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傳燈大阿闍梨池口恵観大僧正



「行」護摩行

"Gyo" Gomagyo



最福寺 891-0133 鹿児島県鹿児島市平川町4850-1 TEL.0992-61-2933 FAX 0992-61-2242
Saifukuji 4850-1 Hirakawacho, Kagoshima City, Kagoshima Pref., 891-0133 Japan Tel.+81-992-61-2933 Fax.+81-992-61-2242

江の島大師 251-0036 神奈川県藤沢市江の島2-4-10  TEL.0466-50-2111 FAX 0466-50-2114 
Enoshima Daisi, Fujisawa City, Kanagawa Pref., 2510036 Japan Tel.+81466-50-2111 Fax.+81-466-50-2114

 最福寺は祈願寺でございますから、毎日何十人もの信者さんがお加持とか、おたずねで相談に来ていらっしゃいます。また炎が三メートルにもなる激しい火を炊く護摩行を毎日やっておりますから、気を抜くところがないのであります。 
 気持ちが弛んでおりますと、火傷をしたり酸欠で倒れたりいたしまして、大怪我をいたしますので、ここは徹底的に注意をするわけでございます。
 口コミで私の寺のことが広く知られるようになりまして、やがて今、阪神で活躍しております金本知憲選手とか巨人軍の清原選手らプロ野球の選手や大相撲の力士とか政治家の方々がこの寺に来られまして修行に参加してくださるようになったのであります。
 私は行者の家に生まれました。真言宗に身を置くようになりましたのは、私の父の代からでありましてもとは修験の家でありました。
 先祖は五百年ほど前の室町時代に修験者になったようでありまして、私で十八代目でございます。
■008 2005.07.20 「信仰に生きる」 国分市教育委員会 国分市舞鶴大学大学院学習会 国分市民会館(93分)


護摩とは


護摩を真言密教では焚きます。
これは本堂のなかで焚く護摩、あるいは屋外で焚く柴燈護摩のような
非常に勇壮なものもありますね。これはもともとはインドのバラモン教が
やっていた宗教儀礼でして、仏さまに、天上にいる神さまに早く供物を
届ける手段であったわけですね、護摩っていうのは。
宅配便の元祖みたいなもんです。
自分たちのお供え物を早く天に届けないといけないわけですから、
火の中にくべてその煙といっしょに届けるという、これがバラモンの
もともとのやりかたであったわけです。そういう儀礼があって、
そしてそういうことによって天上の神さまにいろいろ願い事を
ついでに届けるということだったんだと思います。
お不動さまに対して護摩を焚くということは、やはりお不動さんの
持っているエネルギーをそのまま自分たちの身にもつけるし、
あるいはそのエネルギーでもっていろんなところを浄化していくという、
そういうふうにも使っていく。それにはやはり火の持っている
そのエネルギーの象徴性というものが非常にぴったり日本人に
合ってきたんじゃないかなと思います。
松長有慶高野山大学学長(当時)
1986.5.23 世界平和祈念・桜島大柴燈護摩 MBC鹿児島 炎の祭典・今ひらく池口恵観の世界より


 祈りというのは、行そのものでございます。私の行は大きな火を焚く護摩行が中心
でございます。火を中心とした宗教儀式というのはインドの古代からあったわけですね。
 紀元前1500年前頃からインドに侵入して先住民族を征服し同化しながら住み着いたアーリア民族が、ホーマ(護摩の原語)という儀式を行っておったんですね。バラモンはこの儀式を執り行う役目を持った人たちであったわけでございます。
 護摩行というのは、火を焚いて私がやってる護摩行は、三毒、貪り・怒り・愚かさ、この三毒を焼いて身を清めていく行でございます。火を焚きます炉はきちんといつも掃除しておかなければ火は不完全燃焼して黒いススだけが昇ってしまいます。
■2008/11/24 池口恵観法主の講話と夕食会「祈りのこころ」 11回目 護摩行

人の幸せ 命がけで祈る

2006年 読売新聞

 まず読教してお経を覚えなさい。お経を覚えられたら「刀岳の禅」を組みなさい、それが出来るようになったら今後は手法しなさい、手法をしたら今度は護摩を焚きなさい。火の中に物を供えて、そして自分の煩悩がいろいろとあるのを知恵の火で焼いて、そしてそれを浄化して仏さんの気持ちを分かるようにして、それが護摩なんですね。そして、天にいらっしゃる仏さんにもおあげするようなことで、護摩で行をするわけです。
■2007/2/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 1回目

 行を重ねていきますと、内なる御仏の光が護摩行の火と呼応したしまして、その身が光に包まれてくるというわけでございます。護摩行を終えたときの体は非常に熱つうございます。体験していただくと、内なる炎の実感が分かっていただくと思います。今、行をやりたい人は誰でも衣を買っていただければ、上に上がって体験していただくことができるようになっております。
 護摩行というのは、三毒を焼き尽くす、身を清めるというふうに言われます。火を焚く炉はきちんと掃除をしなければ、火は不完全燃焼して黒いすすだけが残ってまいります。私たちがこころに本来持っておる火が燃え盛るために、こころという炉を掃除をしておらなければ、生命の火を燃やすことは出来ないというわけでございます。このこころという炉で、炎が完全燃焼して燃え上がって行けば、体は清められて、そしてその炎は外に照り映えるんだと私は感ずるようになったのであります。
 私は護摩行が終わった後に話をするときにはいつも申します。この今日、2時間一緒に護摩の火を焚きました。この火を自分の周りにいつも焚いていただきたい。そして光の自分を作っていただきたいというふうに話しをします。そうすれば、光のあるところにはいいものが集まってくる。暗いところ、じめじめしたところ、汚いところには下級な霊が集まり、悪いことが集まってくる。だから、この火をただ今日燃やしただけでなくて、護摩の火を見ただけではなく、拝んだだけでなくて、いつも自分の周りには、あの護摩の火燃えているんだ、あの光が自分を取り巻いているんだ、悪いものは自分には来ないんだ。そうゆうような気持ちで生活していただきたいと思っております。
■2007/6/21 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 5回目 火

 まず私たちは行をする前に自分を高めて、ものすごい大きな火を焚いて、その火に向かって苦しい行をやるわけでございますけれども、こころ引き締めておかないと本当に行が全うできないということが多いもんですから、まず「誓い」というのをやります。これを大きな声でやるんですね。で、声が出ないでこれに集中できてなかった人は、行はさせないということにしているわけでございます。それで行が終わって帰ってきても、この
「誓い」を大きな声で言っておるわけでございます。
 最福寺にお参りに来られる方には、お参りすることを楽しみにおいでになる方、あるいはこうして行をして、行に参加して、また行を後ろから参加して自分のこころを鍛えようというふうに、精進においでになる方もいらっしゃるわけでございますけれども、悩みとか苦しみを抱えておいでになる方が沢山いらっしゃいます。
  どうしてそんな苦しい思いをしながら行をするんですか、というふうに思われる方もいらっしゃると思いますけれども、こうした厳しい行をした後のすがすがしく満たされた気持ちというのは例えよもないものであるわけでございます。そして不思議に力が涌いてくるものでございます。
 燃え上がっている炎に向かっていく気持ちで真言を一生懸命唱え続けておりますと、こころに漂っておった弱さとか苦しさというのが消えていくのであります。
■2008/2/21 池口会(京都) 第一講話 「毎日の行の心がけ」

組織の枠を飛び出し、自分の物差しで生きろ

プレジデント50+ 2007.12.12

 私の寺にはいつも沢山の信者さんたちがおいでになって、行に参加していらっしゃいます。私と同じ壇上に上がらなくっても、本堂で一緒にお経を唱えて真言を真剣に唱えるわけでございます。そうしておりますと、顔がいつのまにか輝いて表情が非常に豊かになってこられるのであります。生き生きとした美しさが備わってくるのですね。だから最福寺の信者さんはお金持ちばっかりが行っていると言われたりします。皆同じなんですね。こころが豊かになって、顔が本当に綺麗な顔になる。姿かたちが、立ち振る舞いが、違ってきてらっしゃる。だから、一般の人からみれば、お金持ちばっかりが集まっている寺に見えるみたいなんですね。
2008/4/24 第100回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 3回目

 私たちの行では太鼓が重要な役割を果たしております。私の寺にはこころのバランスを失いかけた方もいらっしゃいますけれども、その中には行のとき太鼓を叩くことによって心身のバランスを取り戻したという例もございます。自閉症の子供が来て、この太鼓を聞いて、自閉症が改善されたということもあります。あるいはお医者さんの子供さんが胃がんになって来られたんです。大きなかたまりが胃にこうあったんですけども、その太鼓を私が30分くらい叩いて、その横で一緒に聞いてもらった。終わったときにはそのがんが消えとったんですね、そのかたまりが無くなったんですね。
■2008/5/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 4回目 響きと祈り


現代の肖像

AERA 2011.1.24

この世の中は全部リズムが大事なんですね。私たちが行をする、護摩を焚いて火を焚いて行するときも、リズムがきちっと火のリズムと自分のリズムと宇宙のリズムがきちっと合ったときに、非常に気持ちよく、自分もいいし、またそこにいらっしゃる方々も気持ちいい状態で帰っていただけるんです。
2008/6/23 第102回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 6回目 幸せの祈り

 私は忙しいのによく体が持ちますね、というようなことを言われるんですけれども、私はそのときに行のおかげなんです、というふうに答えております。行には脳の活性化を促して生きるパワーを磨く作用があると私は信じております。厳しい行は体力を非常に消耗させるわけでございますけれども、それに負けない体力作りのために密教では古代から食の知恵が伝えられて来たのであります。
  護摩行は苦しみの中から仏さまとの一体感を得ていくものでございます。達成したときの喜びまた充足感が更なる精進につながっていくわけでございます。それは人生も同じことでございまして、苦しいことがあったら逃げないで向き合っていくこころを、力を養っていかなくてはいけない。
■2008/7/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 7回目 こころの力

 私の人生は行に始まったというふうに言っても過言じゃないと思います。母の胎内に居る時から読経の響きを聞いて、そして大きくなってからは、世界中で行によって得た仏さんの力を持って、この世に生きてらっしゃる方の苦しみ、また亡くなってなお悲しみを抱えていらっしゃるいろいろな霊、癒しを与えたい。そういうふうに思って、一生懸命祈ってきたわけでございます。だから私の行は皆様方の祈りを仏さんに届けるためのものでもあるわけでございます。
■2008/9/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 9回目 加持

 「真言行者よ円壇(えんだん)をまず自体(みずからのからだ)に置け」、このようにお大師さまは呼びかけてくださったのでありますが、その言葉はまさに私の宇宙に響きまして、精神を目覚めさしてくれたのであります。真言行者は精神を有するが故に識なんだと言われるお大師さまの、このお大師さまの教えを全うするために、私は人生を賭けて行に打ち込んで、その行で得た力を日本だけではなく、世界の人々の幸せのために使いたい。そういうふうに思って歩いてきたわけでございます。そのために我が身を仏となしてとうふうに、人々に代わってその悲しみ苦しみを自分の身に与えてください。厳しい行を毎日、自らにそう思って課してきたというわけであります。
 今からもそれをやっていかなくちゃいけないんだ、死ぬまで現役でがんばらなくっちゃいけないのが行者であるわけでございます。
2009/5/23 第112回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」 4回目



 行を何回も、何回もやっていくうちに、自分でこれじゃいけない、こんな行じゃ行にならない。苦しい行でないといけない。火をもうちょっと大きくしよう。大きくすればこの護摩壇ではもたないから、こうゆうように護摩壇を作ろう。いろんなことを工夫して自分で大きな護摩壇で、火もたくさん高く上がるような護摩を作りあげたわけです。世界で一、日本で一というのは世界で護摩を焚くところはありませんから、世界一でございますけれど、そういうような護摩が最福寺の護摩なんですね。三メートルにも立ち昇る火の前に、すぐそこの前におりまして、そして2時間毎日行をやっていくわけですから、非常に大変な行です。
■2009/10/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 9回目



2010.1.15 最福寺護摩行
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 行者が苦しんで、苦しんで苦しみ抜かないで、どうして本当の苦しみを、皆さん方の苦しみを理解できるのか。そう思うから厳しくするわけですね。夏なんかになりますと、本当に護摩の火で息が絶えだえになって、もう止めようかというふうに思うときがあります。そうしますと毎日、毎日苦しんでいらっしゃる人、がんでもう亡くなるというような人の一番苦しい人の護摩木がぱっと目につくんですね。「この人たちは自分がもう止めようとしているときに、どんなに苦しくても、たった2時間くらいしか苦しいことはないのに、この人たちは毎日ずっと苦しんでいらっしゃるんだ、これぐらいでくじけちゃいけない」と思ってまた行を続けるわけでございます。
 みんなの苦しみを分かるためには、苦しい行をして初めて理解できる、そういうふうに思うから弟子達にも厳しくするわけです。
2009/11/24 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 10回目


 行というのは祈ることであり、耐えることでもあるんであります。耐えて、耐えて、耐え抜いてこそ、その後の実りも大きいものになるのであります。これは行に限ったことではないと思います。あらゆる人、あらゆる状況について、これは言えることであるというふうに私は思っております。
 私自身が弟子たちの前に立って厳しい行をしていかないと誰もついてこないんですね。口だけどんなに厳しく言ってもダメ。自分が、弟子たち以上の苦しいところにおって行を勤めておらなければ、ついてこないんです。行というのは苦しく極限までやる。これが基本なんです。
2009/11/26 第118回池口恵観勉強会 第二講話「即身成仏義」


 その古文書は、鎌倉時代の八千枚護摩を行者が書いて記録しているものであるわけございます。やりかたとか、護摩木の種類とか、大きさといったようなものが、なんと私がずっと作り上げてきた、誰にも教えてもらわずに私が作り上げてきた行が、そっくりそのまま鎌倉時代の巻物に書いてあったんですね。
 私はそれで非常にびっくりしましてね、千年近く前に既に私がやっておったことと、同じことをやっておった。私のオリジナルの行だと思っておったのがそこに書いてあった。自分の思っておった誇りが萎むような、しかし私の仕法というのは鎌倉時代の伝統のものであったというような、自信といっしょになりまして複雑な気持ちになったわけであります。
 私はきっと鎌倉時代の、この行をされた方の生まれ代わりなんだというふうに思うようになったんです。しかし、それから20年ぐらい経ちますうちに、私は別の考えを持つようになったのであります。それは百万枚を終えてからですね、この宇宙には仏さまの大いなる知恵が遍満しているわけであります。真言、蔵を開くというふうにお大師さまは教えて下さっておりませけれども、正に宇宙というのは秘密の蔵であります。私は拝んで、拝んで、そのことを使命に思いまして、八千枚護摩行とともに前人未到の百万枚護摩行に挑戦したわけでございます。
■2005/12/27 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 見えないものの大切さ 


 数年前のことでございましたけれども私の寺に二十歳過ぎの学生さんがやってまいりました。それは慶応大学の学生さんでございましたけれども、この青年が再々発のがんに侵されておったのであります。本人もご家族も、もう余命は三ヶ月くらいだとお医者さんから告げられておりました。彼はどこかで私の本を読んだんだろうと思いますけれども、私の所へやって来まして「行がしたい」というふうに言うんであります。
  彼はたまたま来ておりました巨人軍の清原選手とか、今阪神タイガースで四番におります金本知憲選手のこの二人の大男に挟まれて行をしたのでございますけれど、結果的に一年後には亡くなってしまいました。しかし彼は精一杯生きようとしたのであります。言葉は悪いんですけれども、この死にかけた青年でさえこれだけがんばるんだからというふうに二人の野球選手は一生懸命やったわけでございます。これが、この二人の野球選手とか他の弟子たちにも感動を与えまして、大いなる励みになったのであります。その翌年のことでございますけれども、金本選手も、清原選手もりっぱな成績を残したのでございます。その慶応の青年は、彼らが活躍する姿を見て死に赴いたのでございます。
■019 2005.09.28 兵庫医科大学での講義 医の倫理「仏教における生命倫理」〜ガン告知から臓器移植まで〜

 私たち行者は行を通じて祈ってまいります。その祈りというのは、自分のための祈りではなくて、祈りを仏さんに届けたい人々のために、苦しんでいらっしゃる人たちのために、あるいは社会のために、また国のために、世界のために、そして地球の、宇宙の、平和のために祈るわけでございます。
 在家の方々は、自分の願いを仏に届けるために祈るわけでありますけれども、それは自分だけではなくて周囲の人たちや、社会のためであるというふうに大きなこころで祈っていくことによって、仏さまに届くわけでございます。在家の方々は、それぞれの職に打ち込んで、あるいは家族のために尽していくということも祈りでございます、また使命であるというふうに知っていただければいいんじゃないかなと思います。
■2008/12/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」 まとめ


 人間にはエネルギーがあります。これが強く燃えている人は体から光が陽炎のように立ち上っておって、見える人には見えるんです。私が行をしております時に護摩壇の炎と、体から出てくる光とが重なっていっそう炎が高く見えるという人もいらっしゃる。外国で光が見えるといって後ろかついてこられることもありました。また日本でもそういうことが何回もございますが、人間は誰もが光を出すことができる存在であると私は思っております。
■2009/2/23 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 総論

 逆境にあってこそ人は、人の苦しみとか悲しみを感じるのであります。同悲という言葉があります。これが行の原点でもあるんですね。人の悲しんでいらっしゃる姿を自分の悲しみとし、人の苦しみを自分の苦しみとする。喜びを自分の喜びとする。そうゆうこころが、この同悲のこころでございます。
 この同悲のこころをどうやって作るか、私たちは自分の行場で心口意をフル回転して勤めていくところに、この同悲のこころが涌いてくるんじゃないかなと私は思っているんですね。だから私は、毎日、毎日一生懸命皆さん方が幸せになっていただくように、死にそうな行を毎日やっているわけでございます。うちの弟子は一人、この行をしながら私の横で死んでいきましたけれども、そうゆうように私の行はものすごい厳しい行でございます。
 こうゆうことをすることによって、人の悲しみ、喜び、苦しみが自分の苦しみ、喜び、悲しみとして考えられるようになるんだ。人は自分の体験を通じて、人のこころを慮るもんなんですね。
 私は最初に葬式をしたときに、一番最初は猫の葬式だったんですけれども、二番目に人の葬式をしました。そのときに皆本当に泣いていらっしゃるんです。自分はそのころ母も、父もおりましたから、その気持ちが分からないんですね。形はお坊さんとしてやりますけれども、その亡くなって悲しんでいらっしゃる人たちの気持ちが分からなくて、帰るときに私は悩みました。自分は本当に坊さんになれるのかなあ、ということをですね。それは今言ったように、人は体験を通じて人のこころを見ると言われるように、私は親を亡くしたことがなくて、誰とも分かれた体験がなかったもんですから、別れということの悲しみがわからなかったんですね。
2011/10/25 第138回恵観塾 第二講話「三教指帰」 9回目


ご先祖さまの導きによりまして、私の父は中年になってから出家をして護摩行を始めました。室町時代からの修験の家、祈りの家系を絶やしてはいけないという硬い決意を持ちまして、厳しい護摩行に打ち込んでいったわけであります。その傍らで私の母もまた激しい行に励んでおったわけです。やがて母は読経と瞑想によって祈るようになるわけです。
 私が胎内にあったころは、父とともに護摩壇に燃え盛る炎の前にして一生懸命祈っておったのでございます。 お腹の中におって、見えるはずも無い護摩の炎であるわけでございますけれども、いつも私の体内に燃え上がる炎は両親とともに祈った、その幼児の頃から変わらないんじゃないかなというふうな気がいたします。
 今日は、六大の中の火についてのお話しをさしていただきます。真言密教の行者は、不動明王に祈ることが多いのでありますが、私の家の御本尊も不動明王でございます。お不動さまは背中に火炎を背負っていらっしゃいます、というよりも火炎の中にあって、岩の上に立ったり座ったりしていらっしゃいます。お不動さまは地獄へ落ちる悪人を、その一歩手前で救う最後の頼みの綱でもあるわけであります。そのお姿といったら非常に怒りの形相でございますし、剣と綱を持っていらっしゃいますから、なかなか近寄り難い仏さまに見えます。しかし、このお不動さんほど慈悲にあふれた仏さまはいらっしゃらない。この怒りの表情の奥には、道に迷った人々を必ず救うぞという慈悲のこころがいっぱいつまっているのであります。
■2007/5/26 第90回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」六大 5回 火


 旭鷲山は、モンゴルから初めてやってきた力士でございます。あの白鳳を連れて来たのも、この旭鷲山なんです。何年たってもなかなか思うような成績が上がらない。なんとか勝ちたいと思い悩んでおった彼が、後援者の代議士の紹介で私のところへやってきたんです。護摩行にも参加して行もやりました。旭鷲山はその護摩行をやった翌場所は十一勝あげて、初土俵から5年目で小結になったのです。
2010/9/23 第127回恵観塾 第二講話「菩提心論」 8回目(82分)


 実は、訪日の本当の目的というのは、私の行であります護摩行に参加することが、一番だったんだというふうにおっしゃっておられました。それまで私は、この行についてプリマコフさんにお話しをするということはあったんですけれども、この護摩行がどうゆうものであるのかといったことを自分のこの眼で見てみたい、また自分も「恵観さんがやってる行というのを体験してみたい」というふうにずっと思っていらっしゃたんだそうであります。
■2005/7/29 第69回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 6回目 

 ロシアの大使が来られまして、うちで行を一緒にされたんです、1時間45分位、火の前で。私はずっと後ろに居て見るだけかなと思っておったんですが、大使はもう本当に私たちの場所と同じ位の所まで前に出て、そして印を組んで一生懸命祈っていらっしゃいました。本当に共産圏だったロシアの大使が、密教の行に関心を持たれて一生懸命お祈りをされてる姿を見て、私も本当に感激いたしました。その前には、前の総理でございましたプリマコフ総理が来られて、やっぱり一緒に「行」をされたんです。ロシアには科学アカデミーという知能集団があります。その集団の東洋学研究所というところがございます。ここの所長さん、副所長という人たちが来られまして、この時も感動しておられたんですね。
■2005/9/22 第71回池口恵観勉強会 第二講話「霊と真摯に向きあって」 水銀より



アレクサンドル・プロホロヴィチ・ロシュコフ Александр Прохорович Лосюков
Alexandr prohorovich Losyukov 1943年11月15日生 第三代在日ロシア連邦大使
2004-2006
2005/7/22 11:02 Saifukuji, Kagoshima City, Kagoshima Pref., Japan
 
 私はお加持をしておりますけれども、このお加持をするとき、私は池口恵観という人間ではございますけれども、この大気に遍満しているところの御仏の
霊気に満ちて、その力を加持を受けられる人に注いでいくわけでございます。仏さまと一体になって、苦しんでいらっしゃる人の苦しみを癒しているというわ
けでございます。仏さまの生命力を得て、生命本来のリズムを取り戻していくわけでございます。行者というのは、このように一時ではございますけれども、
その時は仏になっているわけでございます。 私の寺では毎日護摩を焚いて行をしておりますけれども、そのときには太鼓を叩いて錫杖(しゃくじょう)を鳴
らして、あるときには法螺貝を吹いて、これに負けじとばっかりに大声を張り上げて真言を繰り、教えを唱えているわけでございます。心身のバランスが崩
れたときには、その響きが調和を取り戻す働きをしてくれるのでございます。■2008/3/26 第99回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」 2回目(68分)
 

烏帽子山 最福寺 891-0133 鹿児島県鹿児島市平川町4850-1 TEL.0992-61-2933 FAX 0992-61-2242
 
Ebosizan Saifukuji 4850-1 Hirakawacho, Kagoshima City, Kagoshima Pref., 891-0133 Japan Tel.+81-992-61-2933 Fax +81-992-61-2242
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