恵観塾   東 京 2013年 Ekanjuku 2013 Tokyo - Dainichikyokaidai            HOME

大日経開題

2013/2/21
第152回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
平原総代
第二講話「大日経開題」1回目 
生きるということはくりかえしの積み重ね
挨拶は平和を築く第一歩
過去も現在も未来も無いのが仏さまの世界
太陽の動きが体の臓器の働きを左右する
生きることはひとつの呼吸の間
愛語
   お大師さまは、私たちの頭上に輝いている太陽を世間の火であるというふうに言ってらっしゃる。私たちにとりましてお日さまは生きていくために無くてはならない存在であります。しかし、照る日もあれば曇る日のまた雨の日もあるわけであります。
 太陽が輝いているか、あるいはいないかでその日の気分が左右されるのであります。人類は火を得てエネルギーとしてきたわけでございますが、その火のエネルギーを得るために石炭とか石油などの化石燃料を膨大に使って、やがては無くなるというような瀬戸際に来ているのであります。
 それに代わって原子力が登場したのでありますけれども、これは破滅と背中合わせになっております。今、代替エネルギーの重要性が叫ばれて太陽光によるエネルギーを取り入れる動きが活発化してきております。いつでもふんだんに存在しておる太陽の光を生活に活かそうと人類は再びこの火の光のありがたさに気づいたというわけであります。しかし、これも政治的な判断もからんでいるようでございまして、広く普及するのには時間がかかりそうであります。この自然のエネルギーは天候に左右されるというところもございます。雨が続いたり、曇り空であったり、雨が降ったりいたしますと太陽光のパワーが落ちてしまうわけであります。
 これに対して大日如来さまの火の光はどんなところにあっても陰ることもなければ、滅することもないのであります。どれほど凄まじい風が吹いても、光は変わることなく輝いているというわけであります。仏さまのこころというのは、このようなものであるというふうにお大師さまはこの大日経で説いていらっしゃいます。
 こころに重く雲が垂れ込めて、明るさが消えているようでも煩悩の炎が燃え上がって、そして火の光が見えなくなってしまっても如来の知恵の光は決して無くなってはいないというふうに教えております。
 求めていけば必ず見つかります。それでも遠くに出かけて探すのではない、自分のこころの中にあるというわけですね。どんな悪事をはたらいていても、悔い改めて仏さまのもとで生きようとすれば、暗雲はやがて晴れて煩悩の炎は煙となって、いつしか消えてしまうんだ。その後に、元からそこにあって輝いておった本当の火の光が輝きを見せてくれるというわけであります(ホテルニューオータニ EDOルーム)


2013/2/21 第152回恵観塾 第二講話「大日経開題」 1回目(70分) mp3/32.2MB

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2013/3/25
第153回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
第二講話「大日経開題」2回目 
日本人は信仰するものを持っていない
キリスト教
ユダヤ教
ヒンズー教
自然崇拝
氏神さま
生まれた時には神社にお参り
結婚式は教会で
亡くなった時はお寺で葬式
道祖神
   一般に日本人は信仰するものを持っていないというように世界の人たちから言われることが多いわけでございますけれども、キリスト教とかイスラム教、ユダヤ教、あるいはインドのヒンズー教なんか人々が教えとともに生きている宗教のありようからいたしますと、日本人の生活に宗教がかかわっているようには見えないんじゃないかなと思います。もともと日本人は熱い宗教心を持っておるというふうに私は思っているんですね。日本には自然崇拝というのが根づいております。村や町には氏神さまが祀ってありますし、また大きな木とか、あるいは岩なんかには絞め縄が掛けられて大切にされてきているわけであります。
 日本人は生まれた時には神社にお参りをして、結婚式は教会で挙げて、亡くなった時はお寺で葬式をという日本人の一般的なこの風習というのは、一つの宗教を信じている人たちにとっては不思議に思えるんだろうと思いますね。これが日本人の信仰心の表れだというふうに思うんですね。正月には門松が飾られるわけでありますけれども、私が生まれて育った故郷の大隅半島におきましては、集落の入り口に大きな松飾りが建てられるというところもあるわけでございます。あるいは他の神さまと呼んでいる道祖神が村のあちこちに建っておりまして、お祭りもここでするんですね。また道祖神の前で踊りをする。これこそ私は信仰心の表れであるんだというふうに思って、日本人のこころを大切に思っているところであります。
 自分を超越した偉大な存在を信じて、そして敬って、それに頼って、指針として生きることが信仰というものであると思います。しかし、最近の日本社会からこの信仰心が薄らいで来ているように思えて、本当にちょっと危惧しているところでございます。
 人が神仏を信じなくなっている。人が人を信じなくなっている。人が自分の生きている国を信じないでおる。この信というこころの基盤が薄くなってきているような気がいたします。
信なくば立たず、というふうに政治家は時々口にしたりするんですけれど、政治家に信を問うことが難しい時代になったと思います。これは日本だけの現象ではないと思います。世界を見渡してみましても、この信ずることの大切さを忘れている人たちがいかに多いか。そういうことを考えますと非常にこころが痛むんですけれども、しかしそのような時代になっている時だからこそ、信ずるこころの強さに打たれることがあるわけであります(ホテルニューオータニ 翔の間)
 
2013/3/25 第153回恵観塾 第二講話「大日経開題」 2回目 (70分) mp3/32.4MB
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2013/4/24
第154回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局 朝鮮総連本部ビル落札経緯
行徳先生
第二講話「大日経開題」3回目 
日本は有数の長寿国
無縁社会
親孝行したいときに親は無し
不動真言
ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
積善の家に余慶有り
   日本は今、世界でも有数の長寿国になりました。長生きをするということは親子の縁が長く続くことでございますけれども、良いことと悪いことの両極端が今の日本社会の中に現れております。親が長生きをしてくれることは非常に嬉しいことでございます。私も母親が86歳で亡くなりましたけれども、いなくなって一層その存在が大きかったということを毎日実感しているところでございます。悪いことといいますか、親が長生きして、老いた子供が親の介護をするケースもございます。あるいは仲の悪い親子の争いが長く続いてしまうという悩みを抱えていらっしゃる人もおられます。無縁社会などというような悲しい言葉がございます。長寿国故の影から生まれた言葉であろうかと思います。しかし大きく見渡してみますと、やはり親が元気で長生きしてくださるということは幸せなことだというふうに多くの人たちが感じていらっしゃると思います。親孝行したいときに親は無し。昔の人たちはそんなことも言いましたけれでも、今の日本人はしようと思えば、親はずっとそばにいてくれるわけでございます。
 私の寺には小さな子供達がよく来ております。小学校に上がる前の子がよく来るんですけれども、2時間毎日護摩行をやっております。その護摩行の間、一時はねだりもするんですけれども、みんなおとなしく親の隣でまたおじいちゃん、おばあちゃんの隣で正座して不動真言を唱えておるんですね。不動真言というのは「ノウマク・サンマンダバザラダン・センダ・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」、これを小さい子たちが親と一緒に唱えているんです。それを見て初めて来られた人がよく驚いていらっしゃいます。こうゆうのを見ますと親たちが自分の家で仏さまに祈っていらっしゃる姿が想像できるんですけれども、親の姿を見て子供は育ちますから、そういう子供達の家は皆、親がよく拝んでいるんだろうなと思います。親から子供もへと代々続く祈りのある暮らしが、このような信者達を生み出しているんだなあというふうに私は思いながら合掌しているところでございます。
 
積善の家に余慶有り。こうして仏さまに祈って仲良く暮らしている家族のこころ持ちがきっと幸せを運んでくるんだというふうに私は思っております。最近、親孝行という言葉が随分聞かれるようになってきております(ホテルニューオータニ 翔の間)

2013/4/24 第154回恵観塾 第二講話「大日経開題」 3回目 (59分) mp3/27.2MB
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2013/5/23 
第155回恵観塾
ホテルニューオータニ
焼八千枚護摩供百座成満お祝いの会
サルキソフ先生
星野恵津夫先生
池口豪泉僧正  
八千枚護摩行
真言行者が一生の内に一回出来たらいいと言われる荒行
西安の大興善寺
恵果阿闍梨
不空三蔵
八千枚護摩行の苦しさ
苦しかったらここで死ね、行場が行者の死に場所なんだ
母の胎内にいる時から勤行の声を聞いて育つ
僕を日本一の行者にしてください
   八千枚護摩行といいますのは、真言行者が一生の内に一回出来たらいいと言われる荒行であるわけでございますけれども、私が38年からこの八千枚護摩行をするようになったわけでございますが、今日はその百回目の成満の記念した報告を申し上げたいと思います。因みにこの百回の内の一回は、6年前に私が中国の西安の大興善寺という古いお寺でやったものでございます。大興善寺という寺は唐の時代に弘法大師空海に密教を伝授した恵果阿闍梨のお師匠さんにあたる不空三蔵菩薩が、ここを拠点に密教を広めた寺でございまして、私が勤めたこの八千枚護摩行は不空三蔵以来千二、三百年ぶりだったというふうに西安の仏教関係者にとても感謝されたことを思い出すわけでございます。
 私はこの50年間に100回この八千枚護摩行を成満さしていただいたことになるのでございます。若い頃にはこの八千枚護摩行の苦しさに耐えかねて、行の最中に護摩壇の上で気を失ってしまいまして弟子たちが壇から降ろそうとした時に後ろにおった母がつかつかやって来て「苦しかったらここで死ね、行場が行者の死に場所なんだ」、というふうなことを言って、大きな声で怒っていたのを聞いて、また元にかえって復活してそれを達成したというとこがございます。これが一回目の一番厳しい行でございました。死にそこなったのは二回あるんですね。
 二回目は今度の百回目だったんですけれども、六千本ぐらいから意識が飛んで行きだしまして、だけども八千本最後まで綺麗に達成することが出来ました。達成して壇から降りたとたんに意識が無くなりまして、抱えられて弟子の肩にすがって裏の部屋に行く間、戻ったり飛んだりしておったんです。気がついたときには裸になっておりました。それからシャワーをちょっと浴びて、布団に寝かされました。その時にお医者さんが血圧を測ったら50と30ということでものすごくお医者さんが慌てられて救急車を呼ぼうとされたが、注射とかいろんなことをされたら元に返ったみたいで、そうしているうちに意識が帰ってきて、普通になったんです。
 それから背中から右手がものすごく痛くなりまして、一週間程手が上がらなくなったんですね。その間、行が出来なくって、いままでそういうことはなかったんですけれど一週間休ませていただきました。その間、息子が行をしてくれておったんですけれども、この2回が私の百回の内で死に直面した行でございました。
 私は母の胎内にいる時から勤行の声を聞いて育ちました。小さい頃にはいつも庭とかお堂の中の仏さんへお茶とか水をあげて、線香を焚いて拝んで歩いておったのです。その時に拝んでおったのは「僕を日本一の行者にしてください」というふうに拝んでいました。これは何故そういうことを言ったかといいますと(ホテルニューオータニ アリエスの間)

2013/5/23 第155回恵観塾 「焼八千枚護摩供百座成満お祝いの会」 (55分) mp3/25.2MB
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2013/6/24
第156回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
日本予防医学会中島茂先生
第二講話「大日経開題」5回目
海外留学を志す若者が少なくなってきている
お大師さまの名は空海
密教は大欲の教え
大日如来は偉大な光そのものの仏さま
大毘盧遮那
人のために尽そうという慈悲
無私の欲
般若心経
宇宙とは何か
生命とは何か
   海外留学を志す若者が少なくなってきているというようなことを言われます。自分の生きる世界を自分で広げてみようという大きなこころが欲しいなと私はいつも願っております。ここで言いますところの大きいというのは形の大きさではありません。偉大なという意味を表すものでございます。お大師さまの名は空海。空と海とが一つになって広がる大きな名前でございます。空も海もまさに大、大きいそのものであると思いますが、昔歌った歌に〜海は広いな大きいな、月は昇るし日は沈む〜というのがありました。その海から私たち生命は生まれて来たといわれます。こころに大きな空を描いてみたらいかかでしょうか。また大きな海を描いてみるというのもいいんじゃないかなと思います。そして、大きな光に向かって今日も明日も歩いていくように努めるべきじゃないかなと思います。今も私のこころにはいつも故郷の海と空の風景が広がっております。密教はこの大の文字がどんと横たわる無限の世界を私たちに語ってくれる知恵の集体性であるというふうに思います。他の仏教と違いますのは大欲の教えでございます。生きる原動力でもある煩悩の炎を消し去ろうとしていくんじゃなくって、大きく大きくこれを育てていって、これを他の人たちと分かち合っていこうという教えであるわけでございます。偉大、絶大、広大、みんな何かと比べて大きいのではありません。大という比べることが出来ない絶対的な大きさを伝える言葉であります。
 大日如来という仏さまは、偉大な光そのものの仏さまである。大日如来はまた大毘盧遮那とも言いますが、この大ということについてお大師さまは詳しく説いておられます。大というのは英語で言いますとビッグではなくってグレートの意味になると思います。人のために尽そうという慈悲であると思います。大欲というのは小に対するところの大ではないんですね。仏教で言いますところの大というのは、相対的な大ではなくて絶対的な大であるわけであります。欲をとことん大きくしていきますと限界を超えてオレがオレがという欲ではなくて、無私の欲になります。これを育てあげろというのが大欲でございます。みんながオレがオレがと思うからみみっちくなって、汚らしくなってしまう。それを全部捨ててしまう欲望に育て上げるにはどうしたらいいかという教えであるわけであります。そうなりますと自分の範囲で欲を考えないで、社会のため世界のため人類のためにその欲をどのように活かしていけばいいかということを考える。この大を象徴するのが般若心経であるというふうに私は考えておりますが、この短いお経には仏さまの教えがすべて込められておるというふうに言われます。宇宙とは何か。生命とは何か。みんなこれらを般若心経が説いているのであります。何故この般若心経がかくも広く、長く、もっとも尊いお経とされてきたんだろうかということになりますが、仏教的に申しますと(ホテルニューオータニ 悠の間)


2013/6/24 第156回恵観塾 第二講話「大日経開題」 5回目 (53分) mp3/24.4MB

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2013/7/24
第157回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
上城恒夫先生
第二講話「大日経開題」6回目
密教の強みは実践的な呪力
儀軌
密教経典
加持
宇宙の霊気を集めて一気に放射する
求聞持法
   なぜああいうような苦しい行を毎日やったりしているのか。これは仏に近づくためなんです。お大師さまが日本に招来された密教の強みというのは、その実践的な呪力、これにあったわけですね。
 当時、宮廷におきましては呪術というのは密教以前は陰陽道が中心であったんですけれども、密教は奥行きの深い知識とそのスケールの大きさで重要な地位を築いてきたわけでございます。
 密教が宮廷で信頼されたというのは儀軌といわれる膨大な密教経典による教えがございまして、その手法のバリエーションは多岐に及んでおったからであります。そして一番この密教の基本的な、私が一番中心にしているのは加持なんです。
 この加持というのは他の宗教の祈りとは根本的に異なっておりまして、宇宙の霊気を集めて一気に放射するという独特の拝み方が特徴であるわけですね。その力強い祈りというのは厳しい毎日、毎日の荒行がその礎になっているわけであります。
 荒行と言われる真言密教の中には八千枚護摩行と求聞持法(ぐもんじほう)というのがあるんですけれど、それをやるには斎戒沐浴をしてやらなくてはいけないということにがございます。そのために自分たちは肉食妻帯しているからこれを成満することは到底出来ないだろうというふうに思って、それをやる前から敬遠してあきらめてしまうという人が多い訳ですね。しかし、そういうような事でこの八千枚護摩行とか求聞持法というのがしている人が少ない訳でございます。
 密教の行というのは特別に選ばれた者だけにあるんじゃなくって、例えどんな人であったとしても開かれておるということであります。だから皆さん方もやろうと思えば皆出来る訳ですね。それは何故かと言いますと(ホテルニューオータニ 麗の間)


2013/7/24 第157回恵観塾 第二講話「大日経開題」 6回目(56分) mp3/32.2MB
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2013/8/22
第158回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
セーラー万年筆中島社長
平原総代
第二講話「大日経開題」7回目 
真言密教の呪術
加持と祈祷
お坊さんは仏に使え人々を救う使命がある

即身成仏の教え
もし自心を知るは すなわち仏心を知るなり

仏心を知るは すなわち衆生の心を知るなり
   お大師さまが招来されました真言密教の呪術であります加持と祈祷ですね。これがもう影が薄くなりつつあるんですけれども、このような時になんとかまた本当の密教の教えが伝わるようにと思って書き溜めたものを今、編集してもらっているところでございます。私が学生の頃は、偉いお坊さんたちは「自分は真言行者であるんだ」というようなことをよく言ってらっしゃったんですが、しかし今ではこうして「自分は真言行者だ」というふうに胸をはって言われるお坊さんが少なくなったような気がするんですね。また、厳しい密教の行に挑んでいかれるというようなお坊さんも少なくなってきているような気がいたします。
 真言行者でありながら行をしないというのは、浄土真宗とか浄土宗なんかの念仏門の人たちが念仏を辞められて、また臨済宗とか曹洞宗の禅宗のお坊さんたちが座禅をされないのと同じことだというふうに私は思っているんですね。自ら拠って立つ本分を放棄していることにほかならないと思います。
 本分を忘れた者がはたして栄えることが出来るだろうかということですね。お坊さんというのは仏に使え人々を救う使命があるわけでございますが、私たち真言宗のお坊さんには加持祈祷という教えの根本をなす役割があるわけでございますけれども、近年はとかく葬儀とか供養なんかに追われまして、密教というのは何なのかとか、加持とか祈祷とかいうのはどういうことなのかということを忘れてしまってるお坊さんもいらっしゃるように思うんですね。
 私はお大師さんが開かれたところのこの真言密教というのは即身成仏の教えによりまして、他の顕教とは明らかに違うというふうに思っているんですね。お大師さまは「もし自心(じしん)を知るは すなわち仏心(ぶっしん)を知るなり 仏心を知るは すなわち衆生の心を知るなり 三心平等なりと知るを すなわち大覚(だいかく)と名づく」と、こういうことを言ってらっしゃるんですけれども、密教は自分の中に仏さんがいらっしゃって、その仏性に目覚めることによって行者は宇宙に遍満しているところの神秘的なエネルギーを預かって、そして一つになって人々を癒すことが出来るわけであります。自力と他力という分け方ではない、これを超えて仏さまと一体になる道を教えるのが密教なんですね。お大師さまが日本に招来された密教の強みというのは(ホテルニューオータニ 悠の間)


2013/8/22 第158回恵観塾 第二講話「大日経開題」 7回目(98分) mp3/45.1MB
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2013/9/20
 
第159回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
鈴木邦男先生
第二講話「大日経開題」8回目
僧侶は人々のこころに花を咲かせるのがその勤め
毎日、毎日の修行が大事
仏さまというのはどこにいらっしゃる
人間はこころと共に生きている
こころについて詳しく述べているのが大日経
密教は手法を学べば限りなく偉大なパワーを手にすることができる
自利利他の教え
   よく坊さんは労働もしないで、税金も払わないで大きな屋敷に住んでいて安泰なんだろうというようなことを言われたりして、坊さんの生活の実態を知ってらっしゃらない人がよく揶揄する言葉じゃないかなというふうに思います。お坊さんになれば働かないでご飯が食べられるというふうに思ってらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども、お坊さんというのは一般の社会で働いている人と違いまして何か労働に従事している訳ではないのかも知れませんけれども、もしそうであったと致しましても私たち僧侶は人々のこころに花を咲かせるのがその勤めであるんだというふうに私は小さい時から言われ、育てられて来ておりますので、私はそれを信じて毎日修行している訳でございます。
 人のこころに綺麗な花をたくさん咲かせていくためには、人々の悩みとか問題を自分のこととして向き合って、そしてその人のこころの雑草を取り除いて、善意の種を撒いて、こころに光を当てて、そして慈悲の実を育んでいかなければいけないわけであります。そのためには毎日、毎日の修行が大事でございます。
 自分が汚れておっては花を咲かせることは出来ません。私たちが毎日風呂に入ってシャワーを浴びて綺麗に体をするように、一日が経てばすぐ汚れる。こころも頭も中もそうなんですね。だから常に行をして綺麗にしておかないとそういう皆さん方の役に立つ事は出来ないということで、私は小さい時から「行せい、行せい」と耳にタコが出来る位言われて育てられた訳でございます。今日はこのこころについてちょっと話を聞いてもらいたいと思います。
 私たちがいつも使っておりながら、実はそのもののことをよく知らない。そんな言葉の一つにこころというのがあります。私たちはよく「こころを大切に」とか、「こころが晴れ晴れした」とか、「そんなこころがけではいい結果にはならないよ」とか、あるいは「こころが痛いね」というようなことをよく言うんです。毎日どれほどこのこころという言葉を使っておるでしょうかね。しかし、このこころに触れたり、見たりすることは出来ない訳であります。
 目に見えないものなのに私たちはこのこころというものを持っているということ知っております。そしてそれを感じ取って暮らしているわけであります。良心、仏心、改心、信心、いろいろありますけれども、こころが付くこうした言葉は沢山ありますし、私たちはいつでもこのこころとともに生きているということを教えてくれますけれども、仏さまというのはどこにいらっしゃるのだろうか。遠い空の彼方にいらっしゃるのだろうか。あるいは西方浄土におられるというふうに語り伝えられたりいたします。お大師さまはそれぞれのこころの中におられるんだということを教えて下さっております(ホテルニューオータニ悠の間)


2013/9/20 第159回恵観塾
第二講話「大日経開題」 8回目(70分) mp3/32.0MB

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2013/10/23
 
第160回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
サルキソフ先生
第二講話「大日経開題」9回目
人間は社会の動物
他人を活かすことは自分を活かすこと
バカの壁
壁は自分のこころが作るもの
井の中の蛙、大海を知らず
五常 五戒
光を自分の中に見つける
身口意
祈りというのは自分自身を磨くもの
生命の根源、宇宙そのものである大日如来

   人として生まれたことは尊いことなんだという自覚を私たちは胸に刻んで生きていかなければいけないんじゃないかなというふうに思います。それは動物を蔑むことではなくて、人に与えられた能力がいかに豊かなものを生み出すことか、そのすばらしさを存分に活かして生きることが人の道であるんだというふうにお大師さまは教えていらっしゃるんだと思います。何も考えないで暮らしているものが何かのきっかけで良いことをしようと思った。そして小さなことを実行してみると嬉しい、その気持ちからまた良いことを行うんだ、お大師さまはそのようなことでこの大日経を解き明かしておられます。この小さなことというのは例えば毎日の生活をリズムを持って送ることから初めてもいいんだと思います。気持ちが良いことが次の気持ちが良いことにつながって扉が開いていくのであります。
 衆生の心清浄なる時は仏を見、若し心不浄なる時は仏を見ず、不安や不信などのホコリに覆われて、自分の中にある仏性が見えなくなってしまうよというふうにお大師さまはハッキリ教えておられます。
 毎年シーズンオフになりますと私の鹿児島の寺にやって来て行をするプロ野球の選手たちがおります。このところの現役では阪神タイガースの新井選手とか広島カープの石原捕手が毎年欠かさないでやって来て、私や弟子たちと一緒に3mにおよぶ炎の前で2時間ほど不動真言とか般若心経を唱えて、声を張り上げて真言を繰って行をいたし
ます。この激しい護摩行で野球の技術が上がるわけではないわけであります。しかし、皆自分のこころとの闘いで、磨いて、強く練り上げているわけであります。祈りというのは誰かにすがるものではなくて、自分自身を磨くものであります。様々な障害はみんな宇宙と我がこころとのリズムがズレているときであるんだということを知っていただければ、宇宙と響き合いたいと願い私たちは無心に祈っているわけであります。密教が他の顕教と違いますのは根底にある宇宙の仕組みに対する教えがあることであると思います。そのダイナミックな教えには天地の調和が乱れたときには、どうしたら人々を救うことができるのか、そういう教えがあるのであります。
 教えは人から人へというものではなくて、生命の根源、宇宙そのものであるところの大日如来から代々受け継がれてきた真理を守ることでもあるわけであります。その緊張感が密教を今日まで支えてきたんだというふうに私は感じているところであります。
 密教の教えを伝授するときには、いたいけな赤ん坊に両刃の剣を持たせるようなものである、そのようなこともお大師さまは言っていらっしゃいます。そして、よくよく見極めて大阿闍梨の位を授けなさいというふうに残されておられます(ホテルニューオータニ翔の間)

2013/10/23 第160回恵観塾
第二講話「大日経開題」 9回目(109分) mp3/50.2MB

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2013/12/20
第161回恵観塾
ホテルニューオータニ
第一講話 時局
平原総代
鈴木邦男様
第二講話「大日経開題」10回目
八千枚護摩行
苦しかったらここで死ね、行場が行者の死に場所なんだ
行は生命の再生
密教は加持が究極の実践
求聞持法
加持祈祷だけで改善することがいっぱいある
無明たちまち明となり、毒薬たちまち薬となる
背暗向明
生老病死
宗教の根本は癒しにある
愚においては毒となり、智においては薬となる、故によく迷い、またよく悟る
声字実相義
   私たち行者はいつも死を覚悟しながら祈って加持を受けてくださる信者さんを守っていくわけであります。そのことを知っていただくだけで騙されたり迷わされたりされなくなられるんじゃないかなというふうに思います。
 私の寺では、鹿児島でも江の島でも護摩行のときには信者さんもともに全身全霊で祈っております。最後に願いを書いた添え護摩木を自分の手で炎の中に焼べていただいております。そして声を張り上げて2時間も真言を唱えて、般若心経を唱えるのは並大抵の覚悟ではありません。しかし、それでも何度もお参りされるこころこそがご自分で体得された法悦を知られた方じゃないかなと思うのであります。行者は行という使命を全力で果たさなくてはならないわけでございます。それぞれの人が、それぞれの使命に全力で尽していかれることこそが祈りの原点であるわけであります。
 大日経という真言密教の経典に出会われたお大師さまは「これだ」というふうに思われて、長年の疑問が解かれたと思います。そして、この教えを求めて留学生として唐の都、長安に行かれるわけです。
 お大師さまはこの地で良いお師匠さんに出会いになられまして、短い間に密教の正統、つまり正しい後継者として教えを受け継がれまして、日本に帰られまして真言宗を開かれたわけでございます。そして高野山を開かれ再来年が1200年目になるんですね。
 お大師さまが中国に渡られた当時の唐帝国は世界国家といってよいほど強大国であったわけでございます。お大師さまは密教の教えだけでなく言語から暦とか文化とか建築、工学などあらゆる分野を学んで帰ってこられました。これらを日本に根づかされるわけですね。
 医薬につきましても当然ながら学んで帰ってきていらっしゃるわけでございます。そして日本にお帰りになってから密教を日本に根づかされるだけでなくて、向こうで学んだ建築、堤防学を使って故郷の溜池の大規模な改築を先端技術を使って成功させて、
満濃池ですね、それから日本で始めての庶民の私立学校を創られました。お大師さんという人はマルチ人間だったんですね。
 密教というのは、お釈迦さまの教えを中心とした原始仏教にアジア古来の文明を加えた大乗仏教であるわけでございます。
 私たちの生命は大日如来から分けて頂いているものでございまして、大日如来は宇宙そのものであるという教えの基本がございます。大日如来から生み出された私たちは、私たちも仏の子でありますから即身成仏できるのは当たり前のことであるわけですね。この身このまま仏に成るというのは、死んでから成ると考えていらっしゃったかも知れませんが、仏の子であるんだからこの身このままの状態で仏に成ることができるのは当然のことであるわけでございます。お大師さまは遠い古代からの知恵の集積を密教という真理によって学んでこられたのであります。不可思議なことは現代にもよく起こっておると思います。最近私が行をしておりますときに(ホテルニューオータニ芙蓉の間)

2013/12/20 第161回恵観塾
第二講話「大日経開題」 10回目(69分) mp3/36.4MB

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