恵観塾   東 京 2010年 Ekanjuku 2010 Tokyo - Bodaishinron           HOME

菩提心論

2010/2/24 
 
第120回池口恵観勉強会
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
廣田成哉様
秋元 司先生
第二講話 菩提心論 1回目 
発心
こころの出発
仏さまの道を目指したい
死後の冥福
サンスクリット語のボーディー
菩提の世界は善そのもの
祈りは行そのもの
こころを見つける道しるべ
大日如来
アビラウンケンソワカ
   何かをしようという意思、それが発心なんですね。こころの出発でございます。この菩提心のスタートは、仏さまの道を目指したい、そういうふうに思ったときが、この菩提心の発心であるわけでございます。
 現代の日本には見失ってしまったこころがたくさんございます。その見失ったこころの究極とも言えるものが、この菩提心じゃないかなというふうに私は思っているところでございます。
 この菩提という言葉は日常にもしばしば登場してきます耳慣れた言葉でございますけれども、これはどんな意味かと聞かれても答えられる人はたくさんいらっしゃられないのじゃないかなと思います。だれそれさんの菩提を弔うという言葉がございますから、菩提というのは死後の世界のことであろうかと思っていらっしゃる人もたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思います。
 この場合は、死後の冥福という意味で使われるわけでございます。菩提を弔うという言葉は、源義経を書いた軍記ものの義経記に出てくる表現でございます。ずいぶん古くから日本人はこの菩提という言葉を死の向こう側にある安楽の世界であるというふうに思いまして、使っておったようであります。菩提というのは悟りを意味するサンスクリット語の「ボーディー」、これから来ている言葉でございます。
 古来、死んでからでないと安楽の世界には住めないんだというふうに、多くの日本人は思って来たようであります。弘法大師空海、お大師さまは、本当の菩提というのは、生死の世界で得られるものではなくて、生きているこの身のままで得られるんだよ、というふうに即身成仏を教えの根幹におかれたのであります。
 現代の日本人が忘れていることの一つは、志を抱いて生きるこころではないかと思っているところであります。繁栄を続ける社会が、いつのまにか人々から明日へ向かって懸命に生きるこころを見失わせてしまったんじゃないでしょうか〜善と悪とは別のものではありません。表裏一体といいますか、善の裏に悪が潜んでいるのがこの世の習いであります。しかし、菩提の世界は善そのものであります。もはや悪さえも善に変わってしまう世界が菩提の世界でございます。こころに本当の善が満ちるときに菩提が成就するのであります.
 なんといっても私の実践は「行」に尽きるわけであります。祈りというのは「行」そのものでございます。
 菩薩(ぼさつ)の行願(ぎょうがん)は、大悲(だいひ)を以(もっ)て本(もと)と為(な)す。 慈(じ)は能(よ)く楽(らく)を与 (あた)え、悲(ひ)は能(よ)く苦(く)を抜(ぬ)く。こころは即ち本尊成り。
 私は、「行」を通してこのことを学んだと思います。信じる力、それがこころを見つける道しるべであると思います。大日如来を想い浮べて一心に大日如来さまの真言、アビラウンケンソワカ、アビラウンケン、アビラウンケンというふうに繰り返し、繰り返し唱えてみていただければ、胸の中に太陽をかかげたような暖かさを感じてこられると思います。(ホテルニューオータニ 麗の間)


2010/2/24 第120回池口恵観勉強会 第二講話「菩提心論」 1回目(59分) mp3/27.4MB

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2010/3/24 
第121回池口恵観勉強会 
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
澤和樹先生ヴァイオリン演奏
第二講話 菩提心論 2回目
衆議院議員阿部知子先生
二階堂さん
三角形の底辺を大事に
智観尼僧
悟りの世界
勝義 行願
自利利他の教え
密教の独自の優れた瞑想法
即身成仏
   欲というのは、求めるこころから始まるものでございます。当たり前のことなんですけれども、思うことを実行に移していくということが、なかなか難しいものでございます。考えているだけでは、何もないのと同じことであるよ、というふうにお大師さま言ってらっしゃいます。
 人に尽すということができない政治家が、自分の名前だけにこだわった政治家が多くなってしまった。私は、二階堂さんとは生まれながらのご縁で、生前は親しく謦咳に接しておりましたけれども、この二階堂さんは奥様ともども私の母と非常に親交が深うございました。母は、父とともに行に励む生涯をおくったのでありますけれども、二階堂婦人は若い日から母に相談に来ていらっしゃいました。二階堂さんは母から、二階堂さんが官房長官になって帰って来られたときだったと思うんですけど、うちの母を訪ねて来られました、そのときに「先生も偉くなっていけば、三角形の頂点だけと付き合うようになっていかれるけど」、というようなことだった。三角形の底辺を大事にしてくださいよ、というふうに母が言ったのでございます。それを二階堂先生は、いつも講演のなかで「私が尊敬している智観尼僧から、三角形の底辺を大事にしなさい、どんなときでもそうしなさい」というふうに言われたということを常に言っていらっしゃいました。
 それは、母がいつも私に言っておったことでもございました。世の中を支える人々のことからまず配慮していきなさいという言葉でございます。
 政財界で活躍した偉人たちは、それぞれに行をしているのであります。しかし、その成果はこの世のもの、あくまで眼に見える物質的なものになります。そこから更なる大きな世界を得たいというふうになりますと、悟りの世界しかないのであります。こころの奥底から満ち足りた世界、安心の世界こそが究極の生命の故郷であるわけでございます。
 悟りのありかたのもっともすぐれた教えの意義、「勝義」でございます、人々を救い無常の悟りを求めるすぐれた行為と願い「行願」でございます。すぐれた瞑想の境地「三摩地」でございます。これを戒律として仏となるまでひと時たりとも忘れてはいけない、そういうふうにお大師さまは言っていらっしゃるのであります。ここで大切なことは密教の重要性でございます。密教の独自の優れた瞑想法こそが、この身のままで仏になるということができるということを忘れてはいけないとお大師さまは説いていらしゃいます。去年1年間お話ししました「即身成仏」です。この即身成仏こそが、お大師さまが苦難を越えて中国へ行かれて、得てこられた究極の教えであったわけであります。(ホテルニューオータニ 鳳凰の間)

2010/3/24 第121回恵観勉強会 第二講話「菩提心論」 2回目(68分) mp3/31.5MB

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2010/4/24
第122回恵観塾
ホテルニューオータニ 
第一講話 時局
訪朝報告 佐々木道博様
第二講話 菩提心論 3回目
大日如来
大宇宙大生命体
北朝鮮
声聞
縁覚
自利利他
阿字シール
仏の力
不思議と奇跡が起こる
身口意の教え
   私は、大日如来を中心として考えてます。大日如来というのは、大宇宙、大生命体でございます。そこからすべてのものが生み出されておりますから、皆、兄弟だという、すべてが自分と同じものだという基本にたっておりますので、宗教も政治もなにも全部ないんですね、私には。
 みんな一緒なもんですから、どこへ行っても愛されるんです、私は。
 いろいろな宗教家の方々とも合いました、またウラの方々、オモテの方々、いろんな方と会いますけど、皆、大事にしていただける。それは私自体が、みな同じ兄弟だという基本でおつきあいしておりますので、お会いしますし、すべてを大事に考えていますから、そういうふうになっているんじゃないかなと思います。そういうことで、北朝鮮の方々も、2回なんですけれども、非常に大事にしていただけるんですね。
 菩提心というのは思考の第一歩ではなくて、これからの行動の始まりになるものであります。声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)が間違うのは、自分さえよければという考えがその元にあるからであります。
 自分だけが良くても誰かが辛い思いをしているならば、それは完璧な悟りではないのであります。
 仏さまへの道にもっとも必要なことは共に生きることでございます。だから、お大師さまは自利利他という教えを大事にしていらっしゃる。
 安心の最初の音〜あ〜でございますが、これは私たちの生命である宇宙を表す言葉、「阿」に通じる訳であります。
 うちの阿字シールがございますけれども、あの「阿」ですね。安心したと言葉に出して言うときに、私たちは生命の始まりの音を出している訳です。
 阿字というのはサンスクリット語でございます。凡字といわれます一つの言葉でございまして、この阿の世界を実感するようにするわけでございます。
 私のもとにはいろんな方がいらっしゃいます。もうお医者さんに見捨てられた方々、がんでもう明日をも分からない人たち、また明日首をくくってしまう人、失恋の人、いろんな方がいらっしゃいます。
 病気の方がいらっしゃる、無心で一生懸命この人が幸せに、この苦しみから逃れていただけるように、早く直っていただけるように、良いふうに息ができるように、もうそのことを何にも考えないで無心にお祈りしていけば、そこに何かが、仏の力が働くんでしょうか、不思議と奇跡といったようなものが起こるんですね。
 やっぱり、そこに仏さまの身口意の教えがここにあると想います。(ホテルニューオータニ 舞の間)


2010/4/24 第122回恵観塾 第二講話「菩提心論」 3回目(57分) mp3/26.4MB
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2010/5/25
第123回恵観塾 
ホテルニューオータニ
サルキソフ先生
平石貴久様
鈴木邦男様
澤和樹先生ヴァイオリン演奏
第二講話 菩提心論 4回目 
眼・耳・鼻・舌・身
五感で感じる欲望
阿字の世界
よく笑う家庭は健康である
大欲
   より良く生きるための欲望は、生きる力の根源になるものであります。この煩悩のもとを,、どうのように活かして生きるのかということが、密教の教えであるわけでございます。
 修行していない凡人は、自分がより良く生きることに執着して、貪り、怒り、愚かさという、三つの毒におかされておる、眼・耳・鼻・舌・身(がん・じ・び・ぜっ・しん)の五感で感じるところの欲望によってふりまわされておる、このような状態では、真言の行を実践することはできないということをまずは知らないといけないのだよと、お大師さまは言っていらっしゃるのであります。
 極楽に生きるのは、こころに阿字の世界をはっきりと持っていらっしゃる人であると思います。地獄に生きるのは、こころの闇に右往左往して生きていらっしゃる人のことであると思います。
 どうのような人生であったとしても、我と人とに仏さまを見ることができる人というのは、阿字の世界の安らぎを知っていらっしゃる人であります。
 人間は安心したらどれほど大きな力が出ることでしょう。追い詰められたときに思いがけない力がでることは知っておられても、安心力のすごいパワーに気づく人はなかなかいらっしゃらない。
 家庭が安定しておりますと、子供は能力を存分に発揮することができるんです。かたちではなくって、家庭のこころが満たされている状態なんです。よく笑う家庭は健康であるのであります。お大師さまはこの身(からだ)と、口(くち)と、意(こころ)の調和こそが、仏さまへの道へ行く歩き方なんだというふうにくりかえし、くりかえし教えておられます。
 日本ではとかく儒教の影響が強かった上に、徳川時代の士農工商の身分制度の思想から抜け出せないで商業人を軽蔑する傾向があったのであります。しかし、成功された経済人にはそれなりにしっかりとした自己があって、さらに人々のために尽くそうとする大欲というものがあったということがわかるのであります。
 維新の大変革をこえて大成した実業家の一人として、日本のビール王の馬越恭平という人がいらっしゃいます。(ホテルニューオータニ 悠の間)

2010/5/25 第123回恵観塾 第二講話「菩提心論」 4回目(53分) mp3/24.5MB

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2010/6/25
第124回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原先生
孔健先生
田島みわ様
山本峯章先生
第二講話 菩提心論 5回目
三無事件
紫原に最福寺を作りました
烏帽子山最福寺が完成
金花舎
江の島に寺を建てる
こんこんと湧いてくる泉
   お大師さまが、繰り返し、繰り返し教えてくださったのは、こだわりというものは捨てなさい、ということだったと思います。私たちの生命は無限に大きく、広いものでございます。しかし、人はとかく自分が得た知識を頼って、こだわって、見えないものとか、知らないことを否定してしまいます。
 その結果、自分の好みといいますか、自分の思ったような世界をつくりあげて、そこに安住しようといたします。それでは、いつまでたっても本当の自分に出会うことは出来ないよ、というふうにお大師様はおっしゃったのであります。
 自分だけで悟ったと思っている人々のことを、この菩提心論では二乗の人と言って教えておられます。声聞(しょうもん)、縁覚(えんがく)という修行の段階にいる人たちのことでございます。
 私はやがていろいろな体験を経て、鹿児島市内の紫原(むらさきばる)にささやかな最福寺を作りました。
 それは、私が三無事件という事件に連座して逮捕されたときに、家から、母から勘当されて家にも帰れなくなって、そして托鉢といいますか、乞食をしてやっと貯めたお金で買い求めた土地に作った寺でございます。そしてこれじゃいけない、もうちょっと大きなお寺が欲しいと思っているところに、ご縁があって阪急の六甲山ホテルの公園墓地の管理塔という位置付けで、平川の今の烏帽子山最福寺が完成いたしました。そのとき私は小さい頃から母が言っておった行場はここだろうと思ったんですね。
 しかし、ここには母が言っておった、こんこんと湧いてくる泉といったものはどこにもありませんでした。平成2年、バブルの絶頂期でございましたけれども、このとき知り合った金花舎という在家仏教の方を対象にしたビジネスを手広くしていらっしゃった、加藤子明(しめい)という社長さんが、私の「行」を見られまして「この行を関東の方々にも見せてあげたい、この行を関東の方々一人でも拝んでいただきたい」と言って江の島に寺を建ててくださると申し出ていただいたのであります。
 そして、その土地を見に出かけて行って私は驚いたんです。母が小さい時から言っておった光景が目の前に広がっておったのであります。そして、説明されました、「あの土地の真ん中に島には珍しい湧き水が涌いているんですよ、あれは尽きないんですよねあの水は」、そうゆうふうにおっしゃって、非常に私は驚いたんです。
 じつは私は、母が生前口にしておった何百、何千という透視予知の中で、この一件だけは大はずれだなあというふうに思っておったのであります。(ホテルニューオータニ EDOルーム)


2010/6/25 第124回恵観塾 第二講話「菩提心論」 5回目(56分) mp3/25.9MB
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2010/7/22
第125回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
澤和樹先生ヴァイオリン演奏
第二講話 菩提心論 6回目 
乞食生活
巡回伝道部長
ブラジル
護身法
   この瞑想について忘れられない思い出が私にはあるんですけれども、昭和44年だったと思いますが、1969年の秋のことでござました。私はそのときまだ33歳、ようやく鹿児島市に自房を、私は三無事件もやって、そして家に帰れなくって、鹿児島市にたどり着いて、初めて鹿児島という街に行ったんですね。
 そして乞食生活をしてちっちゃな寺を作ったんですけど、70坪の土地に10坪の家を作ったのが私の始めての自房でございました。
 折から、高野山真言宗から、アメリカ大陸、南米大陸の巡回伝道部長というのに任命されまして、そして南米とか北米各地を周っておったんですね。それは講演をして周ったり、説法をしたりしながら、またお加持をしながら布教を続けるお役目でございました。
 その巡回の途中のことですけれども、私はブラジルに行ったんですね。ブラジルには日系人がたくさんおりますから、お大師さまの教えを伝える重要な拠点でもあるわけです〜リオデジャネイロには知識人を中心とした白人仏教会があるんですね。
 そこで、私はおよそ500人が参加している総会で講演をすることになったんです。
 この総会に出席している方々はブラジルの政財界の要人、また高級軍人さんたち、またお医者さんたち、医学部の教授たち、大学の教授たち、ジャーナリスト、教育者、いろいろな分野でのブラジルのトップクラスの人たちだったんですね。で、この人たちは非常に東洋哲学にも造詣が深くって、仏教のことも深く理解していらっしゃる人たちであったわけでございます。
 その人たちを見ましたときに、私はもうほんとに原稿を持ってくりゃよかったなあと思ったんですけど、もう遅いんですね。そこでまたあがってしまって、これ困ったなあと思ったけれども、よしっと思って演壇に座ったんです〜まず護身法(ごしんぽう)をしてそして瞑想に入ったんですね、まあ護身法というのは見られたかたもいると思いますけれど一回ここでちょっとご披露しときます〜護身法〜讃〜(ホテルニューオータニ 麗の間)


2010/7/22 第125回恵観塾 第二講話「菩提心論」 6回目(76分) mp3/36.4MB
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2010/8/25
第126回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
伊藤不二夫先生
第二講話 菩提心論 7回目 
霊の世界
見えない世界
百万枚護摩行
こころの力
遺言をして望む
母の影行
結願まであと3週間
   見えない世界とともに生きている。これまで私がこのように説きますとそれは即、霊の世界でございました。私たちの実態は大きな生命体でございます。見えている部分はその一部でございまして、ちょうど氷山の一角が海面に表れているようなもの。海面下には見えない私が大きく存在しているわけでございます。それが、霊の世界です。この存在を忘れて、見えるところの私だけのことを考えて行動をいたしますと、間違えることがあるんだよというふうに私は説いているわけであります。この見えない世界を大事にしながら生きて行けば、きっと幸せになれるのであります。
 お大師さまのこの世はまぼろしというこの教えは、まぼろしだからこそ見える今、見える現実を、しっかりと精一杯生きなくてはいけないよというふうにおっしゃっているわけであります。たとえ、この世が生命にとって旅の途中にある永遠のものではないにしても、この世にあるかぎりは一生懸命、懸命に生きることによって、次の生命のためにつながるんだと仏さまは教えてくださっているのであります。
 平成元年の2月4日から5月の14日まで100日間、私は百万枚護摩行をいたしました。その百万枚護摩行を成満いたしましたときの母の教訓は、まさに初心を教えてくれるものでありました。そして、そのこころの力がどれほど大きいものかも、私は振り返るごとに実感しているのであります。
 毎日、三メートルぐらいの火を7時間から8時間炊きつづけますから、ほとんど穀物を摂っておりませんし、果物と野菜だけで、ほとんど塩も摂っておりません。そういうなかで8時間も火を炊きつづけますから、まずからだが持ちません。いままで、これに挑戦した人は皆死んでいるんですね。うちの先祖も何人も死んでおります。で、これで私も最後かなと思いながら、遺言をしてこれに望んだのでございます。
 5月の14日が結願でございました。その日は母の日でもございました。当時、母は84歳になっておりましたけれども、私の行が、いままで皆死んでおりますから心配もあったんでしょう、毎日同じ時間に母は影行をしてくれたのであります。この母の恩に報いたいという思いが私の胸にあったのであります。結願まであと3週間となった4月21日に母が田舎の寺から、私の寺に来てくれたのであります。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2010/8/25 第126回恵観塾 第二講話「菩提心論」 7回目(58分) mp3/26.5MB
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2010/9/23
第127回恵観塾
ホテルニューオータニ 
第一講話 時局
佐々木道博様
澤和樹先生ヴァイオリン演奏
二村英仁様
第二講話 菩提心論 8回目  
大学時代は相撲部
ほかの競技はみな四角いリング
相撲は丸い土俵
円は生命のパワーを秘める
最福寺での阿字ステッカー
大日如来を現す阿字「あ」
旭鷲山の化粧回し
日本モンゴル国交樹立30周年
三摩地
瞑想の極致の境地
菩提心
母は瞑想と読経を行とした一生
   私は、大学時代は相撲部におって、相撲をとっておりました。相撲が、格闘技ともレスリングとも柔道とも違いますのは、丸い土俵があるからだと思っております。ほかの競技はみな四角いリングの上で戦っております。しかし、相撲は丸い土俵の上で勝負をしているわけです。そこは、この世であってこの世ではない異空間じゃないかなというふうに思うわけであります。だからこそ、邪念を入れてはいけないんだということで、塩を撒いたり、また綱を締めて場を清めているわけであります。
 円というのは、生命のパワーを秘めているものである。大きな力を持つものであるというふうに、私はこれを非常に大切に思っておるわけであります。最福寺でお分けしておりますことろの阿字ステッカーがございます。このステッカーの円のなかに強烈な力が込められているのであります。
 丸い円のなかには、炎をしめす赤い空と、青い海にそびえ立つ桜島、これは同時に富士山も象徴しているわけですけれども、地球のエネルギーを地上に噴出させる美しく強い山で、生命力の象徴でもある山でございます。この山を背景にして、後光を思わせる金、あるいは白で大日如来を現す阿字を「あ」、生命ですね、息に通じます。生命であると同時に、宇宙の生命。それで凡字の阿字を書いて、大日如来としておるわけでございます。大日如来である阿字を円のなかに浮かび上がらせているわけであります。
 旭鷲山は、モンゴルから初めてやってきた力士でございます。あの白鳳を連れて来たのも、この旭鷲山なんです。何年たってもなかなか思うような成績が上がらない。なんとか勝ちたいと思い悩んでおった彼が、後援者の代議士の紹介で私のところへやってきたんです。護摩行にも参加して行もやりました。旭鷲山はその護摩行をやった翌場所は十一勝あげて、初土俵から5年目で小結になったのです。
 その後、彼はモンゴルの国民栄誉賞をもらったりして、今は国会議員になっております。そういうような縁で、日本とモンゴルの国交樹立30周年のときに、日本のものを何か切手にしたいと募集があって、そのときに旭鷲山が「恵観先生は世界中を周って世界平和をやってるから、写真とか記事があれば、これに出してみらんか」ちゅうて言われたから、それを全部出したんですね。そしたら、私のが日本モンゴル国交樹立30周年の記念切手に選ばれまして、私が記念切手でのこっているというわけであります。
 旭鷲山は、私の薦めもあったりして早稲田大学の通信教育の学生になりました。その年の、平成16年の秋場所に、早稲田大学が彼の取組に懸賞をかけてくれて勝った。そして、私は千秋楽に用意しておった化粧回しを彼に贈ったわけです。これは阿字ステッカーが縫いつけられた非常に綺麗なものでございます。
 三摩地(さんまじ)というのは瞑想の極致の境地のことをいいます。菩提心というのは、満月の煌々と光輝く姿とよく似ているものだと空海、弘法大師は教えておられます。
 私の母は、行者としては私の師でありますけれども、私とは違って護摩行はしませんでした。瞑想と読経を行として一生をおくった人です。母は平成4年の12月6日に86歳で亡くなりましたけども、亡くなる日の天候とか、亡くなったとき行われる通夜とか、また葬式のことなんか、どういうことが起こるということを生きているうちにしっかり言っておりました。そのとおりになったんですね。(ホテルニューオータニ アリエスの間)


2010/9/23 第127回恵観塾 第二講話「菩提心論」 8回目(82分) mp3/31.6MB
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2010/10/22
 
第128回恵観塾
ホテルニューオータニ 
第一講話 時局
訪朝報告井上襄様
訪朝報告佐々木道博様
第二講話 菩提心論 10回目 
金日成主席観世音菩薩
日朝関係の橋渡し
阿字ステッカー
大日如来
阿字観
金子みすず
講学道は敬天愛人を目的
菩提を求める修行
光の本性を見つける
明るい光を得る
弱いものをいじめるものは強がってみせる弱者
法力を正しく使える人格
仏教では水を閼伽という
灌頂は密教のもっとも大切な儀式
同悲
キリスト
愛と寛容
   金日成主席観世音菩薩となっているものですから、ものすごく戸惑っていらっしゃって、とにかくきちっとした状態でお迎えするようにしますからという返事を受けまして、その前にきちっとした法要をして、それを写真とか映像を向うに送って、きちっとしたふうにしていただければ、日朝関係の橋渡しに何かの役に立つんじゃないかなという感じがしているところであります。きょうは第9回目の菩提心論でございますけれども、9回目が専門的になりまして難しくて面白くないと思いますので、9回目を飛ばしまして10回目に飛ばしていただきます。
 阿字というのはサンスクリット語の凡字の「あ」の字を音写したものでございます。私たちの阿字ステッカーを自分の寺では出しておりますけれども、一切言語の根本にして、習字の母なり、そうゆうふうに経典には書いてありますように、阿字はあらゆる言葉、すべての文字の母であって、すべての教えの源である、生けとし生けるものすべての生命といったものは、大日如来さまから生まれ出ずるものであって、その大日如来を象徴する文字が、この阿字であるわけであります。阿字観という密教の瞑想法がございます。この阿字観は、その阿字をイメージしながら瞑想するわけでありますけれども、それは生命の故郷へ帰る手法でございます。入門編ではありますけれども、非常に奥深い瞑想でございます。凡字の「あ」を蓮華座の上に描いたものを見つめて、この文字と自分とが、同一になることを感じながら瞑想していくわけであります。
 「青いお空のそこふかく、海の小石のそのように、夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ」、金子みすずさんのこの詩は正に阿字の本質を詩っているというふうに思います。
 道は天地自然の道なるゆえ、講学(こうがく)の道は敬天愛人(けいてんあいじん)を目的とし、身を修するに克己(こっき)を以て終始(しゅうし)せよ。これはあまりにも有名な言葉でございますけれども、本来の西郷先生の言葉そのものであると思います。菩提を求める修行は、まさに天地自然の道であって、光の本性を見つけるためには、敬天愛人の知恵によって明るい光を得ることができるのであります。
 動物は、家族や仲間に対する愛は持っておりますけれども、人間は生けとし生けるものすべてに愛を持つことができます。それが人間を万物の霊長たらしめるところであろうかと思います。弱いものをいじめるものは、強い人ではなく、強がってみせる弱者であります。密教が教えを伝える弟子を見定めますのは、行によって得た法力をどうのように使うのか、法力を正しく使える人格をどのように育て自らを磨いていくのか、力を持つものが自分をどれだけ律して生きていくのか、そこに人間の価値が表れます。
 仏教では水を閼伽(あか)というふうに言っておりますけれども、密教では灌頂(かんじょう)というもっとも大切な儀式がありますけれども、この儀式に必ず水を使うようになっております。
 人間は苦しいとき、つらいときに試されるのであります。人の苦しみを分かるこころが同悲(どうひ)であります。この尊い気持ちを知るのが苦しみの功徳とも言えるんじゃないでしょうか。
 2000年ほど前に、地中海のほとりでキリストが、同じように愛と寛容ということを説いたこの教えもまた、世界的な宗教に発展したのであります。しかし、人類は争いを止めようとはしませんでした。そして、とうとう核兵器まで作っていしまったのであります。
 火種のいくつかが、お釈迦さまがおられたインドとパキスタン、キリストの故郷であるパレスチナであることに歴史の皮肉をおぼえるわけであります。今こそこの宗教を超えて世界のこころの輪を作るときであると私は思って行動をしているわけであります。(ホテルニューオータニ シリウスの間)

2010/10/22 第128回恵観塾 第二講話「菩提心論」 10回目(63分) mp3/29.0MB
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2010/11/25
第129回恵観塾
ホテルニューオータニ
お誕生会での挨拶映像
第一講話 時局
二村英仁様ヴァイオリン演奏
平原先生
第二講話 菩提心論 11回目 
ゆが
密教の瞑想
密教の修行
三密、身口意をフル回転
仏さんの光が出てくる
オーラが出て存在感が出る
北朝鮮
宇宙そのものが大日如来
右翼・左翼でなく「仏翼」
仏さんの翼であるんだ
大日如来の子
   お大師さまは、この菩提心の終着点を即身成仏にしているのであります。この菩提心論でお大師さまが説かれることろのゆが、ヨガ、ゆがって言うのは瞑想ですけれども、元々のヨガはインドの心身を整えるためのものでありまして、激しく体を動かすものもあるようであります。極めていけば、宇宙と一体になって、真実の人生を歩むことになるんだと考えられているのであります。この言葉としてのヨガは、日本に古くから入っておったのであります。しかし、それは密教の瞑想を意味するものでございます。おそらくは、このヨガのなかの瞑想を極めた先達たちが、これを密教の修行として取り入れていったんじゃないかなあと、私は遠い地の遥かな過去に思いを馳せるのであります。
 三密、身口意をフル回転していくということが、どの世界でも必要なんです。三密をフル回転したら、自分のなかにある光が、持っている仏さんの光が出てくる。自分の行場で、それぞれ皆行場を持っておりますからしっかりと三密をフル回転して自分の行を勤めていけば、自分にある光が出て、オーラが出て存在感が出て、そこにはまたいいものが集まってくる。光のあるところにはいいものが集まってくる。暗いところ、じめじめしたところ、汚いところには悪いものがよってきます。
 真言のひとつ、ひとつの言葉には、じつは宇宙にこれが響いていって、宇宙からのメッセージを受け止める波動があるということだろうと思います。密教はこの宇宙そのものを大日如来として、仏さまとして、大切にしているわけですね、宇宙全体を。その響きによって私たちは生きている、生かされているこの世を旅しているわけであります。私が北朝鮮に行けば「恵観先生は右、右翼だったんじゃないですか?左に変わったんですか?」。私は右も、左も無いんだ、右翼でも左翼でもないんだ、私は「仏翼」なんだ、仏さんの翼であるんだと。だから大日如来として、大日如来の教えで、みんな大日如来から生まれてきた人たち。だから同じように、本当にみんなが幸せになるように動いていっていただけるように、働いていただけるように、私はどの国行っても、どんな人でも大日如来の子として、私はそれを導いていくのが私のつとめだから仏翼で生きている、右でも左でもないと言っているんです。
 行者の私たちが厳しい行を続けていきますと脳が非常に活発に動いてまいります。私は一生懸命行をするから、恵観さんは若いなと言われるんだと思っているんですね。一生懸命やれば内蔵にも刺激を与えて眠くならず、思考が冴えわたってまいります。
 私たち行者が厳しい行をこうしていたしますのは、蔵の扉が硬く閉じられてしまっておって、生命の進む道に迷っていらっしゃる人たちに扉を開くお手伝いをするために、この行をしているんだというふうに私は思っているわけであります。(ホテルニューオータニ 悠の間)


2010/11/25 第129回恵観塾 第二講話「菩提心論」 11回目(68分) mp3/31.5MB

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2010/12/23 
第130回恵観塾 
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
村上正邦先生
阿形充規会長
サルキソフ先生
鈴木邦夫先生
第二講話 菩提心論 12回目
上城恒夫先生
劔物 修先生
大里芳勝様
中道康彰様
中島治久様
外園敦美様
平原一雄先生
生きるということ
菩提を求めること
悟りを求めること
空しく来たりて満ちて帰る
生命の旅
内なる仏の世界
あうんの呼吸
八千枚護摩行を毎年続ける
百万枚護摩行
身口意をフル回転
   私たちが生きるということは、究極のところは菩提を求めること、悟りを求めることだというふうに私は考えているわけであります。
 どんなにすばらしい名誉を得たとしても、どんなに沢山の財力を手にしたとしても、あるいはどれほどの家族や親しい人に囲まれておるとしましても、自分自身のこころが満たされておらなければ、あの世に旅立つこころとしては、忘れ物をしたような気持ちになるわけであります。お大師さまは「空しく来たりて満ちて帰る」こういうふうに言っている。それが生命の旅であるわけであります。
 私が世界を周って平和の巡礼を続けておりますのも、戦争や不慮の事件や事故なんかで亡くなられた方々の、この生命の旅の途中で中断した無念さを抱いておる霊を慰め、満ちて成仏していただくためであるわけであります。この菩提心を全うできなかった霊たちへの鎮魂であるわけであります。
 行者にとってこの菩提心論は、祈りの支えとなる教本になっております。瞑想したしますときに、その潜在意識は宇宙と一体になります。
 始めも終わりも無い、意識だけの状態が、お大師さまが教えられるところの、内なる仏の世界でございます。しかし、その境地から覚めれば、この世のなかには始まりがあって終わりがある。私たちは生まれたときから、死という締め切りの時間に向かって歩き出しているのであります。
 「あ」、おぎゃあという「あ」で始まる生命の流れは、「うん」で終わるわけですね。
 「あうんの呼吸」と言いますけれども、生命の旅路が一瞬の呼吸のうちにあるということを教えた深い言葉であるわけでございます。
 「行」というのは継続なんだと、私の母は私に厳しく言っておりました。私は八千枚護摩行を毎年続けておるわけでございますけれども、今年で96回やりました。
 最初のころは、これをやったら火に食傷するんですね。食傷してしまって、一時火を見たいと思わなくなって遊びふけっておりました。また二、三日して帰ってきて行をすることをしておった、たびに母は、「行というのは継続なんだ、継続をしないでおっては行にはならん。お前が八千枚をなん十回やってもその継続がなかったら何にもならん。汚れてしまってまた元の木阿弥になる。きちっと行をしたら、それをづっと続けなさい、そしたらその行が生きてくる」そういうふうに常に言ってました。
 行を重ねることは生命の旅路を、人々の明かりの輝きを大きくしていくことなんだというふうに私は感じるようになったのであります。
 苦しかった行が終わったというふうに開放感に浸ってしまって遊んでしまっては、仏さまとの一体感によってせっかく得ることができた力が拡散してしまうのであります。また最初からやり直しになるのであります。だから私たちは毎日、毎日行をする。百万枚護摩行という誰もできなかった行を達成した。禅宗には禅の大きな行もあります。天台宗には千日回峰行という行がある。こうゆう大きな行をして、あと継続をしなかったら元の木阿弥である。必ず続けなくちゃいけないというふうに思うわけであります。
 一生懸命、自分の場で身口意(しんくい)を体とこころと言葉をフル回転して勤めていけば、自分の体が自分の中にあるこの仏が光ってまいります。光れば存在感もでてきて、また次の人にも光を与えるようになるわけです。次々に光っていけば、その村も家も街も国も光っていくわけです。そうすれば、日本という国はいままで言われていたすごい国になれる。(ホテルニューオータニ 麗の間)

2010/12/23 第130回恵観塾 第二講話「菩提心論」 12回目(71分) mp3/32.9MB
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