恵観塾   東 京 2012年 Ekanjuku 2012 Tokyo - Jyujyushinron             HOME

十住心論

2012/2/23
第141回恵観塾
ホテルニューオータニ 
第一講話
山本白鳥宮司様
行徳先生
第二講話「十住心論」1回目 
密教というのは御仏の教えに帰依するもの
生命の成り立ち
宇宙のありよう
文明そのものの教え
密教の起源
人類の英知
永遠に変らない真理
生まれたままのパワー
慈悲と知恵
闇に迷っているものたち
光に向かって歩いて行く
現代人がもがいている苦しみ
密教は仏教の一つの流れ
深い真理
インドと言えばカレーライス
ゼロを発見
大乗仏教
悟りの彼岸
  
   密教というのは御仏の教えに帰依するものであるわけでございますけれども、お釈迦さまが開かれた教えを更に深めていって、生命の成り立ちとか宇宙のありように至るところの文明そのものの教えであるというふうに思います。その密教の起源は遠くおそらく超古代にさかのぼる人類の英知までさかのぼっていけるんじゃないかなと思います。
 そうしたものがどうして日本にやってきて、現代人の生きる力になることができるようになったのか、そこに永遠に変らない真理が込められておるからじゃないかなというふうに思うわけであります。そして、この密教が登場したところのインドという風土には、そこに秘められたところの爆発力といいますか、エネルギーというのがあるというふうに私は思っているのであります。
 生命力そのもののような未来を創るパワーがあるんだと、そのように私は感じているわけであります。もう一度そのエネルギーといったものを知っておきたい、必ず得るものがあるはずだと、そのように私の脳裏の奥底から問いかけてくるものがあるのであります。しかし、生まれたままのパワーはどこに飛んで行くか分からない暴れん坊でもあるわけであります。その中からこころを感じ、慈悲と知恵とを見出して、そして人は人となってそれを磨いて仏さまへの道を進んでいくわけであります。その過程がこの十住心論にお大師さまが説いていらっしゃるんだというふうに私は思っているというわけであります。
 闇に迷っているものたちは、生まれ出たまま何処へ行ったらいいか分からない、そういったむき出しの生命であるわけであります。光を感じて光に向かって歩いて行く内に荒ぶる精神は闇を抜け出して行くのであります。
 この十住心論を読みながら現代人がもがいている苦しみとか悩みから抜け出すための光といったものをなんとか見つけていただけたらなあというふうに願っているところであります。そして、そこに託されたところの密教というものを最初から辿って行くことによって、教えをもっと立体的に分かっていただけるんじゃないかなあというふうに私は考えたのであります。
 密教というのは仏教の一つの流れでございます。しかし、そこには他の宗派の教えには無い深い真理があるのであります。なぜでしょうか。それをご一緒に考えて頂きたいというふうに思っているわけであります。密教はどのような時代を背景にして生まれて来たのかというようなことからお話しを聞いて頂きたいというふうに思います。
 インドという国は日本人にとって馴染がありそうで良く知らない国なんじゃないでしょうか。西洋でもなく中国を中心とした東洋文化とも違っておる大きな文化圏であります。
 インドと言えばカレーライスの故郷であるとか、動物園で人気もののインド象を思い出したり、人口爆発をしている国であるとか、急激な高度成長を遂げている国とか、またゼロを発見した数学なんかを考える人もいらっしゃると思います。インドのことをどれだけ知っていらっしゃるでしょうか。
 お釈迦さまがインドで開き、広められた仏教はやがて大きな二つの流れになってまいりました。その一つが大乗仏教でございます。中国とか日本の仏教はこの大乗仏教の流れの中にあります。
 僧侶として、お坊さんとして出家したものだけではなくって、普通に暮らしていらっしゃる人たちも共に悟りの彼岸に一緒に渡ろうという教えでございまして、そういう教えの中からこの密教は生まれたわけであります。(ホテルニューオータニ 悠の間)


2012/2/23 第141回恵観塾 第二講話「十住心論」 1回目(77分) mp3/35.6MB
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2012/3/22 
第142回恵観塾 
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
濱嶋先生地震予知の講話
サルキソフ先生
第二講話「十住心論」2回目 
異生羝羊心
地獄に苦しんでる人
たちがたくさんいる
衣食足りて礼節を知る
地獄は決して死後のことではない
不動明王
お不動さん
観音さま
お地蔵さん
お不動さんは憤怒の姿
怒りは究極の慈悲の表現
毎日、毎日、護摩を焚いて祈る
行の苦しみ

行を通じて苦しみをお不動さんに伝える
   現代社会には、そこここに異生羝羊心があって、地獄に苦しんでる人たちがたくさんいらっしゃいます。生きることが難しい世の中になっております。衣食足りて礼節を知る、というふうに孔子は説いたわけでございますけれども、しかし、これほどまでに衣食が足りるようになったというのに、どうしてこころから生きる喜びを味わえるような社会にならないでいるんでしょうか。
 日本のような経済的に豊かであるはずのこの国で、どうして餓死をするような人たちが出るんでしょうか。なぜ国は膨大な借金をしているんでしょうか。どうして親を捨てる子供がいるようになったんでしょうか。みんな自分だけが苦しいと思っているんじゃないでしょうか。
 確かに現実と向き合っていけば苦しいものであります。だから、この難しい問題から逃げて生きればいいんじゃないかというような現代人は沢山いるというわけであります。しかし、逃げておったんでは問題がより大きく深くなっていってしまうのであります。闇の世界に深くにますます迷い込んで行ってしまうことになるのであります。
 私たち人間にとりまして地獄は決して死後のことではないのであります。誰もがこの地獄のような苦しみを味わった経験はお持ちじゃないかなと思うんですが、それぞれに苦しみの状況は異なっておったとしても、その原因はどうでしょう。目先の欲望に浸ってしまった結果の苦しみではなかったでしょうか。
 地獄に落ちなんとする人間、異生羝羊心の世界にあって自分を見失っている者たちを救ってあげようというふうに思って立ち上がっているのが不動明王であるわけであります。
 この不動明王は、「お不動さん」として親しまれておりますけれども、この人は本当に不思議な仏さまでございます。仏のような顔とかいうことを私たちはよく言いますけれども、観音さまとかお地蔵さんのような柔和な表情とは違いまして、お不動さんは憤怒の姿と言いまして、怒りの形相で足を岩にふんばって、背中には火炎を背負って、片手には剣を持って、もう一方の手には綱を持って恐ろしい姿で立っておったり、座っておったりする姿がお不動さんでございます。
 しかし、その怒りこそが我ら衆生を地獄に落ちるところを救ってくださる究極の慈悲の表現であるわけでございます。私が毎日、毎日、護摩を焚いて祈っておりますのは、御本尊のこうしたお不動さんの慈悲をいただいて苦しみ迷っていらっしゃる人たちが地獄に落ちないようにというふうに、最後のふんばりでお不動さんに救っていただきたいというふうに願うからであるわけであります。
 行の苦しみといったものは、人々の苦しみを燃え盛る炎に変えて焼き尽くして、闇にさまよう自分の姿を映し出して、そして本当の光に向かって歩き出せるように願うためのものであるわけであります。
 どんなに苦しいのか。行者は行を通じて苦しみをお不動さんに伝えて、そして炎と変えていただきたというふうに思うわけであります。このお不動さんへの信仰といったものは、日本がもっとも盛んであるわけであります
。(ホテルニューオータニ 舞の間)

 
2012/3/22 第142回恵観塾 第二講話「十住心論」 2回目 (69分) mp3/32.0MB
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2012/4/25
第143回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
日本漢方創薬 赤星義春様
澤和樹教授ヴァイオリン演奏
第二講話「十住心論」3回目 
やさしいことを続けていく、それが修行の始まり
平和というのは何なんでしょう
幸せに暮らすということはどのような事を言うんでしょう
日本と北朝鮮の関係は現在のところ非常に悪い状態
金日成主席生誕百周年慶祝行事
もっとも近くて遠い国
問題は山積
金日成主席観世音菩薩像
正方山成仏寺
   一つの生命と、もう一つの生命が出会って、更に出会いが増えて行くわけであります。出会いというのは、いいことばっかりじゃないと思いますが、時に衝突することもあるわけであります。そこからまた人は生命の真実といったものを知っていくわけであります。
 いいことは言葉で言えば当たり前の事で簡単なようですけれども、それを続けていくということは非常に難しいものであると思います。やさしいことを続けていく、それが修行の始まりであります。芽を出して花を咲かせるその道は、人を導く道でもあるわけであります。
 お大師さまはこの第二巻で王の道を説いていらっしゃいますけれども、それは人々が幸せに暮らせる道へと導いていくリーダーのための教えでもあると思います。リーダーというのは何なのか。お大師さまの時代は、これは国王としておりますけれども、現代で言いますと政治のトップリーダーのことで、人々が安心して暮らすためには、その国が平和で安定しているということが基本になってくるわけであります。
 誤った政治をすれば、国土を守護するところの諸仏、諸天神が去ってしまって、飢饉とか疫病とか災害、事変がたびたび起こるようになってくる。古来からの教え、天地の理であるというわけであります。
 平和というのは何なんでしょう、幸せに暮らすということはどのような事を言うんでしょう。私の思いは現代に立ち戻るんですけども、私はこの平成24年4月15日に北朝鮮で開催の金日成主席生誕百周年慶祝行事に招かれて訪朝してということを先程申し上げたところでございますが、日本と北朝鮮の関係は現在のところ非常に悪い状態でございます。
 もっとも近くて遠い国となっておりますこの北朝鮮との友好関係が、一日も早く良いふうに実現して欲しいというふうに私は強く願って今訪朝しているわけであります。
 問題は山積しているわけでありますが、まずはこの関係を修復していって、一つ、また一つと丁寧にこれをほぐしていくということは出来ないのだろうかなというふうに思うんですね。
 私は去年、金日成主席観世音菩薩像を北朝鮮に贈ってきたということを先程申しましたけれども、作りまして暫く鹿児島の最福寺で拝んで、そして魂を入れて届けたわけでございます。
 北朝鮮ではこれを非常に喜んでいただいて、金日成主席、金正日総書記、金正恩第一書記と非常に縁のある正方山成仏寺に安置されたわけでございます。私のこの平和の祈りを受取ってくれたというわけであると思います。
 これを金正日総書記が自分の言葉で、「この正方山成仏寺に置きなさい」、というとこを言ったというわけでございます。(ホテルニューオータニ 翔の間)

2012/4/25 第143回恵観塾 第二講話「十住心論」 3回目 (62分) mp3/28.7MB
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2012/5/23 
第144回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 訪朝報告
サルキソフ先生
第二講話「十住心論」4回目  
北朝鮮
軍事パレード
行動で示す実践活動が必要
密教というのは肯定の教え
北朝鮮に仏像を贈る
慰霊の祈りを重ねる
日朝友好の糸口
蒋介石総統
暴をもって、暴に報いることなかれ
日中国交正常化
二階堂進先生
日本にある仏教、儒教、道教ちゅうのは皆中国から来ております
中国は自分たちの根っこ
三無事件に参加
母から勘当
加持力
   密教というのは肯定の教えでございます。否定したり切り捨てるということは教えに反するのであります。あれが悪いとか、これが間違っていると切り捨てるのではなくって、ここが違うから密教の教えのようにすればいいというふうに説くわけであります。受け入れて、それから足りないところを補うように手を差し伸べて、共に生きて行こうとするのが密教の教えであるわけであります。
 なぜ今、北朝鮮に仏像を贈らなければいけないかといいうふうに思われる方もいらっしゃると思います。こうして私は慰霊の祈りを重ねております内に、必ず日朝友好の糸口が見つかって来るんだというふうに信じているからでございます。
 第二次大戦が終わりました時に、当時中国を統治しておったところの国民政府の蒋介石総統は、膨大な陣容で中国に残っておったところの日本軍の将兵を速やかに帰還させたということは、皆さん方もよくご存知だと思いますが、暴をもって、暴に報いることなかれと言って、蒋介石総統は恨みを残すことを戒めたのでございました。やがて中国は政権が変わりましたけれども、日中交流のスタートはここに始まると思っておるところでございます。
 日中国交正常化の時に、うちによく二階堂進先生が見えてらっしゃいまして、この先生がうちの母に聞かれました。「日中国交正常化はどう思われますか」ってことですね。で、母が言ったのは「日本にある仏教、儒教、道教ちゅうのは皆中国から来ておりますよね」って、「あれがあって日本の精神的な骨格が、この三つがあって出来てきている。武士道が出来て日本の精神が出来上がってきている。中国は自分たちの根っこであって、先祖でもあるんじゃないですか。これは早く進められた方がいいんじゃないか」っていうことを母が言ったことを私は覚えているんですね。
 そして喜んで、笑って「あそうですか」と言って帰っていかれたことを今にも思い出すんです。日中国交正常化の中で、うちの母も一役かっておったんじゃないかなあということを、今に思っているところでございます。
 私は、日頃は護摩行をやっておりますけれども、瞑想も小さいときから教えられてやってまいりました。昭和44年、1969年の秋のことでございます。私は33歳でございました。ようやく鹿児島市内に小さな自坊を作ったばかりでございました。それは三無事件に参加して、母から勘当されて家に帰れなくって、そして鹿児島市に行って、鹿児島市で毎日托鉢して、乞食坊主をやっとったわけでございます。そこから初めて小さな寺を作ったわけでございます。そのときに留学開教使ということで、アメリカからブラジルの開教に行くようになっておったんですけど、日本はこのままじゃ赤化(共産革命)されて宗教もなんもなくなるから、お前もやらんかと誘いを受けて、やったんですけど捕まって、帰れなくなったんです。それで開教使もとんでおったんですけど、あるアメリカに住んでいるお坊さんが「あんたは加持力を持っているから、その加持力をアメリカで試してみる気はないか」ということを言われて、それだったら行ってみたいということで、高野山真言宗じゃない亜流の真言宗のお坊さんと共にアメリカへ渡ったんです。西海岸をずっと行くんですけれども、行く所、行く所病気の人がいらっしゃって、そこでお加持をするんです。皆、直っていくんですね、不思議と。白人の人から、日本人、日系人の人たちが。手を置いただけで、腰が立たない人が立ったり、眼が見えない人が見えるようになったり、いろんなことがございました。(ホテルニューオータニ翔の間)

2012/5/23 第144回恵観塾 第二講話「十住心論」 4回目 (67分) mp3/31.0MB
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2012/6/23
第145回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
第二講話「十住心論」5回目
唯蘊無我心
すべての存在は「空」
自分もいつかは死ななければならない
形があるものは皆、形を崩して、やがては死んでしまう
無常観
声聞
超自然的な神通力
瞑想力を得て悟りにいたる
虚空の状態
修行するところから仏さまへの道は始まる
不浄観
数息観
死体の観察
輝いていた美人であっても白骨化
   第四巻は、唯蘊無我心(ゆいうんむがしん)というのでありますが、悟りに至るには、まず自我の実態というものは、もともと実在しないものである。すべての存在は「空」なんだ。そういう真理を理解しないと、その先には進めないよという教えであるわけであります。少し難しいかもしれませんけれども、自分がおる。しかし、その自分という存在は、物体だけのことではないというふうにまず知らなければいけない。そこから次の段階に入るんだというわけであります。しかし、生き物が物体を超えた存在であると知った後、どう考えるかという所にお大師さまの教えが展開されるわけであります。私たちが、こうして集まって、そして話しをしたり、また聞いたり、食べたり、飲んだり、動いたりするこの肉体をどのように捉えるかという問題であります。
 私たちはこの世の中に、この肉体を持って生まれてきて、生きているわけであります。この私たちの体は、誠に不思議なものであります。毎日誰が命令するのか分かりませんけれども、眼が覚めて、動いて、働くわけであります。病気の人もどこかが動いて、働いておるのであります。この体の働きが停止しますと、私たちのこの肉体は滅びてしまうのであります。それがこの世の中に生まれて来た生命のサイクルであるわけであります。だれも例外は無いのであります。自分もいつかは死ななければならない。そして死ねば肉体は腐敗して、やがて風化していくということを、誰もが認めたくないというふうに思いながら、生きているわけであります。形があるものは皆、形を崩して、やがては死んでしまうわけであります。この世の中から消えてしまうという生命の姿から眼を背けてしまってはいけないというふうに、お大師さまはまず教えていらっしゃるのであります。
 仏教の無常観と言いますか、私たちには見えない存在というのがあって、そこに気づくことが悟りであるように思ってしまうというのが、間違いなんだと、この第四巻では、お大師さまは、説いておられます。声聞(しょうもん)たちの修行は何代も生まれ代わって、幾多の戒律を守って、ようやくにして超自然的な神通力とか、瞑想力を得て悟りにいたるものであるというふうにお大師さまは教えておられますが、修行によってこの体とこころの感覚を超えた静かな虚空(こくう)の状態に至るということができるというのが、声聞の悟りの成果であるというふうに教えているのであります。お大師さまは行を非常に重視していらっしゃいますが、この行を重視されるのは、感じ取ることに大切さを説いておられるわけであります。まずは修行するところから仏さまへの道は始まるというわけであります。この第四巻の中では、この世の中の幻を知るための大切な修行として五つの修行を挙げておられます。とりわけ大切なものとして、不浄観(ふじょうかん)と数息観(すそくかん)というのを挙げておられます。どちらも瞑想でございますけれども、何れもこれは自己流にしないことでございます。かえって心身をいためてしまう結果を招いてしまう。必ず正しく学んだ指導者の下で始めなさい。最初がとても大切だ、ということでございます。
 不浄観というのは、貪りのこころを断つために行うものでございまして、死体の観察でございます。どんなに美しい衣装をまとって輝いていた美人であっても、死んでしまえば肉体は硬直して、むくんで、ウジが湧くにまかせて、やがて白骨化していくわけであります。(ホテルニューオータニ EDOルーム)


2012/6/23 第145回恵観塾 第二講話「十住心論」 5回目 (64分) mp3/29.6MB

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2012/7/22
第146回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代内
サルキソフ先生
第二講話「十住心論」6回目
自分と周囲をよく見極めながら歩いていく
極楽に生きる
こころに仏さまの世界を持つ
こころのままに生きる
自分自身が強くなければいけない
自在の境地を得る
自分を見失ってはいけない
自分にこだわってもいけない
中心を取る
体の動きとこころの表現を一体化
小さな戒律より、大きな救い
無碍
こだわりの無い
精神
仏さまのこころ
胎蔵界曼荼羅の世界
   坂の途中で疲れたからといって、あそこにあった静かな喫茶店に入って休んでしまえば、坂の上に行き着くことは出来ない。辛くっても、また苦しくっても進まなければならない時があるのであります。お大師さまはいつも自分と向き合って、勇気を出して生きていくようにしなさいというふうに教えておられるのであります。闇雲に前進するのではありません。自分と周囲をよく見極めながら歩いていくのであります。
 自己コントロールの大事さが前に進むコンパスとなります。安穏な生活も単調だと飽き飽きしてしまえば地獄の苦しみになってしまう。人から見たら苦労の連続のような人生であっても、本人が心底楽しんで生きておれば、極楽であると思います。
 極楽に生きるのは、こころに仏さまの世界をはっきりと持っていらっしゃる人であると思います。地獄に生きるのは、こころの闇に右往左往して生きている人のことであると思います。
 どのような人生であったとしても、我と人とに仏さまを見ることが出来る人は、御仏の世界の安らぎを知っております。私たちは、真の自由を知っているでしょうか。こころのままに生きることが出来たら、どれほど素晴らしいことでしょう。本当はそのように生きることは不可能なんです。こころのままに生きられるようになったら、仏さまになれたというふうに思っていただいてもいいんじゃないかなと思います。
 しかし、自由になるためには、自分自身が強くなければいけないのであります。国民の自由が保証されている国家は、何れも一人ひとりの権利と義務とが定められているのであります。
 小さな自分にこだわっておったんでは、何時までたっても自在の境地を得ることは叶わないのであります。自分を見失ってはいけないと思います。しかし、その自分にこだわってもいけないと思います。
 密教という教えはなんと難しいものなのか、というふうに思われる人もいらっしゃると思いますけれども、それは頭で考えるから難しくなってしまうのであります。
 中心を取る。自分の中心をしっかりと安定させますと、他は自由に動くのであります。行に精進する僧侶。武道や気功に熟達する人。洋の東西を問わず舞踊する人、音楽家とか演劇人、スポーツ選手などいろいろありますけれども、体の動きとこころの表現を一体可とさせようとする人は、この原理を知っているはずであります。
 救いの形は人それぞれに違うと思います。時に小さな戒律より、大きな救いを優先させることもあるわけであります。その
無碍(むげ)、こだわりの無い精神こそが仏さまのこころであります。自由であることと、戒律を持たないこととは、違うのであります。こころを磨いて、仏さまのメッセージを受け止めることが出来るときに、初めてこの無碍の境地に至るんだというふうに思って、私は精進を重ねております。
 「のうまくさんまんだぼだなんばく」、この真言を唱えれば、胎蔵界曼荼羅の世界に包まれて、この一節を唱えるときに私はいつも熱い思いが胸に込み上げてまいります。独りよがりで、悟ったと思い込んでおる孤独な生命を救うのは、正に母の慈悲に包まれることであるというふうに、お大師さまが教えておられるからであります。(ホテルニューオータニ 舞の間)


2012/7/22 第146回恵観塾 第二講話「十住心論」 6回目(60分) mp3/27.7MB
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2012/8/23
第147回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
ヴァイオリニスト二村英仁様
第二講話「十住心論」7回目 
皆さんの幸せのために
自分の受信機をオンにして
母は見えない世界を見ている人
高野山真言宗北米・南米大陸巡回伝道部長
霊的な世界は目に見えない領域
この世の中は見えない世界の方がほとんど
究極の救いというのは
施無畏
無畏施
こころの底で心底欲しいのは安心
御仏の知恵
   母の口癖はいつも、「皆さんの幸せのために」、ということを言っておりました。自分の受信機をオンにして、皆さん方のために祈っておったんだと思います。今、こうして母のことを思い出していますのは、あの世にいる母がなお、私に教えてくれているんだろうというふうに私が思っているんです。私の母は見えない世界を見ている人であったと思います。地球の裏側から電話で相談をしても、まるで現地に居るように明確に答えてくれておりました。
 私は長い間、高野山真言宗の北米・南米大陸の巡回伝道部長としてずっと周っておったのでございます。アメリカとかブラジルに行きますと、自分で解決出来ないようなことがよく相談をされるんですね。その時にどうしたらいいかと思って、母に電話で聞くんです。そしたら、もうそこに居るような返答をしてくれておりました。
 霊的な世界は目に見えない領域でございます。私は長い間の体験から、この世の中は見えない世界の方がほとんどで、実は目に見えている現実の世界というのは氷山の一角と言いましょうか、おそらく一割から二割足らずであろうと考えているんですけれども、この見えない領域とどのように向き合って生きていったらいいのか。そこに、仏さまの教えがあるんだと、いうふうに信じておるわけであります。
 今、沢山の人材が求められておる看護の世界とか、介護の世界は単に技術だけを磨けばいいという分野ではないのであります。技術を支える精神の豊かさ、また強靭さというのがあって初めて成り立つものであるというふうに思います。こころを通わせるケアが出来て、初めて技術や理論といったものが生きるのであります。そのこころを養って、また磨くためにお大師さまの教えを知って、役立てて欲しいなというふうに私は願っておりますが、介護に従事していらっしゃる人たちに、こころのゆとりを持ってもらうような職場を作って、こころ作りが大切だというふうに私は思っております。
 「子連れ狼」を書かれた作家の小池一夫先生に、「究極の救いというのは何ですか」、というふうに私が聞かれたことがございました。私は、浅草の観音さんのところに額が架かっている、施無畏(せむい)と書かれていますけど、あれでしょうねと。無畏施(むいせ)だとかと答えたことがございます。で、小池先生はすぐ、あそこに額を見に行かれたということを聞いたんですけど、人がこころの底で心底欲しいのは何か。安心なんですね。
 仏さまを信じるというのは安心したい、恐怖や不安から逃れたいという気持ちであります。これを無くすことが御仏の救済である。そのこころは慈悲、楽を与えて苦を取り除くことに尽きるのであります。
 楽を与えるのが先であって、苦を抜くのは後にあるというところに御仏の知恵があるというふうに私は思っております。楽になれば心身の緊張が解けます。苦は楽に抜けるようになるのであります。緊張を解くということは、大きくなることであります。縮こまって考えない。狭く考えない。こころを大きく持って、大き動くということが、苦を抜く第一歩であって、希望と幸せの鍵でもあるわけであります。(ホテルニューオータニ 舞の間)


2012/8/23 第147回恵観塾 第二講話「十住心論」 7回目(59分) mp3/27.3MB
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2012/9/22
 
第148回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
上城先生
第二講話「十住心論」8回目
阿字のふるさと
密教の中心の仏さま
大日如来
仏さまの中の仏さま
大宇宙、大生命体
物事に執着することは止めなさい
 
死ぬときには何一つとして持って行くことはできない
   この世の中のことだけが真実の世界ではないのであるならば、本当の世界はどこにあるというのでしょう。お大師さまは阿字のふるさと、そういうふうに言っておられます。私たちの想像を超える世界があるというわけですね。阿字というのは梵字の「あいうえお」の「あ」にあたる最初の文字でございまして、密教の中心の仏さまであります大日如来を表しているのでございます。
 密教では大日如来というのは仏さまの中の仏さまであって大宇宙、大生命体とも言うことができる大きな仏さまなんですね。この世のことが幻であるんだから、物事に執着することは止めなさい、そのようにお大師さまは教えておられるというわけですね。舞台の幕が降りてから演技をしていても、スポットライトは消えて観客も居ないわけであります。しかし、例え仮の世界であったとしても舞台に上がっているときは観客にメッセージが伝わるように誠心誠意、存分に働いていけば、また動いていけば、次のステージも完全燃焼ができるというわけであります。これは見えているものだけにとらわれてはいけないという教えでもあるわけですね。
 みだりに迷いのこころにとらわれてしまいますと、迷う対象が消えてしまったらこころの根源は空しいだけのことになってしまいます。そのようにお大師さまは説いておられます。目に見える現象に迷ってしまってはいけないよ。そのようにお大師さまはおっしゃるんですね。
 この世の中に生まれて、様々な誘惑の前には人間は弱いものであって、ついついのめり込んでしまったりいたします。それでは迷いにこころが消えたときに、こころは虚ろになってしまうよというふうに戒めるんですね。
 私たちは裸で生まれてきます、おぎゃーと。この世の中でどれほど栄耀栄華を極めたとしても、また偉大な業績を残したとしても、死ぬときには自分の体をはじめとして何一つとして持って行くことはできないです。
 お葬式をしておりますとこの栄耀栄華、すばらしい人生を送られた人に限って裸で逝かれるんですね。普通の方々は、普通に生活してらっしゃた人たちはこの指輪でも何でも持って行かれます。だけどもすごい良い生活をされた人たちは皆ダイヤとかいろんないいものをつけてらっしゃるが、それはみんな取られて真っ裸で逝かれますね。そんなふうに考えるとどんな栄耀栄華をしたとしても、いい業績を残したとしても逝くときは裸なんです。(ホテルニューオータニ翔の間)


2012/9/22 第148回恵観塾
第二講話「十住心論」 8回目(68分) mp3/31.3MB

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2012/10/23
 
第149回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
上城先生
第二講話「十住心論」9回目
唐から持ち帰られた星の暦
厄除けを祀る星祭
一道無為住心
一道の悟り
人間は小さな宇宙
大日如来と響きあって生きている
人間の一人ひとりが小さな宇宙の円
大日如来がすべての始まり
我は一切の本初なり
闇があるから光が輝いて見える
   空海、弘法大師、お大師さまが唐から持ち帰られた星の暦というのがございます。これは厄除けを祀る星祭の原点にもなっております。さて、このお大師さまの十住心論は、今月は第八巻でございます。
 一道無為住心というふうにお大師さまは名付けていらっしゃます。生命というのは、宇宙の生命の源であるところの大日如来から頂いたものであって、御仏と同じものであるというわけであります。これを一道の悟りというふうに言っております。宇宙の謎のようで良くわからないと思いますけれども、どういうことかといいますと、私たち、この人間は小さな宇宙であって大きな宇宙、つまりこの大宇宙、大生命体を自分の体としていらっしゃる大日如来と響きあって生きているわけです。
 小さな円が私たちだといたしますれば、その中心を無限大に広げていきますと大きな宇宙になるわけであります。生き物の一つ一つ、人間の一人ひとりが小さな宇宙の円ですから、それを広げていって見えてくる大きな宇宙はとてつもなく大きいものなんだと思っていただければいいと思いますが、大日如来がすべての始まりなんだと、このようにお大師さまは教えておられます。そこから宇宙は形作られて生命というものが私たちの認識できる形をとって現れてくる。そういうふうに説いておるんですね。
 一つひとつの仏さまの知恵といったものは、みんな人とともにあるもの、そのようにお大師さまは教えておられます。私たち人間はいつも無数の仏さまの知恵に包まれて生きているということをもっともっと知ってほしいという思うのでございます。無数の知恵というのは一人の人間の知恵でもあるわけであります。曼荼羅の世界というのは私たち一人ひとりが持っているものでもあります。
 宇宙とは、大日如来というのは、それはもともと存在しておったものなんだと。そのようにお大師さまは説いておられます。「我は一切の本初(ほんじょ)なり」、こういうふうに言ってらっしゃいますね。皆さん方も仏さま、私も仏さま、そしてすべては宇宙の中にあるものであるというのが、この第八巻の教えであるわけであります。
 宇宙というのは果てしなく、暗く広がって見えます。その闇の中に星がまたたいております。見えない小さな光は 無数にございます。私たちの生命というのは闇にまたたく星のような存在であるというわけであります。
 闇があるから光が輝いて見える訳ですね。空を見上げる自分がおる。空があるから私たちは見上げる訳であります。どちらも実は同じことであります。こころがあるから主観的にも、客観的にも見ることができる。大事なことは(ホテルニューオータニ翔の間)

2012/10/23 第149回恵観塾
第二講話「十住心論」 9回目(65分) mp3/34.6MB

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2012/11/22
第150回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
第二講話「十住心論」10回目
 
極無自性住心
最後の油断を戒める教え
自分は宇宙の中にあり、宇宙は自分の中にあり
人のこころは仏さまそのものである

近くて見がたきは我がこころ
細にして空に遍ずる
自らのこころの仏
自分のこころを悟る
自分のこころを知る
こころが秘める無限の力
   極無自性住心(ごくむじしょうじゅうしん)、九巻目ですがこれがどうして最後の油断を戒める教えであるかということでございます。すべてを一つに見て、その中にそれぞれの要素があることを理解してなお要素だけでは存在しえない事を感じ取っていく。そうした総合判断がまずは大事であるわけであります。その上で自分の見ているもの、また感じているものの形にとらわれることなく、こころでそのことを知りなさいと、そういう教えであると思います。
 自分は宇宙の中にあり、宇宙は自分の中にあり。人のこころは仏さまそのものである。これは、自分では見えない、数えられないものだから実はもっともすぐれたものであるんだというふうにお大師さまは文章の行間で伝えていらっしゃるのであります。
 お大師さまはこの極無自性住心の冒頭で教えていらっしゃいます。近くて見がたきは我がこころ
。細にして空に遍ずるはわが仏なり。見えるものには限界がございます。人間の努力によってこれを把握したり、手に入れたり、解決することが出来るけれども、見えないものには不思議な力がある。
 不思議のなかの不思議、すぐれたなかにもすぐれた者は、ただ自らのこころの仏であるというわけですね。それほどに偉大なこころがあるのに気づかないで、自分のこころに迷いを持つから迷いが波立ってしまうんだよ、というふうにお大師さまは続けて言ってらっしゃる。迷いの波が静まらないからいつまで経っても自分のこころを悟ることが出来ないというふうに教えていらっしゃいます。この悟るという道はすべて自分のこころを知ることに通じているのであります。我がこころがどれほどの力を持っているのか、こころが秘める無限の力をお大師さまは説かれているのでありますが、それは究極の教えであって、この九番目のこころ住処というのは、まだ頂上を極めている訳ではないわけであります。
 人々はどうしても自分のこころをしっかり見ることが出来ないでおるので、迷いから抜け出せないでおる。慈悲のある仏さまは迷える者たちに本来の住処へ帰る道を教えていらっしゃる。長い道のりをようやく歩いてきた者たちに用意された休息所が、この九番目のこころの住所であるんだというふうにお大師さまは説いていらっしゃいます。こころに自分の敵を作っては最後の胸突き八丁は越えられないよというふうにお大師さまは教えられるのであります(ホテルニューオータニ翠鳳の間)

2012/11/22 第150回恵観塾
第二講話「十住心論」 10回目(60分) mp3/27.5MB

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2012/12/20
第151回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
第二講話「十住心論」最終回
 
密教は肯定の教え
捨てずに活かす教え
生命は変化するもの
人間は四つの苦しみが根底にある
四苦八苦
個々の苦しみをどうしたら癒すことができるのか
生老病死
生きることは動くこと
死はすべての生命に平等にやってくる

死は宇宙の法則に拠る
ほとんどの人は皆病気にかかる
   密教という教えは肯定の教えです。捨てずに活かす教えであるというわけです。ものを大切に思うには、まずはこころを大切にしているかどうかを考えていくところからスタートラインに立つことがいいんじゃないでしょうか。生命は変化するものであります。その変化によりまして人間は四つの苦しみが根底にあるというふうに仏教では教えております。四苦八苦と申しますけれども、その四つの苦しみが生命のリスクと言いますか、生きることと背中合わせについてまわるものでありまして、個々の苦しみをどうしたら癒すことができるのかという教えであるわけでございます。
 生老病死がこの四つの苦しみでございます。生きることも、老いていくことも、病気になることも、死んでいくことも、この世の中に生まれて来た生命にとっては、これを消したり削ぎ落としたりすることは出来ないものであるわけでございます。
 生命はこの世の中では後戻りすることは出来ないのであります。生まれた時から死に向かって前へ前へと進んでいくように作られているわけです。一瞬も留まっていることは無いのであります。動いているんです。生きることは動くことです。肉体を動かし、こころを動かして、思いを動かしていきます。動かし過ぎますと暴走し、また足りなければ滞ってしまう。その調和を知ることが生きていくことであります。
 この世の中の生命はいつか老いていかなければなりません。また病気は肉体を苦しめます、と同時にこころを苦しめる。また愛する者たちを苦しめるのであります。そして死はすべての生命に平等にやってくるものであります。 死は宇宙の法則に拠るものであります。すべての生命がこの世の中にピリオドを打たないといけないというのに死に急いだり、またあるいは殺してしまったり何故するんでしょうか。死を知らなければ生も知りません。苦しいけれどもこの死を学んで人は育つのであります。
 生老病死という人間には根源的な苦しみの四つの中で生まれてくること、老いていくということ、死んでいくということの三つはどうしても避けては通れないものであります。ただ、病気になるという苦しみは体験しないで楽になっていかれる人もいらっしゃるのであります。病気もしないで元気なお年寄りのお姿がテレビで紹介されることがあったりいたします。そしてあるとき眠るように大往生とげられた。そういうような人は四苦ではなくて三苦を背負って生きられたことになると思います。そのような健康に恵まれた人ではなくて、ほとんどの人は皆病気にかかります。しかし、この病こそは四つの生命のリスクの中で人間が人間を癒すことができるものである。医療が存在する原点であるわけであります(ホテルニューオータニ翔の間)

2012/12/20 第151回恵観塾
第二講話「十住心論」 最終回(69分) mp3/31.6MB
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