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 第九十五回焼八千枚護摩供厳修(平成21年5月14日)
最福寺大仏殿(大弁財天四恩殿)
「苦しかったら、ここで死ね。行場が行者の死に場所なんだ」
 この頃の私は、焼八千枚護摩というのをもう60回から70回やっておりました。また、桜島の大柴燈護摩を厳修いたしました。そのころ桜島が非常に噴火して灰が鹿児島市内にいっぱい来て大変だったころでございます。
そうゆう時に私の知り合いの坊さんが、「私の寺に伝わる一巻の古文書だけども、八千枚のベテランだからこれを見てみらんか」というふうに見せてくれた、鎌倉時代の巻物を見せてくれたんです。鎌倉時代のもので字が読めないのがいっぱいあるんですね。それで高野山大学時代の恩師で、高野山の霊宝館長をしていらっしゃた高野山大学の仏教芸術の教授の山本智教という先生と、うちの妻の寺が上池院という寺でございますが、その寺の住職、父が友達であったということで、ちょうどやって来られたのですね。それで先生に読んでもらったんです。それを読んで行くうちに私は非常に驚いたんです。
 その古文書は、鎌倉時代の八千枚護摩を行者が書いて記録しているものであるわけございます。やりかたとか、護摩木の種類とか、大きさといったようなものが、なんと私がずっと作り上げてきた、誰にも教えてもらわずに私が作り上げてきた行が、そっくりそのまま鎌倉時代の巻物に書いてあったんですね。
 私はそれで非常にびっくりしましてね、千年近く前に既に私がやっておったことと、同じことをやっておった。私のオリジナルの行だと思っておったのがそこに書いてあった。自分の思っておった誇りが萎むような、しかし私の仕法というのは鎌倉時代の伝統のものであったというような、自信といっしょになりまして複雑な気持ちになったわけであります。
 私はきっと鎌倉時代の、この行をされた方の生まれ代わりなんだというふうに思うようになったんです。しかし、それから20年ぐらい経ちますうちに、私は別の考えを持つようになったのであります。それは百万枚を終えてからですね、この宇宙には仏さまの大いなる知恵が遍満しているわけであります。真言、蔵を開くというふうにお大師さまは教えて下さっておりませけれども、正に宇宙というのは秘密の蔵であります。私は拝んで、拝んで、そのことを使命に思いまして、八千枚護摩行とともに前人未到の百万枚護摩行に挑戦したわけでございます。
■2005/12/27 池口会(京都) 霊と真摯に向きあって 見えないものの大切さ  

 まず読教してお経を覚えなさい。お経を覚えられたら「刀岳の禅」を組なさい、それが出来るようになったら今後は手法しなさい、手法をしたら今度は護摩を焚きなさい。火の中に物を供えて、そして自分の煩悩がいろいろとあるのを知恵の火で焼いて、そしてそれを浄化して仏さんの気持ちを分かるようにして、それが護摩なんですね。そして、天にいらっしゃる仏さんにもおあげするようなことで、護摩で行をするわけです。
 その護摩で行をするようになったら大体一時間位なんですね普通の護摩の行は。それを今度は八千枚護摩というのをやれっていうわけですね。八千枚というのは、密教の行者さんたちが一生に一回できたらいいというのを、うちではそれはもう日常茶飯事にやる位の気持ちがないとだめ、ということでしょっちゅうそうゆうような行をする。だから私は今、92回目をやってるわけです。今度、今年は93回目。今年は中国の西安でもやります。
 八千枚が出来たら、十万枚をやれ。十万枚が出来たら、うちの先祖が誰も達成出来なかった百万枚をやってみれ、お前だったら出来るよ。小さいときに言われたら出来そうな気になるんですね。それがずっといけば、もう自分は出来るんだという気になってきます。だから三つ子の魂百までと言います。小さいときの教育というのは非常に大事だと、自分の体験をもって言えるんです。
■2007/2/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 1回目
    
 行をしているうしろ姿が美しくあるためには、磐石のようにどっしりと構えて、一寸たりといえども背中とか肩を動かしてはいけない。真剣に取り組んでいかないとうしろが綺麗にならない。松本先生たちがノミを使って一生懸命彫っていらっしゃる姿。これも私たちが行に真剣勝負で祈りをするときと一緒の光が出ておると思います。私はこれは覚悟の問題だというふうに思っております。まだ数回しか八千枚護摩行をやっていなかった頃の私は、八千枚護摩行をやっている間、早く時間が経たないか、早く終わらないか、まだある、まだある、というふうな心理が働いていきますので、二の腕とか肩が震えたり、疲れたら体がまっすぐしていなかった。それを見て母は「お前の行の姿は汚い」と言うて怒っておりました。逃げるのではなくって、立ち向かうことによって、熱い苦しいといった意識が消えていくんです。
■2007/3/22 池口会(京都) 第二講話「祈りのこころ」六大 2回目 地大   

 今、93回やっております八千枚護摩行の最初の頃だったんですけれども、一週間断食をして行を9時間くらい毎日やって最後の日にもう体がどうにもならないくらい衰弱してですね私の一番の弟子が最後の護摩木を渡す役をしおったのが最後の護摩木を渡さないんですね。いっこうに渡さないもんですから手を出して見たらそのまま死んでおったんですね。護摩木が重くて炉にくべることが出来なくなるくらいの辛さで体も大変だったんですけれども、弟子が護摩木を持ったまま死んでる姿を見たときですね、しまったと思ったとたんこの自分の体が蘇ってしまったんですね。体が動けない状態だったんですけれど元気な状態に返ったんです。
■2007/7/27 第92回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」六大 7回目 風  


 私は昭和38年4月に、27才で初めて真言密教の大法と言われる、真言行者が一生に一度出来ればいいと言われる八千枚護摩行に挑戦したわけでございました。これは真言密教の最高の荒行でございます。これはお釈迦さまが味あわれた数限りない苦行、八千回やったと言われております、その苦労を一昼夜に短縮して追体験するという凄まじい行が八千枚護摩行なんですね。
2009/10/22 池口会(京都) 第二講話 即身成仏義 9回目


 最初のころは、これをやったら火に食傷するんですね。食傷してしまって、一時火を見たいと思わなくなって遊びふけっておりました。また二、三日して帰ってきて行をすることをしておった、たびに母は、「行というのは継続なんだ、継続をしないでおっては行にはならん。お前が八千枚をなん十回やってもその継続がなかったら何にもならん。汚れてしまってまた元の木阿弥になる。きちっと行をしたら、それをづっと続けなさい、そしたらその行が生きてくる」そういうふうに常に言ってました。
2010/12/23 第130回恵観塾 第二講話「菩提心論」 12回目



 真言密教の荒行に「八千枚護摩行」というのがございます。八千枚というのは、護摩行で火にくべる護摩木の数なんですけれども、古来この八千枚護摩行を成満すれば、飛ぶ鳥を落としたり、河川の水を自由に操ったり、山をも動かせるようになるというようなことが言い伝えられてきた密教の荒行であるわけでございますけれども、この八千という数はお釈迦さまが前世で娑婆と彼岸を八千回往復して修行されたことに由来するとも言われております。
 この修行によってお釈迦さまは、御自身の法力を高められて数限りない衆生を救われたんだというふうにも言われております。また、一説によりますと、お釈迦さまがインドにお生まれになってから、悪魔とか魔人を折伏して仏の道へ導かれたというのが八千回におよんだから、この八千という数字があるんだとも言われておるわけでございます。何れにいたしましても、お釈迦さまが八千回も繰り返された苦行を短縮して、真言行者が自らの命を賭けて行う真言密教のなかでも最高の荒行の一つが、この八千枚護摩行であるわけでございます。
 この八千枚護摩行をするには、それに先立つこと七日間とか、十日間とか、二十一日間といった日にちを設けて加行(けぎょう)をやりますけれども、それのときには五穀断ち、十穀断ちをしながら毎日真言を一万遍、お不動さんの真言を唱えて護摩を焚いているわけですね。そして、三日前からは断食をして、正行の二十四時間前からは水も断つわけです。火をずっと焚き続けるわけなんですけれども、私の家の行は、この天井ぐらいまでは上がりますので、三メートルぐらい上がる火を毎日焚いておりますから、そういうような行を七時間も、八時間も焚いていくわけでございますから、食べずに、水も飲まずに炊きますから非常に地獄の業火にあぶられているような苦しみになるわけでございます。そういうような体力、気力の限界に達してしまうという行でございます。
 真言密教の行者でも、一生に一回やれるかどうかというこの八千枚護摩行を、今年(2005年)やったのを加えますと九十一回やっているわけです。その四、五回目のときだったと思いますけれども、私は灼熱地獄の苦しさに耐えかねて意識を失ったことがございます。もう、あの世行きということになったのですね。そういうふうになったときに弟子たちが、その壇から降ろそうとしたんです。そしたら、一緒に後ろの方で行をしとった母がつかつかやって来て「降ろすな、そこに置け」というふうに弟子たちに言うて、私の耳元で大きな声で怒鳴ってるんですね。
 
苦しかったら、ここで死ね。行場が行者の死に場所なんだと言って「どこでも死ぬところはないんだ。ここがお前の死に場所だ」と言って、行者の死に場所は「行場が行者の死に場所なんだ、ここで死ね」というふうに大きな声で怒鳴った。それが遠くで聞えておったのが、だんだん何回も、何回も言うてるうちに、それがワーと大きく聞えて、そして意識を取り戻して、自分が還って、また行を最後まで出来たということがございます。
 私はこれをずっと思いましてですね、人間が死ぬ前になって、あ、死んだと思ったときに大きな声で「お母さん」とか「お父さん」とかね、「だれだれちゃん」とか、そういうように大きな声で何回も呼べば、呼び戻せるんじゃないかなと思うんですね。何回か、私はこうして臨死体験みたいなことをやっております。そのなかで常に弟子が呼んだりしておりまして、また元に還ってきてるんですね。だから、一回は死ぬ人の近くおられたときには大きな声で呼ぶということも大事じゃないかなと思うんですね。呼び戻せることもあるということを私はこの行でそういうふうに体験をしておりますので、なんとかそういうようなことを、ただほっとくんじゃなくって、死を迎えられる人がおったときには、そういうふうに呼びかけるということもしてみる必要があるんじゃないかなというふうに思うわけでございます。

■004 2005/6/25 「御仏の光とは」 平成17年度高野山真言宗北海道参与会研修会での講演


 私の最初の記憶はなんだったのかなというようなことを考えてみますと、もしかしたら、それは炎じゃなかったかなというふうに時々思うことがございます。ご先祖さまの導きによりまして、私の父は中年になってから出家をして護摩行を始めました。室町時代からの修験の家、祈りの家系を絶やしてはいけないという硬い決意を持ちまして、厳しい護摩行に打ち込んでいったわけであります。その傍らで私の母もまた激しい行に励んでおったわけです。やがて母は読経と瞑想によって祈るようになるわけです。
 私が胎内にあったころは、父とともに護摩壇に燃え盛る炎の前にして一生懸命祈っておったのでございます。 お腹の中におって見えるはずも無い護摩の炎であるわけでございますけれども、いつも私の体内に燃え上がる炎は両親とともに祈った、その幼児の頃から変わらないんじゃないかなというふうな気がいたします。
■2007/5/26 第90回池口恵観勉強会 第二講話「祈りのこころ」六大 5回 火

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