫先生  
生命というのはなんなのか
六大は地水火風空と識
お加持
なぜお加持が効くんだろうか
お尋ね
私は仏さまの代理人になる
三界の大導師
真言行者
我が身を仏となして
死ぬまで現役
厳しい行を毎日自らに課す
自らの心身を六大の塔として
   生命というのはなんなのか?これは六つの要素から成り立っているんだというふうにお大師さまは説いていらっしゃるんです。六大というのは地水火風空と識、それぞれがばらばらにありますけれども、ばらばらにあって生命を作っているのではないんだ、お互いに分け隔てなく入り混じって、また溶け合って生命は出来ているんですよ、というふうにお大師さまは教えていらっしゃるわけでございます。
 私の母はいつも私に厳しい意見を言っておりましたけれども、ことお加持につきましては「息子のお加持は効くから息子にお加持をしてもらったらどうですか」というふうによく信者さんに言っておったらしくて、鹿児島までよくたくさんの人が尋ねて来ていらっしゃんたんですけれども、今思いますと私の本分をきちんと評価してくれておったんだなあと思うんですけれども、なぜ私のお加持が効くんだろうかと言いますと、私がお加持をしますときに、どんな場合でも本気の本気でやるからであると思います。それは、この人の苦しみが無くなりますように、この人の体に光が戻りますように、この人の体についている悪い霊が早く離れてくれますように、この人のこころのわだかまりが消えますように、この人のこの痛みが早く無くなりますようにと、このように本気の本気で比べようのないほどの強い信念で祈るという意味でございます。大袈裟に言うならば例え死んでおっても、息を吹き返してくださいますように強く強く念じていくというわけでございます。
 いつも「お尋ね」をやっておりますけれども、そのお尋ねの相談に来られた方とか、病気に悩んでいらっしゃる方々、みんな不安な気持ちをかかえてやって来られる人でございます。ご縁があって私を尋ねて来られる人たちばかりであるわけでございます。その人たちにとって私は仏さまの代理人になるわけでございます。過去、現在、未来にわたる三界の大導師となって人々を苦しみから救わなくてはいけない、いい方向に導いていかなくてはいけない、小さい時から願い続けてきた真言行者であるわけでございます。その行者としての信念はお大師さまのこの教えに始まっているというわけでございます。
 「真言行者よ円壇(えんだん)をまず自体(みずからのからだ)に置け」、このようにお大師さまは呼びかけてくださったのでありますが、その言葉はまさに私の宇宙に響きまして、精神を目覚めさしてくれたのであります。真言行者は精神を有するが故に識なんだと言われるお大師さまの、このお大師さまの教えを全うするために、私は人生を賭けてに打ち込んで、その行で得た力を日本だけではなく、世界の人々の幸せのために使いたい。そういうふうに思って歩いてきたわけでございます。そのために我が身を仏となしてとうふうに、人々に代わってその悲しみ苦しみを自分の身に与えてください。厳しい行を毎日、自らにそう思って課してきたというわけであります。
 今からもそれをやっていかなくちゃいけないんだ、死ぬまで現役でがんばらなくっちゃいけないのが行者であるわけでございます。自らの心身を六大の塔として祈るわけでありますから、不動の姿勢でなければいけないわけであります。行者は行をしているときは心身ともに磐石のように座って、微塵も内心の恐怖とか苦衷をのぞかしてはいけないんだと、それが私の母の、また父の教えでありました。(ホテルニューオータニ アリエスの間)


2009/5/23 第112回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 4回目(64分) mp3/29.7MB
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2009/6/23
第113回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
第二講話「即身成仏義」5回目
藤原肇先生
澤和樹教授バイオリン演奏
大日教
金剛頂教
恵果阿闍梨
大乗仏教
曼荼羅
全身全霊で祈る行法
この世とあの世が一体
目に見える世界
目に見えない霊の世界
地獄の業火の苦しみ
特攻隊基地
非業の死
北朝鮮へ行く
   密教は、それまで大日教を根本とするものと、金剛頂教を根本とするものとの二つの流れがあったんですけれども、恵果阿闍梨はこれを一つの教えに統合されて、お大師さまにこれを継がれたというわけです。慈悲と知恵の二つによって、仏さまの功徳が人々を救うのであって、この力を得て伝えるのが行者であるわけでございます。
 大乗仏教では、悟りに至るまでには気の遠くなるほどの長い時間をかけて、輪廻を繰り返し、繰り返しして修行を積んで、ようやく悟りに至ることができるというふうにされております。しかし、密教におきましてはそうじゃなくって、仏の知恵によって、現世において曼荼羅に入ることができるし、また瞬時に計り知れない仏さまの請願とか、あらゆることを保持する力を得ることができるんだと説いているのであります。
 密教が特別に全身全霊で祈る行法を備えておりますから、速やかに成仏できるんである、というふうに教えているわけであります。私が先祖や先達から受け継いできた、また秘法こそが密教のもっとも大事にしているものであるというふうに思って、教えをこころに刻んできたというわけでございますが、曼荼羅に入ると説いておる世界こそは、この世とあの世が一体になってる本当の世界であるわけでございます。
 私は常々、目に見える世界だけが生命ではないというふうに言っております。目に見えない霊の世界といいったものは、見える世界の何倍もの大きさで存在しているのであります。目に見える世界は1%から10%、目に見えない世界が、90%から99%の世界で私たちは生かされているんだということを言っているんです。
 私たちは護摩を焚いています。火を焚いて祈りをします。それは地獄の業火の苦しみを知り、そこから開放されるためのプロセスを体験するものと言うこともできると思います。お不動さんが火炎を背負っていらっしゃるのは、地獄の苦しみを焼き尽くす大きな力を象徴していらっしゃるわけでございます。
 私は20世紀末から世界で平和を祈願する巡礼を続けておりますけれども、始まりは私の母のこころを受け継いだところからであったと思います。 
 母の生涯で、母がもっとも辛かったのが戦争であったと思います。鹿児島には特攻隊基地がいっぱいございました。私の近くに串良(くしら)の特攻隊基地があるし、また鹿屋(かのや)の特攻隊基地がある、ちょっと下って知覧特攻隊があるし、またその近辺にいくつも特攻隊基地がありました。
 毎日、若者たちが生きて帰れない特攻に飛び立って行ったのであります。皆、家族を残して、恋人や、友達や仕事や学業に思いを残して死んでいったのであります。母のもとにはそうした特攻の若者たちが出撃を前にしてたくさん来ておりました。
 戦いが終わったときに、その憎しみを次の世代に残さないために私は祈らなくっちゃならない、非業の死を遂げた人々の霊を癒すことによって、世界の平和が実現できるんだということで、平和を実現させたいという請願をしたわけであります。そして非業の死を遂げた方々の霊を慰めなくっちゃいけない。私は強く願うようになったのであります。今回、私が北朝鮮へ行くことに決意いたしましたのも、そのことが一番でございます。(ホテルニューオータニ アリエスの間)

2009/6/23 第113回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 5回目(65分) mp3/29.7MB

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2009/7/23
第114回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
吉原正義様
サルキソフ先生
駒野いずみ様
蛍鑑賞
第二講話「即身成仏義」6回目 
目に見えるもの
湯川秀樹博士
宇宙の成り立ち
壮大な仏さまの世界
密教の霊山である高野山
こころというのは何か
21世紀高野山医療フォーラム
真言密教の密の部分
加持の世界
祈りで不治の病気がなぜ治る
山口大学医学部
重い白血病
密教の秘密
護摩行に参加
三番の一番厳しいところ
   目に見えるもの、誰もが確実に確認できるものを真実として、それ以外を排除しながら発展してきたわけでございます。そのおかげで、人類は宇宙に飛び出して、月の裏側も見ることができるようになりました。また極小の世界でありますところの遺伝子の研究が進んでまいりまして、生命の起源にも迫ろうとしておるわけでございます。
 日本で始めてノーベル賞を取られた湯川秀樹博士が、よく私の学生時代に高野山に来ていらっしゃいましたけれども、これなんかも宇宙の成り立ちを極めていかれれば、いかれるほど、そこに壮大な仏さまの世界があるということを悟って、この密教の霊山である高野山にお参りされるようになったんだろうというふうに、私は思っております。そして21世紀に入ってまいりますと、こころというのは何かという学問の分野で、再びこうゆうことが注億されるようになってきたのであります。今、高野山大学で開いておりますところの「21世紀高野山医療フォーラム」、これをやっておりますけれども、これなんかは科学と宗教とが再び交流して、研究しあう場として関心を寄せる人たちが非常に増えてきております。
 真言密教の密の部分を見直していこうというふうに考えていらっしゃる学者さんたちの動きもあるようでございます。学者たちがとりわけ関心を寄せるのが、加持の世界でございます。祈りによって不治とされた病気がなぜ治っていくのか、未だこれは解明されておりませんけれども、その事実を受け入れる医学者たちが増えてきているのであります。
 この20年ほど私は、国立山口大学医学部を始めといたしまして、各地の大学の医学部で講義をしてまいりました。その私が医学部で講義をするきっかけとなりましたのは、一人の医学生との出会いでございます。確か昭和の終わり頃のことであったと思いますけれども、ある日突然に私の寺に私を訪ねて来て「先生、私にも修行させてください」と言ってきたのが、もう本当に今にも死にそうな顔をして、ひょろひょろとした山口大学医学部の大学院生の荻野景規くんでございました。このときに、この荻野くんは重い白血病にかかっておりまして、もう主治医から余命いくばくもないというふうに宣告を受けておったのであります。
 心身ともに絶望の淵にあった状態でございました。頭もいいし、秀才でございます。前途洋々であったはずの医学者への道が絶たれようとしておったのでございます。荻野くんは奈落の底で、なんとか救われる道はないもんだろうかとあらゆる手立てを尽くしておったわけでございます。その苦悩の中で、私が昭和57年に出しました「密教の秘密」という本と出会いまして、鹿児島までやってきたというわけでございます。藁をもつかむ気持ちであったんだと思いますが、私は翌日からこの荻野くんを護摩行に参加させました。荻野くんは毎日2時間弟子たちと並んで、私の脇に座って手や顔に火傷をしながら、一生懸命大声で真言を唱えておりました。
 三番目というのが一番厳しい場所なんですね。熱くて大変な場所でございます。二番目に一番最初座らせたんですけれども、やっぱり死ぬというあれがありますから、一番苦しいところでやってみたいと思ったんでしょう、三番の一番厳しいところでやらせてくださいと言って、そこでやりだしたんですね。
 不思議なことに、行をしているあいだじゅう彼の鼻から白い鼻汁がずっと出ておりました。1週間いたしましたらその鼻汁がもう出なくなったんです。そして荻野くんの表情と言動に生気がみなぎってまいりました。
 「ひょっとしたら、あんたのこの病気は改善されてるかもわからんから、一回大学病院へ帰って診てもらいなさい」と言って帰したんです。数日後、山口から電話が~(ホテルニューオータニ 麗の間)


2009/7/23 第114回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 6回目(63分) mp3/33.7MB

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 2009/8/27
 第115回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
第二講話「即身成仏義」7回目
藤原肇先生
第二講話「即身成仏義」7回目
般若心経 真理を語る経典
大きなパワーをもたらす真言
生老病死
苦を苦としないで生きていく
宗教は幸福を追求する教え
霊の問題
本当の宗教はすべての苦悩から人々を救う
僧侶は霊を慰めるために祈る
行者の務め
霊は体の奥底に眠るもう一つの生命
大日如来の本質は光
末期がん
お加持をしてもらいたい
お加持すると熱さを感じる
体全体の光が弱る
加持によって光を開放
大宇宙のリズムとずれる
大宇宙のエネルギー
仏性を目覚めさす
リズムを元に戻す
病気の原因を追い払う
   お大師さまは、般若心経を真理を語る経典というだけではなくって、大きなパワーをもたらす真言だというふうに教えていらっしゃいます。こころの底からこれを唱えておりますと、その響きが宇宙にこだましますよ、と私は信じてそれをお伝えしているんですけれども、この信じること、それが仏さまへの道の第一歩であるわけでございます。誰一人として避けることができない生老病死(しょうろうびょうし)というのが生命の手ごたえであるならば、その一つ、一つに仏さまへの道を重ねて喜びとしながら旅を続けていったらどうでしょう。
 このお大師さまの教えは満ちたりた生命に到達するもの、生老病死を忘れないで生きていく道しるべでもあるわけでもございます。苦を苦としないで生きていく。その生き方を導いてくださったのが、お大師さまでございます。
 宗教というのはつきつめていきますと、幸福を追求する教えであると思います。あらゆる教えはみんな救いを目的としたものであって、これを現代という時代にどのように合わせていけばいいのか、ということを私たちは今、考えていかなければいけないんじゃないかな、というふうに思いますが、本当の宗教はすべての苦悩から人々を救うことが出来なければいけない、というふうに私は思っております。そのときにどうしても避けることができないのが霊の問題なんですね。僧侶は霊を慰めるために祈るんです。それは亡くなった霊のためではなくって、生きている霊が安心するためでもあるわけであります。
 霊というのは、私たちの体の奥底に眠っているもう一つの生命でございます。この祈りが霊を癒して、高めて、私たちを守ってくれるのであります。私たち一人、一人が霊なんだというふうにしますと、まずは認識を持っていただかなければなりませんけども、実はこの霊の存在を信じ易い人ほど、霊格というのは高いものでございます。
 世のため、人のためにをするのが行者の務めであって、行者は常に光っておらなければいけないんだと、それがいつもの私の母の言葉でございました。私は大日如来の本質というのは光だというふうに思っております。その大日如来の子供である私たちも光を持っておるわけであります。
 私の寺においでになった末期がんの女性の方がいらっしゃいました。現代医学での治療はすべて尽したと言ってらっしゃいます。そして「無駄になってもいいから、先生にお加持をしてもらいたい」と言って、はるばる鹿児島までおいでになったのであります。私はこの方に体の奥にわだかまっている光があるというふうに感じたのであります。そして、加持によってその光を開放して、外に出して差し上げることができるように、そうゆうふうに感じたのであります。そして、長い時間を取って加持を始めますと、背中においた私の手が一箇所に留まらないで、あっちこち上下しておりました。背中に手を当てますと、自然に悪いところに当たっていきます。きっと転移がすすんでおったんだと思いますけれども、「焼け火箸をあてられているようです」と言ってらっしゃる。そして私の手を握って「これ本当に手ですか」、ということで手を握られたんですけれども、お加持をいたしますと大抵の方がそうおっしゃいます。この方も例外ではなくって、熱さを感じられたようでございますけれども、こんなふうに言ってらっしゃいます、「なんだか体の前から光が出てるような感じがします」。
 この方は体全体の光が弱ってしまって、無くなりかけておったのであります。それだから私は宇宙に満ちている光の海からコップでこれをすくって、手を通じて入れて差し上げる、そんな感じを持ちながら、いつも加持をしているんですけれども、補充する光によって体が熱くなって、体内の光が動き始めるんだろうなと、私は感ずるわけでございます。この方は何度か寺においでになりまして、四六時中襲っておった痛みがもう無くなったと言ってらっしゃいました。
 病気というのは、人間が本来持っているリズムが、大宇宙のリズムとずれてしまって、狂ってしまった状態だというふうに解釈しております。お加持というのは、大宇宙のエネルギーをこうして注ぎ込んでいくことによりまして、誰もが持っている仏性を目覚めさしてリズムを元に戻して、それによって病気の原因を追い払ってしまう~(ホテルニューオータニ 麗の間)


2009/8/27 第115回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 7回目(113分) mp3/52.1MB
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2009/9/24
第116回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 訪朝報告
衆議院議員阿部知子先生
参議院議員義家弘介先生
サルキソフ先生
澤和樹先生バイオリン演奏
第二講話「即身成仏義」8回目 
三つの毒を制す
仏さまの力
人間の煩悩
百万枚護摩行
宇宙は大日如来そのもの
大宇宙大生命体
自分たちも皆仏
一寸先は闇
一生懸命こころを磨く
仏さまの光
慌てないこころ
こころというのは識である
   仏教では三毒ということを申します。それは怒ることと、貪ることと、愚かなこと。この三つの毒を制していけば、仏さまの力はいつでも、こころの井戸からこんこんと涌いてくるはずでございます。怒らない、これは分かりやすい毒でございます。真剣にを重ねておりますと、怒りというのはいつのまにか消えていきます。
 人間の煩悩というのは本当に根深いものでございます。もう無くなったと思っても、また新たな煩悩が涌いてまいります。私は百万枚護摩行を達成いたしましたときに、本当にこころの底からあらゆる生命を愛おしいというふうに思う気持ちが、ふつふつと涌いてきたのであります。それまで私は気が短かったところもございますけれども、知らず、知らずの内に消えておったのであります。
 お大師さまは、私たちの生命は、唯一つの源から生まれでたものであるんだよ、というふうに教えていらっしゃいますけれども、宇宙は大日如来そのものであって、私たちは皆この大日如来から分けていただいた仏さまであるというわけであります。大宇宙大生命体を自分の体として生きていらっしゃる大日如来からすべてのものは生み出されている。だから仏から生み出されたから、自分たちも皆仏なんだというわけであります。では仏さまというのはどこにいらっしゃるんでしょうか。それは自分自身の中にいらっしゃるというわけであります。
 生命というのは宇宙からやってきた。それなら宇宙というのはどこから来たんでしょう。お大師さまはその宇宙というのは元からあったんだ、というふうに説いていらっしゃいます。宇宙というのは大日如来そのものである。そういうふうに教えていますが、この世に生きているということは、いつか終わってしまうという不確かさがございますけれども、どんな幸せであっても、また不幸なことであっても、いつかはこれは終わります。確かな未来を描こうと思っても、私たちは一寸先は闇というこの世界を手探りですすんで行かなければいけないのであります。
 だからこそ、いつかは本当の安心を得て、生きる世界に行き着きたいというふうに願って、私たちは前へ前へと歩いているわけでございます。
 その旅の道を照らすのが、仏さまが掲げてくださる灯火であるわけでございます。灯火が見えるようにほこりを取り除いたこころになるように、一生懸命こころを磨かなければいけないというわけであります。時に嵐が吹き荒れたり、あるいは重い雲が立ち込めたり、あるいは深い霧が出たり、こころの灯火が見えなくなったりいたします。この灯火が消えてしまったのかというふうに、見えなくなったら慌ててはいけないと思います。じっと落ち着いて待っておれば必ず雲は晴れて、その灯火の光が見えてくるわけでございます。
 仏さまの光というのは、決して消えることはないのであります。慌てないこころ、それが強いこころであります。 苦難にもめげないで前にすすんでいくこころは、仏さまの光が消えずにあるというふうに信じられるこころであると思います。
 千二百年も前にお大師さまは、こころについて沢山の教えを説いていらっしゃいます。仏教が大切にいたしますところの、このこころというのは何なんでしょう。お大師さまは、こころというのは識であるというふうに言っております。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2009/9/24 第116回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 8回目(55分) mp3/25.3MB
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2009/10/23
第117回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
松崎益徳先生
サルキソフ先生
澤和樹教授バイオリン親子二重奏
第二講話「即身成仏義」9回目 
心数
心王
生きる力
金本選手
覚悟のすすめ
お加持
決断の徳

   心数(しんず)というのは心の数と書きます。これはこころの作用でございます。心王(しんのう)というのは、こころの主体のことでございます。
 こころという言葉をお大師さまは縦横無尽に使われて、難しい密教の教えを説いていらっしゃるのであります。現代に生きる私たちにとりまして、このこころについての教えというのは一番大切なものであるというふうに私は思っているわけでございます。
 生きる力というのは、こころから送られます。それぞれのこころの有り様が、その人の人生を左右するのであります。それが心王でございます。そしてこころの働きによって生きる道が開けるわけでございます。それが心数というわけでございます。
 この二つ心王、心数をしっかりと確認して生きていかなくてはと思いますが、どちらにも無限の知恵が込められているんだよというふうにお大師さまはこの項で説いていらっしゃいます。その力を自分で認識したときが仏になるときであるわけでございます。
 平成20年9月に金本選手が新書を成就いたしました。それは「覚悟のすすめ」というタイトルになっております。冒頭に私との縁が書いてございます。
 シーズンオフになりますと護摩行に、もう10年ずっと来てをしておりますが、その中で私が「念」を入れて渡しておいた数珠が、この前の世界記録を作る2,3日前にここにデッドボールが当たりまして手が折れてだめになろうとしたときだったんですね。それがその数珠に当たって三つ数珠の玉がちょっとそれて、折れないでぎりぎりで野球ができたんです。そのとき私は京都におりまして「すぐ京都のホテルに来なさい」と言ってその晩、私が手を握ってお加持をしてましたら手を置いただけで「痛っ、助けて」って言うてものすごい反応しておったのが二、三分でこれがなくなりまして痛みがなくなりましたという訳です。
 それで、そのまま明けの日に野球に出て二本のヒットを打ちました。そのときは骨が折れてもうだめだとガチャっと音がした、見てみたら三つ玉が割れてましたって言っておりました。
 金本選手もこころを磨いて、磨いてそして試練に立ち向かう覚悟をもって生きているわけでございます。自分で覚悟をつけられる強いこころこそが、力を鍛え逃げない精神を練り上げていくわけであります。
 さて、この即身成仏義のこの項でお大師さまは「決断の徳」という言葉を使っていらっしゃいます。万物に満ちている一切の知恵につきまして決断の徳を明らかにするときに、これを「智」という名で呼ぶというふうに述べておられます。(ホテルニューオータニ 舞の間)

2009/10/23 第117回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 9回目(61分) mp3/28.3MB
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2009/11/26
第118回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
お誕生会ビデオ映像
訪朝ビデオ映像
第二講話「即身成仏義」10回目
私の行の厳しさ
一日だけでへばって帰る
甘い行はございません
行は祈ること耐えること
弟子たちに厳しくする
耐え抜いてこそ実りも大きい
行は極限までやるのが基本
三密修行
身口意を極める
北アルプスの剣岳
柴崎芳太郎
「剣岳・点の記」
のうまくさんまんだ ばざら だん せんだん まかろしやだ そわかうんたらた かんまん
 
   私のの厳しさにつきましては、すでにもういろいろなところで知られておることでございますけれども、弟子入りしたいというふうに言ってやってきましても、一日だけでへばって帰ってしまう人が沢山いらっしゃいます。
 行に甘い行なんかはございません。行はどんなに厳しくしても、厳しすぎるということは無いわけでございます。これくらいのことでくじけるようであれば、行者にはなれないんです。行者が苦しんで、苦しんで、苦しみ抜かないでおって、どうして本当の苦しみを理解できるんだ。そうゆうふうに思うから、私は弟子たちに厳しくするんでございます。
 行というのは祈ることであり、耐えることでもあるんであります。耐えて、耐えて、耐え抜いてこそ、その後の実りも大きいものになるのであります。これは行に限ったことではないと思います。あらゆる人、あらゆる状況について、これは言えることであるというふうに私は思っております。
 私自身が弟子たちの前に立って厳しい行をしていかないと誰もついてこないんですね。口だけどんなに厳しく言ってもダメ。自分が、弟子たち以上の苦しいところにおって行を勤めておらなければ、ついてこないんです。行というのは苦しく極限までやる。これが基本なんです。
 体、身体と、こころと意思、どれを動かすにも脳の働きがなければいけないわけであります。脳というのは絶えず動いて、私たちを生かしてくれているわけであります。体を動かして考え、こころを動かして初めて生命は輝やいていくわけであります。私たちの密教の修行というのは、三密修行に始まって、これに尽きるわけであります。三密というのは、自分の身口意(しんくい)を極める三密修行の体と、こころと、言葉でございますが、この三密修行の奥義を極めることが、生命を知ることになるわけであります。
 今から百年ほど前の、日露戦争が終わって間もないときのことでございます。当時日本では「地図は国家なり」という考えを基本にして、精密な日本国の地図を作っておったのであります。陸軍の測量部が、これにあたっていくわけでありますけれども、空白を埋められない部分があったのであります。日本の北アルプスの剣岳に登頂して、なんとか頂上に測量の基点を置かなければいけない。それが至上命令として一人の測量官に下るわけであります。柴崎芳太郎という人がその人でございまして、かつて故新田次郎さんが柴崎測量官をモデルに小説「剣岳・点の記」というのを書かれました。これを原作にして、2009年に映画が完成したのであります。当時、剣岳は前人未踏の山とされまして、お大師さまが、わらじ三千足を使っても登れない、というふうに伝えられて、登ってはならない山と恐れられておったのであります。出来たばっかりの山岳会と初登頂を競うという形で、柴崎は出発するわけであります。しかし、死を賭して初登頂を成功させたと思った頂上に、修験者が置いていった鉄の剣とか錫杖(しゃくじょう)があったわけであります。初めて登頂したものの、そこで息絶えたのかもしれないわけでございます。千年以上も前に、この山を踏破されていたということが明らかになりまして、陸軍上層部は柴崎の働きを評価しなかったのであります。映画を製作した監督は、撮影は行だというようなことを言ったようでございます。その言葉を裏づけるように、映画はアルプスの峰で不動真言を唱える行者から始まります。映画を見てください、夏八木勲さんが行者になって「のうまくさんまんだ ばざら だん せんだん まかろしやだ そわかうんたらた かんまん」という姿から出てまいります。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2009/11/26 第118回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 10回目(58分) mp3/26.5MB
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2009/12/23
第119回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原先生
松田学様
サルキソフ先生
第二講話「即身成仏義」最終回
即身成仏の教え
顕教の教え
見えないおかげ
行というのはなんなのか
救いというのはなんなのか
この身のままで仏になれる
厳しさを通じて得た仏の力
お加持
皆様方の苦しみを癒す
明鏡止水
目が見えないのが見える
奇跡がいっぱい起きる
仏の本当の姿
   お大師さまの教えが行きつくところ、あるいは始まるところは皆、この即身成仏の教えでございます。それは今、こうして生きているこの体、この身のままで即、仏になれるというこの教えは密教の他には無いわけでございます。長い、長い生まれ変わりのときを経て、また修行を積んで人はようやく仏になれるんだ。そうゆうのが顕教(けんぎょう)の教えでございます。それをいやそうじゃない、正しい修行によって真理を会得すれば、たちどころに今ここで、この身のままで仏になれるんだ、というふうにお大師さまは教えられたわけであります。
 お大師さまは千二百年前に生きられた方でございます。本来ならば亡くなって仏さまの世界に行かれるところを、すべての人が成仏するまでこの世に留まって、共に生きて支えていきたい、というふうに誓われたわけでございます。
 「衆生尽き涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん」ということを言って誓われたんですね。私たちは見えないこのお大師さまのおかげを信じて毎日、毎日祈っているわけであります。たしかにそのおかげによって、いろいろな悩みとか、苦しみから救われたというふうに感じられる人がいっぱいいらっしゃるわけであります。あるいはお大師さまがいらっしゃるということを感じる人たちがおられることも確かでございます。
 私は生涯をかけて行者として生きてまいりました。祈りがしっかりと仏さまに通じることを数々の体験から私は知っております。このお大師さまの教えの言葉に込められた見えないおかげも私は感じ取れるようになりました。そしてこの究極の教えを皆さんと共に考えてみたいと思って、即身成仏義を紐解いたわけでございます。
 というのはなんなのか。救いというのはなんなのか。この身のままで仏になれるほどの行を積むようにしなさいというふうにお大師さまは教えられたのであります。その厳しさを通じて得た仏の力をさらに多くの人たちの救済に使いなさい。そのようにお大師さまは説かれました。
 私たちはお加持をします。今日もここに来るまで先ほど6人ほどお加持をしてまいりました。これを加持といいます。加持というのは修行によって仏と大きく響きあえるようになった私たち行者が、その響きを伝えることでもあるわけです。澄んだ音が天にこだまして、谷に響き渡っていきますように、私たちは祈らなくてはいけないわけであります。行者として私は炎壇に立ちます。皆様方の苦しみを癒すために、こころを尽して祈ってまいるわけであります。その行者の祈りを受ける人は皆、明鏡止水のようにこころを平らにして行者と一体になるのであります。そのように明鏡止水のようにこころを平らにしていただけるように、行者は祈らなくてはいけないんです。しっかり祈っていけば歪んだこころも明鏡止水のようになっていくというふうに私は思って、そこに響きあいがでて、必ず癒されて病気が治るんだという自信のもとにお加持をしております。
 だから、がんの人とか、折れた手とか、足とか、いろんなものがひっついたり、目が見えないのが見えるようになってきたりしている不思議、一般的には奇跡といわれるようなことがいっぱい起きるんです。うちでは常にそうゆうことが起こるから奇跡でなくなってきておりますけれども、これが仏の本当の姿じゃないかなと私は思っています。(ホテルニューオータニ 翠鳳の間)


2009/12/23 第119回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 最終回(75分) mp3/34.5MB
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