恵観塾   東 京 2011年 Ekanjuku 2011 Tokyo - Sangoshiiki            HOME

三教指帰

2011/2/25
 
第131回恵観塾
ホテルニューオータニ 
第一講話 時局
村上正邦先生
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話「三教指帰」1回目 
地球規模の天災
虚空蔵菩薩の真言
求聞持法
身口意をフル回転
儒教は考える修行
道教は体を動かす修行
仏教は深層心理を動かす修行
  
   世の中が乱れますときに、人々のこころもまた乱れます。この世の中が乱れる要因はなんといっても国家の指導者のこころが乱れていることによると思います。しかし、それだけではなくって、世の乱れの根底には地球規模の天災がございます。   
 三教指帰は儒教、道教そして仏教の三つの教えをまとめたものでございます。この作品を書き上げるまでに、空海は苦悩しながら道を求めておりました。そして、その一つの確信を得たのであります。探求を続けてようやく光明を得たその成果を、空海は広く人々に知らしたいというふうな思いに突き動かされるように書き上げたのが、この三教指帰だったんだと思います。
 虚空蔵菩薩の真言というのは「ナウボウ・アキャシャギャラバヤ・ オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」というのですけれども、これを百万遍言うのですね。毎日、毎日、5時間から10時間くらい「ナウボウ・アキャシャギャラバヤ・ オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」「ナウボウ・アキャシャギャラバヤ・ オン・アリキャ・マリボリ・ソワカ」とこういうふうに句っていくのですけれども、これが虚空蔵菩薩の真言でございますが、この真言はサンスクリット語を漢字に音写したものをそのまま音読みにしているわけであります。このサンスクリット語の意味は、「虚空蔵菩薩に帰依したてまつる、花飾りを付け蓮華の冠を付けた人に幸いあれ」、こういうような意味でございます。ほかの真言もいっぱいありますが、このような真言の言葉自体にあまり意味がありません。
 しかし、この真言は密教の秘法であるところの求聞持法(ぐもんじほう)に用いますと大変な記憶力がつくわけであります〜私はこの仏の教えは、密教というのは実践だと思っております。実践だから自分がそれにぶつかって、ぶつかって、そして実践をして、始めていろいろな悟りが得られるんだというふうに思って座布団に座っていることだけじゃなくて、世に出ていろんな実践をしてがんばっているわけでございますけれども、現代の厳しい時代に空海の青春の足跡を知ってほしいと思い、三教指帰を選んで皆様方にお届けしたいと思った訳でございます。
 どうしたら願いが叶うのか、仏さまに願いが届く身口意(しんくい)をつくればいいじゃないか、つくりなさい体と心と言葉をフル回転してみなさい、そういう風に空海は教えているんだと私は思っております
 儒教は考える修行、道教は体を動かす修行、そして仏教は深層心理をも動かす修行ができるんだというふうに空海は教えてくれているんじゃないかなと、私は思っているのであります。(ホテルニューオータニ 翠鳳の間)


2011/2/25 第131回恵観塾 第二講話「三教指帰」 1回目(59分) mp3/27.0MB

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2011/4/23 
第132回恵観塾 
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
訪朝報告 井上 襄様
訪朝報告 佐々木道博様
訪朝報告 TBS川上様
訪朝報告 鈴木邦男様
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話「三教指帰」3回目 
出会いは挨拶から始まる
生きとし生けるものは仏の子
言葉は仏さまの贈り物
いい徳を積んだ人
悪い徳を積んだ人
お加持
奇跡的なことが次々に起こる
   どんなときでも出会いというのは、挨拶から始まるというふうに私は信じております。仏さまでも、神さまでもおなじことでございまして、初めて訪れる国の寺院を訪れますときに、私は同じように仏さまや神さまにご挨拶をいたします。生きとし生けるものはすべて仏の子であるわけでございますけれども、しかし何も言わないでおったのでは気持ちを通わすことはなかなか難しいものでございます。
 人間は、言葉を授かっておりますから、これを使って他の人たちとこころを通わせるというようにということで仏さまが言ってらっしゃるんだなあ、と私はいつも思っているわけでございます。だから言葉は仏さまの贈り物でございます。人間だけではありません。花も声を掛けますと、一生懸命答えてくれるものであります。
 つい先頃まで日本人は挨拶をきちんと交わす習慣を持っておりました。挨拶が出来なくなった。いつごろからこうして、こうゆうことが崩れてしまったんでしょうか。声というのには、仏さまに届く生命の響きがあるわけでございます。子供の声を親に届けるのは、仏さまに我が生命の響きを届けているのと同じことであるわけでございます。響きあう声で元気な一日を始めて、安らぎの声で一日を終わっていく。その繰り返しが、安心の人生であると思います。
 自分たちのこの体は、たくさんの細胞によって形づけられている、その細胞はご先祖さんなんだと。ご先祖さんは、いい徳を積んだ人もいらっしゃれば、悪い徳を積んだ人もいる。いい徳を積んだ人の細胞は明るく輝いておるし、悪い徳を積まれた先祖の細胞は暗くどんよりしておる。これが暗いのが、真っ黒くなって出てきたら病気になったり、がんになったりしている。だからそのときには、この明るい光のある細胞を、なおいっそう明るくすれば、その隣にある暗くなってる細胞は、自然と明るさを増してきて直ってきていくんだ。そうゆうふうにして、その細胞をきれいにするために、明るくするために祈り、また実行していけば、がんでも治るんだということで、信者さんといっしょにお祈りしたり、お加持をしているわけでございます。
 そうしますと、非常に奇跡的なことが、次々に起こってくるんですけれども、私は先祖さまのこの細胞をほんとうに大事にすることが、大切だということを言っているのです。 
 だから、自分はひとりぼっちでここにいるんじゃない、私の体には数え切れないほどの、昔から続いている生命の力が込められているんだ、というふうに思えた瞬間じゃないかな、というふうに思うわけであります。
 親を思うということは、自分を思うことでございます。仏さまを思うということは、自分を思うこと。仏さまを思うことは生命そのもの、私たちが生きている地球を、またこの世界を思うことにつながっていくのであります。(ホテルニューオータニ 麗の間)

 
2011/4/23 第132回恵観塾 第二講話「三教指帰」 3回目(63分) mp3/28.8MB
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2011/5/24
第133回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
ヴァイオリニスト二村英仁様
佐々木道博様
第二講話 三教指帰 4回目 
親孝行
先祖を大事にする
国を愛する
日本社会の閉塞性
引きこもり
モラルハザードの時代
道徳崩壊
   こころ入れ替えて親孝行をするようになれば、きっと幸せになるんだよ、というふうにお大師さまは、この三教指帰の上巻で、亀毛先生にそのように語らしておられます。きょうはこの親孝行ということを中心として話しをしていきたいと思います。私は、今の日本の教育が子供の目線でとか、あるいはゆとり教育とか、個性化教育とか、自分探しとかゆうようなことで来ているわけでございますけれども、私は子供の目線でということに反対なんですね。というのは、私の家は行者家系でございまして、行者というのは苦しいから、大変だからこの行者になりたくなくなってくる。それでも行者を継いでいかないと、500年続いてきたこの家系がつぶれてしまう。
 どうすればいいか。7歳までの間にしっかりと、この行者がすばらしい事を教育して教えていかないといけない。7歳までの子供は猿といっしょなんだ。判断力はないんだ。
 親孝行、また先祖を大事にするとか国を愛するという、これが基本にないといけないんじゃないかというようなことをこの小冊子の中で書いていらっしゃいます。お大師さまもその時代からそういうことを言っていらっしゃるわけですね。
 日本社会の閉塞性が、ここにきてさまざまな問題を提起しているように思います。引きこもりといわれる自宅に引きこもっている青少年は全国で70万人とも、80万人とも、100万人とも云われております。時に家族への暴力を振るうしか生きる力を表現できない彼らにどうしたら社会への一歩を踏み出させることができるというんでしょうか。この三教指帰を読んでいきながら、私はこういうことを考えていきたいと思っております。
 形あるものは形にこだわるあまり中身が空洞化してしまう危険を持っているということを忘れてはならないということであります。
 現代はモラルハザードの時代であるといわれておりますが、道徳崩壊といえばいいんでしょうか、しかし道徳よりももっとこころの奥底に大切にしてきたところの、このこころが壊れかけてきているのではないかと思って私は非常に危惧しているところであります。
 だからこそ、まずはこの社会のルール、モラルを重視して世の中を救わなくちゃいけないとした儒教の教えから、人が人として生きていくことを考えてみなければと思うところであります。
 儒教はあくまで現世のルールの教えでございます。(ホテルニューオータニ 舞の間)

2011/5/24 第133回恵観塾 第二講話「三教指帰」 4回目(66分) mp3/30.6MB
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2011/6/23 
第134回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話 三教指帰 5回目  
道教
密教的な秘術
古代インド
遍照発揮性霊集
山川草木悉皆仏性
あらゆる生命が仏性である
丹生都比売
水銀
奥の院
入定
高野山という霊山の根本
お大師さまの御利益
   道教は2世紀頃に中国でおこった教えであるわけですが、仏教の教えにも非常に影響されております。密教的な秘術を多く取り入れておるのでありますが、こうした秘術は古代インドを中心として古くから伝えられたものであったと思います。この密教の秘術をマスターすれば、超能力は得られるんですけれども、だからこそ誰にでも教えていいというものではないというふうにされてきたわけであります。
 密教で言います密というのは、教えをみだりに公開しないで、人物を選んで伝えることを表してもおるわけであります。お大師様は、この三教指帰を書かれた若いときに、教えの本質を汲み取って短い文章にこれを変えておられたのであります。
 「高山は風起り易く、深海は水量り難し、空際は人の察する無く法身のみ独り能く詳らかなり」、これはお大師さんの「遍照発揮性霊集」の第一巻に出て来る「山に遊びて仙を慕う」という詩に出てくる一説でございますけれども、厳しい自然のなかで瞑想をして学んでまた実践することによって、山川草木悉皆仏性(さんせんそうもくしっかいぶっしょう)、あらゆる生命が仏性であることを実感していくのであります。
 私は、真言行者として自然から多くの仏さまの教えを頂いてまいりました。永遠の生命が、我が身にしっかりと受け継がれている神秘を感応するのであります。その高野の自然の影に隠れて、丹生都比売(にゅうつひめ)を巡る物語があるのであります。この女神は、最近では、丹生が、丹(にゅう)が水銀と関りの深い名前であるということから、高野山、ひいてはお大師さまと水銀との関係を研究する文献が幾つも一般書として世に出ているのであります。
 お大師さまは、貞和2年3月21日に高野山で入滅なさったのであります。西暦の835年にあたりますが、私たちは、お大師さまが亡くなったということは申しません。お大師さまは、今でも奥の院で生きていらっしゃるというのが、私たち真言密教の教えであるわけであります。だから、入定と云うんですね。現代にあって、それはおとぎ話のようなことじゃないかな、というふうに思われる方もいると思いますが、私はそこからお大師さまが生命力を発し続けていらっしゃって、私たちを助けて下さっているんだというふうに信じているのであります。それが、高野山という霊山の根本であるわけでございます。
 教えが、かくも長きにわたって守り伝えられて、あまたの人を救って、癒す力を持ってきたというのはひとえに高野山にいらっしゃって、大いなる力をあまねく発して下さっているお大師さまの御利益なんだということであると思います。さて、この世の寿命を悟られて10ヶ月あまり前にお大師さまは弟子たちを集められます、そして遺言を残されました。お大師さまは、その前から五穀を絶って、貞和2年正月からは飲み物も絶っていらしゃるのであります。おそらくは水銀から成る薬石を服用したんじゃないか〜(ホテルニューオータニ シリウス)

2011/6/23 第134回恵観塾 第二講話「三教指帰」 5回目(56分) mp3/25.9MB
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2011/7/21
第135回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
藤原肇先生
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話 三教指帰 6回目 
人間はいつも不老長寿を願う
無縁社会
老人への虐待が横行
姥捨て
親子の絆が危機に瀕している
親の介護
長寿日本の基本姿勢が問われる
   人間はいつも不老長寿を願って来てるわけですよね。いつまでも若々しくて、長生きしたというのが人間の願いでございます。しかし、最近の日本は無縁社会というふうに呼ばれるような、悲しい現象が横行しているわけであります。老人への虐待が横行しておりますけれども、その多くは息子によるものだとの政府のデータもあるわけでございます。あるいは、親の年金で暮らしておりましたので、息子あるいは娘が、親の死を隠すために、葬式もしないで家の中に置いたままにしておったというケースもいくつも出てきております。
 江戸時代には姥捨てという風習がある地方がありました。老いた親を山に捨ててくるわけであります。こういうことは日本だけではないんです。高度な福祉制度を作っておりますスウェーデンでも、その出発点には老人たちを捨てるというような風習があったというふうに聞いております。岩山が多く、貧しい国であったスウェーデンにおきましては、老いた親を岩山から突き落としたというようなことを聞いておりますが、そうした悲しい歴史から、老人達が快適に暮らせる制度が作られたんだと聞いております。
 みんな自分の親を泣く泣く捨てたり、殺したりしなければ、自分が生きていけないという厳しい現実があったのであります。現代の日本では、餓死の不安はほとんど無い訳であります。食料は十分にあります。それにも関わらず、親子の絆が危機に瀕しているのであります。介護制度が何とか機能しております。国民皆年金によって、たとえ僅かでも、ほとんどの人が死ぬまで年金を受取ることができるようになっております。しかし、そこが落とし穴になってしまっているのであります。
 親を介護するために、働き盛りの息子とか、娘が仕事を辞めて介護をしなくてはならない。収入は親の僅かな年金だけであります。とてもゆとりは無いわけであります。で、親が亡くなりますと子供は収入が途絶えてしまうことになります。そこで老いた親が死んでしまいますと、これを隠そうとして、葬儀もしないで放置してしまうということにもなっているわけであります。
 あるいは、親が何年も前に家出をして行くえも、生死も分からないのに、そのまま親と同居しているかのように届け出ておったというケースもいっぱいあるわけであります。年金を受取っていない、つまりはお金目当てではなくて、親の不在をそのままにしておった人もあるわけでありますが、役所もこういうことを確認しないで、親が一緒に同居していることになっていたということであります。ここに来て、長寿日本の基本姿勢が問われる来ているのであります。(ホテルニューオータニ EDOルーム)


2011/7/21 第135回恵観塾 第二講話「三教指帰」 6回目(62分) mp3/28.6MB

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2011/8/25
第136回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
屋久島七福神霊場開創法要案内
日本熟年会議所代表廣瀬春孝様
第二講話 三教指帰 7回目 
屋久島七福神霊場
世界遺産
東日本大震災慰霊
桜島の噴火
日本復興
柴燈護摩祈願祭
自然とともに生きる仙人の境地
   屋久島の七福神霊場は、私が40年前から考えてきてやっと実った霊場でございます。屋久島は世界遺産に登録されておりますし、年間30万人から今、この屋久島には来ているんですけれども、そこでただ1ヶ所か2ヶ所見て帰られるより、この七福神を周られることによって屋久島全体を見て、屋久島の霊気を持って返って頂けるんじゃないかなということで、やっと今年実現することが出来ますので、時間のあられる方は一緒に行ってこれをお祝いして、周っていただければありがたいと思います。
 それから、東日本大震災の慰霊と、また日本の復興を願う慰霊祭と、大柴燈護摩祈願祭を考えてまいりました。私の弟子たちが、3月の11日に震災があって、12日から周って、いろいろなお祈りをしてまいりました。全体的な供養はしておりませんでしたので、10月の2日に初めて慰霊祭をやる予定で、一生懸命みんながんばっているところでございます。それから、3月11日の1年忌に大柴燈護摩をやりたいと思ってます。皆さんに協力して頂いて、世界に日本の祈りを発信していきたい、また日本人のすばらしさというのを世界に発信出来る祈りにしたいと思っております。
 私が昭和61年に、桜島が非常に噴火して大変だったときに、桜島の噴火を止めないといけないということでやった柴燈護摩がございます。これを二回やったんですけれども、一回目でほとんど止まったんです。二回目ではほとんど無くなりましたですね。それに匹敵する、それ以上の護摩壇を作って、密教のお坊さんが中心になると思いますが、世界の宗教家たちにもお祈りをしていただくような場を作って、そして皆で慰霊祭と日本復興の柴燈護摩祈願祭をやりたいというふうに思っています。そして、その時には日本国民すべてが手を合わせていただけるように、また黙想して霊を慰めていただけるように出来たらなと思っていることろでございます。
 さて、お大師さまの書かれた小説、三教指帰の中巻でございますけれども、道教の教えについてここでは語ります。出世欲も物欲も捨てて、自然とともに生きる仙人の境地といったものは、まさに極楽そのものであろうかと思います。理想とも言える、その世界を描きながら、お大師さまはこの中巻を終えておられます。上巻は儒教のすばらしさを聞き手の蛭牙公子(しつがこうじ)親子が感動したところで終わりました。儒教の教えに従いますと、社会的な成功を収めることが出来るというものでございました。ルールを守らない蛭牙公子は、こうしたことを話される亀毛先生(きもうせんせい)の演説に聞き入って、薔薇色の未来が開けたとばっかりに、これからは身を慎むということを約束したほどでございました。しかし、中巻を聞きますと、場面が一転してまいります。(ホテルニューオータニ 麗の間)


2011/8/25 第136回恵観塾 第二講話「三教指帰」 7回目(72分) mp3/33.0MB
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2011/9/22
第137回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話 三教指帰 8回目 
托鉢時代の苦しさ
仮名乞児
深山幽谷で厳しい修行

般若心経
お布施
人のこころを知る
巡礼
出会いというご縁
見知らぬ人に御仏を見るか
托鉢は人のこころを知る大切な祈りの修行
見知らぬ人を盗人と疑うか
   私は、托鉢時代の苦しさを思い出させてくれるこの、仮名乞児の登場場面そのものが懐かしく、また温かく、そして初心を思い出させる緊張感をもたらしてこれるのであります。お大師さまは、若い日に仏道を志して、そのころ日本に一つしかなかった大学、ここを出たら官僚になって出世コースにのっていらっしゃったわけでございますけれども、この学校を辞められます、そして深山幽谷で厳しい修行を重ねられることになるわけでございます。その日々は、山野に生える野草とか果実を食料として、あるいは托鉢によって、糧を得ながらの修行であったとゆうふうにいわれます。
 田舎を周っておりましたら、あるとき農家の前で、立って、般若心経をあげたんですね。そして、奥からおばあちゃんが出てこられてお布施をくださいました。見ると眼やにが眼にいっぱいたまっておって、眼が真っ赤になっていらっしゃった。その場で私は小さい時から、よくなんでも小さい頃は分かっておったんですね。田舎の家の玄関の前に立ちますと家の中に病人がいるとか、そこの家の牛とか馬がはらんでいるとか、子供が男だとか女だとか、そういうのがよく分かっておって、そして父にそれを言うんですね。ここにはこういう牛がおって、これが男の子を生むよ、それを聞いて父は言うわけです。そしたら、その通りなもんですから、よくなんかかんか持って来てくださっておったんです。人が来て、おできができとったりしたら、それを手を置いたらですね、明けの日はそれが直っておったりしてたんですね。そういう体験があったもんですから、このおばあちゃんの眼が真っ赤にしていらっしゃったから、そこに手を置いて、眼に手を置いて般若心経を一生懸命言うたんです。それで帰っていったんですけど、再び幾日かして、またそこの家に行って拝んだんです。また、そのおばあちゃんが出てきました。そうしますと、なんとすっかりその眼が綺麗になっていらっしゃたんですね。
 そのおばあちゃんがおっしゃるには、私が帰ってまもなく眼やにが出なくなって、そして綺麗になったんだということを言われてお布施をいっぱい下さったんですけれども、そのおばあちゃんの眼が治ったのも自分のことのように非常に嬉しかったこと、また沢山お布施をもらったことが非常に嬉しかったことを覚えているんです。
 祈りというのは、相手の人のために一生懸命祈れば、自分のこころも癒されるんだというふうに、私はこの托鉢時代に教えられたと思います。
 托鉢というのは、人のこころを知る大切な祈りの修行であるわけであります。この托鉢が巡礼というもう一つの修行に重なるのは、どちらも出会いというご縁によって導かれるからであるわけであります。
 見知らぬ人に御仏を見るのか、あるいは盗人と疑うのか、この仮名乞児(かめいこつじ)の外見によって、人々はこの仮名乞児に石を投げつけたり、馬糞を投げつけたりいたしましたけれども、実は御仏の道を歩く聖者であったわけであります。(ホテルニューオータニ 悠の間)


2011/9/22 第137回恵観塾 第二講話「三教指帰」 8回目(71分) mp3/32.8MB
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 2011/10/25
第138回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
最福寺総代平原一雄様
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話 三教指帰 9回目 
孫悟空
三蔵法師
慈悲心
仏さまの教え
同悲のこころ
行の原点
 自分の行場
心口意をフル回転
死にそうな行を毎日やっている
一番最初は猫の葬式
二番目に人の葬式
   孫悟空が宇宙の果てまで飛んで来たというふうに思っておったら、仏さまの手の平だけのことだったという有名な話しがありますよね。三蔵法師は慈悲心をこの孫悟空に教えたのであります。
 お大師さまがこの三教指帰で説いていらっしゃるのも、儒教とか道教では生命を救済することはできない。仏さまの教えこそが、人を人として活かす道なんだよ、というふうに教えているわけです。どれほど学問の知識を得たとしても、礼節を知ったとしても、また自然の法則に則った技を持ったとしても、知恵と慈悲を供えた仏さまのこころが無ければ生命を救うことはできないんだということです。
 まだ、二十台の若さでその境地まで到達していらっしゃった、お大師さまの修行というのがどんなに深いものだったんだろうかな、というふうに私は想うと、非常に感動を覚えるわけであります。
 逆境にあってこそ人は、人の苦しみとか悲しみを感じるのであります。同悲という言葉があります。これが行の原点でもあるんですね。人の悲しんでいらっしゃる姿を自分の悲しみとし、人の苦しみを自分の苦しみとする。喜びを自分の喜びとする。そうゆうこころが、この同悲のこころでございます。
 この同悲のこころをどうやって作るか、私たちは自分の行場で心口意をフル回転して勤めていくところに、この同悲のこころが涌いてくるんじゃないかなと私は思っているんですね。だから私は、毎日、毎日一生懸命皆さん方が幸せになっていただくように、死にそうな行を毎日やっているわけでございます。うちの弟子は一人、この行をしながら私の横で死んでいきましたけれども、そうゆうように私の行はものすごい厳しい行でございます。
 こうゆうことをすることによって、人の悲しみ、喜び、苦しみが自分の苦しみ、喜び、悲しみとして考えられるようになるんだ。人は自分の体験を通じて、人のこころを慮るもんなんですね。
 私は最初に葬式をしたときに、一番最初は猫の葬式だったんですけれども、二番目に人の葬式をしました。そのときに皆本当に泣いていらっしゃるんです。自分はそのころ母も、父もおりましたから、その気持ちが分からないんですね。形はお坊さんとしてやりますけれども、その亡くなって悲しんでいらっしゃる人たちの気持ちが分からなくて、帰るときに私は悩みました。自分は本当に坊さんになれるのかなあ、ということをですね。それは今言ったように、人は体験を通じて人のこころを見ると言われるように、私は親を亡くしたことがなくて、誰とも分かれた体験がなかったもんですから、別れということの悲しみがわからなかったんですね。
 だけども、やっぱり自分が母と父と別れ、兄弟と別れしてその悲しみから、亡くなった方々が泣かれたときの、その嘆いていらっしゃるときの気持ちが分かるんですね、本当に。表面的には分かるんですけれどね、だけれども体験してみないと分からないことがありますね。(
ホテルニューオータニ 麗の間)


2011/10/25 第138回恵観塾 第二講話「三教指帰」 9回目(70分) mp3/32.3MB
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2011/11/22
第139回恵観塾 
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
最福寺総代平原一雄様
第二講話 三教指帰 10回目  
不思議な力が与えられる
がんが消えた
放蕩息子が良くなった
眼の見えない人が見えた
腱が切れがひっついた
一生懸命お祈りをする
必ずいい結果が出てくる
空しく来たりて満ちて帰る
死も満ちたこころで迎える
   密教の教えとは、厳しい行に拠って得る力を正しく使うことを教えるものでございますが、鍛えなければその力を授けることはできないのであります。しかし、いたずらにその力を弄んでしまえば、闇に落ちて這い上がるというようなことは難しくなってしまいます。一生懸命祈って、そしてみんなのためを思って祈っていけば、本当に不思議な力が与えられるんですね。
 私は、どうしてこうなるのか分からないんですけどね、がんが消えたり、放蕩息子が良くなったり、あるいは眼の見えない人が見えたり、先日はサッカー選手の腱が切れてすぐやって来たんです。そして、それに手をあてて一生懸命これが治るように、治ってまたサッカーが出来るようにと思って、一生懸命お祈りしました。10分間しただけでそれがひっついてしまっているんですね。で、どうゆうふうにしてそうなっているのか、私も分かりませんけれども、毎日、毎日一生懸命行をして、一生懸命お祈りをしていけば、何かそこに不思議な力が働いて、不思議な結果が出て来るんだなあというふうに想っております。
 私は、どうゆうふうにしてそうなっているかは分かりません。だから、とにかくただお祈りをするだけ。皆さん方も今後年末にいろんなことがあるかもわかりません。そのときは、なんでもいいから教えていただければ、一緒にお祈りをすれば、必ずいい結果が出てくるんじゃないでしょうかと思います。
 まあ、そういうことで正しくお祈りをすること、純心に素直にお祈りをすることによって、いろんな不思議があるということを皆さん方にお伝えしておきたいと思います。
 人間はいろいろな闇のなかにおるわけでございます。闇は力の無い者より、はるかに深いものになってまいります。高い山に登る技術を持つ登山家ほど、あるいは深い海に潜る事ができる潜水夫ほど、僅かな油断も許されないのと同じであるというふうに私は思っております。で、常に一生懸命お祈りをすることをしております。緊張して死を考えることは、精神を張って生きることであります。今、生きている自分が充実しておれば、死を安心して迎えることができるんじゃないでしょうか。
 お大師様は「空しく来たりて満ちて帰る」ということを言ってらっしゃいますが、このお大師様の言葉は、人生の一瞬、一瞬を満ちて過ごしていかなくちゃいけないよと、そうすれば、死ぬときも満ちたこころで迎えることができるんだ、そういう教えじゃないかなと私は思っております。(ホテルニューオータニ 悠の間)

2011/11/22 第139回恵観塾 第二講話「三教指帰」 10回目(68分) mp3/31.5MB
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2011/12/22 
第140回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話
上城恒夫様
二村英仁様ヴァイオリン演奏
第二講話 三教指帰 12回目
最福寺総代平原一雄様

恵観米
観世音菩薩
南無観世音菩薩
お不動さん弁天さんお稲荷さん
深層意識は神仏の通路
深層意識は死者の霊とつながっている
深層意識は悪霊の通路にもなってくる
恐ろしい霊症が起こってくる
最福寺は厳しい修行
突貫工事
私にまかせなさい
綺麗なこころ
   観音菩薩という方は、どのような理由で観世音というふうに名づけられているんですかというふうに聞かれたというところから、観音教が始まっているわけですね。これに対してお釈迦さまが答えられます。「善男子よ、もし無量百千万億の衆生があって、諸々の苦悩を受けにこの観世音菩薩を聞いて、一心に御名を称せば観世音菩薩は即時にその温情を感じて、皆解脱することを得さしめん」、すぐ行ってその願いを聞き届けてあげるよということを言っている。私たち衆生がいろいろな苦しみに遭遇したときに、この観音さまの功徳を聞いて、一心に「南無観世音菩薩」というふうにその名を呼べば、その観音さまは即時にその声を聞くばかりではなくって、何を願っているのかということを察して、その苦しみから救ってくれるというわけであります。ここで大切なことはですね、この「観世音を聞いて」というこの一語であるわけですね。なぜならば、どんなに私たちが苦しみに遭遇したとしても、常平静に観音さんという仏さまのこととか、その功徳について聞いていなければ、いざというときに「観音さま」というふうに、この観音さまの名前を呼ぶわけがないわけであります。だから、日頃から自分の観音さまだけではなくって、いろいろ信仰してらっしゃると思いますが、お不動さんであったり、また観音さんであったり、弁天さんであったり、お稲荷さんであったり、いろんな仏さまを信じていらっしゃると思います。信じている仏さんの名前が常に口に出して、こころに溜めておればですね、いざというときにポンと出てくるんです。
 自分たちが信じている仏さまをですね、常にいつでも言えるようにしておっていただきたい。お不動さんでもなんでもいいんですね。いざというときにポンと出てくるようにしておれば、そこで仏さまが現れて、スイッチオンになって、そして救いが出てくるというわけですね。
 私たちの深層意識というのは、神、仏の通路であるわけです。神仏の加護を受けるためには、自らの深層意識を、この神、仏の通路にふさわしいものに清めていく以外にないのであって、そのためには小さいころから親は美しい言葉、やさしい言葉、そして正しい言葉を自分の子供の深層意識に言い聞かせていかなければいけないのであります。そして、この深層意識が、また死者の霊とつながっているということを知らなくてはいけない。そうであるならば、汚れた深層意識は悪霊の通路にもなってくるのでありまして、ここに恐ろしい霊症が起こってくる理由があるというわけであります。
 現在、私の寺であります最福寺ではたくさんの修行者たちが、私に従って厳しい修行を続けております。行というのは長い時間をかけて美しい、この神仏の通路である深層意識を作り上げるべきものであるわけでございますけれども、短期間のうちにそれを作り上げんといかん。それには、やっぱり突貫工事をしなきゃいけないときがあるんですね、だから厳しい行になるわけです。
 小さい時から教えておれば、やさしく慈悲と知恵を持って、温かいこころを持って教えて行けますけれども、もう鍋の底が真っ黒になって、タワシで擦っても取れないようになっている。そうであれば、もう包丁で削るしかない。それが突貫工事なんです。こういうことをうちではやれるんですね。もし、皆さん方の家庭で、もうどうにもならんという子がおったら私にまかせなさいよ。突貫工事をしてあげます。突貫工事をしたら深層意識が本当の生まれたままの綺麗なこころになります。(ホテルニューオータニ 悠の間)

2011/12/22 第139回恵観塾 第二講話「三教指帰」 12回目(67分) mp3/35.3MB
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